シーモアさんと、大人のための人生入門のレビュー・感想・評価
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人生に幸せをもたらす ゆるぎない何か
シーモアさんの姿勢はとても自然だ。 シーモアさんはいつもとても率直だ。 シーモアさんの言葉にはいつも愛がある。 シーモアさんの名言がたくさん飛び出します。 私はピアノ🎹は弾けないけど、言わんとしてることは感覚としてはわかる。 一番弱い音を出せるピアノを探してるってのがステキだった。
極めて高尚な哲学的音楽映像
完全に見くびっていた。極めて知的な構成で驚く。映像・音楽・言の葉で構成された映像言語による哲学書。パスカルや、エマーソン、シモーヌ・ヴェイユの随想録を想起させられる。人に勧めたくなる逸品。作品内では数々の箴言が飛び交う。曰く「星座が目で見る事の出来る秩序であるなら、音楽は音として聞くことのできる秩序である」。曰く「宗教と音楽の違いは、宗教には信仰が必要だが、音楽は自らの内にあり、しかも楽譜と言う言語が存在する」。曰く「真の芸術とは創作と再現がセットでなければいけない」。作曲家と演奏家が別々の専門家として存在する事への継承。絵画で言えば修復と創作がセットという事か・・・。曰く「金や物で幸せを手にした人はいない」これもまた言い得て妙である。全てがギリシャ哲学の学問4元素、「算術(ARISMETRICA)」「幾何(GEOMETRICA)」「音楽(MUSICA)」「天文学(ASTRO)」の4つによって構成された解であり、この宇宙の原理である、という事を伝えようとしている。
イーサン=ホークが「オレ最近まじこのセンセーにハマってて!ちっと観...
イーサン=ホークが「オレ最近まじこのセンセーにハマってて!ちっと観て下さいよォ!(脚色)」と前のめりで紹介するのは、当時87歳のピアノ教師シーモア=バーンスタインさん。 「とても良くなったね。私より巧く弾くのは許しがたいよ(^^)」 私はピアノ弾けないけど、観て良かった。 知らない人のドキュメンタリーって大抵ハマらないんだけど、本作は特別、馴染んだ。 自分勝手で我儘な音楽家が見放されるようになった今、注目されるべきアーティスト像の一例。 音符ひとつずつ、丁寧に大切にキャラクタを付けて奏でてゆく姿勢が、名匠と呼ばれる映画監督たちに重なる。 「私はピアノを弾くとき、楽器の鳴り響きに耳をそば立てます。この感覚を会話に応用すると、ほんとうに相手が言いたいことは何か?探る姿勢を養えるのです」 映画観るのとおんなじだと思った。監督と疑似会話しながら、自分との落としどころ、ハマりどころを探るのが楽しいから。 「私はレッスンで、音楽ばかり重視しません。生徒をはげまし、彼らが自分の感情を引き出せるよう助けます。人生のあらゆる場面で必要だからです。」 感情的にさせる、ということではない。 感情で武装する"中の人"の気持ちを引き出し、見つめるということ。 多くの他人と接する上で、必要なセンス。 ベートーヴェンは自らの繊細さを隠すために力強い曲を書いた、と推理するシーモアさんに唸った。 「素顔の自分と演奏する自分とが一体化すると、一気に高みに到達する」 書いてる文章と自分の本心とが一致すると、晴れやかな気持ちになる。 取り繕ったり背伸びした言葉は、胃を悪くするだけだ。 過激な乱文で憂さ晴らしをするのとも違う。なんか、ガンバっちゃってる装飾だから。 自分のバランスを思い出すために、アウトプットが必要なんだ。ことばでも音でも。 私はまだ未熟なので、うっかり他人を傷つけてしまうけどな。 シーモアさんや生徒さんたちの発言がちりばめられ、観る時々でどれを拾えるか違うので楽しい。 初見時にガンガン響いた台詞を見失う時もあるw。 その時必要な言葉は、自然に耳に入ってくるからそれで良い。 聞く気の無いお説教が、何も残らないのと同じ。 収録された音もとても良い。 「音量が増幅する不思議なピアノ」の音とか、よく拾えたなぁ。 ありがとう!あそこ、とっても驚いた。 手と手をあわせる。いちばん簡単に、自分の内に平穏を見出す方法。 難しいのは楽器演奏。だから練習が必要。 しかし、何十年もソファベッドで寝ててよく身体痛くならないですね。 シーモアさん93歳、ご自愛くださいませ。 ============================= 音楽之友社『心で弾くピアノ―音楽による自己発見』 絶版なのが悔やまれるけどめっちゃ楽しい本。 「コンサート終演後、お客さんが演奏と関係ない話をしていても落ち込まないように」とか、とってもユーモラスで素敵なアドバイスを得られる。
