「One of キャラクター映画」マイティ・ソー バトルロイヤル 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
One of キャラクター映画
まず邦題からもの申したい。
もちろん「マイティ・ソー」は原題も邦題もいっしょだが、なぜ原題の「ラグナロック」を「バトルロイヤル」にしたのか?
内容から見るにどう考えても「ラグナロック」が正しい。
「ラグナロック」で意味が通じないなら日本語に当たる「神々の黄昏」で構わないはずだし、「神々の黄昏」の上にカタカナでラグナロックとルビを打つ方法もあったはずである。
ソーが惑星サカールに流されてハルクと対戦する話は明らかに傍流である。
本作で登場するテッサ・トンプソン演じる女性戦士ヴァルキリーはドイツ語のワルキューレ(ヴァルキューレ)の英語読みであり、ワーグナーの4夜連続の長編オペラ『ニーベルングの指輪』の最終(第3)夜のタイトルが『神々の黄昏(ラグナロック)』である。
実際内容は神々の居城であるヴァルハラが炎上して物語は終わるので、本作はそれを踏襲してアスガルドが炎上して終わっている。
なお本作でのヴァルハラは死者の眠る場所として会話の中で登場している。
また本来のヴァルキリーは戦死した勇者の魂をヴァルハラに迎え入れる役目を担い、実際には9人(8〜12人の説もある)の総称である。
日本でもアニメの『超時空要塞マクロス』で活躍するロボットの名称に「バルキリー」が使用されている。
いずれにしろ知識不足なのか興行を見込んでなのか、どのような意図があるのかわからないが、「バトルロイヤル」という副題はまったく本作の本題からずれている。
邦題の付け方にセンスと内容理解度の双方を一切感じなくなった映画が増えて久しい。
元々は小説の題名ではあるが、『Gone With the Wind』を『風と共に去りぬ』と名訳したような邦題にはもはや巡り会えないのだろうか?
本作は言うまでもないが「マーベル・シネマティック・ユニバース」と銘打たれたアベンジャーズ・シリーズの1つであり、『マイティ・ソー』シリーズでは3作目に当たる。
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の後、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でメンバーのその後が描かれたが、その中に登場しなかったソーとハルクの後日潭でもある。
『ロード・オブ・ザ・リング』ではガラドリエルというエルフの中でも有力な光の化身のような役を演じていたケイト・ブランシェットが、本作では全く正反対の悪の化身ヘラに扮しているのも面白い。
浅野忠信演じる「ウォリアーズ・スリー」のホーガンがヘラに殺されて残念だが、あっさり殺された他のウォリアーズ2人よりは見せ場があった方だろう。
またソーがサカールで会った全身石でできたエイリアンのコーグは本作の監督であるタイカ・ワイティティが演じているようだ。
生き残ったアスガルドの住民を引き連れてソーが地球に移住して物語の幕は閉じるが、この後『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』にどうつながっていくのだろうか。
ソーとハルクはもちろんだが、本作で活躍したロキやヴァルキリー、ヘイムダル、コーグも登場するのだろうか?
父親のオーディンよろしく右目に眼帯をはめるようになったソーだが、右目は回復するのか?
劇中で壊れた残骸は質量を感じないほどショボいものであったが、はたして鉄槌ムジョルニアはもう復活しないのか?など気になるところではある。
またどう考えてもヘラも死んでいなさそうな終わり方だったので、いずれどこかで登場するのか?など例によって伏線は張りまくりの終わり方である。
シリーズで新作が制作されるごとにCGであったりセットや小道具はどんどん進化しているように思えるが、それと反比例するように中味がスカスカになっていくのは気のせいだろうか?
また本作は1つの映画としては他のシリーズ作品を観ていないと理解できない酷い代物である。
シリーズかどうかも定かでないものをあれもこれも観なくてはいけないのはまともな映画の制作方法とは思えない。
はっきり言って邪道である。
とはいえ本作は言ってしまえば単なるキャラクター映画なので、目くじらを立てるほどのこともないのかもしれない。
正直筆者の最近の「マーベル・シネマティック・ユニバース」の楽しみ方は、映画は惰性で観ているので最早中味はどうでもよく、新しいシリーズ作品の公開にともなって「S.H.フィギュアーツ」というバンダイの可動フィギュアのブランドから発売される新商品の造形力が進歩するのを目にすることである。