「人間生きていくには**があればいい」サバイバルファミリー ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
人間生きていくには**があればいい
やっぱり矢口監督の作品というのは、観に行って「ハズレ」ということは「ほぼ」ないんですね。
本作もお金を払って観る価値あり。十分面白いです。
出演している俳優さんもベテラン、新人取り混ぜて、なかなかいい布陣だと思います。
主役のお父さん役に小日向文世さん、
典型的な一昔前の会社人間を演じます。停電で電車が止まっても、必死で会社に出勤するような人です。
バリバリ仕事をすること自体が”生きがい”みたいな人。
まあ、こういう人は仕事以外、家事などは何一つできない、ということが多いんですが……。
まあ、それは映画が進行するにつれ、色々とわかることなんですね。
奥さん役には深津絵里さん。本作では大学生と高校生、二人の子供を持つ主婦を演じます。
李相日監督作品「悪人」での演技はすごかったですよね。
さらに本作では、僕の大好きな大地康雄さんが出演されていて、これは嬉しかったなぁ~。
「マルサの女」などで最高の脇役を演じてくれましたよね。
さて、物語の舞台は現代日本。
ある日突然、すべての電気製品が使えなくなってしまう、という設定から始まります。
原因がわかりません。いつ復旧するかもわからない。
家の電気はもちろん、スマホやパソコンもつかえない。電車もストップ。交差点の信号も止まってる。
いち家庭だけの問題ではなく、複雑に絡み合った都市機能、社会インフラ全てが一瞬で
「アウト!!」になってしまったわけです。
水道は大丈夫だろ?
とお思いでしょうが、そうはいきません。
水を組み上げるにはポンプが必要ですね。
ポンプは電気で動くのです。
さらには水洗トイレすら使えなくなります。
さあ、大混乱。
電気はいつになったら復旧するんだろう?
小日向さんの四人家族は、何日か様子を見るのですけど、一向に回復しないんですね。
そこで家族は、おじいちゃんがいる鹿児島へ向かって避難しよう、ということになります。
その途中でいろんな人にあったり、いろんなハプニングが起こります。
本作はそれを描いてゆく「ロードムービーの形式」をとっています。
21世紀に生きる僕たちが、電気が使えなくなっちゃった状況で、どうやって生活するのか?
それをまさにシュミレーションしているのがこの映画です。
その意味では非常に興味深いテーマです。
僕達日本人というのは、20世紀から21世紀にかけて、大きな天災を体験していますね。
阪神淡路大震災がありました。そしてあの3.11東日本大震災がありました。
大津波が来ました。
そして原発が吹き飛んでしまいました。
「安全神話」なんて本当に「嘘っぱちだった」というのがよくわかりますね。
まあそれはさておいて、
福島原発がメルトダウンして、全く電気が作れなくなった時、真っ先に困ったのは、なんと日本の首都である大都市、東京の人たちだったんですね。
あの時は、政府主導で計画停電というのも行なわれました。
ということは「電気が使えない」という状況を、大都会「東京」の人たちはすでに実体験しているのですね。
そこから何を学習するのか? したのか?
本作はエネルギー危機などの非常事態に、私たちはどう向き合ったらいいか? という啓発映画の性格もある、と見ることもできます。
ただ矢口監督の流儀というのは、そういう説教臭さを絶対に感じさせないところなんですね。
前作「WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~ 」 という作品がありました。
これはイマドキの若者が、過疎の山村へ行って、現代の「木こり」になるお話なんですよね。
「林業を再生しよう!!」
「日本の自然を見直そうよ」
「エネルギーの地産地消をしましょう!」
「もっと皆さん地元の活性化を考えてくださいよ!」
ややもすると、そんな非常に説教臭い映画に陥る可能性がある題材でした。
ところが矢口監督は「WOOD JOB 」をちょっとハチャメチャなぐらい”弾けた”コメディ映画に仕立て上げたんですね。
これこそ、矢口史靖監督の真骨頂なわけです。
「映画はエンターテイメントなんだ」
「映画興行は売れて、客が入って、ナンボなんだ!」
それを非常によくわかっていらっしゃる監督さんなんですね、
さて、僕が本作で気になったところといえば、矢口監督にしては珍しく「手持ちカメラ」を多用しているところですかね。
そのため、上映中、スクリーンに映る映像は、常にユラユラ揺れるんですね。
これは如何なものか? とちょっと疑問に思いました。
実は以前、矢口監督自身がインタビューで語っているのですが
「劇場の画面が”パッパッ”と素早く切り替わるとお客さんは疲れてしまう」
という趣旨の発言をしていたんです。
この0.5秒以下の「極めて短いカット割り」
一時期大流行しましたよね。
僕は基本、アクション映画は観ないので、今はどうなんでしょう?
