「後半、肩透かしを食っちゃったけど・・・」ブレードランナー 2049 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
後半、肩透かしを食っちゃったけど・・・
前作から30年経った2049年の地球・カリフォルニア。
使い捨ての労働力として作られた人間そっくりのレプリカント。
30年前は「より人間に近づけよう」として作られていたが、それはある種の行き過ぎを招き、レプリカントたちは反乱を企てるようになった。
そのため、感情も薄く、人間に従順な新型レプリカントが作られていた。
LA警察に勤務するK(ライアン・ゴズリング)もそのひとり。
彼の役目は、反乱を起こし、その後、地球で潜伏生活を続ける旧型レプリカントを見つけ、解任(始末)すること。
役目を果たす中、Kが見つけた旧型レプリカントの遺骨には、驚くべき痕跡があった。
それは、その遺骨が女性であり、出産した形跡があるというもの・・・
というところから始まる物語で、脚本は、前作の脚本をデヴィッド・ピープルズとともに担当したハンプトン・ファンチャーと、『エイリアン:コヴェナント 』の原案を書いたマイケル・グリーン。
人間とレプリカントを区分していることのひとつが、生殖による個体複製。
生物と非生物の区分線である。
遺伝子操作によってつくりだされたレプリカントであるが、生殖能力を持たないことから「非生物」と割り切ることが出来、それ故、労働力の対象となりえた。
しかし、生殖能力を得ることは、すなわち「生物」とみることが適切であり、したがって、「人間」と敵対する存在となりうる脅威である。
そのような理屈で、LA警察でのKの上司(ロビン・ライト)は、旧型レプリカントが産み落とした子ども(成長しているので、現時点では大人)を探して抹殺せよ、とKに命令する。
一方で、レプリカント製造技術を継承した会社のオーナー兼科学者ウォレス(ジャレッド・レト)は、生殖により制限なくレプリカントを増やすことができると目論み、その子どもを探すよう部下のレプリカント・ラヴ(シルヴィア・フークス)に命じる・・・
と物語は展開していく。
前作が、未来社会を舞台にしたハードボイルド映画として始まり、クライマックスで俄かにSF的有意が屹立したのと比べると、幕開けからSF的有意に満ちた映画になっている。
そして、レプリカントが産み落とした子どもはどこに居、誰であるか、産み落としたレプリカントとは誰で、その父親は誰なのか。
母親と父親は容易に想像がつくし、子どもが誰かも、観客側はおおよそ想像できる。
なので、主人公Kがそれを知った後のドラマがどのように展開するかが、観客側としての興味焦点。
だが・・・
ありゃ、あっさり、想像していたのと違っちゃった。
なんだか、肩透かし。
いや、まぁ、別に、そういう展開でなくてもいいんだけど、こちらは結構身構えて観ていたのでね。
石女(うまずめ)から生まれたレプリカントの救世主、その救世主による創造主殺し(父殺し)・・・
そんな西欧の宗教的観点が入った物語を期待しました。
なにせ、監督は『灼熱の魂』のドゥニ・ヴィルヌーヴだもんね。
と、後半の展開は個人的には肩透かしを食った格好だけれども、そこへ至るまでは映像も語り口も、まずまず満足。
特に、前作の人間とレプリカントの間の愛が、レプリカントとAIとの愛という一段高い次元になっている点などは、興味深かったです。