エリザのために : 映画評論・批評
2017年1月24日更新
2017年1月28日より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
観る者を安全地帯から引きずり出す、倫理観を揺さぶるドラマ
率直に言って、観ていていささか居心地の悪くなる映画だ。それはこの物語がいったい誰に共感したら良いかわからない、白黒はっきりさせられるような作りにはなっていない点にある。そして謎が解明されないまま事態が進行し、観る者はわずかな手がかりや登場人物の会話に懸命に耳を傾けながら(というよりこの場合は字幕に目を凝らしながら)、パズルを解明するべく頭のなかでぐるぐると推理を張り巡らせることになる。
医者であるロメオは、ルーマニアの田舎町に子供の未来はないと、卒業を控えた娘エリザを外国に留学させようと必死だ。そんな折、進学を左右する資格試験の直前に、彼女が何者かに襲われる。軽い怪我だけで済んだものの、本来なら観客はここで娘を不憫に思い、父親の気持ちに加担することになるだろう。だがクリスティアン•ムンジウ監督は、エリザをことさら被害者然として描くことを拒否しているかのように見える。少なくとも彼女は、父親が考えているほど子供ではない。また父親自身も、人間としてはモラルに欠け、身勝手だ。娘の将来を心配しているのは確かだが、そのために娘を圧迫し、倫理に外れることをおこない、他人にしわ寄せが行くことに無関心である。家族には隠れて、若い愛人も囲っている。
カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた監督の前作「4ヶ月、3週と2日」もそうだったが、ここにはルーマニアという国の抱える社会的な腐敗、そのなかで生きる人間が否応なく直面する問題が語られている。そういう状況に立たされたら、親ならやはりロメオのように行動するかもしれない。だから観客は、ことさら共感も出来ない替わりに糾弾もできない。感情的発露がなく、四面楚歌なのだ。そしてやり切れなさが手元に残る。
本作が単純に、謎が謎を呼ぶ犯人探しのドラマであるのなら、サスペンスを楽しむこともできるだろう。あるいは、ルーマニア社会の問題だからと高みの見物を決め込むことができたら、どれほどラクだろう。だがこの監督は、それほど甘やかしてはくれない。丹念に組み立てられた緻密なストーリーテリングに導かれ、我々自身も人間性を試され、心の内を深く検証するはめになる。それは決して楽しい時間ではないかもしれないが、深く意義のあることだ。そもそも真に優れた作品とは、観る側を安全地帯から引きずり出すような力をそなえているものである。
(佐藤久理子)