奇跡の教室 受け継ぐ者たちへのレビュー・感想・評価
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正確に歴史を理解すべし。そして、過去は全て歴史になる
33分11秒に以下の台詞が飛び出す。
『パレスチナとイスラエルの争いとナチス・ドイツが行った虐殺は違う。ナチス・ドイツが行った行為は民族を根絶やしにする行為。パレスチナの争いはイスラエルとパレスチナの争いによる』と言った台詞が飛び出す。
付け加えて、アルジェリアの争いも『その話はもう止めて』
さて、この映画も歴史になった訳だが、受け継ぐ者として、現状をどう解釈している?
見てよかった
人種も宗教も多様な生徒たち。
他の映画でも見たことあって知ってたけど、それにしても多様で、でもどういう人種と宗教があるか無知な私はよくわからなかった。
学校を題材にしたものはリアルと同じように様々な人がいることが多いけど、大人の社会の映画ではそうじゃなくなるなと思った。
自然と、同じルーツ同士で交流するから偏る、と思えば当然なのか…。
主要キャラ以外に街の人とかモブも多様性なくなること多いけど…。
フランスの学校にはいろんな人がいてそれが当然なんだなと思った。
学力が低くてきた子もいるけど、問題児の多いクラス。
勉強意欲がなく反抗的な生徒。
でもそういう生徒ほど物おじしないで発言できる。自分の意見があり言えるのはいいこと。
先生にいちいちつっかかってくるのうざい。私が中学生のときもいたなと思った。先生をおちょくってるのは無害な大人に甘えてるから。
生徒同士ですぐ口論になる。
自分を蔑ろにされることに敏感で、感情的に相手を攻撃する子が何人も…。結構大変なクラスだ。
でもコンクールのためアウシュヴィッツについて調べてくうちに変わっていく。
もともと悪人ではない、道徳とか倫理観が育まれておらず言っていいことと悪いことが分かってなかった子。
無知で感情的だった子に説教ではなく、学ばせたことで変わったと思った。
バスのシーンが好き。
高く飛んで凍った鳥
牛が糞をして助かる
助けてと声上げてたら
狐がきて食べられた
教訓は?
糞をする奴が敵じゃないし
助けに来た奴が友とは限らない
みたいなとこ。
クソ、ってよく聞く悪態とかけてて、
「糞をかけられたら黙るのが一番」と。
口論してた子達の成長にうれしくなる。
人種や宗教がよくわかってないから、所々にある生徒の描写にどういう意味があるか理解できてない。
宗教についての校則、日本ではないと思うけど、知らないことが多いと思った。
生徒や先生や街の人の差別がある。今の時代はユダヤ人だけにではなく、多様な差別が日常にあるとちょっとわかる。昔の話で終わらない、今もある話だと言ってると思った。
この題材は遠い話のようでみんな常に感じてることなんだろう。
受け継ぐものたちへ
この映画で受け継ぐ人は増えて行く。
フランスのユダヤ人迫害について少し知ることができた。
生きた授業。
荒れた生徒たちが一人の先生との出会いでグラスが一つになる。
ナチスによってユダヤ人が大虐殺された。
宗教差別 人種差別に苦しめられる。どの様にして起きたのか。生き残った人から証言を聞いてこの悲惨な出来事を次の世代の人たちに語り続ける事が大切な意味がある。
この荒れた生徒たちは見事に一つになってコンクールで優勝する。皆イキイキと輝いて見えた。先生との出会いで生徒が変わることができた。素晴らしいですね。
迫害された人の心によりそう子供たち
貧困層で問題児ばかりの教室で
子供達にやる気をもたせ仲間との和もつくらせたいと考えたゲゲン先生は
歴史コンクールにナチスに迫害された子供達の事を調べて発表させようと考える。
なかなかうまくすすまなかったけれど
生き残った人の証言を聞いたり博物館で資料をみるうちに歴史を知り、伝えることの使命感がうまれてくる、、、
ダメなクラスをまとめるのにスポーツだったり音楽だったりは今までも
あるが今回は歴史を学ぶということで
しかも何の罪もないユダヤ人が何万人も殺されたこの歴史を知れば知るほど目を背けることができなくなっていく優しい生徒たちの気持ちが良く伝わった。
きっと他の歴史だったらこうはならなかったのかも。
次の問題児クラスでゲゲン先生がどんなテーマを考えたのかとても興味あります。
※発表のシーンがないのが残念。
レポート提出だったの??
