クリミナル・タウンのレビュー・感想・評価
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魔法が解けてもいい。それが大人への階段
やはり一番大事なことを最初に書かないわけにはいかない。
予告編から受ける印象や、パッケージの煽りに使われている「優等生の友人はなぜ殺された?卒業の前に僕らは謎を解く。最旬キャストで贈るスタイリッシュ・クライム・サスペンス!」は、全くのデタラメなので要注意。
それではどんな作品なのかというと、母の死にふさぎ込むほど子どもでもなく、乗り越えられるほど大人でもない若者の、卒業をキーワードにした青春映画なのだ。
主人公アディソンの、悩みとも言えないくらいのモヤモヤ、喪失感、無力感、そういったものが彼を突き動かす。
意味なんてないかもしれない、うまくいかないかもしれない、それでも真実に近付けば今の心のしこりを洗い流せる、そんな気持ちでいると思う。
友人の死の真相、幼なじみフィービーとの関係、今まで知らなかった世界のドアを次々に開けて、視野を広げていく。
狭い世界の狭い価値観しかなかった子どもが大人に変わっていくステップ。
ちょっとネタバレかもしれないけど、序盤の真っ白なシーツに包まれた幻想的とも言えるほどのセックスシーンと、中盤の人混みの向こうで寄り添う二人の場面は凄く良かったね。
力を入れている場面がクライムと全く関係ないことからも青春映画として全力だったと見てとれる。
原作はノワール小説らしいから、その面白さが失われているのは間違いないだろうけど、私は映画ファンなので映画が面白ければそれで構わない。
もちろんクライムサスペンスとしてではなく、青春映画としてね。
あと、主演のアンセル・エルゴートとクロエ・グレース・モレッツは、なんか顔が似てると思った。兄妹みたいな。
【”アンセル・エルゴートとクロエ・グレース・モレッツのW主演なんだから、もう少し丁寧に作っておくれよ。”と共に近年の、クロエ・グレース・モレッツ出演作に付いて考える。】
■文学好きの優等生・ケビンが、何者かに射殺されてしまう。
警察や学校の不可解な対応に疑問を持った高校生・アディソン(アンセル・エルゴート)は、幼馴染みで恋人未満のフィービー(クロエ・グレース・モレッツ)と共に親友の死の真相を知るために事件を追い始める。
だが、警察も“ギャングの抗争だろ。”と見放した事件に踏み込むほどに謎は深まる。
◆感想 <Caution!内容に触れています。>
・まずは、今作には、文学好きの優等生・ケビン君が一切出て来ない。
・そして、アンセル・エルゴートとクロエ・グレース・モレッツのベッドシーンが二度ほど、メインのように映される。
ー 制作陣のやる気の無さというか、作品がフォーカスすべき点を間違えている。-
・で、”優等生・ケビン”が実は”麻薬売買に関わっていた事が分かって来る・・。
ー もうさあ、キチンと細部まで描こうよ!予算が無かったのかい?-
■今作は劇場公開時に、余りの評価の低さに鑑賞を見送った作品である。
だが、フライヤーだけは手元に取って置いた。
そこに書かれていた言葉”最旬キャストで贈るスタイリッシュ・クライム・サスペンス!”である。どこがだ!
