「人生の分岐器が狂わせた運命の糸を、自ら手繰り寄せる感動」LION ライオン 25年目のただいま 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の分岐器が狂わせた運命の糸を、自ら手繰り寄せる感動
人生を線路に喩えることがある。しかし、人生は線路のように1本道ではない。ただ逆もあり、線路には行く先を切り替える分岐器がある。人生にも、その後を大きく変える重大な瞬間が訪れることがあり、人生の分岐器が思いがけない方向へ人を向かわせることがある。この映画の少年サルーは、まさしく列車が彼を遠い土地へ連れ去ってしまったことで、その人生が大きく変わってしまった一人だ。
映画は大きく分けて二つの物語から構成される。一つは幼少期のサルー少年が兄とはぐれて言葉も通じない土地で迷い子になってしまう様を、表からページを捲るようにして描いていく。
もう一つのストーリーは、青年となったサルーが同じ物語を背表紙から捲るようにして、自らのルーツと忘れかけていた家族を求め、プロローグへと記憶を遡らせていく。
前半部分では、少年サルーが迷い子になり養子としてもらわれていく様を、あえて私情を挟まずに冷静沈着に坦々と見つめていく。その中で、サルーを演じたサニー・パワールが一際輝く。というか、無条件に可愛すぎるよ、この子!躍動する小さな体、鈴を転がしたような独特の声、涙を含んだ大きな瞳と、何の衒いもない満面の笑みを携えて、映画の中で走り抜けるパワールの姿が私の心を完全に掴んで、もう彼の動向から目が離せなくなった。彼の存在感は、映画全編を通じてずっと作品を牽引する力があった。そして彼の姿を通じて、インドで孤児になった少年がどのような人生を歩むかをドラマとしてかつ現実としてきちんと描く誠実さをこの映画に感じた。
後半部分では、少年時代のサルーと青年となったサルーとが連動するようにして物語を展開させる。ここで光るのはニコール・キッドマンだ。里親となった母の心情を吐露するシーンはやはり彼女の独壇場。そしてつい最近日本でも、同性カップルが里親になったニュースが報じられたのと時期を同じくして「世界は人であふれているのだから、不運な子どもを助けることの方が、子どもを産むよりも意義があるわ」というセリフがやけに強く響く。少なくとも「自分で産んだ子どもしか愛せない人」がご立派な持論を唱えるよりよっぽど説得力があった。キッドマンは素晴らしい女優だけれど、やはり吊り上げたような顔は気になってしまう。後半であえて少し老けて見えるメイクを施してやつれたような表情をした時のキッドマンの方が自然で美しく見えた。ボトックスなどをやらずに自然と年を取ったキッドマンの姿でこの役を演じる所が見たかった・・・なんて叶わぬことを少し思ってしまった。
物語はとても壮大でありながら、実はシンプルな内容だ。しかしそれを運命や宿命に身を任せることで終わらせず、自ら運命の糸を手繰り寄せて人生を取り返したサルーの姿に感動する。「Google Earthを使って」というところが現代人の気を引くワードとして使われてしまっているけれど、この映画でより感じたのは、Google Earthの凄さよりも、便利なツールを目的と頭脳を持って正しく使うことの出来る聡明な人間の凄さの方だった。物語を機械的にはせず、人間の物語としてドラマティックな映画になっていたことに安堵しつつ、人間と人生そのものに対する愛を感じるとてもいい映画だった。