「世界観ブチ壊しでいいのか?」スター・ウォーズ 最後のジェダイ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
世界観ブチ壊しでいいのか?
2D 字幕版を鑑賞。STAR WARS シリーズは,オリジナル・トリロジー(旧三部作)と呼ばれる Ep IV〜VI が 1977 年から3年おきに作られ,プリクエル・トリロジー(新三部作)と呼ばれる Ep I〜III が VI の 13 年後の 1999 年から3年おきに作られた。これに対し,III の 10 年後から始まったシークエル・トリロジー(続三部作)と呼ばれる Ep VII〜IX は,間隔が2年おきに短縮されており,2019 年には Ep IX の公開が予定されている。公開の間隔が縮んでいるのは,ファンには有難いことのように思えるが,脚本の練り上げに時間が足りないのではないかという危惧を感じた。今作は,上映時間もシリーズ史上最長なのだが,必ずしも良い方に機能していなかったと思った。
10 年ぶりの Ep VII の監督の J.J. エイブラムスは,ファンの期待に十分応えた続編を提供して,全米興行収入の新記録を樹立して見せたが,今作の監督は,長編映画の監督が4作目という新人でありながら,脚本にも参加しており,ある意味このシリーズの世界観を塗り替える設定を数多く盛り込んでいる。ヴィジュアル的には申し分ない映像が連続し,見ている間は非常に楽しめたが,見終わって時間が経つほど不満が次々と噴き出してきて,まるでエイリアン2で必死で助けた人物を台無しにしてくれたエイリアン3の冒頭を見たときのように腹が立ってきた。
まず,前作であれほどの思いをしてレイが届けたルークのライトセーバーを,ルークがどのように扱ったかについて,冒頭から呆気にとられた。客席からは笑いが聞こえたほどである。この態度を含め,ルークがなぜあのような態度を取り続けたのかについて,カイロ・レンとの間に隠れた物語があったという話になっており,その一部は映像でも示されるのだが,全く納得できない話であった。あのような隠れた物語があったのであれば,ルークはむしろ全く逆の態度をレイに示す方が自然だったはずである。
まるで,永平寺に入門を希望する者に対して,本気度を試すために半日以上放ったらかしにされるというような儀式的な手順を踏襲しているだけのように見えて,非常に釈然としないものを感じた。長い上映時間の大半を占めるのはアクションシーンでなく禅問答のようなシーンであり,何の説明もなく繰り広げられる超能力のあれこれは,全てフォースのおかげという一言で片付けられてしまっていた。また,フォースは特定の家系が遺伝的に継承するものではないという話が突然のように展開されているのだが,これはこれまでのシリーズの流れを完全に覆えすものであり,ファンであるほど許せない話ではなかろうかと思われた。
カイロ・レンは,これまで出てきたキャラクターの中で,ジャー・ジャー・ビンクスと同等のウザさしか私は感じられない。前作でも必要のないマスクを冠って幼児性を見せていたが,今作ではそのマスクさえ意外な結末を迎えてしまったのも何だかなと思った。前作のフィギュアを大枚叩いて買った人がいたら涙目ではないだろうかと,他人事ながら心配になるほどであった。彼の乗るタイ・ファイターもダース・ベイダー機のような特別仕様であったが,見た目の不恰好さは,まるで彼そのものの出来の悪さを体現したかのようなデザインだった。
カイロ・レンについては,両親と修行過程の一部がこれまでに語られたことになるが,それを総合しても,何故あれほどの出来の悪い人物が出来上がってしまったのかという納得できる話を組み立てるのは到底無理だと思われた。さらに,前作で何故実の父にあのような振る舞いをしたのかについての理由も全く不明なままである。この不満がこの先回収されることはあるのだろうか?
Xウィングのパイロットも,全くの独りよがりで嫌になった。爆撃機部隊をあんな目に遭わせておいて英雄気取りだというのだから,完全に精神異常なのではないかとしか思えなかった。現実の戦闘部隊にあんな兵がいたら,軍法会議で死刑にされる事案ではないかと思った。レジスタンス軍をあそこまで悲惨な状況に追い込んでしまっては,この先どういう理由をつけて復活させる気なのかと次回作に不安を覚えた。
レイヤ姫を演じたキャリー・フィッシャーは,公開前に亡くなってしまったが,出演シーンは全て撮り終えた後だったらしい。本作ではレイアにも生命の危機が訪れるのだが,そのシーンと結末には唖然とさせられた。世界観を台無しにするあんなシーンがこのシリーズで出てきてはダメだと思った。こんなシーンに OK を出したディズニーの執行部は,きっと,儲かりゃいいという暗黒面に落ちた連中ばかりなのだろう。
ルークは,Ep IV では陽性のキャラだったはずなのに,何故このような人物になってしまったのかというのが何より不満であった。ルークが見せた究極の技もまた,従来のシリーズに一度も出てきていないとんでもないもので,これが使えるならオビ・ワンも Ep IV であんな結末にならずに済んだのではないかと思った。
数々の裏切りとでもいうべきシーンの連続にほとほと呆れたが,ジョン・ウィリアムスの音楽だけは裏切らなかった。40 年前にタトゥイーンに沈む2つの夕陽の見えるシーンで奏でられたルークのテーマは,その魅力を全く失うことなく,本作でも非常に重要なシーンで流され,要所をビシッと決めただけでなく,オールドファンの感涙を誘っていた上,新たな登場人物にもそれぞれ魅力的なライトモチーフが与えられており,創作力の旺盛さには敬服を禁じ得なかった。ウィリアムスがこのシリーズにおいて果たした貢献度は計り知れず,後世において,彼はワーグナーと並び称されるに違いないと個人的に思っている。
シークエル・トリロジー2作目にして,また重要な登場人物に去られてしまうことになった訳だが,この三部作は,最初の三部作で折角キャラの立った人物を犠牲にして成り立っているような気がしてきた。新たに加わった人物の魅力については,今のところ,レイでさえも全く不満である。今作で突然出てきたローズは違和感をもたらしただけで,ストーリーへの貢献はほぼ皆無であったし,また,コードをハックした男の正体に何もひねりがなかったのにも脱力させられた。
端的に言って,この監督に任せたのは大失敗だったのではないかというのが個人的な見解である。こんなシーンが見たかったのではないという不満があちこちで頻発して,ファンの気持ちを逆なでにしただけだったのではないかと思った。スノークも前作から見るとかなり小さくなってしまって驚いたが,スノークの部屋の陳腐なデザインと安易な色使いにも辟易させられた。とにかく,この監督には二度とこのシリーズに関わって欲しくない。次回作は J.J. エイブラムスの再登場の予定だというので期待したい。
(映像3+脚本1+役者3+音楽5+演出2)×4= 56 点。