アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発 : 映画評論・批評
2017年2月21日更新
2017年2月25日より新宿シネマカリテほかにてロードショー
“第四の壁”を破るサースガードの目が向けられる先は
誤解を招きそうな邦題ではある。ナチス政権下のドイツでホロコーストを指揮したアイヒマンが、逃亡先のアルゼンチンで拘束されたのち、イスラエルで公開裁判にかけられた1961年。ユダヤ系アメリカ人の社会心理学者スタンレー・ミルグラムは、普通の人々が権威に服従する仕組みを科学的に解明すべく実験を開始する。先生役の被験者に対し、学習者役が間違った回答をするたび電気ショックを与えるよう求める、通称“アイヒマン実験”の驚くべき結果を発表した彼は、非倫理的だ、被験者を傷つけたと糾弾された。ならば、アイヒマンの後継者とはミルグラムを指す言葉だろうか?
冒頭、実験室のガラス越しに被験者を見つめていたミルグラム(ピーター・サースガード)は、唐突にカメラに向き直り解説を始める。劇中の世界と観客側の現実世界を隔てる境界を演劇用語で“第四の壁”、演者がこれを越えて観客に直接語りかける手法を“第四の壁を破る”と言う。シェークスピアの戯曲を翻案して現代を舞台にしたサスペンス映画「ハムレット」「アナーキー」を作るなど、演劇好きのマイケル・アルメレイダ監督らしい演出は随所に見られる。
サースガードのほか、妻役のウィノナ・ライダー、学習者役のジム・ガフィガン、被験者に扮したアントン・イェルチンとジョン・レグイザモといった演技巧者たちが会話劇を繰り広げ、ミルグラムが解き明かそうとした心と社会の本質へと迫っていく。
映画はまた、「六次の隔たり」「見慣れた他人」「同調行動」など、のちの学問やビジネスに影響を与えたミルグラムの独創的な研究も紹介するが、やはりドラマの軸は、服従実験が暴く人間の弱さと、学界、マスコミ、世間に対して研究の正当性の釈明に生涯追われた博士の報われない戦いに置かれる。組織や集団における個人の人間性や倫理観の無力さは、いじめや差別やブラック労働といった問題が深刻化する昨今の日本社会でも痛感させられる現実だ。“アイヒマンの後継者”とは一体誰なのか。ミルグラムのまなざしは時代を超えて私たちに向けられている。
(高森郁哉)