「コピーの意味とは」10 クローバーフィールド・レーン たかしさんの映画レビュー(感想・評価)
コピーの意味とは
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「奴らは あらゆるフォームで やってくる」
ここでいう「奴ら」とは一体なんなのか。
この映画はただのSFスリラーではないのではないか。
脚本に途中参戦したデイミアン・チャゼル監督の前作「セッション」は、音楽ドラマの形をとった非常に男臭いボクシング映画だった。
この映画も、SFスリラーの形をとった、別の物語と解釈できるのではないだろうか。
クライマックス、主人公の女性に襲いかかる異星人は、女性にとっての「奴ら」の化身なんじゃないかと僕は思う。異星人をやっつけるという行為は、その「奴ら」をやっつけるということへの暗喩に思える。だからこそ彼女は、ラストシーンであの決断をしたのではないか。
もちろん上の解釈は、僕の勝手な解釈だし、色んな受け取り方ができるこんな映画こそ、無味無臭化してしまった平坦な日本映画界に必要なんじゃないかとも思う。
この映画が凄いのは、そんな解釈の余地を残しながらも、ラストシーンの女性の表情に観客も奮い立たせてしまうことだ。観客も、各々の奴らと戦おうと思わせる。
本当に恐ろしい「奴ら」とは、異星人ではない。あらゆるフォームに擬態し、他人を虐げてくる人間の方じゃないのだろうか。
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