忍びの国のレビュー・感想・評価
全86件中、21~40件目を表示
ファンの期待をはるかに超えた!
いきなりだけど・・・
無門(大野智)が平兵衛に言うのよ。・・・(=^・^=)にゃにを?
あっけらかんと人を殺していた無門がさ。
あの殺人ゲームのような「川」のシーンで。
・・・だから(=^・^=)にゃにを?
「教えない」
私、今日で二回目でしょ。
だから「見とどけてやる」って覚悟してたのに
どうしても「川」の場面を正視できなかった。
「これは演技だから・・・」とわかっていても・・・
それほど凄すぎるの。クライマックスの「川」はさ。
平兵衛と無門の心がワンカットの中で変わっていくの。
その心の変化が辛くて見てられない。
「もうやめろ!」「誰でもいいから、二人を止めろ!」
って叫びたくなるのを抑えるの。やっとの思いでね。
もしかすると、変わっているのは、二人ではなくて
観ている私の方なのかもしれない。
「君の名は」を観たときもそうだった。
変わってくのは主人公の高校生たちなのに
もしかしたら、観ている私が変わって行くような・・・錯覚?
それを確かめたくて、何度も劇場に行った。
「忍びの国」は、だから、特別な作品だと思う。
点数で評価するような映画ではないかもしれない。
自分で見て確かめるべきものがある映画だよ。
・・・でも(=^・^=)きみがお金出すわけじゃないからにゃあ。
「うるさい!」
実は・・・
お国(石原さとみ)も伝えるのよ。
無門が平兵衛に言ったのと同じ言葉で。
「本当の名前を教えて?」と頼んで、無門からその答えを聞いた後にね。
言うだけじゃないんだけど・・・(=^・^=)にゃに?
「自分で確かめろ!」
・・・じゃあ、何て言った(=^・^=)んにゃ?
「それも、自分で確かめなくちゃだめ。」
現実の世界では、ありふれている。
日常生活では、フツーに使う言葉だわ。
そして・・・その言葉には、中身がない。
あっても、薄っぺらい感情だ。
そんなもの2日もすればどこかに飛んで消えてしまうくらい軽い。
だから・・・
本当につらくて仕方がないときは決して使わない。
使っちゃいけない言葉だと思ってた。わたし。
それなのに、あえて
この作品の中で・・・
たぶん、2度。それを言わせているんだよ。
それって・・・「届けたい!」ってことでしょ?
その言葉のほんとうの意味とほんとうの使い方を。
忘れてない?忘れるべきじゃないんじゃない?
・・・って感じでさ。わたし・・・
無門やお国に、命がけで教えられたような気がするわ。
「君の名は」を観終わったときも似たような思いがした。
忘れている、忘れかけている大切なモノを見つけたような。
教えられたような。
PS.監督の演出雑過ぎない?
後は好きにやって!的な演出ばっかじゃん!
・・・と初回のときに感じたことは
私が浅はかでした・・・かも。
最高に楽しくて、泣けて、ハンカチがベットベト。
はまっていくから。
「もう一度、観に行けたらいいなあ。」
また、ハンカチで手がふけなくなったら。
監督の演出は正解だって言ってあげるわ。
嵐ファンの期待をはるかに超えた!
大野智と言えば「怪物くん」って時代は、今日で終わった!
初回を観た日。
エンドロールをぼんやりと見ながら・・・
自分の感動を整理できなくて言葉が出なかった。
エンディング「つなぐ」を聴きながら・・・
心地よく余韻につつまれていたい。
不思議なエンターテインメント作品だと感じた。
でもまだ・・・受け取れきれた気がしない。
そのくらい感じるものにあふれた作品だと思う。
もう一度観たいと感じる・・・3度目は
もっと深く感じるかも・・・と、思ってしまう。
何度もリピートさせる魅力にあひれた作品なのだ。
そう感じている人が私だけじゃないことがうれしい。
「君の名は」のように。
言いすぎかなあ?
ま、(=^・^=)どうかにゃ?
