ある天文学者の恋文のレビュー・感想・評価
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気持ち悪いだけの話。
兎に角、設定が悪すぎる。
道徳心のない老人のエロい話だ。
女性が見てどう思うだろうか?
そもそも、スタントマンをやる女性を『カミカゼ』と称して、蔑視している所が腹立たしい。
この演出家の個人的な思いにとどめて置くべきな内容だと思う。
これでは、ヒットした他の映画まで悪く解釈をしなければならない。『ニュー・シネマ・パラダイス』も再度鑑賞する気にはなれない。でも、長すぎる編集の駄目な映画と判断した。
つまり、この演出家の作る映画は自己中心的な妄想映画と判断する。
見る価値も無い映画群だと思う。
美しい街並みと音楽、これだけでも観る価値十分
あまり話題にならなかった作品のようだが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品ということで、期待満々で鑑賞。
相当映像と音楽にはこだわって製作されたのだろう。そこはとても素晴らしい。
だだ、ストーリーとしては、ちぐはぐな印象。「カミカゼ」とかなんやかんやと余計なシーンが多く、その度に少々興醒め。往年の名シーンを彷彿させる「映像観ながら号泣」シーンも今回は滑ったか。名台詞も度々出てきたが、よくよく考えるとそうでもなかったり(笑)
自分の好みとしては、もっとすっきりとした展開の方が良かったかな。
役者さんの演技が合わなかったのか、言語の雰囲気が違ったのか、いずれにしてもちょっと残念だった。
とは言え、この監督の作品の雰囲気は大好きだ。大好きな監督の一人だ。
赤い封筒
凄~い
ここまで彼女の行動を読めるなんて
教授の彼女に対する
…愛が
想いが溢れてる
でも?これが本当にあったら
驚いてすこし怖い気もする
…僕の過ちは
君と早く出会わなかったこと…と
でも。短い時間でも出逢えたことは
お互いに幸せだった…はず
遺された彼女を想い
取った行動…
彼女にとって手紙や動画メッセージを
タイミングよく受け取れたことは
彼女にとって彼の愛情を改めて
知ることができたし
前に進むことができた
そこまで教授は彼女を導き
彼女の悲しみを最小限に
彼女のことだけを考えて…
最後は自分の本音を…
顔を見せずに後ろ姿を映し
最後のことば I love you
…を残して
エドの無償の愛
天文学者のエドは、自分の死を目前にして、やり残したことが二つあった。
一つは、エイミーの学業のサポート。試験や、卒論のアドバイスを行い、優秀な成績で卒業を迎えられるようにしてあげたい。
もう一つは、エイミーを心の傷から立ち直らせ、母親との関係を修復させること。若い時に、エイミー自身が起こした交通事故で、助手席の父親を死なせてしまったことを、エドにも言えずにいる。それが原因で、母親に長い間会うことなく、あたかも自分を痛めつけるために、危険なスタントの仕事を行っている(命をいとわないスタントだから「カミカゼ」なんでしょう)。そして、父親の面影を慕うように、年老いたエドのことを愛している。
だから、死んでからもエイミーにメッセージを送り続けることを決心する。エイミーが父親の死のトラウマを乗り越えられるように。そして、無事、大学(院?)を卒業できるように。そして何より、自分との愛に区切りをつけ、新しい出会いを受け入れられるように。(だから、ずれたタイミングで届いたメッセージは意図的にまちがえたのでしょう)
今夜見える星は何千年、何万年も前に放たれた光が届いている、だから今見えている星は、この瞬間には、もうなくなっているのかもしれない、という事実。また、宇宙は枝分かれするように複数存在するかもしれないという多元宇宙論。そんなモチーフから、ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、この物語を発想したのでしょうか。
かに星雲やカニが登場しますが、かに座は英語でキャンサー。癌もキャンサー。そのかに星雲は、超新星爆発で星の最後に明るく美しく輝いた後の残骸。悲しくも美しい残骸。すべては、この物語の暗喩です。
よく考えてみると、エドが仕組んだメッセージは、エイミーの行動をほとんど正確に読み当てて、タイミングも内容も完璧に構成してつくられたもの。そのストーリーを見ている私たちは、トルナトーレ監督に、心の動きを見透かされて、タイミングも内容も完璧に構成された映画を見ている、という『入れ子構造』。一筋縄ではいきません、この監督。
