「散らかった作品」スター・ウォーズ 最後のジェダイ からすさんの映画レビュー(感想・評価)
散らかった作品
幼稚園の頃からスターウォーズを観てきました。
スターウォーズは大好きな作品です。
頑張って公開日に観に行ってきましたが、思うことがたくさんあったので書かせていただきました。
また高評価する人と低評価する人の間で論争が起きているのでここに1段落として加筆しますが、肯定的な人も批判的な人もスターウォーズを好きな点では変わらないと思います。
恐らく、ファーストフードとスローフードを一言で一様に「おいしい」と言うか、その二つの違いを考えるのかの違いなんだと思います。
何が主題で、観る側も登場人物側も何が得られたのかよく分からない、散らかった作品だったなというのが一番の感想です。
伏線のようなものをばらまいている割にほとんど回収せず、むしろこれまでのスターウォーズシリーズ(特に456)で積み上げてきたものをぶち壊すような展開が多かったように思います(オマージュこそ多くありましたが)。
途中から自分は何の映画を見に来たのか分からなくなってきたくらいです。
以下は思ったことをつらつらと書きます(長文・常体失礼します)
冒頭部分、ダイナミックな描写にこそ最新作だなという実感が沸いた。しかし、近年のアメリカ映画特有の多様性重視なのか(というか人口の多い中国で売りたいのか)、冒頭から明らかにアジア系と思われる俳優が反乱軍側にもファーストオーダー側にも散見されてそのあたりから(ん??今までのスターウォーズと世界観というか雰囲気が違うぞ?)といった感じ。
7で見られたポーダメロンのカリスマ性も、上司の言うことを聞かずに勝手ばかりするアメリカ映画の典型的主人公のような言動行動で冒頭から台無し。
聖地でのルークとレイ。
レイ役のデイジーは前作から明らかに雰囲気が変わっていた。太った気がする。前作と時間の流れはシームレスなはずなのに全然続いている感じがしない。大役に抜擢されたくさんの苦労をしたのかもしれないが、せめて体型だけは維持して欲しかった。
7の最後や今作の予告でかっこよくキメてたルークは、実はカイロレンを暗黒面に陥らせた張本人であることが判明。おまけに、説得もせずに暗黒面に墜ちると決めつけてレンの寝込みを襲ったことをレイに隠し、都合の良いように作り替えた話を吐露して見せる。
456でルークは失敗や挫折、失望を繰り返しながら成長する姿を見せ、主人公として観客を感情移入させてきたのに、新作をつくるとなったとたん、ここまで前作の主人公を貶めるのか。456とアナキンの墜ちた姿を描いてから、123とアナキンの全盛期を描くのとは訳が違う。百歩譲って、魔が差して寝込みを襲うところまではいいが、それを虚構で固めてレイに語るルークの姿は見たくなかった。
フィンはコード破りを探しに行く。
そこで出てきたローズ。
これも冒頭同様アジア系女優で中国あたりへのサービスなのか。しかも容姿が…
出てきたときは脇役感があったから、(ちょっと作品に駄作感をもたらしたな)くらいで済んでたけど、進む内にこの人が準ヒロイン化。
容姿で人を判断するのは良くないけど、アジア系の満月様顔貌な女性が前作から主人公扱いのフィンに急にベタベタし始める展開に自分は違和感しかなかった。
本当にこれスターウォーズかな?と。インデペンデンスデイリサージェンスとか、パシフィックリムとか、オデッセイとかを見てるような気分になった。
先に書くと最後のファルコン号でローズを看病しているフィンをレイが見つめるシーンが出てくるが、ある意味このシーンが一番切ない。なんでこんな展開に、しかもこのキャラとそういう関係になってしまったのかと首をかしげたままスタッフスクロールに入ってしまった。
一方反乱軍はカイロレンの僚機の攻撃でレイアオーガナを失う。
レイアが艦橋の穴から宇宙空間に放り出されていった描写に(なぜ炎で誤魔化さずにこんな生々しい描写をするんだ?)と首をかしげていたが、これが伏線でなぜかレイアがフォースを使い(ルークの声を聞いた5と、前作でハンソロの死を感じたシーン以外であからさまなフォース発動は初?)、自力で艦橋に戻ってきてしまう。治療が開始され、司令官代理を立てるがポーは代理と衝突。