忍びが生き生き
手に汗握る、映画です。原作を全く知らなかったのですが、どのシーンも、目を離すことは出来なかったです。大野君ふんする無門は、いい味出してるし、伊勢谷さんは、正統派武士でカッコいいし、鈴木亮平さんは、迷いつつ、信念のまま命について考える実直な男性。配役もぴったりで、それぞれ魅力的です。たくさんの忍びたちも出てくるのですが、パルクールの名手や、身体能力の高い人がいっぱいで見ていて楽しいです。無門の一声で、忍び達が集まってくるところは、わくわくします。壮大な映画なので、映像も見ごたえがあって、細かいところまで、監督のこだわりを感じます。無門が活躍している後ろでも、個性豊かな下忍たちがユニークに活躍していたたり、表情豊かで、見るところが多すぎて、飽きることはありません。そして、やっぱり、川のシーンは、大野君と鈴木亮平さんの身体能力の高さに驚きです。アクションが凄い。笑ったり、泣いたり見ごたえのある、エンターテーメントだと思いました。
無門は怠け者じゃない
初回は、ただ、ただ、おもしろかった!!
びっくりしたり笑ったり、ドキドキしたり、イライラしたり、、、
大感動!!とはいかないけれど、なぜか後を引いて、再度見たくなる。
見終わって、友達に変なところはないかと聞かれ、答えに詰まる。
変なところがない。
いや、実はおかしな所ばっか。
監督も言うように、ワイヤーにしても忍びの術にしてもわざとらしい(笑)
それをすんなり受け入れてしまっている自分に驚いた。
ドラマやアニメでも細かいことが気になる質なんだけど気にならなかった。
「忍びの国」は史実ではあるが、
忍び達は私の考えの及ばない世界で生きている、
ある意味ファンタジー的な、つまり「人間ではない」存在であると捉えてしまったのかもしれない。
十二家評定衆、まじ、妖怪並に怖え~し、
忍び達も、金、金、金の人非人だけど、どこか愛嬌があって全力否定できないし、違和感も感じない。
喋りひとつとっても現代風だし、いわゆる「時代劇」感はあんまなくて
凄惨な出来事も、冷酷無比な行いも
そういう風に描かれていないので、その残酷さが伝わってこない。
笑いながら見ていて、ふと、
それを残酷だと思うことなく見ている自分に怖くなる瞬間もあった。
映画を4回見た後で
原作小説流し読み →コミック →原作小説
と読んだ。
映画では描ききれていない背景もわかって、キャラが肉厚になった気がする。
その上で再度、映画を見ると、また余計にぐっとくるものがあった。
無門は怠け者じゃない
私の結論。
「切り合いなんかしたら、死ぬかもしれん」
門を開け、帰ろうとしたところを呼び止められ、そう答える。
映画では出てこなかったけど
無門はお国をさらって来て2年、仕事(殺し)をしていないらしい。
忍びの生業は、術を買われて他国に行き、
諜報活動や暗殺などを行う。
凄腕の無門ならば、引く手あまたで稼げる筈なのに
それをしないのはやっぱり・・
お国の為、それ以外にない。
(原作で) 小屋に来た木猿と入れ代わりに外に出ようとするお国に
「三間より離れんでくれよ。気配がつかめん」
いやいや。5メートル離れるなって・・・ 子どもか!(笑)
一瞬くすっとしたけど、
よくよく考えると夜だし、ここは伊賀だ。
そして、無門は、里の者からつま弾きにされているともあった。
それでなくてもよそ者の女
そして、つま弾き者の無門が連れて来た気位の高い女
里の者がよく思っているわけがない。
心配で仕方ないんだね。
もし、無門が他国で死んでしまったら、
お国はこの虎狼の族の中にひとりで残されてしまう。
無門が働かない(刀術を使わない)のは
自分の命が惜しいのではなく
お国の傍にいる為なんだと思う。
お国に惚れる前は、他国での仕事のついでに
女を術にかけ、遊んでいた。
しかし、お国には術がきかず
あれこれ口説いているうちに「夫婦に」と言ってしまった。(笑)
映画では二回とも術に失敗し、見ていた息子は「下手すぎ」と呟いていたが
原作では、「無門はしくじったことはない。」とある。
思い通りにならない女は初めてで、が故にどうしても手にいれたかったのかもしれない。
くどき倒した挙げ句、「夫婦に」などと口走っちゃったんだね(笑)
で、術のかかってないお国ちゃんと一夜をすごし、完全に虜になったんやな(笑)
お国もさらわれたというよりは自分の意志でついてきたみたいだし。
だいたいその気がないなら、口説かれてる間にいくらでも人を呼べた筈だから
なんならお国が「夫婦になれ」という言葉を誘導したんじゃないかとすら思えてくる。
要するに、お互い一目惚れじゃんか。
One day One way One time
「つなぐ」の歌詞
無門の人生は、まさにその通りだった。
次の瞬間、死ぬかもしれない身
今日、この一瞬が楽しければよかった。
「名前がないってどういうこと?」
私は、不思議で仕方がなかったが、やっと合点がいった。
ハサミやボールペンには名前をつけない。
上忍にとって、下忍は、本当にその程度の価値しかないのだと。
原作に、無門は