【”人生の旋律” 第一級の指を持つ天才ピアニストの、優れた教育論をイーサン・ホークが描くドキュメンタリー作品。分野を越えて人に何かを教える者にとっては、値千金のドキュメンタリー作品でもある】
ー 且つては、第一線のピアノ演奏者であった87歳のピアノ教師、シーモア・バーンスタイン。 表情は穏やかで、彼のピアノレッスンに通う生徒達に掛ける彼の言葉は、常に適切で優しい。ー ◆感想 ・楽器だけではないが、一線級の“生徒”達を指導する“教師”の殆んどは、厳しき指導をしているイメージがある。 中には、人格を否定するような指導をしている人が、崇め奉られているシーンを目にした事もある。 ・だが、シーモア・バーンスタインの指導方法の基本は”褒めて育てる”である。 - 直近の例で言えば、青学の駅伝の監督だろうか・・。- ・声を荒げる訳ではなく、(ピアノの技法に関しては、良くは分からないが・・)シーモア・バーンスタインは、自らの生徒達に対し、穏やかな声で指導している。 <人生を美しく奏でる。 若き日に苦労したシーモア・バーンスタインが、自らを頼って来る生徒たちに掛ける言葉は、優しい。 けれど、的をついたアドバイスの言葉。 今作を監督した、イーサン・ホークは自らの演技に壁を覚えた際に、シーモア・バーンスタインと出会い、刮目したそうである。 (あの、順風満帆な俳優人生を送っていると思っていた、イーサン・ホークがである!) 今作品は、分野を越えて人に何かを教える者にとっては、値千金のドキュメンタリー作品であると、私は思う。>
イーサン・ホークがなぜ
まあ、それはいいか… ピアニストという人種にあまり好感がなかった、ヒガミから(笑 でも、神に近いピアニストは何人も知っている、イエルク・デムスとか この人は全く知らなかった バーンスタインと言えばレナードくらい 丁寧な音の出し方に終始うっとり聞くことができた スタインウェイでの弾き比べは画面上でも微かに違いがわかり面白かった 全く派手さのない人・・・ 人生入門???
ドキュメンタリーでもない、単なる紹介映画
ほかのレビューにもあるように紹介映画。 イーサン・ホークが彼に惹かれたということは分かった。シーモアさんは聞き上手で、人の気持ちに共感するのが上手なのだろう。 昔の現役時代の演奏がないと、舞台恐怖症と言われても観ている方には伝わらない。そこが描かれていないから何故彼が現役引退して教える道を選んだのかも最後までイマイチわからない。 比較的ゆっくりで聞き取りやすかったので英語の勉強に良いかもしれない。
音楽とともに生きる
個人の音楽の才能と人間性は比例しないこともある。でもシーモアさんは比例している例と思いました。 イーサン・ホークも渾身の演技と評価が比例しない事に苦しんでいるように思いました。 評価は、人の批評、評判、レビューとか、ギャラという事ですが、わかる人しかわからない事もあり、本当の価値と世間の評判が一致することはどんな世界でも少ないのかもしれません。 音楽は時間の芸術で、演奏する、それを聴く事は、今という時を生きる事に通じていて、感情を味わえます。 シーモアさんが教えるとピアノの音が劇的に変わって、それにも感動しました。
面白かったんだけどね、眠ってしまった…
VODとかレンタルしてリベンジしたいけど、作品がマイナーすぎてどうだろう… 私のおばか! 半分くらい寝てたのではなかろうか。 父は3人の娘とピアノ弾きがいるといって笑いを誘ったが、私には侮辱に思えた。ってあたりまで見ました…その先!見たかった。 ミュージシャンはどうして薬物に溺れるのかっていう、前々からうっすら感じていた疑問に、ひとつの解を与えてくれました。 あくまでひとつの、ですが。
悪気はないんですが・・・
悪気はないんですが、私もクラッシックは好きなのですが、特別に好きなわけでも、詳しいわけでもないんですが、実につまらなかったです。 眠かったです。 シーモアさんも初めて知りましたが、知ってたらもうちょっと違ってたのかな・・・ ドキュメンタリーでも、もうちょっと映画として面白いほうがいいんじゃない? 高評価の方ごめんなさい。
芸術と人生、その「聖性」と「魔力」
