ニューシネマパラダイスのように、さいしょに現在の大人がでてきて、回想へ入っていく話。幼少期のサルヴァトーレを演じたSalvatore Cascioは壮年期のジャックペランにぜんぜん似ていなかった。が、ニューシネマパラダイスを見てそこを指摘するひとはいない。語り口がうまいから──だと思う。
成功し都市で暮らしているサルヴァトーレ。郷里の母から映写機械技師のアルフレードが亡くなったと知らされ、忘れていた幼いころの記憶がよみがえる。──せかいじゅうの誰もが知っているニューシネマ~の導入部。共感するのは、わたしたちも折にふれ、立ち止まって過去を思い出すことがあるから。(ではなかろうか。)
大人になると実家からの直電は誰かの不幸か事故をいみしている。「○○さんが死んだの(インターネットで)弔電うっといてくれない?」「エっ死んだの、なんで?」・・・。久しく会っていない過去の知人の訃報。
あるいは、引っ越しや断捨離(など)で身の回り品を整理/梱包していると、昔の写真がポロリと落ちてくる。ことがある。拾って見る。・・・。
日常のなか、ふと、追想にふけってしまうことがある。なんにもない人生だったが、その気分はわりとドラマチックなものだ。
コーラス(2005)という仏映画もおなじ追想の構造をもっていた。孤児院で世話になった音楽教師を回顧する話だが、現在を演じたのはニューシネマ~とおなじジャックペランだった。
だが年長者や恩師の記憶ではなく、亡くなったのが同世代で、恋愛感情をからめた、瑞々しい記憶──その回想物語は日本の小説漫画映画テレビドラマ「セカチュー」の影響が大きい。(と思われる。)個人的にはひとつも触っていないが世界の中心で愛をさけぶがばけものようにヒットしたのは知っている。
韓国でもヒットし、チャテヒョン出演でリメイクされた。タイトルは「僕の、世界の中心は、君だ。」(2005)。笑。世界の中心で愛をさけぶを意識した邦題だと思うが、個人的に元ネタを知らない。
世界の中心で愛をさけぶには感動ポルノ=お涙頂戴の側面があった。(と思う。)そもそも食わず嫌いをしていた理由はそこである。よって臭み(お涙頂戴)を取るのが調理ポイントになる。
本作の元ネタや背景/来歴を知らないが、セカチューと似た世界観だったような気がする。
スウィングキッズで見たアイドルグループの一員兼俳優D.O.。太眉で眼力がある。顔がいい。相手役はキムソヒョン。ふたりとも田舎の少年少女──その朴訥な感じをうまく表出していた。
スウィングキッズでも感じたが役に入っているD.O.にはアイドルの気配がない。しっかりと島の一少年になっていた。
島の生活感をしっかり切り取っているし、熱演だけれど──なにもしななくてもいいだろ──が大きい。ヒロインしなすにしても、もっとずっと自然でスマートなしなせ方ができたはず。お涙は過剰なほどだが、熱演によっていやみはない。だだしそこ(しに方)が引っかかった。