LION ライオン 25年目のただいまのレビュー・感想・評価
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レンズ
本日の作品は、第89回アカデミー賞で作品賞にもノミネートされたオーストラリアの作品です。
率直な感想として、今年見た最近の映画の中でも一番の出来といってもいい。とても素晴らしい作品でした。
今作品では、レンズの使い方を少しだけ紹介したいと思います。
海外映画の撮影監督の仕事には、照明とカメラの二つがあります。そのなかで、レンズの選択というのは、とても重要で、撮影監督、また監督の大きな役割の一つとされています。
レンズの選択というのは、大きく2つに分けて、ワイドレンズとロングレンズに分類されますが、どういうレンズを使うかによって、画面上に映し出される画が大きく変わってくるのです。
ワイドレンズというのは、とても分かりやすくいうと、GoProのような映像です。画角がとても広く、我々が実際に目にしているよりも広角な映像を撮ることができます。さらには、奥行きが広がり、遠くのものはかなり小さく写るものです。
一方のロングレンズは、望遠鏡と同じ役割で、遠くのものを大きく映し出すためのものです。しかし役割はそれだけではなく、空間的な広がりを抑え、ボケをうまく使って被写体を浮き上がらせることができます。感覚としては、双眼鏡で遠くをのぞいているような感覚になります。
以上のように、単純にワイドとロングの選択をするだけでも、同じものを写そうとしても、スクリーンに映し出される映像は全く異なり、そのチョイスによる表現方法は、視聴者の無意識的な印象の違いに大きく出てきます。またいつか詳しく紹介することがあるかもしれませんが、今日はこの辺で。
そこで、本作ですが、見知らぬ土地に迷い込んでしまった子供の、孤独をロングレンズを使って表現しています。前半のカルカタでのほとんど会話のないシーンはまさにビジュアルストーリーテリングの最高峰だったと思います。主人公サルーの表情を映し出すクロースアップのバックグラウンドはロングレンズの特徴により、ボケがより際立ち、カメラと被写体の間にある空間を通る、人々や空気がサルーが見たこともない地に迷い込んでしまったことを表現しています。
さらには、照明もハードなものを夜のシーンで使い、サルーが感じる恐怖を表現し、ワイドをほとんど使わず、キャラクターの表情や体の一部を映し出すことで、子供の鋭い感覚、目線を表現しています。
このように、この作品には撮影だけでもとても多くの工夫と選択がなされており、キャラクターアークを作る上で、とても強力なツールになっていることは間違い無いでしょう。
編集を志す者として、この作品の編集もとても素晴らしいものがありました。ジャンプカットを多用した時間の表現。マッチカットを使った回想シーン、子供のいろいろなことが初めてに感じる様子を表現したカットのリズム、前半から中盤にかけては、まさに映画体験をすることを可能にする最高の編集だったと思います。
しかし、後半にかかては、カットをしない技術というものが少しかけていたのかなという感覚がありました。クライマックスに連れてカット数が増えていくところは、逆に時間の経過と大人になったサルーの心情を反映して、もう少し長いショットもあった方が、リズムを変えられたのではないかなと思います。それゆえ、最後の最後に涙を誘うシーンでは失敗してしまった気がしてなりません。
なんにせよ。本当に本当に素晴らしい作品であることは間違いないです。コーヒーを飲む暇すら与えさせない中盤の緊張感は久しぶりの感覚でした。
あとは、ルーニマーラが好きすぎる。
是非ご覧になって!
期待せず観たのですが今の自分に当たりだったみたいで、嗚咽するほど泣...
こども時代の映像があまりに美しい
こども時代の映像があまりに美しい。インドって土とコンクリートと緑と汚物が混ざったような風景がまだまだ残っているんだろうな。今のうちにこのロケーションでたくさんの映画を撮っておいたほうがよいでしょう。将来は今の東京みたいに映画にならないこきれいな街になってしまうでしょうから。
後半は前半のすばらしい印象に負けるかな、展開はあるけど。
内容的には、そのまま。素直に感動できると思います。
最後、お兄さんの姿がズキンとくる、いいとこ突いてるなあ。ちゃんと拾ってるなあ、と。
面白かった
ペッパ!!
