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映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」 シーモアさんと、大人のための人生入門
劇場公開日:2016年10月1日
解説
イーサン・ホークが初めて手がけたドキュメンタリー監督作品。アーティストとして、1人の人間として行き詰まりを感じていたイーサン・ホークは、87歳のピアノ教師、シーモア・バーンスタインと出会う。バーンスタインの漂わせる安心感やピアノ演奏に魅了されたホークは、バーンスタインのドキュメンタリー映画を撮ることを決意する。50歳でコンサートピアニストとしての活動をやめ、以後40年近くの人生を「教える」ことに捧げ、けっして平穏ではなかったバーンスタインの人生が、ピアノの旋律とともに繊細な言葉で語られていく。
2014年製作/81分/G/アメリカ
原題:Seymour: An Introduction
配給:アップリンク
スタッフ・キャスト
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2022年1月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
ー 且つては、第一線のピアノ演奏者であった87歳のピアノ教師、シーモア・バーンスタイン。
表情は穏やかで、彼のピアノレッスンに通う生徒達に掛ける彼の言葉は、常に適切で優しい。ー
◆感想
・楽器だけではないが、一線級の“生徒”達を指導する“教師”の殆んどは、厳しき指導をしているイメージがある。
中には、人格を否定するような指導をしている人が、崇め奉られているシーンを目にした事もある。
・だが、シーモア・バーンスタインの指導方法の基本は”褒めて育てる”である。
- 直近の例で言えば、青学の駅伝の監督だろうか・・。-
・声を荒げる訳ではなく、(ピアノの技法に関しては、良くは分からないが・・)シーモア・バーンスタインは、自らの生徒達に対し、穏やかな声で指導している。
<人生を美しく奏でる。
若き日に苦労したシーモア・バーンスタインが、自らを頼って来る生徒たちに掛ける言葉は、優しい。
けれど、的をついたアドバイスの言葉。
今作を監督した、イーサン・ホークは自らの演技に壁を覚えた際に、シーモア・バーンスタインと出会い、刮目したそうである。
(あの、順風満帆な俳優人生を送っていると思っていた、イーサン・ホークがである!)
今作品は、分野を越えて人に何かを教える者にとっては、値千金のドキュメンタリー作品であると、私は思う。>
2020年6月10日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
まあ、それはいいか…
ピアニストという人種にあまり好感がなかった、ヒガミから(笑
でも、神に近いピアニストは何人も知っている、イエルク・デムスとか
この人は全く知らなかった
バーンスタインと言えばレナードくらい
丁寧な音の出し方に終始うっとり聞くことができた
スタインウェイでの弾き比べは画面上でも微かに違いがわかり面白かった
全く派手さのない人・・・
人生入門???
2019年6月1日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
ほかのレビューにもあるように紹介映画。
イーサン・ホークが彼に惹かれたということは分かった。シーモアさんは聞き上手で、人の気持ちに共感するのが上手なのだろう。
昔の現役時代の演奏がないと、舞台恐怖症と言われても観ている方には伝わらない。そこが描かれていないから何故彼が現役引退して教える道を選んだのかも最後までイマイチわからない。
比較的ゆっくりで聞き取りやすかったので英語の勉強に良いかもしれない。
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イーサン・ホークは、よほどシーモア氏と気があったのだろう。ホークがシーモア氏に入れ込み、ドキュメンタリー映画まで作ってしまったのだから。それほど気があったのであろうし、表舞台に出たがらない天才を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いもあったりしたのかもしれない。しかし、生憎この映画からは、ホークのシーモア愛は感じられるものの、肝心のシーモア氏のドキュメンタリーとしての奥義が伝わりきらない。映画は、シーモア氏がピアノを指導するシーンと、シーモア氏が語る自身のエピソード、またシーモア氏の周辺の人々が語る彼のエピソードと、ホークの主観で構成される。それぞれのシーンがコラージュのようにスクリーンに貼り付けられ、シーモア像が浮かび上がってくる・・・かというとそうではない。
確かにシーモア氏は、実に物語のある人でエピソードにも事欠かないし、本人自体も魅力的でチャーミングな人なので、彼を愛する事は容易いだろう。しかし、この映画を通じてホークが伝えたかった事というのが、ホークのシーモア氏に対する入れ込みに塗れてその真意がぼやけてよくわからないのだ。シーモア氏の素晴らしいピアノテクニックを聴いてほしいのか、しかしそれにしては演奏シーンは少ない(演奏に被せてナレーションが被さったりもするし)。彼の歴史を見せたいのか?それにしては情報が少ない。彼のチャーミングな人となりを知ってほしかったのか、それにしては踏み込みが甘い。原題が「イントロダクション」というように、この映画は本当にシーモア氏の「紹介」に過ぎないのだ。それではドキュメンタリー映画としてはやっぱり物足らない気分にもなる。せめて、彼のピアノ演奏をもっとじっくり聴かせて欲しい。あるいはシーモア氏
の半生をじっくり聞かせてほしい。しかし、いずれも満たされないで終わってしまう。
ホークは役者としての自身のあり方に迷い、舞台恐怖症にさえなった時期にシーモア氏と出会ったと言う。シーモアも舞台恐怖症でピアニストを引退した人物だ。彼との出会いがホークにとってなにかを変える大きなきっかけになったのかもしれない。しかしそれはホークのあくまで私的かつ主観的な出来事にすぎない。作中、ホークがシーモア氏に役者としての悩みを吐露するシーンが出てくるが、それをドキュメンタリー映画で観客と共有する意義とはなんだろう?と考えてしまう。ホークのハリウッド俳優としての個人的な悩みが、観客の共感情とリンクすることは難しいだろうことなのに・・・。シーモア氏のドキュメンタリー映画という割りに、その熱量故に、イーサン・ホーク自身の自我が入り込み過ぎた感が否めなかったかな?という印象が拭えなかった。