「何度でも叫びたくなる「最高」と」SING シング うそつきカモメさんの映画レビュー(感想・評価)
何度でも叫びたくなる「最高」と
はじめに言っておきたい。
過去最高クオリティの日本語吹き替え版だった!と。
これまで、海外でヒットした作品の日本語吹き替え版のやりすぎ感にはさんざん失望を味わってきた。
「ズートピア」「ファインディング・ドリー」この2作に象徴される日本語吹き替え版との失敗例は
・「アナ雪」という成功例をひな型に、硬直化したアイデアしか生まない。
・製作費に限りがあるために、基本的にはギャラの安い声優を中心にキャスティングされるが、主役級のキャストには人気先行型のタレントが起用されることが多い。結果、どうしても借りてきた猫のような異質感が払しょくできずに演技面で大きな不満を生む。
・主題歌、劇中歌の扱い。これがひどすぎる。日本語吹き替え版専用に劇中歌がねじ込まれ、完成度の低い楽曲にがっかりさせられる。
・日本語吹き替え版限定で、ストーリーの大胆な改変。「ズートピア」レポーター役の狸のキャラクター(演じるは芋洗坂係長)は日本オリジナルだとか。「ファインディング・ドリー」では、海洋博物館の花形アナウンサーに八代亜紀がキャスティングされ、なんと劇中で八代亜紀を名乗るという摩訶不思議な世界観。これはディズニーランドに鬼太郎がいるような痛々しさだった。さらにはエンディングの「アンフォゲッタブル」も(なぜか英語で)彼女が歌うという、冒涜にも近い改変が行われ、子供たちはともかく、親世代は何とも言えない残尿感を感じたはず。だったらオリジナルのままでいいじゃん。
そもそも、日本語吹き替え版の使命は、小さい子供でも字幕を見ずに映画を理解できるという大前提にあるだろう。それによって親子で見に行けるので興行成績が伸びるという利点がある。看板の文字がさりげなくカタカナに代わっていたり、マイルやガロンなどなじみのない単位が変換されていたりするのは、大いに結構だと思う。
どこまでやるべきか、どこまでやったらやり過ぎかの線引きが、現地の映画著作権管理のチームとこっちサイドの吹き替え版製作のチームでうまく調整できずに、ここ数年は明らかに「やりすぎ」の部類に踏み込み過ぎていたのだろう。
さて、「SING」である。
素晴らしかった。
MISIAの歌。大橋卓也の歌。芸達者の山寺宏一の歌。
内村光良の吹き替え。
長澤まさみも、「君の名は。」ではひどかったが、今回は歌も含めて上出来だろう。
タイトルロールにしっかりと彼らの名前がクレジットされている。
キャスティングの時点から、本気なのが伝わってくるではないか。
歌の、日本語歌詞もじっくり時間をかけて練りこまれたようだし、歌に感動して泣けるなんて、本場のミュージカルを見たような感覚だ。
準備段階から、歌録りまで、とにかく本気で取り組んだ様子がありありで、今回日本語吹き替え版に関わったすべての人たちに快哉を叫びたい。
そして、願わくば、今後の海外作品が、このクオリティを保ったまま公開されますように。
もちろん、字幕版も素晴らしい出来なのは間違いない。近々見に行くつもりだ。
2020.9.3