「この男は自らの心を欺き続けていた。この男がもし自らの半生を直視していたならば、とうの昔に狂い死にしていたことだろう。この男の半生は直視するには余りに過酷であった。やがて一人前の忍びに成長し「無門」という道具としての名を与えられたとき、この男は自らを韜晦していることにも気づかぬ男になり果てていた。」
とある。
だから、無門には平兵衛の悲しみが理解できなかった。
下山と百地の戦で、忍び達がゲラゲラ笑って人を殺している。
何人やっつけたかで高得点が出るゲームをやっているような感覚かもしれない。
人を人として見ていない。
彼らは自らをすら「人間」として扱ってないんだろう。
人を愛すると、世界が違って見える
大切なものができると、他人の痛みにも鈍感でいられなくなる
お国と接するうち、無門の何かが少しずつ変わって行ったんだと思う。
原作では、「無門の想い女」と表現されている。
絶妙な表現だと思う。
まだ女房でもなし、恋人というには奇妙な関係だし(笑)
うっかり「夫婦に」と連れてきてしまった彼女だったかもしれないが
日に日に存在が大きくなり
おそらく、お国の為に生きているといっても過言ではないだろう。
まるで幼児が母親の顔色を伺うが如く、お国の機嫌を気にする無門。
叱咤激励し、無門を導こうとするお国は、
母を知らない無門にとって「母」をも思わせる存在だったのかもしれない。
自分よりもお国。
ただ、彼女が笑顔でいてくれたらいい。
「愛」だ。
「わかってたまるか」
北畠の牢で平兵衛の言葉にそう呟き返していたが
たぶん、自分の本心に気づかぬように吐いた言葉なのでは?
平兵衛の言葉に納得するということは、
自分の今まで、存在を否定することになってしまうから。
気づき初めてはいるが、それを意地でも認めたくないのだ。
平兵衛との「川」のあと
原作では、
"信雄よりお国を危険に晒す事態を招いた十二家評定への怒りを優先した"
ってニュアンスで書かれていたけど
私は、何度見ても(映画の)平兵衛と無門は戦いを通して何かしら繋がった気がしてしょうがない。
伊賀一というのだから、互角に戦える相手は少ないだろう。
確実にどちらかは死ぬ。
紙一重の死闘の中で平兵衛の心に触れたんだと思う。
険しい表情で戦っていた二人が
ふっと緩い顔になってお互いの力量を認め合ってた。
瀕死の平兵衛が降り下ろした鞘をよけなかった無門。
勝敗は決まっており、容易によけられるのに。
鞘が木っ端みじんになったときの無門の平兵衛を見る目が好きだ。
「わかったから もう怒るな」
無門の顔が切なすぎる。
殺した平兵衛を哀れに思っていることが既に周りの忍び連中とは違う。
無門は静かに怒っているように見えた。
激しく怒っているというよりは、悲しすぎてどうしていいかわからない。
昔の無門には「悲しい」という感情すらなかっただろう。
自分の中に沸き立っている初めての感情。
なぜ、人を殺してこんな気持になるのか、わからないから余計に苛立つ。
そうだ、やつらだ。
全て十二家評定が余計なことをしたせいだ
そして、伊賀にも、自分にも、戦国の世にも
いろんなものに苛立っているように見えた。
平楽寺で上忍のひとりを刺したのが
平兵衛のクナイ(短刀)だと気づいたとき、はっとした。
はやり、無門は「思い」を受け取ったのだと。
刺したあと、平兵衛のクナイをしばらく見つめる無門に胸が熱くなった。
「虎狼の族か・・・」
共に戦い、伊賀を守り、今しがた連れ立って帰ってきたばかりの者どもが、金の為に自分に刃を向ける。
以前の無門ならば、それが当たり前だと感じただろう。
しかし、無門は、ほんの一瞬落胆してしまったのかもしれない。
そして、落胆した自分を嘲る。
そうだった、こういう奴らなのだ。そもそも腹を立てることが間違っている。
ついこの間までは自分もあっち側だったろうよ。
そんな複雑な思いが混じった言葉に聴こえた。
「わしはなんという馬鹿だ─── 」
上忍からは道具として扱われ
他国の武将からは蔑まれ
同じ里の者からも孤立している無門
お国は無門を「人」として扱ってくれる唯一の存在だった。
心の拠り所だった。
それに失ってから、やっと気づいてしまった。
次郎平兵衛を殺された平兵衛は無門に切りかかった。
無門は、それすらもしない。
ただ、お国を抱えて去っていく。
人間、本当に大事なものを失ったとき、心に穴があく。
最後の瞬間にも無門に人として「名」を聞いてくれたお国。
殺したヤツらよりも、そんな事態を招いてしまった、自分に怒っていたんだろうか。
そして、無門は人間として生きる道を選ぶ。
原作では、「鉄」という鍛冶屋の子どもを連れて伊賀を出るが、
映画では、お国が気にかけていた「ネズミ」という子になっていて、「父」「母」と呼ばせていた。
原作よりも、より人らしく描かれていると思った。
無門は、少年を育てることで人として生きた。
助けるというよりは、無門には少年が必要だったんだと思う。
映画のエンドロールで
手を引いていた少年が「離せよ!」と言わんばかりに手を抜き離れるが
やがて、自分から近寄り、無門の手を握る。
このときの無門の気持を思うと涙が止まらなくなる。
骨太な男のドラマ。
骨太な男のドラマ。物語の尊いテーマをテンポ良く、時に軽快に描いていく、監督の手腕が見事!
