劇場公開日 2016年9月10日

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グッバイ、サマー : 映画評論・批評

2016年8月30日更新

2016年9月10日よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテほかにてロードショー

ポイントは手作り自動車。繰り返し語られてきた少年たちの成長物語が再び輝きだす

25年ほど前ならSMAPの誰かが主演でこんな映画を製作できたのではないかと思わせる、10代の少年ふたりの冒険旅行の物語。誰もが知るあの「スタンド・バイ・ミー」のフランス版といったところだろうか。ポイントは手作り自動車。少年ふたりが廃品を集めて、自動車を作ってしまうのである。そのおかげで、かつて映画の中で繰り返し語られてきた少年たちの成長物語が再生する。まったく新しい映画に見えると言ったら大袈裟だが、いつどこにでもある物語が再び輝きだすのである。

ちょっとしたひと手間と言ったらいいか。かつてのブルースマンたちが同じ曲に自分だけのアクセントを加えることで、それぞれの個性を出し、しかしそれらの原曲が同じ故に、いくつものヴァージョンがひとつの太い流れを作り出した、あの感じ。さまざまな個性とともにあるひとつの大きな種として、誰もが知る物語が世界に溢れていく。世界中のどこかでいつの時代も、似通った物語が作られる。そしてそれらが似通っていればいるほど、ひとつの物語が強く人々の心に印象付けられる。

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製作者たちはそれがいつどこででも作られてきた、そしてどこででも作られるであろう物語であることを恐れない。そしてまた、そこにひとつのアクセントを加えることでそれがこれまでにない色彩を得ることを知っている。廃品利用の手作り車という設定をそこに置いたとたんに、少年たちのキャラクターが動き出す。つまり命を得る。その命の歩みがそれを観るわたしたちの瞳から侵入し、わたしたちがまだ彼らのようだったころのときめきとビートが、わたしたちの身体の中で鳴り始める。「グッバイ、サマー」は、そんな夏のときめきにサヨナラしてしまった私たちのための映画でもあるのだ。

樋口泰人

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