お嬢さん : 映画評論・批評
2017年2月28日更新
2017年3月3日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
どの国とも違う摩訶不思議な世界観。自分が日本人であることを忘れて楽しむべし
映画には色々な楽しみ方がある。例えば、パク・チャヌクがハリウッド進出後、7年ぶりに韓国に戻ってメガホンを執った最新作の場合はこうだ。まず、日本統治下の朝鮮半島で出会った日本人華族令嬢と韓国人のメイド、メイドと結託して令嬢に取り入ろうとする同じく伯爵こと結婚詐欺師、以上3人の視点で異なる展開を見せる多元焦点化(1つの出来事を複数の視点から語り直す)ドラマとしての楽しみ方。そして、伯爵の指示で令嬢の秀子に接近したメイドのスッキが、迂闊にも秀子の美貌に一目惚れしてしまい、やがて、女同士の快楽にのめり込んでいくエロチック・サスペンス(たまにコメディ)としての食し方。中でも、チャヌクが“ハサミ”と呼ぶ秀子とスッキが互いに股間を挟み合いながら一気に絶頂へと上り詰めていくラブシーンは、女優たちの波のようにうねる体が演技とは思えない臨場感を生んでいる。
しかし、何と言っても強烈なのは、朝鮮であって朝鮮ではない、日本であって日本ではない、かと言って、他のどの国とも違う摩訶不思議な背景と衣装と言語、これに尽きる。秀子の叔父で富豪の上月が半島に建造した自慢の邸宅は、主人の趣味を反映して瀟洒な和洋折衷様式なのだが、希少本コレクターの上月が世界中から集めた膨大な書庫を通り抜けると、その奥には畳の中に松と石庭が配置された大広間が出現する。広間のど真ん中に座り、叔父の特訓によって官能小説を臨場感たっぷりに読み聞かせて、客人たちの萎えた下半身を挑発しまくる秀子は、上より横に広い湯婆婆みたいな日本髪を結っている。この後、結婚式を挙げるために秀子と伯爵、そしてスッキは日本を訪れるのだが、それすら、どこかフェイク・ジャパンに見えてしまう。実際に三重県、桑名市の六華園や諸戸氏庭園でロケされているにも関わらず、だ。
極めつけは、セリフの約7割が韓国語訛りの日本語である点。劇中では主な韓国人俳優、子役までがダイアログコーチに叩き込まれた男性器、女性器、排泄物を表す日本語をさらりと口にするのだが、韓国語のソフトなフィルターを通すと○○○も×××も※※※も、なぜか我々が秘かに親しんできたスラングとは微妙に異なって聞こえる。つまり、家屋も衣装も言語も、国籍に関係なく、作り手のセンスによっていかようにもアレンジ可能な映画作りの自由を、パク・チャヌクは1939年のカルチャーが混在する朝鮮半島と日本に時間を設定した上で、心行くまで謳歌したかったのだろう。だから、本作の最も相応しい楽しみ方は、とりあえず自分が日本人であることを忘れること。そうすれば、未知なるパラレルワールドへ容易に飛べるはずだ。
(清藤秀人)
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