幾重にも伏線がしかれていて、忍びの術に観る側も嵌まっていく。
脚本が原作者 和田竜氏本人なので、しっかりと本筋の流れを踏まえた上でのセリフが、これまた、魅力的な演者と相まって、鑑賞した後でも、セリフが色鮮やかに甦る。 とりわけ、無門が後半言ったセリフが、ものすごく壺に嵌まった! セリフまわしも絶妙! その部分だけで、無門の背負ってきた背景と闇、心境の変化などが読み取れ、涙を誘う。
アクション面では [川] という独特の戦い方が行われるが、この戦い方にも無門の流儀たるものがあるのか? 冒頭の[川]の戦いと、最後の[川]の戦いでは、戦う相手の強さなりによって、全く違った戦い方ではあるが、最後はどちらも同じ一打で止めをさす。 そして、相手が倒れ [川] が完成し、綺麗に成立しているのには痺れた。
「 嫁さん以外、怖いものはなし 」
ここに無門最強の忍者が成立した。
階級社会の青春映画
階級社会の底辺で生きている若者を描いた
青春ドラマとも思えてくる。
現代に置き換えれば、派遣、契約社員とおぼしき青年の「人と繋がって成長していく」姿そのものだ。
子供の描き方は、アフリカの少年兵を想起し、下忍の群れは拝金主義に毒されたゾンビと同じであろう。
ともあれ、「人で無したる伊賀の国人」は、
グローバルな織田信長に滅ぼされてしまって、全国に展開することになる。
現代にも、繋がる故に、批判映画と言われるのであろう。
最後のセリフがすべて
日置大膳の最後のセリフ、「今更、人でなしが人になったつもりか」、が全て。「今更」はなかったかな?
あまりに薄っぺらな心変わりに呆れました。これなら、無門を貫いて欲しかった。なんとなくいい人で終わらざる得なかったあたりで、所詮アイドル映画なのかと落胆。孤狼にも彼らなりの考えがあるだろうに。
大野くんは好きだけど。
いろんな人がいて、
いろんな方がいるのは
わかってますが
このアプリのレビューは
だいたい納得な点数で
観賞するかどうかの参考に
していたんですが、
なぜか本作は異常に高い気がします。
感想としても
観賞して少し
がっかりする内容でした。
笑ってちょっぴり泣けました
大野くんが主演という事もあり忍者モノも好きなので観に行ってきました。
無門のキャラクターはバラエティでみる大野くんの雰囲気を持ちながらも人を何とも思わず殺せてしまう恐ろしさと強さを持っていて子供が死んでいても「そりゃ死にますよね」とあっさりしている。
冷たいのかなと思ったけど、ちゃんと情を持ってるしお国に対しては心底惚れていて愛情も感じる。
ちょっと不思議な魅力があるキャラクターでした。
お国は正確には無門の妻ではないのだけど、この伊賀一の無門を以ってしても頭が上がらないお国との関係性が面白かったですね。
お国は美人で優しいけど無門に対しては毒を吐くのでその夫婦漫才の様な掛け合いが面白かったです。
アクションは大きく二つのタイプがあったと思いました。
一つは、どちらかというと無門が敵との力量差がありすぎて全然余裕で戦ってるシーン。
この作品はBGMに時代劇や和のテイストよりは現代的なポップな曲が多く使われていて殺陣のシーンでも普通に嵐が踊ってるような曲ばかりで殺陣の動き自体も、そうなんですがダンスを見ているようでした。
もう一つは無門が全力で戦うシーン。
これは文句なくかっこよかったです。
特に最後の平兵衛との川は凄かったな。
あと、この物語に登場する漢気溢れる魅力的なキャラクター達。
北畠、大膳、平兵衛、そして無門。
北畠が茶壷を割ってからの元家臣の二人と対峙するシーンは命を張って、尚二人に教えているようで私はあのシーンは好きだったな。
お国が無門に本当の名を尋ねるところもジーンとしてしまいました。
語りの山崎努さんも良かったですね。
語っているのが一体登場人物の誰なのかと考えながら観るのも楽しかったです。
アクションあり笑いあり、ちょっと感動したり楽しめた作品でした。
冒頭、印からの術
忍者好きにより視聴。
しかし主演の出自や予告での不安通り、中身の薄さ、安っぽさ、演出のPOPさに落胆しての帰宅。