徐々に解き明かされていく想い
家庭を大切にしている天文学者エド( ジェレミー・アイアンズ )が、教え子のエイミー( オルガ・キュリレンコ )に惹かれていく経過の描写が無く( 二人の会話でのみ推察 )、彼の死後も彼の姿を追い続けるエイミーの心情に、今ひとつ寄り添えなかった。。
街並や楽曲は美しく、思いもよらず彼の死を耳にしたエイミーが動揺する姿にジンときました。
スタントシーンに驚かされました。
映画館での鑑賞
星の光
初老の大学教授と教え子の悲恋だから、正直醒めた気持ちで観始めた。いきなりのいちゃつきから入るからどーっと引いてしまった。進むにつれ企画、脚本の意図が読めてきた、氷解したのは1時間45分もたって論文「客星から超新星へ:死せる星との対話」が出てきてからだった、勘のいい人はタイトルでも察したろうし、52分頃のエイミーが望遠鏡を覗いているところへ届くメールで理解したかもしれない。私たちが見ている星の光は光速分遅れて届く、目にするときにはその星は存在していないかもしれない。星の光のごとく届く恋文やら励ましのビデオは星に魅せられた老教授の自己陶酔のアイデアだったのだろう。これが理解できないと変態ストーカーのミステリーになってしまう。あえて老教授の設定は死と事故で失った父への想いが交錯したものでしょう、これも事故のトラウマが語られて分かることです。
ロマンチックなだけでは娯楽性が薄いからとのスタントシーンでしょうかサービス精神は買いますが、主人公がやたらとパソコンを叩くのは情緒を削ぎますね。設定が飛びすぎで観客に分かりずらいと横やりが入ったのだろうか、いたるところでネタばらし的な状況説明が入ります、今度は説明的との批判でしょうか悲しげな犬や、枯葉の舞やハヤブサの飛翔など教授の霊が乗り移ったかのような抒情的なシーン、必然性のないヌードシーンと思っていたら最後は芸術作品という落ちも取ってつけたような言い訳に見える。推測ですがこういう作家性の強いテーマは外野が干渉せずに思い通りに創らせてあげないといけませんね・・。意外だったのは音楽がエンニオ・モリコーネさん、マカロニ・ウェスタンの代名詞にもなった音楽家ですがジュゼッペ・トルナトーレ監督と組むとノスタルジックに豹変しますね、水音を活かし音楽が出過ぎないところも秀逸でした。着想は買いますが巨匠をもってしてもロマンの実写化は難しいということが分かりました。
無理がある
教授と教え子の恋愛。
二人共凄く頭がいい設定なのだろうけど
会話で出てくる
ファンタジーのような会話が気持ち悪い。
娘さんも普通許さないでしょ?
色々とストーリーに無理がある。
島の映像は綺麗で
旅に出たくなった。
死んだと授業で聞かされたショックは隠せない。授業中にも「誰が僕の...
死んだと授業で聞かされたショックは隠せない。授業中にも「誰が僕の代わりに講義してるんだ?嫉妬する」などというメールが届いたのだ。家に帰れば花束と手紙。そして赤い封書の中にはエド(アイアンズ)が残したビデオメッセージのDVDも届く。
弁護士を訪ねてほしいというメッセージを受け取り、訪ねてみると、そこでも手紙をもらい、かつて2人が一緒に過ごしたイタリア湖水地方のサン・ジュリオ島なども巡る。別荘の管理人からもDVDを受け取ったり、とにかく用意周到なのだ。郵便配達人に尋ねてみると、配達日を指定し、すべて1月10日に発送を承ったという。
最期には学位論文も通り、みごと卒業したエイミー(キュリレンコ)。お祝いのメッセージとともに遺産として別荘を譲るという弁護士の言葉。そして別荘には最期のDVDも置かれていたのだった。
エドはかに星雲の形をした腫瘍で余命いくばくもないことを察知していて、すべてを計画通りにエイミーにメッセージを遺していたのだ。多分1月10日に。自分の死後のエイミーの行動パターンを読み切っているほど愛していたのもわかるし、そのサプライズにエイミーがどのように反応するかもしっていたかのよう。だけど、エイミーはまだ若いんだから、次の恋のことも考えてやれよ!とも言いたくなる。
エイミーがスタントマンの仕事もしているというのが印象的。彼女の父が自分の運転する事故のために亡くなったことで、同じシーンの仕事を断りたかったが、吹っ切れたかのように引き受ける。あまり、効果的ではなかったけど、印象に残る・・・
SFラブストーリー?
