ジュリエッタのレビュー・感想・評価
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普通をのひとを普通に描く新境地
スペインきっての変態監督だったのが、いつの間にか女性映画の巨匠扱いされるようになったアルモドバル。確かに文芸路線、キレキレの珍作、その折衷的作品とどっちの側にも足をかけて活動しているが、女性の生き様を描くにしてもどこか飛び道具のような展開や描写をブッ込んでくるのが通例だった。
ところが今回、軽く新興宗教めいた自己啓発セミナーが絡んできたりはするが、あくまでも普通の女性の半生を、突拍子もない要素に頼ることなく描いている。なんなら近所を歩いていてもすれ違っていそうな女性の物語だと思う。
物足りないという人もいる気がしつつ、アルモドバルらしいちょっとねじれた表現はあちこちに散りばめられているし、本人らしさを失わずに新境地にたどり着いた普遍的なメロドラマではなかろうか。
過去と現在でジュリエッタという人物を形作る
主人公ジュリエッタは奔放で自由な人だ。しかし中身は誰かに支えてもらわないと生きられない弱い人だ。
列車で出会った男性の死に、自分のせいだと罪の意識を感じてしまう過剰な繊細さも持ち合わせている。
列車の男性の死の後、夫と出会い支えてもらい、夫の死の後、娘に支えてもらおうとした。
夫(父)の死に悲しむ気持ちは同じで理解できても、それ以上のことが分らなかった娘は、過度にふさぎ込む母親に耐えかねて家を出ていくこととなる。
列車の男性の死に罪悪感を感じたように、夫の死にはそれ以上の罪悪感を感じたに違いない。
娘がいなくなったあとはおそらくアバに、アバが亡くなってからは新しい恋人であるフランクにそれぞれ支えられてジュリエッタはなんとか生きてきた。
悲しみは癒えても罪の意識は消えない。誰かにそばにいてほしい。本当はそれが娘のアンティアであってほしいのだ。
ジュリエッタの娘には子が3人いるという。一番上の息子は亡くなったらしい。
息子の死の詳しい状況は分からないが、まだ幼い息子を亡くした母親が自分のせいだと感じることはままあるだろう。
このとき、ただ死を悲しむだけではない押し潰されそうな罪悪感をアンティアは知る。
ジュリエッタが娘アンティアに向けて書く手紙という形で過去を振り返っていく構成は中々見事だ。
娘はなぜいなくなったのか、を焦点にジュリエッタという人にフォーカスしていく。
映画はキャラクターの人生に寄り添うものと誰かが言った。
観ている誰にでも当てはまりそうな普遍性もいいが、ジュリエッタとアンティアだけの特別さもまた興味深いのである。
入れ墨は『A/J』を『アンティアとジュリエッタ』?
ギリシアが大事にしたのは『ポントス』つまり、黒海。今も昔も変わらない。
男目線な俯瞰野郎の目線だと断定できる。突っ込みどころが多すぎて、レビューを書きたくなくなる。そんな作品だ。
ショアンはJoanだと理解すれば分かる。また、新興宗教じゃない。カソリックである。また、幼なじみでは無い。L若しくはBであり、この演出家はこの自立した母親と愛を求める幼なじみを否定的に捉えている。つまり、男目線の古い価値観の寓話に過ぎない。
【一人の若き孤独だった女性の罪と大いなる報いを、切ないトーンで、アルモドバル監督が色鮮やかに描き出した作品。】
ー スペインのマドリードでひとりで暮らす55歳のジュリエッタ。ある日、古い知人の女性から、一人娘のアンティアをスイスで見かけたと聞き、ジュリエッタの心は大きく揺れ動く。
アンティアは12年前に何も言わずに家を出ていったまま、音信不通となっていて…。ー
■若きジュリエッタの罪
・列車で一緒になった意識不明の奥さんがいる漁師ショアンとの弾みでの情事。
・更に、ショアンの奥さんの葬儀の翌日に彼と情交を交わす。一夜限りの関係だった筈なのに。
・ショアンとの間に出来た娘、アンティアに夫との関係をキチンと話していなかった事。
・嵐の日に、海に出たショアンは帰らぬ人になり‥。それについても、真実をアンティアに話していなかったジュリエッタ。
・そして、突然いなくなったアンティア。12年間も音信不通だった彼女からの手紙に記載されていた事。何とも、ほろ苦い物語である。
<若きジュリエッタをアドリアーナ・ウガルテが。中年になったジュリエッタをスペインの国民的女優、エマ・スアレスが演じる。
アルモドバル監督が上記の内容を、抑制したトーンで淡々と描いた作品。
ロッシ・デ・パルマは、容姿が余り変わらないなあ・・。>
スペインの海
スペインの巨匠アルモドバルを知ってるか
と誰に問われたわけでもないけど