これ、凄く良かった。 地上波で放送して欲しい。 若い人たち観るべき...
これ、凄く良かった。
地上波で放送して欲しい。
若い人たち観るべき。
学校の落ちこぼれクラスに
先生が、ヒトラーによる
「ユダヤ人大量殺人について
勉強してコンクールに出よう」って提案して、生徒達が後々、
更生していく話。
現代と昔の暗い部分にスポットあてて、同時に進んでいく話。
今は、ユダヤ人が大量に
殺されたりはしないけど、
人種差別や、家庭の問題が
今も昔も同じなところを
同時進行で話は進んでいく。
歴史と生徒の更生していく過程が
同時に観れる。
重たい内容だから、
何度も観たくなる映画ではないけど一度は観とくべき。
特に平和ボケしてる若者!!!
肝心なことが描かれていない
荒れたクラスの生徒たちをホロコースト研究のコンクールに参加させ、見事に優勝。
この作品が反ナチのプロパガンダ映画ではないとすれば、観客の興味はどこへ向かうだろうか。
この映画はその観客の期待には一切応えていないと言っていい。
学習意欲に乏しく、規律やチームワークへの理解が足りない高校生たちが、なぜこの教師の提案や指導を受け入れたのか。
他の教師たちが匙を投げる学級崩壊を、彼女は立ち直らせることができたのはなぜか。
なぜ彼女でなければならなかったのか。彼女は何者なのか。
このことに触れていない。
天使にラブソングだと思ってみれば面白い。
不良クラスがアウシュビッツを学んで更正する話しですごく泣けると聞き、構えて鑑賞したので割と拍子抜け。後半のクラス一団となってアウシュビッツについて調べていくシーンでは、自分も同じ様に学んでいる気分になり、泣けた所もあったが、実際アウシュビッツについてのそこまで深い探求はない。これが実話というのは素晴らしいが、悪かったクラスが良い担任の先生と一緒にアウシュビッツを学んでコンクールで優勝し更正したというとてもシンプルな、まさに天使にラブソングな話で、それを割と大雑把に描いているので105分という時間を埋めるにはあまりに内容が薄い。実際アウシュビッツに触れだすのはだいぶ後半からで、前半は退屈な印象だった。ちょくちょく人種差別問題や、生徒同士のいさかい、生徒を理解しようとしない大人などが出てくるが、ぜんぶ中途半端描かれているので結局あれはなんだったのという所が多く、メッセージ性は伝わってこない。
実際本当にアウシュビッツについて考えたいなら、私ならライフイズビューティフルやシンドラーのリストを見るかな。。。
自由で哲学的なフランス映画
フランスの高校の落ちこぼれクラスがコンクールに出る話だ。日本のドラマでも似たようなものを放送している。寺尾聰主演の「仰げば尊し」だ。ドラマは吹奏楽コンクールだが、この映画は歴史コンクールというなんともアカデミックなコンクールである。ちなみに吹奏楽部は日本各地でブラック部活として問題になっているようだ。
映画では、自己中心的だが成績が悪くていじけていて反抗的な生徒たちでバラバラの教室を、熱血おばさん教師がコンクール参加の指導のなかで次第にまとめ上げ、生徒たちに自分たちでものを考える力をつけさせる。ステレオタイプのストーリーだが、実話に基づいているそうだ。そういえばドラマ「仰げば尊し」も実話を基にしているとのことだった。
映画の教室は白人と黒人と東洋人、クリスチャンとムスリムといった人種と宗教の入り混じった生徒たちで、中東のIS騒ぎ以来の難民問題の影も微妙に感じさせる面もあり、日本のドラマよりもはるかに複雑でデリケートな状況だ。
結末は大方想像がついていたが、それでも感動する。それはおばさん教師が一人の等身大の人間として、権威に頼らず、強制せず、頭ごなしの否定もせず、正面から生徒たちに向き合った結果だからだ。