だがこの映画は変わっていた。不思議なまでに余韻が長く、しかも何かもやもやとする。
あとからあとから「実は面白かったのではないか」という疑問が来るのだ。
せっかくの数少ない忍者映画、それを確かめたくなって人生初の二度目の劇場視聴。
そこでようやく気付いた。
この映画は冒頭に結ばれる印を皮切りに、観る側を術にかけようと挑んでいる。
従来の時代劇の枠を取っ払おうとするその術に気付き、こちらもオープンに酔おうとした途端、この作品の印象はガラリと変わった。
最終評価としては、なんとも前衛的な快作である。
初回、頭が凝り固まっていた時は意味すら考えられなかったが
虎狼の輩は何故ここまで金に固執しているのか、その理由は無門の「わかってたまるか」という一言。これに尽きる。
幼い頃、金で買われた虎狼の輩にとって
金以上に大切な物がこの世にあってはならないからだ。
そんな物を認めてしまったら、金で売り払われた自分の存在が崩されてしまう。
だから彼らは金が全てだという信念に、自他の命を軽んじてでも頼っている。
そこに突如生まれた異端児、平兵衛。
こいつは弟の死で更に脱皮し、伊賀においては毒蛇のような思想を持った。そこから物語は動いていく。
そして一番間近でその毒を受けたのは、弟の仇である無門だ。
平兵衛が何を怒っているのかわからぬまま噛まれた彼は、やがて何かの存在を無視できなくなる。
金では補えない何か。
それを持てあました無門は戸惑い、初めて相手の遺体に情けをかけ、その平兵衛のクナイを使い吐き散らした。
十二家評定への怒りというよりも、認めてはならない物を持てあました……そんな無門の暴走だ。
切ないのは、無門の虎狼の輩がゆえの誤算。
まさかお国が……そもそも他人が金ではなく自分のために動くなど、想像すら出来なかったのだろう。
そしてこの物語を単なるエンタメにさせなかったのは映画のクライマックス。
観客である自分も一度は消化不良に思えた理由もそこにある。
無門の復讐の消失だ。
お国が殺され、全員を相手にこれでもかのアクションで復讐するラストなら
レビューの星ひとつの人数は減っただろうが、それではそこで完結してしまう。
しかしこの作品は死にゆくお国に一言「可哀想に」と言わせることを選んだ。
無門は平兵衛の毒により門の存在を知らされ、死にゆくお国の愛によってその門を開かれ、復讐よりも更なる向こうに子と手を繋ぎ歩いていく。
エンドロールに流れる曲。いかにもアイドル映画風ではあるが、タイトルが見事に代弁していた。
つなぐ、と書かれた画面を歩く二人の姿が何とも深い。
それを見送らされる観客は、虎狼の輩なのか、門の存在に気づかされたかで感想は変わるだろう。
川でのアクションは近年稀に見る重厚な接近戦、群衆アクションの軽快さも当然お薦めではあるが
秀逸なのは無門の雄叫びだ。
演技が上手い下手とは何か、主演の大野智を見ているとよくわからなくなってくる。
そもそも格好よく映ろうとしていないことに驚いた。
仮にも国民的アイドルだろうにこれでいいのかとも思うが
逆にこの人間がアイドルとして認知されてることに奇妙な安堵も覚えた。
それほどまでに「いい演技を見せてやる」という圧を感じさせない主演。
その彼の雄叫びは見事で、お国の愛を受け今まさに生まれたかのような赤ん坊の泣き声にも聞こえた。
初回視聴では、ポッと出てきて稼ぎのことばかり言う幽霊のような、物語を進めるために無門を振り回すだけに感じたお国。
しかし二度目はこのお国の印象も違う。
終始無門を思い、結婚したいと願い、そのために叱咤激励してくれる母性を感じられる。
その他配役も素晴らしく、伊勢谷に至っては過去最高に魅力的だ。
國村隼、鈴木亮平は勿論のこと、名も知らない脇役陣もはまっている。
信雄も若い次男坊当主らしく、キャスティングミスは見当たらない。
大見得をきる時代劇、アクション映画のラストは大立回りでなくては……と思っていてはもったいない。
せっかくならば監督と原作者の仕掛けた術に飛び込んで欲しい。
そうすれば無門の叫びで目覚めた後に、何を繋ぐかと問われるだろう。
アクションやばい
アクションやばかった!
