孤独のススメのレビュー・感想・評価
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【”これが、私の人生。”今作は、妻と子を失い、単調な生活を送っていた孤独な男が、事故により記憶を失い徘徊する男と出会った事で、周囲の目を気にせずに、生きる意味を思い出していく物語である。】
■オランダの田舎町。
妻トゥールディを車の事故で亡くし、息子ヨハンとは音信不通のフレッド(トン・カス)。
何の変化も面白みのない彼の生活に、全く話さない奇妙な男がやって来てフレッドは彼を自宅に住まわせる。
◆感想<Caution!>
・不思議な映画であるが、独特な魅了に溢れている。
・フレッドの所にふらりとやって来た、何も話さない男。フレッドは、男と暮らすうちにそれまで飲まなかった酒を飲んだり、二人で頼まれて子供の誕生日パーティで、余興を行いチップを貰う。
それまでの、無表情なフレッドの表情が少し嬉しそうである。
・男の身元が分かるシーン。彼の名はテオ・ハウスマン(ルネ・ファント・ホフ)と言い、奥さんも居る。
奥さんと話すと、彼は車の事故に遭い、徘徊するようになってしまったとの事。そして、どの施設に入れても居なくなってしまう事も。
・だが、テオはフレッドの家に戻って来る。
そんなテオを見て、フレッドはテオの奥さんと、音信不通の息子ヨハンが歌手として歌うバーに行き、息子の歌声を聞くのである。
8歳の時にバッハの曲をボーイソプラノで歌っていた声と、変わらない声で”これが、私の人生。”と謳いあげる姿。
<そして、フレッドはテオと共に、亡き妻にプロポーズをしたマッターホルンに出掛けるのである。
そして、二人は周りの目を気にすることなく結婚し、一緒に暮らし始めるのである。
今作は、孤独だった男が、事故により記憶を亡くした男と暮らし始めた事で、周りの目を気にせずに、生きたいように生きる喜びを、再び見つける物語なのである。>
本当の孤独と異質なものへの理解
この作品は、とても台詞が少ない。全く説明がないまま、淡々とした日常が描かれる。その中に、主人公の寂しさや悲しみが自然な形で滲み出ている感じがした。
妻を失って初めて、1人の人間として本当の孤独を知り、信仰の内側にある男女の繋がりを超越した出会いを果たすことで、異質なものとして排除してきた息子のことを心から理解することができたのだろう。
マッターホルンの光景と息子への思いが溢れるシーンがリンクするところは、胸が締め付けられる気がした。
最近見た中でも、特に素晴らしい作品だと思う。
バッハに救われた
私自身、群れるのが嫌いで独りが好きなので、この映画をみたが、題が良すぎた。笑
へんてこりんな映画。
だけど、欧米に根付いているキリスト教を皮肉っている感じがした。
皮肉っていながら、音楽はバッハ。
この作品の監督は、キリスト教を厭いつつ、キリスト教にひかれている、そんな気がした。
話は変わるが先日、「手のひらの勇気」を見た。
こちらは、レズビアンが権利を主張するアメリカ映画。
いけないのだろうが、やはりレズビアンが気色悪く、好きになれなかった。😅
それに対してこちらはゲイ。
たしかに気持ちのいいものではないが、
同性愛を認めないキリスト教への
批判がしっかり込められているなど、
こちらが骨太な感じがした。
また、筋とは関係しないが、
オランダの田園地帯の清らかさ、
町並みのしずかなたたずまいに
惹かれた。
また話は飛ぶが、オランダ映画、さいきん見た「すてきなサプライズ」。
