奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ : 映画評論・批評
2016年8月2日更新
2016年8月6日よりYEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町、角川シネマ新宿ほかにてロードショー
実話の重みが胸を打つ、「いまのパリ」を誠実に映し出した映画
まずこの映画が実話を元にしているということを、強調したい。ここに描かれている物語がたんにファンタジーでも綺麗事でもなく実際に起こったことだと知った上で観ると、本作の衒いのない、ドキュメンタリー・タッチの作りにいっそう好感が持てるからだ。しかも生徒自身(出演もしているアハメッド・ドゥラメ)がシナリオを監督に持ち込み、それが元で映画化されたという、そのプロセス自体も奇跡のようであり、結果的にフランスでおよそ50万人が観るヒットになったことも美談である。
「パリ20区、僕たちのクラス」と似て、この映画の舞台も移民の多い、決して富裕とはいえない人々が住む地域。パリに暮らす自分のような者にとっては、雑誌で見るパリよりもこちらの方がはるかに一般的な「いまのパリ」である。
差別を被る親の苦労をみながら育つ子供たちは、現実の厳しさを肌で学び、どうせ自分たちにチャンスはないと最初からやる気もない(けれどやんちゃで反抗心だけは人一倍)。そんなクラスを受け持つ教師も大変で、高圧的に出たり、あるいは事なかれ主義を決め込んだりするわけだ。この映画には、そんな現実を反映するいくつものシーンが出てきて、膝を打つ思いだった。落ちこぼれのクラスに入れ込む教師に校長が、「彼らに労力を費やすなど時間の無駄。他の優秀な生徒にまわせ」と説教をする場面、歴史コンクールへの参加を決めた教師に生徒自身が、「恥をかくだけ」と劣等感を丸出しにするところ。社会の縮図でもある教育現場の悪循環は、個々の力でなかなか変えられるものではない。だからこそ、ある教師と生徒たちが一丸となって事態を変えたこの物語がよけい胸を打つ。
アウシュヴィッツの子供と若者をテーマにコンクールに出ることになった生徒たちは、その歴史を初めて自主的に学び、生存者からじかに話しを聞く機会に恵まれる。この出会いが、彼らの心の扉を開け放つ。ここに登場する老人は実際の体験者で、彼が語る言葉の重みは、観る者にもダイレクトに伝わってくる。
コンクールの後、エッフェル塔を目の前にしたシャン・ド・マルス公園ではしゃぐ子供たちから沸き上がる、“パリは我らのもの”という実感。自由、平等、博愛の精神をようやくまっとうに享受し、自らも受け継ぐ立場になった彼らの晴れやかな笑顔が、劇場を出た後も脳裏に残り続けるだろう。
(佐藤久理子)