辻井伸行さんが優勝した、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール。 ご存知でしょうか? あの時、優勝者は二人でした。 辻井さんともう一人、中国の若きピアニスト。ハオツェン・チャン。 彼がファイナルステージで弾いたピアノ協奏曲。 その選曲に僕は大いに驚きました。 彼が選んだのはモーツァルトのピアノ協奏曲第20番K.466だったのです。 楽曲を聴いてすぐ分かりますね。 音の数が圧倒的に少ない。 それにモーツァルトが活躍した時代、そもそも現代とおなじピアノはまだ現れていなかったのです。 モーツァルトは61鍵のピアノを使っていたそうです。 現代のピアノはご承知の通り88鍵。7オクターブの音域が自由に選べます。 しかしモーツァルト時代のピアノは5オクターブしかカバーできません。 表現の幅がそれだけ限られるのです。 にもかかわらず、ハオツェン・チャンは、この表現の制約がある、モーツァルトのピアノコンチェルトで「勝負」にでたのです。 なんという大胆さ。 なんという勇気。 僕が思うに、かれは自分が表現できるピアノの「音色」に圧倒的な自信があったのでしょうね。 第二楽章の冒頭のメロディー。 もう一度聴いてみてください。 こんなに易しく、シンプルなメロディー。 おそらく、ピアノを習い始めた小学生でも弾けるでしょう。 それを彼は世界的コンクールという大舞台で「挑戦的」に弾きおおせたのです。 そして彼は辻井さんとともに世界へ羽ばたく切符を手にしました。 音楽におけるまさに劇的なサクセスストーリー。 ここで一つ問題提起しましょう。 音楽での成功とはなんでしょうか? コンサートのチケットが売れること? 音楽ビジネスとして成り立ち、金持ちになること? それとも芸術性の頂点を目指すこと? これは両立するのでしょうか。 本作はピアノそのものが大好き、また、ピアノ曲が大好きという方には、大変豊かな体験をもたらしてくれるドキュメンタリー作品です。 ただ、邦題の「人生入門」については、やや疑問符があります。 本作はピアニスト、そして音楽芸術を極めてゆく過程において、芸術家が直面するジレンマについて、シーモアさんが語り部となって、自分の歩んできた人生を振り返り、洞察するというもの。 ピアノという楽器や、その演奏手法についてもかなり突っ込んだ解説がなされます。 したがって、音楽に全く興味のない方、ピアノが好きではない方には、退屈で仕方のない作品に思えてしまうでしょうね。 本作を作ったのは俳優イーサン・ホーク。 すでに俳優としてのキャリアは評価されていました。 しかし彼の言葉を借りれば「実にくだらない演技」を大衆は好み、喜んだのです。 そこに彼は「演じること」その芸術性を極めたい、という欲求が、体の中から湧き出てきたのでしょう。 彼のなかのモヤモヤは頂点に達しました。 やがて彼は、演劇の舞台に立つことに、極度の不安を覚えることになります。 そんな時に出会ったのが、ピアノ教師シーモア・バーンスタインさんでした。 彼は稀有な才能を持ったピアニストであり、賞賛と名声を得ていました。 にもかかわらず、自らステージを去り、一介のピアノ教師という生き方を選びます。 イーサン・ホークは、このシーモア・バーンスタインという人物、その人生に尽きぬ興味と尊敬の念を覚え、記録にとどめたいと、このドキュメンタリー作品を自ら監督します。 イーサン・ホークにとって、シーモアさんは、まさに「人生の師匠」とでも言える人だったのです。 僕も「心の師匠」と勝手に思い込んでいる人物がいます。 小澤征爾さんです。 小澤さんのボストン交響楽団時代のドキュメンタリー「OZAWA」は僕のバイブルとなりました。 心が疲れている時にこのドキュメンタリーはあまりに”眩しい”ものです。 「うつ病」を抱えている僕にとっては、やや調子のいい時に、このドキュメンタリーを見ることにしています。 それは人間と音楽の関わりが「こんなに楽しいもの」であることを感じさせてくれるのです。 「クラシック音楽は敷居が高くってね……」 と敬遠される方も多いでしょう。 小澤さんが生み出す音楽は本当に良い意味で敷居が低いのです。 たしか1980年代に、小澤さんの特集番組が民放で放送されたことがあります。 その中で、実に心憎い演出がありました。 当時デビューして間もないアイドル、野村義男君と、小澤さんが、屋台のおでん屋で、音楽について語り合う、というシーン。 