結局レイアはこのあとも最後まで死ななかったが、ローグワンのターキンのようなCGの使用をスタジオが否定してしまっているこの状況では、ここでレイアが死んでしまっていた方が自然な物語の流れになったとも思えた。次回作であの後レイアは色々あって死んでしまったのだという展開からスタートすると違和感が大きい。
もちろん、キャリーフィッシャーの遺作でもあるから、既に撮り終えたシーンをカット・撮り直しするよりそのまま採用する方が良かったのかもしれないが。
しかしそれならばこのシーンから始まるポーと司令官代理の衝突の下りは、脚本段階(フィッシャーが健在の段階)から無くても良かったとも考えられる。
基本的にここ以降の脚本が特に非道いと自分は感じたからだ。
レイアが初めから攻撃されず、彼女の判断で輸送船団に望みを託していれば、7でカリスマ性を発揮したポーに汚れた立ち回りをさせなくて済んだし、無駄に長くて主題性の薄い映画にならずに済んだし、観客に(え、まだ生きてるの?ここでフォース使うの?)という疑問符を与えずに済んだように思う。
そもそもタイファイターによる攻撃を成功させてしまった時点で、なぜその後も持続して戦闘機による攻撃を行わなかったのか不自然になる。
フィンたちはコード破りを見つけようとして失敗し、投獄されるが、そこで代わりの人物を見つける。彼はフィンに「見方次第で良い奴悪い奴は変わるからそんな考え方に縛られるな」と移動中に語る。(ここで、乗っている宇宙船の
持ち主である金持ちは死の商人であり、ファーストオーダーだけでなく反乱軍にも武器を売っていることがX-wingのホログラムを通して示されるが、そもそもX-wingは反乱軍が帝国軍の支配下にあった軍事企業の協力者から設計図を得て、自前で製造していた装備だったのではないか…?) ファーストオーダー艦隊に乗り込んでみるとそれは罠だった。コード破りもどきはファーストオーダーと取引していて、フィンたちを売り渡す。本来伏線として回収すべきはここのくだりだと思う。ハンソロよろしく、ここでコード破りもどきが金だけ持っていなくなるふりをしてから助けに来ていたら、スターウォーズらしく、かつファンには嬉しい展開だったような気がする。キャプテンファズマとの決闘を設けたかったのだろうがそれはこの展開でも可能なはず。むしろその後なにも触れられずに立ち去るこの人物はただ話のまとまりを削り取っていっただけなのではないか…。
その後も、あれだけ意味深な登場を前作でしておいて、揺らぎっぱなしで一番不確定要素なはずの弟子の心を決めつけていたらあっさり殺されたスノーク、フォース版ホログラムで6の冒頭を彷彿とさせる登場を果たしておきながら、ホログラム終了後あっさりフォースと一体化した(死んだ)ルークなど、腑に落ちない展開、足りない描写、無駄な描写がいっぱい。
司令官代理がクルーザーのハイパードライブで敵艦隊につっこむシーンがあるが、あれもやってしまった感を感じた。あんなことがまかり通るなら、鉄の塊にハイパードライブをつけてミサイルにすれば良い。ドラえもんで一話限りで出てくる道具のように、これから先似た状況があったときに「なんでこの前使ってたこの手を使わないんだ」と思われかねない攻撃方法だからだ。こんなのがまかり通ればスターウォーズ内のビームを使った宇宙戦が意味をなさなくなってしまう……。
物語を続けるために危機的状況を演出したかったのだろうが、結果として、反乱軍を弱体化させすぎたと思う。ただでさえ400人しかいなかった反乱軍が最後はファルコン号に収まるくらい目減りして、再建できるのかすら怪しい雰囲気の中、勇ましい曲で機内の残党を映して終了する流れは後味の悪さが最悪。
あとこれは細かいことかもしれないが、無重力の宇宙空間で宇宙船の速度維持にエネルギーはいらないはず。これは今作の大前提になっている「エネルギー不足のために逃走もままならず、消耗戦に陥る」状況を根底から否定することになるが、もう少し理にかなっていてダイナミックな物語の展開に出来なかったのかと残念な気持ち。
つらつらと自分自身も散らかした文章を展開しまして、失礼しました。
全体として違和感と無念が沸いてくる作品になってしまいました。7の方が良い作品だったと思います。
8も何度も見直すことになるでしょう。ただただ9での起死回生を望みながら。