フランス映画は議論の場面が多く、映画そのものが哲学的だ。予算だけ豊富なハリウッドのB級映画とは、考察の深さが違う。
そういえば代表的なシャンソン「Sous le ciel de Paris」に次の歌詞がある。
Sous le pont de Bercy
Un philosophe assis
Deux musiciens quelques badauds
Puis les gens par milliers
「ベルシ川の橋の下に哲学者が座り、そして二人の音楽家がいて、それから数千人の人々」みたいな感じの意味だ。多分。
国旗のモチーフが自由平等友愛のフランスでは、哲学は日常生活のなかに普通に存在するようだ。その分だけ、フランスに暮らす人々は精神的に自由である。権威と体罰が大好きな日本とは、自由の質も度合いも違うのだ。
教えられるのではなく、自ら学ぶ、という教育。
問題児だらけの学級を教師の指導と愛で変えていく物語は数多ある。しかしながらこの映画が大きく違うのは、教師の立つ場所だと思う。多くの作品においては、教師が生徒を率いて先頭を立つイメージが強い。しかしながらこの映画の教師は、生徒たちを自由に歩かせそれに寄り添うように立ち、時々進む方角がずれそうな時にだけ、軌道修正の手を入れる。確かに、教師は「アウシュビッツの子どもと若者たち」というテーマとコンテストへの出場という機会を与えはするが、それはきっかけを作ったに過ぎない。コンテストへ参加するか否かも彼らの任意であるし、テーマについての考察、意見、調査、論議、淘汰、思考ということは、すべて生徒たち自身の主体的な力だ。教師は彼らのそばで「見守る」という、積極的かつ忍耐力を要する教育を生徒たちに施していく。その姿が印象深い。
「最近の若い奴は・・・」とはもう大昔から常々言われ続けていることだが、この言葉はろくに若者を知らない人が使う言葉だ。確かに若い世代はまだ物を知らず、甘ったれな部分に違いはないが、その一方で、何かを感じ取る力、何かを創造する意欲、エネルギーと行動力、繊細な感性、着想の面白さ、真意を見抜く鋭さ・・・など、大人よりも優れている点は数え切れないほどあるのも事実で、若者と本気で向き合ったことがある人ならそれを実感しているはずだ。この作品を見ても良く分かる。冒頭部分での荒れた様子は困りものだが、きっかけ一つで彼らはみるみる変わっていく。いや変わったのではない、本来彼らが持っていた力が引き出されたのだろう。彼らはただ迷っていただけだ。自分に才能があるかどうかも分からない。自分に何が出来るのかも分からない。何か出来るかもしれないけれど、どうすればいいのか分からない。だから有り余るエネルギーを持て余していた。それならば大人が、その有り余るエネルギーを意味のあるものへと変える方法を指し示せばいい。あとは若者たちの優れた感性と漲るパワーで、大人をも凌駕するものを生み出すことが出来る。そしてその時に最も重要な要素は、若者を「信じる」という姿勢であり、それを表現したのがこの映画の教師だ。
この作品を見ていると、まるでドキュメンタリーを見ている気分になる。何しろ、登場する若者たちのエネルギーが正真正銘ホンモノだからだ。体当たりでスクリーンにぶつかり、全身でカメラの前に身を投じ、全力で物語と歴史に向き合うその姿はノンフィクションに近い。監督も主演女優もそれを重々承知で、役者であり生徒であり若者である彼らをとことん信じ切って作品を作り上げたのが伝わるような気がした。この映画の主役は生徒たちのエネルギーだ。
それと同時に、我々がついリベラルなイメージを抱きがちな「フランス」という多民族多宗教国家が内包する不公正さと不自由さに対する作り手の思いにまで到達するなんて、ただただ唸るばかりだ。
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