これは小澤さんの音楽を理解する上で、実に的を得た演出でした。 こんなに「屋台の似合う」クラシック音楽の指揮者がいるでしょうか? 世界を探してもそれは小澤さんだけでしょう。 その小澤さんが、世界の頂点に君臨するオーケストラ ベルリンフィルを率いて演奏したチャイコフスキーの「くるみ割り人形」 そのなかの「花のワルツ」 なんという愛らしさ。美しさ。クラシック音楽が決して限られた特権階級の音楽ではないことを示してくれます。 本作はいろんな問題提起を僕たち観客に投げかけてきます。 芸術とは何か? 芸術と一般大衆との乖離について。 芸術に関わる芸術家はどう生きるべきか? さらには、芸術は人間を本当に幸せにするのか? これは、大変シリアスな問題ですね。 たとえば「最高の音楽を目指そう」というアーティストは、世界中にゴロゴロいます。 それはクラシックに限りません。 大衆音楽でもそうです。 その代表格は今は亡き、マイケル・ジャクソンでしょう。 映画「THIS IS IT 」 を見れば分かります。 彼は「キング・オブ・ポップス」と呼ばれました。 まさに王者として、つねに頂点に、居続けなければならない。 そのプレッシャーと戦う姿は、ある種痛ましささえ感じられるのです。 その結果、彼の生涯は悲劇的な結末を迎えました。 音楽が彼を死に追いやった、とさえ言えるのかもしれません。 本作でも語られるように あまりに音楽の芸術性を追求するあまり、グレン・グールドのように、自分の殻に閉じこもるように、神秘的な存在になってしまった人もいます。 彼は後年、人前でリサイタルをすることをやめてしまいました。 以前テレビで彼のインタビューを目にしました。 「私が人前で演奏しないのは、すべての人に、私の音楽が”等しく”聴かれることを願っているからです」 グールドは、コンサートでは人々は座る席によって、音の響きが違ってくる「それが嫌だから演奏しない」というのです。 しかし、いくらレコードでグールドが奏でる音楽を「共通体験」しようと試みたとしても「再生装置」である、オーディオ機器は、各家庭において違いがあります。 数万円のものから、マニアが購入する数百万円のものまで。 当然音質も変わってきます。 それを考慮すると、グールドの主張はどうにも”あやふや”です。 本作でのシーモアさんは、グールドのこともよく知っていました。 「いい演奏をしたいと願うアーティストは例外なく、客の前で緊張します。グールドは極度の緊張に耐えきれなかったのです」 さて、こんな芸術と人間との関わり。 芸術は人間が生み出した美しい側面ではあります。 しかし「美の探求」という側面もあります。 それは物理学や数学の法則が、それを学ぶ者にとっては「とてつもなく美しい」と感じることと同じです。 「E=mc2」というアインシュタインの方程式は、シンプルで素人目にも調和と美しさを感じます。 しかし、この美しさを持った方程式を利用すれば、おそるべきエネルギーを持った兵器を作ることも可能です。 「永遠の真理」は地球を木っ端微塵に破壊する可能性さえ内包する、冷酷さを持ち合わせています。 「永遠の美や真理」は人間にはしょせん「扱いきれない」もの、なのかもしれません。 だから人間はいつまでも「美や真理」の前では子供なのでしょう。 間違った使い方をしても愚かなままで、何も学ぼうとしません。 そして過ちを繰り返す。 失敗を再生産してゆく。 本作は、見る人により、様々な印象、感想を持つことでしょう。 自分の人生をよりよく生きること。 自分の生を全うすること。 人生においての成功、現世においての成功と、芸術性の成功は両立するのか? ジャンルは違いますが、一つの分野において頂点を極めようとする人たちのドキュメンタリーとして 「二郎は鮨の夢を見る」 「鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」 などもご参考までに上げておきましょう。
シーモアさんの豊かな人間性と音楽観。
いい映画でした。俳優であるイーサン・ホークがシーモアさんにお会いし、ドキュメンタリーを作ろうと決意、とてもよく判ります。シーモアさんの持つ豊かな人間性と音楽観、監督は真正面から取り組み、素晴らしい映画を作りました。
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