大ちゃんがかっこいい!かっこよすぎる!
ますます大ちゃん好きになっちゃうね〜
あと石原さとみが…
あと最後のつなぐがやばかった
イントロサイコー
キャストが豪華でいいと思いました!
見れば面白いが2度までは
一兵卒の忍者、華の無さが大野くんのハマり役でした。
見ていく内にカッコよくも見えました。
個人的な感想です。
仕官されたエピソードもう一つ山が欲しかった。
もう帰ってきたん?と
決戦のときの移動時のおちゃらけたカメラ目線は面白かったし所々笑いを散りばめられてたのが良かった。
最後鈴木亮平との闘いも弟と同じくらい圧勝して欲しかった
スゲー無門最強って思わせて欲しかった。
石原さとみとの掛け合いは面白くもっと見たかったし
喜劇なので死なせること無かった。無門を人間にしたかったのだろうがハッピーエンドが見たかったです。
期待以上
ジャニタレは嫌いなんだけど、主役の大野はハマり役でとても良かった。ずーっと飄々としていたけど、どこか感情的な部分が捨てきれてなくて、最後の最後で爆発したシーンは迫力もあってとても良かった。他、鈴木亮平、伊勢谷友介をはじめとした俳優陣の圧倒的な演技力、殺陣の迫力、若干入り込んでくるコミカルシーン、全体的なストーリーと最後のメッセージ性、どれも満足で、鑑賞後の満足感はとても高かった。
嫌いだったのが、オープニングと途中一回だけ入ってきたロック音楽、クライマックスシーンでのライトアップ。映画的には悪くはないんだけど、演出感が強すぎて個人的に嫌いでした。
とりあえず、映画館で大迫力で観れてとても良かった。
脚本が、、。
考察不足です。大野さんのプロモーションビデオとしては良い出来です。彼の魅力は十分伝わりました。
でも、映画としては深みがない。伊賀の人たちあんなに本当に短絡的?奥さんも家に一歩も入れない?主役さん、脇役さん芸達者の方たちだから、もっと複雑な演技可能ですよ。
何かエンターテイメントとしても歴史物としても少し中途半端でした。
言葉によらない魂の響き合い
全編にわたって、また下忍から上忍、武家の人間と全ての演者がそれぞれの人間性を非常に的確に表現していたと思う。
その中でも特に強く心を揺さぶられたのは、やはり終盤の二つの場面。
以下はかなりのネタバレになるので、まだご覧になっていない方は、どうぞお戻り下さい。
平兵衛との死闘。川の決闘が始まる前には、十二家評定衆から騙されていたのだと聞かされてもまだ「それがどした?」とニヤリとした笑みを浮かべている。しかし一騎打ちが進むにつれて無門の表情は、ただの真剣勝負をしているだけではない、魂のこもったものに変わってくる。最期には「分かったよ、もう怒るな」と。後は俺が引き受けるから、せめて安らかに逝ってくれと。言葉によらない魂の響き合いをしたことにより、無門の心が、それまで長年封印してきた人間らしさを取り戻し、十二家評定衆への怒りが平兵衛から無門に乗り移った。魂の同化。
もう一つは、お国の悲劇的な最期の場面。
親も身寄りもなくただ自分の忍術のみを頼りにして生きてきた無門が、唯一見つけた命を賭けて守るべきものがお国だった。戦により銭を稼ぐのも、京に逃げて商いで生きていこうとしたのも、ただひたすらお国と共に生きていきたい故だった。そのお国を失う瞬間の絶叫は、いつまでも脳裏に響いている。ごく最小限の言葉のやりとりのみで、ここでも魂の響き合いがある。無門が平兵衛に告げた同じ言葉がお国から一言。
その後、無門がネズミと共に生きていったことがラストシーンで分かる。ナレーションの声が示す年齢のネズミが父母の記憶を懐かしく語ることで、無門が、お国がたいそう気にかけていたネズミを大事に育てることを生きる支えにしていたことが想像できる。
前半でユルく軽く描かれクスクスワクワクさせられていた世界が、後半で別の映画かと思うくらい色を変え、魂を揺さぶられ、気がつけば体に力が入り知らず知らずのうちに涙があふれていた。
いい意味で裏切られた?