愛。
過去が何のためにあるのか、と考えた時に、過去とは「生きてきた道」と考えると、他の誰にも経験し得ない「自分だけのもの」「自分を自分たらしめる唯一のもの」と捉えることができる。
それは、自分にとって高尚なものであり、拠り所になるものでもある。そんな過去を背負い生きていく中で、その過去が、自分や自分をたいせつに思ってくれる人にとって、苦しめる要因にもなる。
過去とは、拠り所でもあり、向き合うべき対象でもある。過去に支えられて生きていける反面、いざ対峙すると苦しみをもたらす。過去と向き合うことほど、孤独なことはないから。
過去に支えられて今ここまで生きてこれた。でも、過去があるから今苦しくて孤独。2つの対立するアンビバレンツな情動を同居させて生きていくことの健全さを感じた。
きっとスラムの子たちは、今自分がどんな過酷で残酷な現実を生きているかさえ、分からない。比較対象がないから。なぜ生きいくのか、なぜ生きているのか、そんな問いとは別次元のところを生きている。それも、先進国に住む人間よりも、人間らしく。
家族のために、親のために、兄弟のために、理屈ではなく、ごく自然のものとして。家族と過ごした日々は、とても幸せなものだっただろう。生まれる場所、時代、親は選べない。そのどうもならない現実をどう生きていくのか。
オーストラリアに行くことだって、望んだことではない。望んで行ったわけではない。でも、オーストラリアの家族は望んでいた。幸せな家庭を用意して。信念を持つ若者を阻む力はどこにもない。望んで探した。母親を。兄を。故郷を。
対峙しなければならない過去。誰にも本当の意味では理解されない過去。それに対して自分はどう在るのか。どう在りたいのか。そこにあったのは、きっと母親や兄との間にある愛。
それでも、人間は弱くて、過去のみに支えられて生きるわけではない。もしも、幼少期に故郷を探せたなら、すぐに探して帰っただろう。でも、再会した瞬間の表情を見ると、自分の生きてきた道を悔いることなく、前を向いて生きていこうと思えたのではないだろうか。
母親の愛、兄の愛、オーストラリアの家族の愛、恋人の愛、それらに対する愛。そんなすべての愛が、再会へと導いた。
なんとも幸運な男の子のストーリー。感動感動はさておき、こんなラッキ...
なんとも幸運な男の子のストーリー。感動感動はさておき、こんなラッキーに巡り合わなかった子供たちが8万人。地下道で段ボールを譲ってくれたあの子たちも、孤児院にいた他の子たちも、みんなどうなったかな。
迷子になっただけなのに、どうしようもなく、誰も助けてくれず、本当に帰れなくなる。殺されたり道具にされたり、孤児院で虐待されて終わってた可能性のほうがずーっと高かった。
しかもついこないだの話。
日本のわたしには信じられないけど、たくさんの国で今現在も起きてる現実。
私がちょいと手を貸せば助けられる子供がいるってことを突きつけられた。
まあでも何もしないんだけどね。
養親となった二人の考えには共感。もう新しい子どもなんて産まないほうがいいんじゃないだろうか。
あと彼女とのアレコレはどーでもいいから、マントッシュのことをもっと掘り下げて欲しかった。孤児院での虐待が原因なんだろうし、そういう子どもを引き取って育てるということを、きちんと描いてほしかったな。
しかしお兄ちゃんかわいそすぎ。
結末はわかっているのに、ホロリ。
wowowのW座で信濃八太郎さんが「この副題、ネタバレですよね」といった話をされてましたが。そうなんですよ。主人公サルーが25年目にして母のもとに帰る。以上。
なんですが、そこに至るまでの過程が実に苦悩であり、応援もしたくなります。
1時間は子供の頃の話、残りがデブ・パテル演じるサルーが大人になってからの話。子供時代を結構引っ張りましたね。
その分が余計、大人になってからGoogleearthで実母を探す=養母を裏切っているのではないか、という悩める主人公につながってました。
子供の頃の記憶。自分だったらどこまで覚えているだろう。
なぜ題名が「LION」なのか。ここでもホロリ。
結果がわかっていながらジーンとした、良作でした。
3.8
エンディングでの感動が凄い
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