ラサへの歩き方 祈りの2400km
劇場公開日:2016年7月23日
解説
チベットの小さな村から聖地ラサとカイラス山への2400キロメートルに及ぶ巡礼の旅を、実在のチベットの村人たちの出演で描いたロードムービー。合掌し、両手・両膝・額(五体)を大地に投げ出し、うつ伏せ、その後に立ち上がるという動作を繰り返し、ズルをせず、他者のために祈る「五体投地」をしながら約1年をかけて行く巡礼の旅路を通し、チベットの人たちの生き方を浮かび上がらせる。監督は、「こころの湯」「胡同のひまわり」のチャン・ヤン。
2015年製作/118分/中国
原題:岡仁波斉 Paths of the Soul
配給:ムヴィオラ
スタッフ・キャスト
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2021年5月2日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
五体投地。祈り・願い事によって歩数が違うのだそうだ。
合掌してから全身を大地に投げ出し、額を大地につける。立ち上がり、お経を唱えながら決められた歩数を歩き、また合掌から繰り返す。
作法以外のことを考えながら行えば、お経や歩数を間違える。
すべてを神仏の前に投げ出し、帰依していることを示す方法と聞く。
小賢しい考えや、せこい損得、心を蝕む感情すらも神仏に預けるということか。
頭と心を空っぽにして無となる。ただ、ただ、祈りのみ。
ズルをしないこと。他者のために祈ること。それがルール。
”効率”とは対極の方法。
最近、日本で流行っている御朱印集め。収集が目的となり、参詣もせずに、御朱印所に駆け込む姿に呆れていたが、フリーマーケット・オークションサイトでも取引されていると聞く。
”効率”を考えれば、それが一番いいのだろう。
だけど、何のための”効率”?どのような”成果”を目指すのかによっても、評価は変わってくる。
巡礼。お遍路、お伊勢参り。各地に残る富士登山の代わりの”富士塚”。海外に目を移せば有名な”メッカ”。最近は映画やアニメ等の”聖地”巡りも加わる。
心のよりどころを訪ねたいというのは人類共通の願いか。
映画はただひたすらに巡礼する姿を追う。
一周忌をきっかけに人生でやり残したことを考えることから始まる。それぞれの思惑で少しずつ参加者が集まってくる。準備・旅立ち。筋肉痛・頭痛。怪我。袖振り合うも他生の縁。出産。事故。祝福。資金の底つき。憧れともいえるほどのほのかな初恋。別れと再会の約束。死。
ドラマチックなエピソードが散りばめられているが、ドラマチックには盛り上げない。
現地でスカウトした素人に、その方ご自身を演じてもらったのだそうだ。
映画の撮影に入る前から調査した巡礼あるあるをベースに大まかなプロットを作って、演技してもらっているそうだ。村滞在中・ロケ中にあった出来事を撮影しておき、編集したとか。途中で出会った中で、了解を得られた人たちのことも、映画に取り入れているそうだ。
五体投地しながらの旅は、1日10kmというが、撮り直したりしているので、1日1kmという日もあったとか。
なので、棒読みなのは仕方がない。会話の応酬が少ないのも仕方がない。
それでも、
何かを成し遂げようと人たちの顔はどうしてこんなに魅力的なのだろう?
一人一人がまるで本物の役者のような存在感を見せる。
寡黙な世話役のニマ氏。そこにいるだけで絵になる。
ヤンペル氏と、身重なツェワンさんが先頭を歩く。
ツェワンさん。出産してからは、時にテンジン君に乳をあげるために荷台に揺られるが、テンジン君を荷台に乗せて、五体投地。テンジン君の首が座ってからは、おぶって五体投地!!!
監督が「映画史上最年少の出演者」というテンジン君は、生まれたばかりの、まだ羊膜つけているんじゃという姿で初出演。少しづつ大きくなっていく姿で時が経つのを知る。
ツェワンさんの夫・セパ氏はイケメン+イクメン。出産前は、ツェワンさんの後ろ=五体投地メンバーの先頭をキープし、テンジン君が生まれてからは荷台の近く=最後尾に位置する。時におぶって五体投地。入り婿として、舅や姑に気遣う姿もかわいい(笑)。
そして、脇役大賞を進呈したくなるジグメ氏とワンドゥ氏がいい味出してくれる。
ツェリンさん、ダワ・タシ君、ワンギェル君は若さを振りまく。
テンジン君が生まれる前は、最年少のタツォちゃん。こんな小さな少女も「ズル」せずに頑張る姿に、エールを送りたくなる。そして両親のジグメ氏、ムチュさんとのやり取りが微笑ましい。
彼らに逢いたくなって、何度も映画をリピートしてしまう。
あまりにも説明も少なく進むので、できれば、公式HPの制作ノートを見ながら鑑賞すると、面白さが倍になる。まるで、隣村の人々を応援している気になる。
そんな物語とともに、旅行気分・異文化体験も満喫させてくれる。
絶景の山脈はもちろん。
ヤンペル氏が常に回しているマニ車。
風にたなびくルンタ(タルチョー)の美しさ。
日本にいながらのポタラ宮参り。
カターの挨拶。
鳥葬?