他の映画の予告で知り、戦国時代を舞台にしているのと、キャストが好きな俳優陣だったので気になっていて、鑑賞。
いい意味で、予告からは想像もつかない展開と結末。終わったというよりは、終わらせた感と最後にまとめて詰め込んだ感は否めないが、
虎狼の族、人でない、お金と殺しにしか興味がない、きっと現代にもそういう世界があるのだろうと、むしろ今の自身がそれに近いのではないかと考えさせられた点では、観てよかったと思わせてくれる作品だった。
キャストはどれも適役で、とくに日置大膳が、なのか、伊勢谷友介がかっこいい。
石原さとみ扮するお国と、恐妻家 無門という関係性も、なんだかんだ上手くいってる夫婦像として微笑ましいし、最後には愛が見えるかたちとなったのもよかった。結末は悲しいけれど。
最強織田軍と数も力も劣る伊賀勢がどう戦うのかという点では、あまり新しいものが見られず、物足りない気もした。
エンドロールで原作者と監督を知り、この映画を気に入ったことに合点がいった。
唸る!
これは楽しい!超絶美麗な殺陣とちょくちょく忍んでくる笑いで綴る戦国絵巻。一切無駄の無い展開、俳優陣の的確且つ優雅ささえ感じさせる間の演技など見どころ満載。コメディーとシリアスを行き来しながらの語り口も一級品。満足の一本でした。大野くんと石原さとみの相性の良さに嫉妬。
好き嫌いがかなり分かれる作品
好き嫌いがここまで ハッキリと分かれる作品も珍しいと思う。
まず王道の時代劇やアクションを想像している人にとっては なんだこりゃ!な演出の連続が続く。
戦国物のグロさを期待している人にも物足りないのだろう。
監督はこの作品で安易に血が流れるような演出をあえて取らなかった。
全ての人に見てもらえる作品を作るという時代劇のアクション物として非常に難しい事案にトライした意欲作でもある。
時代劇を侮辱していると 捉える人もいるかもしれない。
でも 時代劇はこうでなくてはいけないといった固定観念が 今の時代劇の衰退を招いている原因でもあると思う。
今回の忍びの国を評価している人達は、言ってしまえば 王道の時代劇に馴染みが無いのだろう。
そのため 拒絶反応も少なく
この作品は ふざけた なんでもありのエンターテインメントととして素直に受け入れられているのだと思う。
前提として 先になんでもありのエンターテインメント作品だという認識があり
その上で 見進めると
例えば序盤の軽い内容の薄いチャンバラだと 一部の人の否定材料にもなっている 小競り合いが
それさえも伏線であるとわかる。
その繰り返しが最後まで続くのだ。
なんでもありのエンターテインメントなのに
深い心理戦があり
なんでもありのエンターテインメントなのに
成長や愛、自分自身を否定する深いメッセージ性にも気づく
何度も見たくなるのは 見るたびに見方が変わるからだ。
過剰な演出も だからこそ そこが印象に残ったという人もいれば、しらけたという人もいる。
受け止め方は人それぞれだけど
終わったあとに印象として必ず残っている。
だからこそ この映画を普通じゃないものに変えている。
監督の戦略は的中している。
ストーリーでいうと、
ギャグの部分を伊賀側が受け持ち
敵であるはずの織田軍がまっとうな時代劇に引き戻す。
本来なら義である伊勢谷友介や、鈴木亮平を主人公にはせず
クズである代表格である無門を主役に置く。
場面場面で応援したくなる側が 変わっていくのだ。
面白いくらいに。
受け入れ方によって ここまで 面白さが変わるという事を 今回とても実感している。
そしてその魅了させたストーリーがどうでもいいくらいにアクションが凄い。
ただの戦闘をトリッキーに見せる。
血やグロさで引っ張らない戦争で あそこまでワクワクしたのは はじめてだ。
邦画のアクション物は どうしても ハリウッド作品と比べると 劣る。
予算もまったく違うので仕方ないけど。
その しょぼさを 逆に日本人の独自の細さで まったく新しいアクション物として変えてしまっている。
二人の決闘のシーンは圧巻だし
その上で同時に 心の動きに涙する。
アクションの迫力と 心の動きが同時に襲ってくるのだ。
好き嫌いは わかれると思うが 私には
ショックを受けるくらい 斬新な作品だった。
石原さとみ✖️大野智✖️伊勢谷友介
中村義洋による異色時代劇。嵐の大野智のアクションコメディ。堤監督の「真田十勇士」を観た感じを思いだした。忍者が主役。こちらは伊賀忍者。飄々としていながらラストは泣けた。たしかに一回目では鈴木亮平にいまひとつ共感できないのが残念。普通なのか普通ではないのか非常に難しいキャラクターだ。
たしかに作品中でも言われていたけれども伊勢谷友介がいなかったら成立していなかった作品かもしれない。
全体としては、現代風の忍者活劇をよくぞ作り上げたという感じ。忍者ばかりがこれほど登場する作品はモラルもへったくりもない。
本日は、東宝シネマズのレディースデイだったためか、女性層が大半でした。ほぼ満席!