<それにしても、アンセル・エルゴートの出演作は波が有るが、「ウエスト・サイド・ストーリー」で、再度名を成したので良いのだが、クロエ・グレース・モレッツの出演作品の選択には近年首を傾げる。「キック・アス」「モールス」(個人的にとても好き。)で若き時にスターダムに駆け上がり、「キャリー」でその地位を盤石にしながら、近年は「彼女が目覚めるその日まで」を除いて、ほぼ総て端役である。(リメイク版「サスペリア」などは、何処に出ていたのか分からなかった・・。)
学業との兼ね合いもあるのだろうが、何時かメインでバーンと出演してもらいたいモノである。>
予想通り、ですね。
ヒロインをクロエ・グレース・モレッツが演じてなかったら、まず手に取る事さえなかった作品ですが…予想通り、つまらないとは言いませんが、残念ながら面白いと言えるほどの作品ではありませんでした。 映画にする程の作品ではないような気がしますね。 日本で言うところの2時間ドラマで十分ではないでしょうか? クロエちゃん、本当な作品に恵まれてないですね。 誰かもう少し上手く使ってあげて欲しいです。
言いたくなってしまう「う~ん」
映画レビューで「う~ん」という表現が、よく使われています。 この意味は「今、俺様が講評してやるからな、そこに待っておれ」ということです。 「う~ん」とは考え中をあらわす保留の言葉です。 ですが、口語ではなく、またWEB対話でもなく、文なので、考える必要も、保留する必要もありません。 必要がないのに「う~ん」と書いてるわけですから、なんらかの効果を期待しています。 効果とは、まず、不承知の強調です。 「う~ん」と前置きしてから、ほめるってことはあり得ません。 とうぜん、けなすわけですが、そのけなしが「う~ん」を前置きすることで、破壊力を増します。 なぜ破壊力を増すのかというと「う~ん」には、知識があることを、ほのめかす効果があるからです。「俺様は、それを知っておる、だから今、それを言って進ぜよう」という、もったいぶりの「う~ん」です。 自信のあらわれ、でもあります。文において、がんらい必要のない、保留をしているわけですから「俺様はなにもかも解っておるぞ」の気配を醸す効果があります。 その気配が言いたいのは「しかしなあ、君ごときに、俺様の知識を、披露してしまっていいんだろうか」という逡巡の「う~ん」です。 すなわち「う~ん」とは、その後に、不承知/却下/拒絶/辞退がくることが、解っているものの、言葉自体には、なんの意味もないので、ただ単に、それが醸す効果を期待しての、きわめて不遜な前置き──に過ぎません。 ところが「う~ん」の書き手は、おうおうにして、そのすさまじい上から目線と自負心に気づいていません。 まるで、ほんとに考え中で保留しているかのように「う~ん」と書いちゃってるわけです。 いちおう「それについて、一生懸命考えてみたんだよ」の意味を併せ持ちながら、そのじつ、これほど不誠実な言葉はありません。だって、考えていないのですから、書くことも決まっているのですから。 それでも「う~ん」と書いているばあい、意図せずして、書き手は、なみなみならぬ自尊心を露呈しちゃっている──わけです。 あたかも真摯な逡巡のように見える「う~ん」ですが、書き手は、まず一ミリたりとも逡巡してはいません。「う~ん」と前置きしたあと、おもいっきしけなしてやんよと、息巻いているわけです。 もし、そうではない唯一の可能性があるとすれば、書き手がトイレで書いているばあいです。 わたしはトイレで書いてはいませんが、この映画には「う~ん」が言いたくなりました。 ガヴァシは気になる監督でした。とりわけ目立った実績はありませんがヒッチコック(2012)を見て、とても気になる監督になりました。他に目立ったところではスピルバーグのターミナルを書いています。知っているのはそのぐらいです。 ヒッチコックはトリフォーの『定本映画術ヒッチコック』を思わせました。映画監督が監督したというより、研究者が監督したという雰囲気がありました。 今では誰もが知っていますが、アルフレッドヒッチコックというひとは、ヒッチコック劇場にでてくる、ユーモラスで穏健な太っちょ──ではありませんでした。 とても神経質で、自作の評価にたいして敏感で、他の映画や映画人に、なみなみならぬ対抗心を持っていました。 ハワードホークス(ハワードヒューズだったかもしれません)が、アルフレッドヒッチコックを寸評したことば「いいやつだけどパーティーに呼びたいやつじゃない」は有名ですが、その人間性を映画ヒッチコックはほとんどはじめて映像化していたと思います。だからガヴァシが気になったのです。 またJoseph Stefanoの描き方も的を射ていました。 誰もが知っているサイコですが、サイコのストーリーって、覚えていますか? 何億人ものひとびとを感嘆せしめたサイコですが、ストーリーを知っている、あるいは覚えているひとは、ほとんどいないはずです。