ちょうどそのころ、大流行したのが
「ブレブレの手持ちカメラ」だったのです。
もう猫も杓子も「馬鹿の一つ覚え」のように取り入れていましたよね。
矢口監督はその点、じつにプロフェッショナルな対応をしました。
「0.5秒以下のカットは使わない」
「ブレブレの手持ちカメラは使わない」
「劇場のスクリーンを観るお客様を配慮する」
それが今までの矢口監督の流儀でした。
ところが本作では、そのやり方をかなぐり捨てたんですね。
これはちょっと注目したいところです。
なお、前作はTBS系列の資本で映画製作をしましたが、
本作から矢口監督の古巣である「アルタミラピクチャーズ」での製作に戻っています。
撮影スタッフもいわゆる「矢口組」の人たちのようです。
音楽は「スウィングガールズ」の時から手がけられているミッキー吉野さんが担当。
安定感ありますね。
この映画をきっかけに、ちょっとばかり、
「人間一匹が生きていくには何が必要か?」
ということをちょっとでも考えてくれる人が増えたなら、
エネルギーや水や食糧の自給のことなど、いい方向に向かうと思うんですが……
そうなればいいですね。
*******
以下余談です。
僕の友人が兵庫県の過疎の集落で小さな家をなんと「手作り」しております。
僕も友人の”しがらみ”というやつで、しょうがなく巻き込まれてしまいました。
その「スモールハウス」は古民家オーナーのMさんのご好意で、その敷地内に建てております。
Mさんの趣味はなんと「古民家の再生」
すでに2軒の古民家を再生済みです。
古民家には最新の太陽光発電システム。IHヒーター3口コンロの豪華システムキッチン、トイレはもちろんシャワートイレ、という快適さです。
ぼくたちはこの快適な古民家に泊まらせてもらって、じつに恵まれた環境で「スモールハウス」の作業を進めました。
ちなみに、この古民家のハイライトは「お風呂」なんです。
それがズバリ「五右衛門風呂」なのですよ。
本作「サバイバルファミリー」でもこのお風呂が出てまいります。
電気やガスを使わずにお風呂の湯を沸かすこと。
つまり、原始的に薪に火をつけてお風呂の湯を沸かすのです。
このお風呂はオーナーのMさんが徹底的にこだわって作り上げた逸品なんですね。
せっかくなので僕も、この五右衛門風呂の火を起こす作業を体験させてもらいました。
さて、いざ火をつける、という段になって僕はハタと困りました。
「どうやって火をつけたらいいんだろう」
ライターはあります。
新聞紙もある。火を入れる炉のそばには大量の木の廃材がある。これが燃料です。
僕は新聞紙に火をつけました。
その瞬間です。
「あっチッチッチ」
新聞紙はボッと燃え上がり、瞬く間に燃え尽きてしまいました。
根っから不器用な僕は、もう意気消沈してしまいました。
そのあとなんとか火がつき、小さな木切れを燃やしました。
でも、何せ相手はお風呂の水です。
その量は半端ではありません。
それを四十度ぐらいまで加熱しなければなりません。
そのために僕は大きな薪を、炉の中に放り込みました。
ところが、火は一向に大きく燃え上がってくれません。ただ、やみくもに黒い煙がもうもうと立ち込めるだけ。
そのうちなんと、火は消えてしまいました。
そのあとMさんがやってきて、手慣れた感じで火を起こし直します。
Mさんがやると、みるみる火は大きくなってゆきました。
炉の入り口の外側まで、火の手が、ぼうぼうと燃え盛るのです。
