「少女の孤独とは何だろうか」BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント ゼリグさんの映画レビュー(感想・評価)
少女の孤独とは何だろうか
孤児院の院長が閉め忘れた玄関の鍵を、ソフィーがきちんと閉める。
ここだけでソフィーが「しっかり者」である事を示している。
ちなみに、ソフィーがしっかり者である為、BFGはかなりドジな性格として描かれている。
ソフィーをさらう理由など、ドジの極みである。
部屋に戻るソフィー。彼女以外の子ども達は寝ている。本編を通してその姿は一切描かれない。
こっそり本を読もうとするソフィーが、誰かが部屋に入ってくるのを察して、寝たふりをする。
部屋のドアを開けた人物はおそらく院長だろうが、院長にカメラが切り変わらず、ドアが開く音と床に投影されたシルエットだけで、見回りに来た事を示している。
しっかりと、光と影の使い方を理解している。
正直僕は、この冒頭だけで感心した。
やっぱりこの監督はレベルが違う。
子どもの視点で映画を撮ると決めたら、それを徹底して描いている。
ソフィーはこの孤児院での暮らしを「最低なもの」と語っている。
だが、孤児院での暮らしは一切描かれない。
ソフィーが行き来するのは、せいぜいベランダと寝室だけだ。
なぜ最低なのか、詳しい描写は無い。
ソフィーの過去もよくわからない。
一見描写不足とも取れるが、スピルバーグがそんなミスをするだろうか。
僕が思うに、監督にとって孤児院の環境そのものはどうでもいいのではないだろうか。
おそらく彼には興味が無いのだろう。
スピルバーグにとっての「最低」とは「両親が居ないこと」ではないだろうか。
彼は幼少の頃、家庭環境が悪かった事もあり「私の映画は、両親が離婚した子ども達に向けて撮ったものだ」と発言した事もあったというし、おそらく間違いではないと思う。
だからソフィーの「孤独」をそうやって描いたのだろう。
あくまでも描きたかったのは家族の不在であって、人間関係の不和ではないはずだ。
そのためソフィーは、家族が存在せず人間を食べない優しさ故に孤独なBFGと、すぐに仲良くなったのではないだろうか。
確証は無いが、ソフィーが最後に王室に仕える「夫婦らしき」二人と暮らしているのも、それがソフィーの望み、というかずっと夢見ていたものだったからだろう。
個人的には、ああいう終わり方以外あり得ないと思う。
話は変わるが、王室での「プップクプー」のくだりはおじさんには少しキツかった。
ただの個人的嗜好であって、映画の完成度とは関係無いのだけれども、久々になかなかの苦笑いが出た。
ただ、王室に限った話ではないのだけれども、BFGを画面に収めないといけない結果とはいえ、ロングショットが多用されているのは好感が持てた。
BFG役のマーク・ライランスがとても良い。
それまで何とも思っていなかったのに、ラストシーンで頬を緩ませるBFGを見た瞬間、自分でも信じられなかったが、涙が溢れそうになった。
いったいどうしたというのだろう。
CGのキャラクターの表情で泣きそうになるなんて。
最後の最後でなぜか、暖かな気持ちになれた。
僕はとても良い作品だと思う。
【注意:コメント内にネタバレ含みます】
ゼリグさん、
お久し振りです! 浮遊きびなごです。
レビューへのコメント有難うございました。
全く不快などとは感じておりませんよ。異なる
視点の意見は、悪意がない限りは面白いものです。
ソフィーは独りぼっちだからこそしっかり者に
ならざるを得なかった子どもなのでしょうね。
孤独が当たり前の環境で育ったのであれば、
ことさら『私は孤独だ』とアピールする
ような野暮な真似は確かにしないでしょう。
ゼリグさんのレビューを読んで気付きましたが、
僕は『孤独を描くこと』より『ソフィーの憧れ』を
もっと詳細に描いてほしかったのかもしれません。
綺麗なお城、綺麗なドレス、美味しい料理、
なによりも、優しい家族。あの終盤はきっと
ソフィーの夢(願い)が叶っていく展開
だったのだと僕も考えていました。ただ、
そこにソフィー自身の切実さが見えない
ことが、やっぱり不満に感じたんです。
けどそこも、子どもにとっての普遍的な夢で
あれば、わざわざソフィーの夢として語る
必要も無いとして省略したのかもしれません。
僕のレビューは詰まる所、本作が徹底的に
『絵本的』だと感じた結果のレビューです。
異世界へ舞台が移るまでの早さ、論理の省略、
分かり易い笑いに悲壮さや残酷さの無い展開、
それは別に欠点なんかではなく、作り手が
目指した本作のテイストであって、それに
自分がフィットしなかっただけと考えてます。
毎度長々とすみません。
凄まじい数に埋もれていた『君の名は。』の
レビューも細やかな視点で素敵でした。
返信お気になさらず。では!