「愚行ドミノ」愚行録 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
愚行ドミノ
情けは人の為ならず。他人への善き行いがいずれはまわりまわって自分に帰ってくるという諺。これを描いたのがハーレイ・ジョエル・オスメント主演の「ペイフォワード」という作品だった。
オスメント演じる主人公が三人の人間に親切な行いをする、その親切を受けた三人がそれぞれまた三人に親切を行う。それが延々と続けば世界中の人々が幸せになり、そして最初に親切にした行いが自分にも帰ってくるという理想を描いたお話。
ではこの逆はどうだろうか。一人の人間が自分の利益のために他人を利用して傷つける。傷つけられた人がまたほかの人間を傷つける。これが延々と続けばやがて最初にした行いが自分に跳ね返ってくるのではないだろうか。
主人公で雑誌記者の田中武志は一年前に起きた一家惨殺事件の再取材を試みる。おりしも彼の実妹の光子が保護責任者遺棄の罪で逮捕された時期でもあった。
知人友人から聞こえてくる被害者夫婦の評判はけして良いものではなかった。夫婦の共通点、それはともに庶民の出であり、そしてこの社会で自分が幸せになるためであれば平気で他人を利用し傷つけて生きてきたことである。
ただ、彼らのしてきたことは見ていて不快なものではあるが、殺されるほどの悪行とまでは言えなかった。
これは不幸なめぐりあわせだったのかもしれない。事件は妻の友希恵に利用されて嫉妬心や絶望感で心が壊れてしまった光子による犯行だった。それはけして許されるものではないし、彼らが光子によって殺されて当然だとはとても言えないだろう。
ただ、ペイフォワードで描かれた理想社会とは真逆の社会をどうしても想像してしまう。日々行われるたわいもない愚行、それらは一つ一つは些細なものかもしれないが、それらが積もり積もればどうなるのだろうか。誰もが他人を押しのけ自分だけが幸せになればいい、他人を利用し自分だけが勝ち組になれればいい、そんな世知辛い世の中で、ただ利用され傷ついた人の心はどうなってしまうんだろうか。不幸な生い立ちを持つ光子の体にまといつく無数の手、それはやがて彼女の体を覆いつくし地の底へ引きずり込もうとしてるかのようだった。
誰もが子供の頃一度はやったドミノ倒し。ドミノの力は実はすごくて並べれば並べただけ力は増幅する。ピンセットでつまむような小さなドミノから順にサイズを大きくして並べれば大人のサイズくらいのドミノを倒せるまでに。これがもし延々と続けばそれはビルをも破壊する力にまで増幅するという。
自分の最初の善行が世界に波及し、やがて自分に帰ってくるように、自分の行った些細な愚行がやがてこのドミノ倒しのように悪意が増幅されて自分に帰ってくるなんて想像したら恐ろしい。
世界中で殺人や戦争が途絶えた時期は人類史上いまだかつてない。もしかしたらこんな愚行ドミノによって増幅された悪意が殺人や戦争を引き起こしているのかなんて考えてしまう。
延々と続く愚行ドミノ。こんな負の連鎖が途絶えることのない社会は悲しすぎる。ただ、作品冒頭でバスの席を譲れと言われた武志はラストで自ら席を譲る。
これは延々と続く負の連鎖を止められることを示唆したものと解釈すればいいのだろうか。妹の罪を隠すために殺人を犯してしまった武志は自分の罪を償いこの愚行ドミノを止めることができるのだろうか。
こんばんは♪共感ありがとうございます😊
ラスト数行の武史のバス内での行動、冒頭→妹の事を知る同級生を探り殺そうと頭の中で自分をその気持ちに高める。
終わり→事を済ませ普段の人間に戻る。と考えることも?
善人が出て来ない作品、でも武史光子兄妹も、生まれるところが違えば善人だったかも🦁