すごくよかったが、
やはり町が美しく、緑が美しかった。
オランダという国をもっと知りたくなりました。
己を縛るものは、己だけが信じる思想だったりする。
何の説明もなく物語は進む。偶然出会った詐欺師を家に招き入れたことから、なぜかその男の世話を始めてしまい、いつしか不可欠な存在のような気がしてしまう。これが、孤独なおじいさんが身寄りのない小さな少年を家に招くような物語だったら、ただのハートウォーミング・ムービーで終わっていただろうが、この映画がなんともユニークなのは、どちらもオジサンであるところだ。オジサンがオジサンと出会い、オジサンがオジサンにサッカーを教え、テーブルマナーを教え、共同生活を送るのだ。その姿は、確かにちょっと滑稽なのだけれど、滑稽であると同時に、どこか切なくて愛らしい部分がある。今はもういないはずの妻と子供と3人で撮った写真をいつまでも壁に飾っている男のやるせなさと孤独感が、そう感じさせるのかも。
映画の根底には、もちろん宗教観というものの存在感が脈々と流れている。日曜には欠かさず教会へ通うほどの信仰心熱い主人公。信仰心というのは素晴らしいもので、美しいことではあるのだけれど、しかし、ともすると盲信にすり替わってしまうこともある。夕食が18時でなくてもいい。朝食は7時半でなくてもいい。しかし主人公は毎日それを守っていた。日曜は教会へ通わなければならない。同性愛は考えられない。主人公はなぜかそう信じ込んでいた。つまりは「こうあるべき」と勝手に決めつけた「思い込み」からの解放がこの映画の主題であり、それが、名も知らぬ男に対し愛着を感じ始めていることに象徴されているのだと思った。根拠のない思い込みや決めつけから自己を解放し、同時に他者を赦すことの崇高さを一番に訴えるいい映画だった。家から追い出した息子が「This is My Life」を熱唱するシーンは、ストーレート過ぎて気恥ずかしくもあったけれど、やっぱり胸が熱くなった。
このテーマを、こんな風にコミカルでユニークで可笑しみのあるストーリーで描いたオランダ映画のユーモアが、とても好きだ。
信仰の負の側面
もともとあった主人公の孤独は、そんなに辛そうには思わなかったけど、喋らない彼との暮らしの後はそれは寂しそうにみえました。
しってしまったからでしょうかね。
「敬虔な」キリスト教徒の同性愛者への嫌悪は、善良なはずの人を的外れな憎悪で人を蔑む人にしてしまう。信仰への忠義の弱点をよく見つめないと、お互いしんどいですね。
主人公の息子が全く語られず、でも冒頭の子供の歌は息子のもののようでした。早いうちから不在の息子がキーになる暗示があります。どう現れるのかに注目していましたら、実はゲイだったということでした。
父はそんな息子を受け入れられず、追い出してしまい、そんな夫を妻は責めていた様子でした。
ラストに息子に会いに行って、息子の人生への愛がほとばしる歌を聞いてなんかお父さんも感じたよ、というオチでした。
全体的には楽しく切なく見られました。
回想で出てきた奥さんが綺麗な人でした。
しかしまあ地味っつーか。
喋らない彼の妻が旅行代理店の女性だったようですが気づかなかったです。男性だけでなく女性も見分けられへんのですね〜私。がっかり。
あと、2人の余興が全然面白くなかったんだけど、なんであれで稼げたんか不思議でした。
向かいの家のおじさんが、悲しかったです。好きな女性も、孤独を癒す話し相手も主人公にとられて。
一番よくわからなかったのは、喋らない彼となんで結婚式しようとしたんでしょうか?
