エンドレス・ポエトリーのレビュー・感想・評価
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安定のホドロフスキー
続リアリティのダンス的なホドロフスキーの青春編。あっちがアマルコルドだとすると青春群像、みたいな。そして、ホドロフスキーのDUNEに続く、か。
ユニークで・・ユーモアな・・・ホドロフスキーと
オペラ母さんも健在と思いきや赤髪クレイジーと一人二役には気付かなかった!?
前作同様な世界観に笑える滑稽なシーンに笑って良いのやら解らなくなるホドロフスキーの頭の中に彼が歩んだ人生を描いた実話に良い意味でポカーンとさせられる。
映像に引き込まれる色彩感覚に魅力溢れる人物像と難しい事は考えずに魅了されるホドロフスキー・ワールドに若干フザけているような演出描写に奇想天外な展開と深いモノが漂う夢中にさせられる何か!?
ホドロフスキーの人物像を辿ると本作も「リアリティのダンス」も大袈裟な脚色の無い100%リアルなノンフィクションと信じて世界観に没頭してしまう。
前作を観ていなくても楽しめるし本作を観てから前作を観ても良いと思う。
「詩」とは何なのか
評判よさげだったのと、予告で見た「その存在は、完全なる光」というキャッチに惹かれて映画館へ。ネット予約の時点でほぼ満席、実際も満席でビックリ。
まず、最高にかっこよく印象的なオープニングに惹き込まれた。そして、本当に文字通りの意味の、無修正とボカシなし。日本の映画館でここまで流せるのか(そういう映画ではないのに、という意味で)…と個人的にはかなり衝撃体験。特に、血のくだりは生々しさが本当エグい。でも、これがホドロフスキーの伝えたい「生きる」ということなんだろうな、と。途中ちょっと単調だったけど、ラストがめちゃくちゃ感動的で、ホドロフスキーはこれが言いたくてこの映画を作ったのかなと思ったほど。キャスティング知った上で観てるとすごく面白いメタ的な構造。
『リアリティのダンス』を見てたらもっと楽しめたんだろうな。私には難解な部分もあったけど、映像や役者の勢いと自由、葛藤がとてもよかった。何よりたくさん考えたし、ホドロフスキーという人物を知ることができたことが価値。
一番思ったのは「詩人」という絶対的な存在の持つ力。詩の定義、詩人の定義ってすごく曖昧だと思うけど、時代によっては(今も?)特にヨーロッパ諸国で、もんのすごく尊敬される職業。なぜホドロフスキーは「詩人」だったのか、なぜ「詩」という表現だったのか。それもとても興味深かった。
面白くて感動的な映画芸術
色彩と音楽だけで完全にやられてしまったけれど、独特の世界観と笑えて感動的な演出で完全に作品の虜にされた。
かなり濃密で、相当に疲れるけれど、不思議ともう一度見たいと思ってしまう。まぁそれがホドロフスキーの映画なんだと再確認といったところか。
本人と息子らが自らの一族を題材にしている幻想的な作品だということから、ガルシア・マルケスの小説「百年の孤独」のような壮大で魔力的な魅力を感じてしまった。
とにかく誰にも創り出すことができないであろう素晴らしい芸術を目の当たりにしたような思い。大げさかもしれないけれど、どうにも絶賛せずにはいられない。
リアリティーのダンスが・・・。
リアリティーのダンスが好きだったので期待していたが、原作本を読んだせいで展開が分かってしまうからか?あまり、心に響かなかった。リアリティのダンスで、家族を癒す物語はほぼ終わってしまった(しかし、両親に溺愛されたというホドロフスキーの姉はどちらの作品にも出ていないのだが…)と言ってもいいだろう。なので、父との葛藤も、オペラ歌手志望だった母が、終始オペラチックなセリフを言う意味も薄くなってしまっている。アダン・ホドロフスキーは大人すぎて、青春物語としてはちょっと無理があったような気がする。
芸術とは
秩序への反抗と破壊行為から創造(芸術)は始まる。自分を拘束する状況へ反抗することが創造活動の原点だ。何ものにも囚われず自由になること、自分らしく生きることは罪じゃない。
ところが、自分を取り巻く環境から自由になることはそう簡単なことではない。では本質を見抜き創造的であるためにはどうしたらいいのか。
そこで幼児体験の記憶をたどり生き直してみる。
ホドロフスキーは前作から内なるものをさらけ出し告白し、提示してくれた。生命とは何か、生きるとは何か。
個人の記憶は個々のものだが、両親や一族から引き継がれた遺伝子レベルの記憶は、我々に共通感覚を呼び起こす。
自由であっけらかんとした男性性器と、安心と神秘と陰翳に包まれた女性性器。自由と安心、男と女の融合によって生まれる全ての子どもに神の祝福が降り注ぎますように。
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