「トーク・トゥ・ハー」が良かったから
(いや、ピナ・バウシュが良かった)
これはまぁ普通…
(若い頃とその後の二役にちょっと違和感)
「“罪悪感”は感染する」…一人の母親の行動・見聞・内面だけを描くことで娘の内面も描き出す新境地
①アルモドバル監督にしてはストレートな劇だと思ったらやはり原作ありきだった。②母親が知らなかった娘の言動が顕になるところはあるが、サプライズというほどではなく、殆ど捻りのないストーリーで、これまでのアルモドバル監督の作風とは一線を画している。③ただ、現在の娘は一度も画面には出てこない。しかし、母親の回想、母親の今までの人生を描くなかで徐々に娘の心の軌跡が観るものに伝わってくる。これまで、個性的な人物達の群像劇を描くことを通して何かを表現してきたアルモドバルにとって新しい表現法ではないだろうか。④演出はさらに円熟味を増している。ここで実験した一人の人間の過去・現在にフォーカスを当てる手法に、かつアルモドバル本来のテイストも加えた物語を円熟味をました演出で描くことで「ペイン・アンドロ・グローリー」という傑作が生まれたのではないだろうか。⑤しかし、演出の手法・方法は違っても、途中の展開が予想不可でも、全てのアルモドバル作品は最後に何らかの救いがある点では一貫しているとは思う。⑥蛇足:過去のジュリエッタを演じる女優、現在のジュリエッタを演じる女優、どちらも美しく魅力的なのが大変宜しい。
相変わらずの圧倒される母子愛の物語
人間の微妙な機微がひしひしと伝わる、そんな描き方で心に直接語りかけてくる。
情熱的な想いも、優しく見守る心も、密やかな嫉妬も、執着も。
人間らしさ丸出しでいて細やかな表現、洗練された色づかい。
1つ画面を切り取ったって、その表現の豊かさがわかってしまう。特に背景の色と人物の感情がリンクしてる瞬間などは見事だ。
センスが良い監督作品などを観ていると、あれっ!アルモドバルっぽいって感じる事がある、どれだけの映画監督達が影響されたんだろうと思う。
他と比べる気などさらさらないのだが、結果的に他の作品を忘れるほどに惹きつけられてしまう。
毎回そんなだから、私にとって見逃してはいけない監督なんだろう。
アルモドバル
中年となっていたジュリエッタ。12年間娘と離れて行方知れず。すぐにでも会いたいと娘アンティアへの想いを綴る。
アンティアの父親となるショアン(グラオ)と出会ったのは列車の中。その直前に席が一緒になった目つきの悪い男が自殺したことで、罪悪の念と寂しさから2人は結ばれた。ショアンは漁師で既婚者だったが、妻は5年間意識不明のまま。やがて妻が死んだときにジュリエッタを呼んだのだった。娘アンティアが産まれすくすくと育ち、9歳になったときに湖畔へキャンプへと向かったのだが、その間、嵐の中を漁に出たショアンが死んでしまう。ショアンが嵐に出たのはジュリエッタと喧嘩したときだったとアンティアは知り、母との距離をおくようになったのだ。
どことなく淡々と描かれるジュリエッタの過去。それでも惹きつけられるのはアルモドバルの腕なのだろう。
人生を考える
話のテンポがよく、どんどん進んでいく。スペインの町並みや人々が当たり前に写し出され、フリエッタの人生も誰にでも起こり得た物語としてすんなり主人公に感情移入できる。
ただ、何でも起承転結の激しい推理小説やハリウッド映画ばかり最近見ているせいか、最後がなんだかあっけなかった。
アゲハチョウ
アルモドヴァルであるからには、もっと背徳的なエロスを期待したのだが、その辺はかなりソフトである代わりに、背景のサイケデリックな色調は終始表出されており、やはり彼の映画だなと妙に納得する。
それにしても、ラテンヨーロッパの女優さんの美しさには、古今ゆるぎないものを感ぜざるを得ない。日本女優の美しさが高山植物やモンシロチョウであるのに対して、やはりゴージャスなバラであり、アゲハであると思ってしまった。
共感力
子供を産んだことがないのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
娘に会いに行くシーンに、どうしてこんなに胸が詰まるのだろう。
子供を失っても、子供を亡くしても、子供が居なくても、子供が居る居ないに関わらず、全ての女性に備わる「共感」という感情。
感情を露わにする女達。感情で生きていることを表現する女達。アルモドバルの持つ共感力が、フィルムに乗り移り、私の魂を揺さぶりにかかる。
だからこそ、アルモドバルはこれほどまでに沢山の女性から支持されるのだと、改めて思う。
今までの作品のイメージとは チョット違ったけど これはこれで 監督...