真綿でクビを締められるような恋愛劇。
すべては終わりから始まったのだ…本当にこれをされてしまったら普通は不気味だと思うんだけど、理系ロマンチスト同士…というか彼女が教授の死を受け入れる準備が出来なさすぎて、高いIQを無駄にフル活用したスパダリ演出を受け入れてしまっているのがなんとも皮肉。作品自体もそのあり方を優しく肯定しているように思える。でも、恋は終わってしまうんだよなあ…せつねえ〜。車外に飛び出した彼女を受け止めたクッションのように優しく、ゆっくりと、しかしまた死に別れる時を繰り返すのだ。「二度も死ぬことはない」それは、教授の事だったね。第二の皮肉は、教授はみっともない所を見せたくなくてビデオ編集したんだが、彼女が一番心動かされ(萌え)たのは闘病で老いさばらえた姿なんだな〜。風立ちぬとは真逆の「綺麗な姿だけ見て欲しかった」の演出。男女差かな。
星が死に存在しなくなった後も、その姿を見続ける。
映画「ある天文学者の恋文」(ジュゼッペ・トルナトーレ 監督)から。
どうしても、有名な天文学者とその教え子との恋愛に目がいってしまい、
不倫関係に嫌悪感を示す人も多いが、だからこそ、
この作品を通して、監督が伝えたかったことを探りたくなった。
ヒントは、主人公の彼女が書き上げた論文のタイトル。
「客星から超新星へ:死せる星との対話」
「客星」とは「常には見えず、彗星や新星など一時的に現れる星」
それは「星の不滅性」について触れている。
今現在、私たちが見上げている星の光も、
実はもう何年も、いや何億年前に死んでいる星の光かもしれない。
天文学者は、それヒントに、愛する彼女に対して
人間の世界でもどれくらい生きていると思わせることが出来るか、を
実行していたに違いない。
ちょっと長いが、彼女の論文の一部を何度も巻き戻しメモしたので、
書き記しておきたい。
「別の状況で間違いを恐れずに言うなら、天体物理学の歴史において、
宇宙に対する知識は「死ぬる星」の研究によって得られた。
星の最後に起きる大参事は、超新星爆発であれ、重力崩壊であれ、
極超新星であっても同様だが、それらによって理解できるのは、
星の不滅性というものは、想像を超えて遥かに不可解であるということだ。
数千億もの恒星の地球からの距離と、光の速度との関係によって、
星が死に存在しなくなった後も、その姿を見続ける。
それこそがまさに、星の悲惨な最後であると言える。
その姿が見えるのは、数世紀、数か月、または数秒間。
それは数十億年前に起きた、死の顕れ(あらわれ)なのである。
科学者の研究とは、もはや存在しないものとの対話である」
死んで、彼女の想い出に残るだけではなく、できることなら
いつまでも一緒に時を過ごしたい、と願う気持ちが伝わってきた。
星好きの私にとっては、ちょっぴり切ない映画だったなぁ。
自分の死を有効活用
ショック療法の様なものなのかな。
愛する人のために何かしてあげたいって気持ちからやったことなんだろうけどなんか嫌らしく思えた。いつでも止めていいよってなんかムカつく。
エイミーの家庭の問題の解決はエドが生きていたらもっと時間がかかったのかもしれない。それを半年で改善させたのは良かったのかも。エドとエイミーの関係が続くこともあまりいいとは思えない。
結果的にうまくいったからよかったけど。
エドの娘とある男性(夫?),エドの息子とある女性(ベビーシッター?)が揃って映るシーンがあります。もしシッターさんが母親だったらエドは本当に最低だけど、娘と息子だけがエイミー卒業式に来ていたことからシッターと判断。まだその点でエドを許すことができるかな。家族にとっていい父親だったとは言いがたいのだろうけどね。
犬はエドはそっくりに思えた。
ロマンティック・・・?いいえ、これは不気味。
親子ほど年の離れた不倫の恋が突然終わるのは、実は病と闘っていた男エドが何も告げずに他界してしまったからだ。途方に暮れるヒロインに、エドは数々の手紙とビデオレターとメールを予め用意し、その時が来たら彼女に届くよう手配していた。ヒロインのもとには、彼からの手紙が渡されるようになる。「P.S.アイラヴユー」にも似た設定ではあるけれど、これがこの映画の場合、ロマンティックというよりも不気味に感じられて怖くて怖くてたまらない。伝えたいことがあるなら手紙一通にまとめろよという考えが無粋だと分かっていても、ここまで手の込んだことをするくらいなら、自分が病気だと分かった時点で別れてあげる優しさだって、あったんじゃないのかな?と冷めた考えが過ぎる。男のエゴイスティックな自己陶酔ばかりが押し出されて感じられて。
生前から、彼女とスカイプしている最中に届くように贈り物をしたりとか、やたら手の込んだことをしていた男。マメな男は素敵だと言われるけど、ここまでマメ過ぎるとかえって怖いし、あまりに女慣れしていて既婚者がこれではちょっと・・・と私なら思う。物語が進むにつれ、彼女のスマホからメッセージ着信音が鳴る度にちょっと背筋が寒くなってくる。その上、ヒロインの隠していた過去まで探っていたなんて、うん、やっぱり不気味。ここまで不気味なら、いっそミステリー仕立てのサスペンス・スリラーにした方が面白かったのでは?