たいてい「サイコにストーリーなんてあったっけ?」となるはずです。 そのサイコを書いたのがJoseph Stefanoです。 かれは当時ハリウッドに星の数ほど群がっている三流作家のひとりでした。 当時、ヒッチコックはクルーゾーの悪魔のような女の絶賛に歯がみしていました。白目をつけたポールムーリスが風呂場から起き上がり、ヴェラクルーゾーがけいれんしながら死ぬシーンです。それは世界中を怖がらせたシーンでした。谷崎潤一郎のエッセイにもその感想が語られています。 真相は知るよしもありませんが、ヒッチコックはおそらく「じゃあいいさ、ストーリーなんかいらねえよ、描写だけで、怖がらせてやるさ」と燃えたはずです。それがサイコです。だから、わざわざライターを山っ気なJoseph Stefanoに振ったのです。 ところがJoseph Stefanoはたしかに三流作家だったものの、本質を知っている作家でした。それがガヴァシがヒッチコックで描いたJoseph Stefanoの登場シーンです。ベストキッド以来かもしれないラルフマッチオが演じていました。かれはほぼそのワンシーンだけです。ただし、強烈なJoseph Stefanoでした。 かれはこういいます。 Just the usual.Sex, rage, my mother. 「つきなみですが、セックス、怒り、母親ってところですかねえ」 セックス、怒り、母親。それがサイコの全ストーリーです。三語で語られていないものはひとつもありません。あとは描写だけでした。そして、セックス怒り母親は、その後のホラー映画の基調因子になってしまうのです。 そんな研究者から見たヒッチコック像がヒッチコックにはありました。が、確かに考えすぎの映画でした。口をとがらせるホプキンスが気になるとはいえ、ヒッチコックはいい映画でしたが、傑作になる要素をもった映画だったにもかかわらず、考えすぎだったのです。それでガヴァシが気になったのです。 が、ここでは映画研究者らしい考えすぎがほとんど裏目に出てしまっています。原作を知らないのですが、諸処のPOV表現は、意味がありません。破綻しないのはさすがにアンセルエルゴートですが、かれの行動理念に、理解が追いつきません。進学と9cmの書き込み欄しかない願書、また母親の死が象徴になりえていません。デヴィッドストラザーンとキャサリンキーナーの超演技派が用立ちしません。モレッツは添え物のようなポジションです。 めったにう~ん裁定をしない主義ですが、これはたしかにう~んだったと思います。 ただし、どこかに、化けたかもしれない気配がありました。挿入される点景などは、かんぜんに玄人のものでした。 Every Secret Thing(2014)のスベり方によく似ていました。映画監督としての力量はあるんだけどスベりまくった、という感じ。 ちなみに、言わなくてもいいことですが、力量があるけどスベった──の気配は、日本映画ではぜったいに見ることができません。
青春フィルムノワール
宣伝はサスペンス作品みたいな感じで煽ってますが、そうじゃない。大切な人を失って、それを受け入れていく過程と、主人公たちが大人へと向かっていく過程がうまく描かれている。 原題はNovemberクリミナル。アメリカでは、高3の子達が進路が決まってない不安定な時期。 その主人公の不安定な感じがサスペンスな雰囲気に繋がっているのではないだろうか。 デイビットボウイが裏テーマ的な感じだろうか 先のことは分からないが、退屈はしないだろう。
クロエに釣られた
内容は残念で意味不明で動機不明です。 なんで主人公が友人の死の真相を究明するのか。 理由も結果も脱力すること請け合い。 クロエは冒頭のラブシーン以外にはあまり出てこないし、重要な役割ではありません。
青春探偵ごっこ
半年前に母親を亡くし、父親の仕事も減り、喪失感いっぱいの高3アディソン。進路も未決定だったがビデオ日記を残し、不満を解消しているかのよう。そんな中でも、恋人に発展しそうだったフィービーと初体験。人生がばら色に輝こうとした直後、コーヒーショップでバイトしていた親友ケビンが銃殺される。母親の死の際には何もできなかったことを悔やみ、ケビンの無念だけは晴らそうと生ぬるい警察の捜査を横目に独自捜査を開始すうアディソンだった。 平凡で起伏のない脚本には物足りなさがあるものの、進路を決めるべき11月の寒空と、ワシントンDCでも意外と殺人事件が多かったりする驚き。そして喪失感から来る「何かをしなければ!」という気持ちがストレートに伝わってきた。このまま悲しんでたら何も変化しないんだよなぁ。 現代っ子ぽくないアナログ感もいい。携帯は持たず、ポケベルだけでコミュニケーションをとるアディソン。多分ビデオカメラもアナログなのだろう。彼の敬愛するデヴィッド・ボウイが亡くなったことも喪失感を上塗りし、映画でも2曲聞くことができる。
邦題...