ブータンを思わせる家の造り・インテリア・出で立ち。でも、ダウンジャケット・運動靴とかも。
棒で攪拌して作っていたバター茶も、今ではミキサーで作るのか。
道端の水たまりや、氷を割って調達する飲み水。
五体投地の横を爆走するトラック達。
トラクターと、ヤクに曳かせた鋤で耕す農地。
こんなところにも基地局があるのかと驚くスマホ。
村と街とラサの格差。
徳の高い子と高くない子の違い。
呼吸困難を起こす(高山病?)観光客。車や飛行機で一気に登ると高山病になりやすい。五体投地のように、徐々に高さに慣れれば、かかりにくいのに。
作った料理を足元で取り分けたら、土埃が入らないのかと心配になったり、
学校があるからと参加を拒んだ子どもがいる反面、タツォちゃんはいいのかと心配したり(この年齢なら両親とともにいる方が大切か)、
こんな大都会を見てしまったら、村に帰りたくない輩もいそうだと心配したり(制作ノートによると、実話としてダワ・タシ君は村でやることなくてプラプラしていたから、巡礼の旅に参加させられたのだそうだ)。
モンゴルと中国。
ダライラマ法王の亡命と、宗教否定の中国政府。
そんなことを考えながら、恐る恐る鑑賞。
最初に映し出される中国の映画会社のロゴの数々に、嫌な予感に襲われる。
だが、そんな懸念をまったく必要としない、ただひたすらに巡礼の様子を繰り返す映画だった。
DVDについていた解説書を読むと、監督の逡巡した思いが行間から読み取れたりはするが。
それでも、公開時中国で300万人を動員したとか。
中国政府が各方面の意に添わぬ者たちに対して規制を強めている今ならどうなるのだろう。
でも、チベット出身の映画監督たちによるチベット文化をベースにした映画は今も作られているし、公開されているし。
中国人であれ、それ以外の国の人間であれ、心のよりどころは必要なのだろう。だからこの映画がロングランとなり、多くの人から愛されているのだろうと思った。
2021年4月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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すごい映画だ!
美しく厳しい、圧倒的大自然!
その厳しさをものともせず共に生きる人々。
生まれる・生きる・と死を、子供でも分かるようにやさしく描かれる。
歩くのも過酷な2400kmを、6歳くらいの幼子までもが「五体投地」という屈伸運動をしながら
8か月余りかけ、神仏に感謝し、全ての困難にも喜びをもって歩んでいく!
服も靴もボロボロになる。
●事故にあった。 車をなくしても押していき
●資金が尽きた。 数か月働いて貯める
●出産する人がいたら待って応援し(出産シーンも上手に映っている)
●長老が亡くなっても幸せを念じて前に進む。 決して悲観しない
どんな困難でも、絶望しないで、のんびり。 (これもすごい)
前向きに、皆で力を合わせて乗り越えていく。
チベットの人の凄さを見た。
信仰心は、人の心を優しくし、さらに強くする。
特に都に遠い人ほど驚異の強さで、自然への畏怖からか信心深いと感じた。
実際によくある光景を、わかりやすいように映画にしてくれている。
チベットへは、簡単に行けないし、長期間滞在できない。 巡礼にはもっとついていけない。
しかしこの映画で、チベットの人々の素晴らしさを垣間見た。
チベット旅行、数百万の価値がある。
他のチベット映画全てを見たいと思い、出町座の会員になった。
(実質800円くらいで見れるようになるから)
3000万人動員した?という映画。
この映画は、人間の潜在意識を刺激して、奮い立たせる
心理学的なすごい作用を持つ! 見た後に動くと成功するはず。
子供たちや、特に悩める人、受験生に見てほしい
こんな良い映画をやってくれた映画館に感謝します。
2021年4月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
映画館によって観る印象は変わるのだな、と気付いた。
2018年冬に「イメージフォーラム」で観たときは、コンクリートの冷たい床に呼応して、特に前半部分の五体投地や天候の厳しさが印象に残った。
今回、「岩波ホール」で観ると、幸福な巡礼の姿を映した“文化芸術作品”に感じられた。
どちらも真実なのだろう。
本作は、「ドキュ・フィクション」と呼ぶそうだ。
特にストーリーはなく、“見ての通り”というノンフィクション系作品と言って良いだろう。
監督自身も最初は「何を撮ればいいのか分からなかった」というが、巡礼の準備から巡礼地での行動まで、フィクションという利点を生かして、“あらゆること”を映像に収めてやろうという執念を感じる。
風景や天候や季節の変化、路上での五体投地とテント内での祈り、道中での人々との出会い、買い物や日銭を稼ぐためのアルバイト、そして、赤ん坊の誕生と老人の死まで。
落石や冠水した道路のシーン、“先達”の老人にお説教されるシーン、ラストの“風葬”のシーンは印象的だ。
面白かったのは、映画「タルロ」でも出てきたが、男が床屋の若い女に魅惑されるシーンで、肌のふれあいは、彼らにとってはかなりエロチックなことなのかなと気付いた。
本当に呆れるくらい、色々なことが収められている。
副題の「2400km」の意味が分からなかったが、家からラサまで1200kmの“往復”という意味ではなく、ラサからカイラス山までさらに1200kmなので、片道1200km+1200kmということらしい。
しかしこの映画では、ラサが終着地で、カイラス山にはついでに立ち寄るかのように描いているので、ラサからさらに1200kmとは驚いた。
ただ、ミスリードというよりは、描くべきことはラサまでの1200kmで、すべて尽きているということなのだろう。
わざとらしく作ったようなシーンがたくさん出てくるこの映画は、“リアルな巡礼”ではなく、巡礼の“歩き方”を映した作品なのだろう。
素晴らしい邦題である。
2021年3月28日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
牛飼いの草原や巡礼に向かう道中の景色が雄大で美しいです。
巡礼の旅は一年以上かかるから、一大決心をしないと行けないものだと思いますが、意外と気軽に参加しているように感じました。
一生に一度の機会が巡ってきたから、一緒に行こうという感じなのでしょうか。
それにしても、妊婦さんに五体投地は無理なのでは?