とは言え、この映画がエドからの手紙を通じて、「P.S.アイラヴユー」のような「死後も愛し続けるロマンティシズム」を描いているわけではなく、愛した男の死をヒロインが受け入れていくその過程を見つめているのは分かる。いかにしてヒロインが不倫の恋から目を覚まし、愛した男の死を乗り越えるかの葛藤がオルガ・キュリレンコから感じられて、そこは好感を持てた部分。キュリレンコがとても美しく、彼女を見ている分には悪い気はしなかった。ただ、このオルガ・キュリレンコが魅力的であればあるほど、彼女に手を出したジェレミー・アイアンズがただのスケベオヤジにしか見えなくなってしまうのはちょっとした皮肉だけれど。
「不倫でない」としても、共感はしにくい。
ずっと気になっていたのは、教授の家族構成だ。
妻は、出てこないということは亡くなっているのか?
ジェレミーと同い年の娘がいるのに幼い息子も?、歳の差は20歳はあるんじゃないか?
ということは、娘と息子とは母親が違うんじゃないのか?
そうだとしたら、二人の妻は今どうなっている?
ずっと気になっていた。
結局、それを匂わすこともなし。
強引な個人的結論。
前妻(娘の母)を亡くし、のちに再婚(息子の母)。その後妻とは息子を産んで間もなく死別し、その心の傷が深い時に、ジェレミーと出会う。
彼女の危うげな雰囲気とそれに見合わぬ知性に惹かれる。
事故(しかも自分の過失)で父を失ったばかりのジェレミーは、教授の理性とユーモアに、父性を求め、次第に恋愛感情へと発展していった。
・・・そうだったとすれば、6年ぐらい前から付き合いだした二人の関係に納得できる。それならば、教授も独身なのだから「不倫」ではなく「恋愛」になる。ただ、教授と教え子という関係、親子ほどの歳の差、そのあたりが世間的に非難の対象となるのだろう。
だから、僕としては、二人の関係には納得している。
納得できないのは、成人しているならまだしも、まだ幼い息子を顧みないことだ。いくつかの誤送信のなかに、息子への気遣いがあったことはみられた。だけど、間もなく死を迎えるのなら、家族へのケアが優先だろう。
そこら辺のモヤモヤを全部クリアにした状態で、はじめて恋愛物語として鑑賞する気分になれる。
さて、死んでからのジェレミーへのメールや荷物をどう見るか。
正直、気持ち悪い。しつこい。
死んだ後に彼女に知らせる細工は、彼女の心の傷を深くしないようにと考えた優しさなのか?
おそらく、あと数カ月の命の時点で告白することよりも、彼女に知らせずに死んでいくことの方がダメージが少ないと思ったのだろう。立ち直りも早いと思ったのだろう。
だけど、それでも死の間際を共に苦しみ乗り越えたいと思う方が、愛する人への感情としては自然ではないか?