「ああ~、すごいなぁ~」
ぼくはもう、いろんなことに圧倒されてしまいました。
「火をつけること」
ただそれさえできない自分。
いかに頼りない存在なのかを思い知らされました。
集落の自然はとても豊かです。
米は自分たちで作っているし、家庭菜園には白菜、キャベツ、大根、トマト、きゅうり、ネギ、玉ねぎ、スイカに柿。
季節の果物まで楽しめる。
いざとなれば井戸さえある。
そんな過疎の山村で、僕たちは集落の彩り豊かな四季を眺めながら、コツコツと作業を進めてゆきました。
映画の話に戻りましょう。
矢口監督は前作「WOOD JOB」で過疎の山村を舞台に選びました。
きっと僕たちと同じ体験をしたでしょう。
それは僕が我が身で体験しただけに、もうビンビン響いてきました。
そこでわかることがあります。
「この国はおかしいよ」
ニッポン列島の里山には豊かな資源が豊富にあります。間伐材などは、運び出すのに「コストがかかりすぎる」
という理由だけで、山の中に手付かずで放置されております。
これを例えば「バイオマス燃料」としてなぜ活用しないのか?
実際、北欧の人々は木質チップにして各家庭で使っています。
なぜ、僕たち日本人は、外国から高いお金と高い安全保障費を払って、石油をタンカーで運ぶのか?
水と食糧、エネルギーが自給自足できれば、それこそ国家の防衛費を大幅削減、あるいはもっと有効にシフトすることができるでしょう。
なにせ、シーレーン防衛など全く必要なくなるのですからね。
さらには原子力発電などという「危険神話」をつくりあげた「危険エネルギー」を活用する、という
「阿呆」としかいいようがない選択。そんなものは全く必要なし!
と断言できるでしょう。
またまた話が脱線しましたが……
矢口監督としては、それらのことを踏まえて、
「いったい人間が生きていくには、何が必要なのか?」
その根源的なもの、それを描きたかったのでしょうね。
都会の便利さにどっぷり使った僕たちの日常。
それが、ほんのひととき、過疎の集落で暮らしてみれば。
そこには、すでに
「人が生きてゆくのに、ここでは何にも困らないよ」
という生活があったのです。
僕たちはそのちょっと不便だけど、根源的な人間の豊かさをかなぐり捨て、明治維新の時、近代国家へ突き進みました。
現代はその延長線上にあります。
都会人は、ネットがなければ生きて行けない。
スマホとLINEなしの生活は考えられない。
ああ~、なんということでしょうね。
僕たちはもう一度、人間が生きてゆくこととは何か?
考え直す必要があるのです。
太平洋戦争で大失敗し、国を一から作り直した日本。
奇跡の復興を遂げ、アジアの希望の光と言われ続けた日本。
福島原発が、水素爆発をおこしたとき。
ぼくは
「ああ、日本が爆発してしまった」
と思いました。
戦後今まで作り上げてきたものは、全部「嘘っぱち」
あの「水素爆発」は日本の過去の栄光と繁栄を全て吹き飛ばしてしまったように、僕は感じました。
僕たちはまた「大失敗」をしました。
「原子力発電」を認め、利用し、繁栄し、そのあげく、見事に裏切られた。
「ヒロシマ・ナガサキ」で原子力の恐ろしさをあれほど見せつけられたのに。
何も学ばなかった。
今さえ良ければいい、と思っていた。
そんな夢うつつは、3:11を境に終わりを告げました。
もう一度言います。
人間が生きてゆくこととは何か?
考え直す時期に来ているのです。