サムライの生首や、土に埋めた下人の串刺しシーンなど、万人向きではない場面もあったように思われるが、スピーディな展開のため、それほど残酷ではないのが逆に問題かも。話の運びはかなり無茶苦茶。
暗殺者集団であるために、それこそイスラム国のように組織としては脆い部分を抱えているようだった。人さらい、殺人、不法侵入、やりたい放題。金があるところに群がる不法者たち。
実験的な作品である。アベンジャーズをみたことない観客がどれくらいいるのかわからないが、アクションシーンはよくできていると思う。弓矢より早く飛ぶことができるなんてとんでもない超人である。
社会的には下の下である忍者について興味をもてるようにしているのは良かったかもしれない。
アクションおしかと思いきやとびきりの純愛映画
家族に売り飛ばされ、人でなし達により凄腕の忍びへと育て上げられ、自らも金がすべての人でなしとなってしまった主人公が、愛を知り、人へと戻っていく物語。
主演が主演だけに、鑑賞のメインターゲットの大半となる女子供にもやさしい表現手法で進められる。
常に飽きが来ない工夫なのか、コメディとシリアスのジェットコースターに色々な意味でのせられている気分にもなる。自分的にはくすっときたのだが、その辺は賛否別れるところかも知れない。
ほとんど吹き替えなしと聞いたアクションは、確かに目を見張るものがある。
が、自分が一番心を揺り動かされたシーンはアクション以外のシーンにある。
ほとんどさらってきたも同然であるはずのお国が、家族になるつもりがあるのか、本当の名を言わないのはどういうことだと怒り出す。金を稼いでこないことよりそちらが腹立たしい模様。なんだなんだ両想いか。まあ、あれだけベタ惚れされれば絆されもするか。そういや某別の国でも言っていた。お金は誠意なんだと。お国が本当に無門に求めていたのは誠意だったのかもしれないな。
本当は、無門は最初から人でなしでもお金が全てでもなかったのだろうと思う。家族にお金で売られた以上、ヒエラルキー的に「身内<お金」とならざるを得なかった無門が、そのお金を一文たりとも手元に残さずお国に捧げるさまは何とも健気でしかない。
それだけ想いあってた夫婦が引き裂かれた時の無門の悲鳴は、未だに脳にこびりついている。
もし無門が人でなしのまま、後先も考えて怒りに任せて無茶もしなかったら、きっとお国とはいずれうまくいかなくなっていたであろう。
大事な人を失うという感傷を、この夫婦のどちらもが味わっていると言うのも宿命的で、
この純愛の顛末には落涙を禁じ得ない。
夫婦間の事以外では、やはり、何より平兵衛との、因縁が面白い。
はじめは平兵衛の怒りを理解できず、決死の想いすらも「わかってたまるか」と目を逸らしてきた無門が、人に近づき、平兵衛の怒りを継ぎ、平兵衛のクナイを用いて十二評定を音もなく殺すシーンもなかなか、印象に残った。
一個人の感想としては概ね満足ではあるが、
余計な説明は出来うる限り省いた(それでもかなり優しい)ように見受けられるので、現代のシーンは個人的には蛇足かなと、感じたため満点には至らず。伊賀のような、義よりお金稼ぎが第一の界隈やコミュニティ的なものが現代にもそこかしこに存在していることは自明なので、ここはセリフだけでも十分通じるかと。実を言うとのぼうの時も現代の場所が出てきた時に、戦国時代から急に現実に引き戻された気がして多少後味が悪かった。
全86件中、21~40件目を表示