これは邦題と日本向けの予告や広告のせいで見る人をがっかりさせてます。あまりにもタイトルの「クリミナル・タウン」は合わなさすぎます。カテゴリーもミステリーではありません。 Amazonビデオのレビューにもありましたが、これは主人公が大人へと成長していく様子を描いてるものと捉えるべきです。観る時には街だとか事件の裏だとか一切忘れてください。そこにこの映画の核心はないです。ミステリーとかサスペンスのつもりで観るとまったくパッとしません。原題の「November Criminal」のままでよかったです。
暴走する彼と冷静な彼女
クロエ・グレース・モレッツと『ベイビードライバー』が良かったアンセル・エルゴートが気になって観ました。 友だち思いなのかもしれないが、危険を顧みずに暴走する無計画な彼の行動は理解出来なかった。危なっかしすぎる。 そして、特に盛り上がりもなかった。。 クロエが冷静な女の子であったのと好感が持てた役だったから観られました。
美男美女映画!!
エルゴートはかっこいいしクロエちゃんは可愛いしすごいキャストが良かった! 出演者の演技もリアルでいい。 内容はよくある普通なものだったが、面白かった。 友達のためにここまでやりとげるエルゴートに惚れた。 次のエルゴートの作品に期待!
「死」を受け入れて人は大人になる
これ、割と評判の悪い映画で つまらないのかなぁ〜 と心配しながら行ったら、そんなにつまらなくもなかった むしろ、それなりに楽しんで帰ってきた 来年、大学進学を控えた高校生のアディソン(アンセル・エルゴート)と、フィービー(クロエ・グレース・モレッツ)は、同級生のケビンが殺された事件を不審に思い、独自に聞き込みを始める… このアディソンとフィービーが迎えている高校最後の年の11月は、大学への進路を決める年 彼らは、願書を大学に送り、合否判定を待っている状態であり、年齢的にも子供から大人へ成長する歳を迎えている つまり、最も精神的に不安定な時期なのである その時に起きたのが、同級生ケビンの殺人事件だった 大学からの合否待ちのアディソンは、まるでとりつかれたように、ケビン殺人犯探しに夢中になっていく そんなアディソンを観ながら、私は彼が「死」そのものを理解し、受け入れようとしているんだなと思った その事件のちょうど一年前、アディソンのお母さんが突然死している しかし、彼は、その死を受け入れられずにいるのだ そこへ、ケビンの事件が起きる アディソンは、ケビンの死の謎を解明すれば「死」というものを理解できる気がしているように見えた 彼は、その時まだ、大人への成長の過程にいたのだ アディソンにとって、大人になるということは、リスキーで痛みを伴うものだとわかったはずだ この映画は、デビッド・ボウイに捧げられている それは、世界中の人々が彼の死を受け入れられずにいることを示している ただ、非常に残念なのは、アンセルもクロエちゃんも、どんなに頑張っても、高校生には見えない クロエちゃんはまだしも、アンセルは厳しすぎる キャスティングはもう少しがんばって欲しかったと思う
アイドル映画ってとこかな💦
クライム・サスペンスとか言ってるけど大したサスペンスでは無く… アメリカの高校生のライフスタイルって… 怖いな、ワシントンD.C.ってあんなに治安が悪いの?と言った印象くらい。 基本的にクロエとアンセルを楽しむためのアイドル映画って感じ😅 単純にストリーだけなら星⭐️⭐️ 監督の哀愁で作っちゃった様な古臭いナルシスト感がちょっぴり寒めの作品でした(笑)
デヴィッド・ボウイ曲の魔力
平凡な脚本でも、(上昇気流のエルゴート+我らがクロエちゃん)×デヴィッド・ボウイでイイ作品になっちゃう。 ベイビー・ドライバーのようなハンドルさばきはないけど、今作でも彼は車がよく似合ってる。 初Hの初々しさ、音楽の切り替え具合…ガヴァシ監督の演出・映像にも見所があり、次回作が楽しみな監督の一人になった。
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