あれでは、まさにエゴ丸出しの「ゲーム」と非難されても仕方がない。死後のメッセージは、せいぜい2つや3つ。それ以上はまるで亡霊だよ。
星の消滅と自分の死を重ね、死後もまお輝きを届けるという主題はわかるが、その手段に共感はできなかった。
ただ、あの島は綺麗だったな。
死者による力
死が近づいている初老の男が、恋人に残した膨大なメールやメッセージ。彼の死後、彼女は彼からの恋文に力づけられて、大きな功績を残しました。
ほとんどの人は彼女の様に、死者からのメールやメッセージを受け取ることはできないと思います。
例えメールやメッセージが無いとしても、死者の言葉を思い出すこと、死者の考えに思いを馳せることはできます。死者の存在を感じることで、生きる者は思いもよらない力が出ることがあるのではないでしょうか。
人は死んだら、終わりという訳ではありません。
死者は残された生者の力になることで、死んでもなお今を生きることが出来るのです。お空の星になることは、生者がいつまでも死者を必要としているからなのです。
後味がいい
途中で「エド10人」のカラクリがわかって、それから彼女がそれに気付くまで涙が止まらなかった。
エドはエイミーが一度説教を受け入れず、エドとのやりとりを切ることをわかっていた。そこまで全部予測してた。だから、エドの訃報がエイミーに届く前最後のメッセージで「僕が直接行けなくても残りのエド10人がかりが何とかしてくれる(うろ覚え)」的なヒントを残したんだと思う。誰でもない、エイミーにしかわからないところに。
作中でも言ってたけど、「こんなに1人の女性を愛する人はいない」…本当にその通りだと思う。自分がいなくなった分の彼女の心の喪失を、自分自身で埋め、むしろ生前よりも、心を満たした。素敵だなあ、
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」と少し構成が似てるんだけど、あいかわらずこの手の話に弱いと再認識した笑
最初の言葉
まだ私に話していない秘密
エドは生身のエイミーに会うのはこれが最後と知っていた。
エイミーの人生の重荷を少しでも軽くするために、聞いていた言葉かもしれない。
愛する人ともっと共に時間を過ごしたかった
人生の最期が見えてきた時、そんな事を思うのですね。
天文学教授エドと学生エイミーの秘密の恋に、出張中のエドの急死という...
天文学教授エドと学生エイミーの秘密の恋に、出張中のエドの急死という突然の訃報で終止符が打たれるが、悲嘆に暮れるエイミーの元に毎日のようにエドからの手紙が届き続ける、というミステリアスなお話。前作『鑑定士と顔のない依頼人』で身の丈知らずの歳の差恋愛に対する手痛い仕打ちをメランコリックに描写したジュジェッペ・トルナトーレ監督の次の一手は・・・今ひとつ腑に落ちず。
ミステリアスな雰囲気はいいですが、後出しジャンケンもしくはご都合主義的な展開が連打された後こちらが想像するあらゆる結末を軽々と越えて着地する境地は正直全く納得できません。しかしながら終始健気にエドを想い続けるエイミーを演じたオルガ・キュリレンコは大変美しく、フィルモグラフィがスパイ映画ばかりのジャンル女優からの脱却には成功したとは言えます。
傲慢な男が綴った、終止符を打つための恋文
秘密の恋人から、当人が亡くなった後でも届くメール、手紙、ビデオレターに贈り物。
鑑賞中は、惜しみなく与えられる愛の言葉に涙腺も緩くなったものだが、頭の片隅ではずっと「身勝手な男だな」と思っていた。
不倫男の典型というか、妻や子供、社会的立場、自分の持つものはなにひとつ捨てず、そのくせこれがどれほど純粋な愛であるのかを恥ずかしげもなく説く。
降り注ぐ恵みの雨のように愛してると繰り返されれば、そりゃあ女は絆されるって。
こんな風に死後も恋人の心を捉え続けようとするなんて、ずるい男の人だなあ、と。
けれども話が進むにつれ、教授の娘やタイミングを間違えたメール、編集前のビデオ、そういったあれこれから、死してなお恋人の心を捉え続けることに執着した男、という印象が薄れていった。
と同時に、主人公の中にも少しずつ「さよなら」を受け入れる準備ができていったように思う。
死にゆく教授は愛しい恋人を手放す準備、置いていかれる主人公には別れを受け入れる準備というか。
まるで本当の魔法のように送られてきたメールや手紙が全て人の手でなされていたことだということが明らかになり、魔法使いはただの恋に狂った男に戻り、恋人に愛の魔法をかけながら自らそれを解いていく。
自分のコネクションをフル活用して周りを振り回した男の行動は決して褒められたものではないけれど、残された主人公には必要なことだったのかもしれないな、と最後には素直に思えた結末だった。
窓にくっついた枯葉、主人公から離れようとしなかった犬、車窓に寄り添うように飛び続けた鳥、そのどれもが魔法使いが差し向けた愛の使者のように見えるのがとても印象的。
私が翻訳者だったら、最後のIloveyouは「さよなら」と訳したかもしれない。
全24件中、1~20件目を表示