今までの作品のイメージとは
チョット違ったけど
これはこれで
監督さんらしいかも...
悪くなかったです‼︎
あの家政婦さんの顔が怖い〜
雄鹿カワユス〜
これが
2016年ラストの映画になりました‼︎
マドリードで暮らすジュリエッタは恋人とポルトガルへ引っ越す準備に追...
マドリードで暮らすジュリエッタは恋人とポルトガルへ引っ越す準備に追われていたが、ある再会がきっかけで過去の自分と向き合う決意をする。
現在、過去、現在で古典の先生、奥さん、娘、母親、彼女と様々なジュリエッタが居て過去に何があったのか鮮やかな色彩と美しい光景と共に引き込まれました。
ジュリエッタを2人の女優さんが演じていますが、入れ替わるタイミングも見事。
女性映画の巨匠が描くジュリエッタはとっても興味深かったです。
重苦しい内容にも関わらず、やはりこの監督の作品にはいつも感心させら...
重苦しい内容にも関わらず、やはりこの監督の作品にはいつも感心させられます。そんなに難しいものではないけれど、決して単純でもない人間の感情を淡々と描いて、見ている側の心にすっと入り込み、うーんと小さく唸りながら席を立つ。そんな感じです。
アルモドバル映画あんまり見たことない人には十分
映画批評には結構賛否両論だが、
アルモドバル好きな人の期待過ぎじゃないかなと。
確かにコメントの通り時間を置いて再考する必要があるかも!
中年のジュリエッタ役はその心弱さを演じ切ったとも言えるだろう。娘アンティアが髪の毛を拭いてくれるシーンは衝撃的だった。
親子関係について繊細な描写で色々考えさせられる。まず親に対する子の執拗。娘に「捨てられる」女主人公は悲惨な三年を過ごしたが、彼女もまた自分の父をも責めている。妻は病気で眠ってる男と結婚したのに、父の再婚は許せないと。
一方で、親はどんなことあっても子のことを思っている。ジュリエッタは三年間娘の誕生日を祝う。特にここでケーキを食べずに捨て、娘の痕跡のないところに引っ越すなど、母としての心理感情を丸ごとに出した。また、再婚した父はジュリエッタにも電話する。
そして、罪悪感も一つの糸となる。女三人とも罪悪感を持っている。特に列車で一人の男が自殺したことも、全体的にはどんな役かよく分からないが、一種の解釈はあの時にもジュリエッタには罪悪感も生じた。人が死んだのは自分のせいだとー
心細いところが見える。
娘の気持ちもよくわかる。一回家に帰って真相を知ったむすめは相変わらずジュリエッタの世話を見続ける。それは自分にも罪悪感を感じる娘は鬱病のある母への最後の親孝行だろう。自分をも母をも許せない娘もずっと我慢していた。それで修行に行って信仰を見つけて母から離れたのだ。
でもこの映画で彼女は娘の家出で立て直せなくなったのが最も悲劇的だろうが、これもまた彼女は自分の父と違って全ての希望を娘に託した原因だろう。最後に自分の幸福を見つけた時点で、不幸から抜き出したのだろう。
ここで考えたいのは娘が母になるとようやく母の気持ちがわかるようになったが、結局ジュリエッタはじぶんに自分の父の再婚を理解できたのだろう。
最後はいいエンディングになってると思うけど....
見終わったら少し重い思いをさせられたのは確実。
親心、子心。
久しぶりに観たアルモドバルの新作は、長らく観てきた者には
確かに物足りなさが残るけれど母親の情念は深く描かれている。
親の心子知らず。だし、子の心親知らず。なのだ、しょせんは。
それは本作のヒロイン、ジュリエッタのせいではなく自然現象
ともいえる行い(自立を含めて)に近いような気がする。反抗心
を抱いた子供は親の感知する行動などとらない。理解しがたい
うえに突拍子もない選択をする。あー思えば自分だってそうだ
ったじゃないか。と振り返る日々がジュリエッタを成長させる。
若くして結婚、伴侶を失ったうえ、深い悲しみから精神を病み
いまやっと理解できるパートナーと巡り逢い幸せをつかもうと
しているジュリエッタだが、やはり娘のことが気がかりで仕方
ないのも親の役目。逢いたい、抱きしめたい、話を聞きたいと
思うのは当然。そして自身のために家を出たのであろう娘も今
母となってその深い愛を知る。いい親子で普通じゃんと思うが、
困難に見舞われている状態では自分の居場所が見えないものだ。
ジュリエッタもアンティアも頑張ったのだから幸せになってよ。
(常連ロッシ・デ・パルマの家政婦役が最高。やや老けメイク?)
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