狭義の神様が広義の神様になる話
教会の教えが価値観のすべてだった主人公が、謎の男と出会うことでそれまで「悪」とみなしていた存在をほんのり認められるようになる話。
話は淡々と進むも、コミカルな雰囲気なので終始飽きなかった。
クッキーをサクサクサクサク食べる謎の男が妙に可愛い。
日曜日、皆が教会に向かう中、謎の男と共に別な場所に向かう主人公の姿が印象的だった。
あれが、主人公の中に決定的な変化ぎ訪れた瞬間なのかな、と。
これが私の人生だ、と、まっすぐ主人公を見つめながら歌う彼の血縁者の目が胸に染みる。
それまで、信じる者しか認めなかった教えの中の神様が、主人公の中ではあらゆるものを赦し認める本当の神様になったような印象を受けた。
鑑賞後優しい気持ちになれる作品。
カラに籠もること、カラを破ること
最初、フレッドは自分の硬いカラから世界を眺めている人に見えた。バッハ、彼の息子の歌声をテープで聴く、妻を思い出す、何かそれ以外あるのかしら? 彼のカラは何かから彼を守っている。
テオの存在はイラつく事も多いが、フレッドの何かに触れている。テオにはカラはない。
テオの妻の愛が、フレッドの愛と償いを呼び覚まし、隣人の非難は赦しに変わり、フレッドの息子への愛と赦しにつながっていく。
彼女の助力を得てフレッドは息子に向き合える。
聖書の言葉、結婚の誓いが胸に刺さる。
なにこれ全然ほのぼの系じゃない
プロモーションのビジュアルからは想像だにできない
ドラマチックな展開に心グッと掴まれました。
おかげでレビューも熱が入り、長くなってしまいました。
なんせ主人公のおじさんフレッドも寡黙だし、そこんちに住み着く
おじさんテオは「ンー」とか「ヤー」とか「メエ~」しか
言わないので、前半は非常に穏やかに淡々とことが進みます。
全体的にセリフが少ないので、ちょっとした効果、演出で
状況、空気がわかります。
ピクトグラムのように余計な説明がなく、簡潔で好ましい。
1分たりとも食事の遅延を許さないようなフレッドは、自由すぎる
テオにしばしばそのリズムを乱されて不機嫌になりますが、
次第に、そんな謎だらけのテオに心を許し、のみならず、
惹かれていきます。
そしてようやく我々に笑顔をも見せるようになります。
しかし彼らを囲む非常~に敬虔なカトリック教徒の
隣人たちは、それをよく思いません。
説得に押しかけられたり、嫌がらせを受けたり。
勝手に、自由の国のイメージを持っていましたが、宗教的な部分で
特に田舎においては、閉塞的な場所もあるのですね。
テオがまさかの所帯持ちであり、奥さんはまさかの
先ほどフレッドが旅行の相談に訪れた、代理店の女性。
この奥さん、心からテオを愛しているようで、それでいて
自分の気持ちは全く後回し。
テオが自分の居場所を見つけたならそれでいいと、
フレッドとの同居に意義を唱えることは決してしません。
健常者だった頃のテオと奥さんの写真を見るかぎり、
仲の良い夫婦だったと思われます。
突然の事故で普通の生活が送れなくなり、半端ないショックも
受けただろうし、混乱した、悲痛な日々を重ねたことが容易に
想像できるのですが、この奥さんは、今のテオの全てを愛し、
想いやり、委ねています。
人間、悲劇をも全て受け入れると、ここまでの寛容さを
持てるものなのでしょうか?
カトリック教徒達が毎週ミサで拝む「神」よりも、
わたしには彼女の方が神々しい存在に見えてしまいました。
だんだんと物語の進み方に変化が起き、フレッド自身の息子に
会いに行くことになります。
恐らく熱心なカトリック教徒であったフレッドは、息子がゲイで
あることが許せず、追い出してしまったようです。
その息子の働くゲイバーに、意を決して赴き(一度失敗しましたが)
彼が自身の心をさらけ出して熱唱する姿、そして息子の存在、
生き方を認めます。
この渾身の熱唱と、最愛の妻にプロポーズしたマッターホルンへの
旅の風景が重なり、想像もしていなかった壮大なエンディングを
迎えます。
何かを捨てたり、得たいの知れない何かを信用してみたり、
当たり前だったことを変えることはとても難しい。
しかし逆に、ものの見方、気持ちの持ちよう、つまり自分次第で
どうとでも状況を変えることができる。
自分次第。
とても難しいけど、できるのだ。自分しかできないのだということ。
どんなタイプの逆境に対しても有効なソリューション。
それを、ガツンと見せてくれるのです。
このチラシや、公式サイトや、キャッチコピーのほのぼの感は
一体何だったのか?
わたしの場合はそれが功を奏し、意外すぎる流れにノックアウト
されてしまったので、結果は良いのですけども。
これは今年の個人的ランキングトップ5に入ります。確実。
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