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匿名出産という言葉から始まる。
生みの親を探すエリザ。
単純な母親、肉親探しの話ではない。伏線がはられており、複雑になっていく。探されている母親アネットの方も最後は自分探し、自分の人生を取り戻そうとする。
最後はブルトンの詩なのかな。
エリザの母親が、出産出来なかった理由。
差別と偏見。
小さな街、移民を隔てる心理的な壁、
私は自分の親家族も自分を核とする家族もいる、ごく平凡な状況の生まれ育ちだが、またはそれ故に変な言い方だが心情的にはほぼ家族というものに興味がない。そういう冷めた目線になる。
家族の絆、結束が強いアネットの家、家父長制だ。
アネットがなぜエリザを匿名出産として施設に預けたのか、
偏見に基づくアネットの絆が強い家族の掟家族のルールのせいである、それを受容したためアネットは自分の人生を諦め家族の掟の中で生きていく。それゆえの捨て子。なんとなく満たされない、つまらない、正気のない人生。お金は稼ぐもの、という家風家訓もあり、未だ親と同居し生活は守られる中学校の用務員をしている。
フランスの小学校、カフェテリア、一人一人違う食事を選ぶ。子供に馬鹿にされたりきつい労働で日々やり過ごし家には全てに未だ過干渉で支配的な親がいる。息苦しい。
調査機関や生まれた病院、預けられた施設などで母親探しをするエリザ。子連れでそのため夫と離れて1人海辺のダンケルクに。子どもノイとみぞがくま
エリザの子どもノイがなぜ豚肉を食べないことにこだわるのか、本能的なものだったのか、アネットの恋人エリザの父親がアラブからの労働者だったことがわかり、そのために家族に疎まれ子を捨てたこと、
いろいろなことがつながりほぐれ、また絡まり抗いがあり、最後は、一人一人が自分の性を生きることに気づき穏やかに終わった。
人は1人では生まれてこないしひとりでは生きていけない。
最後のブルトンの詩にある、全ての生に偶然はないと。伏線が絡まり偶然の生命などはないという帰結。
偶然の生命などないというややロマンチックなことはどうかわからないけど、個人だけではないその時の社会情勢によってまた人の人生は揺すぶられ生まれたり死んだりすることを静かに描く。
うら寂しいが生活感があるダンケルクの街も美しい。施設の見学を断られてうなだれる母の手をそっと握るノイ。
学校では一人一人の食事の管理がされていて、たった一度しか手をあげてないと言っても親に殴られた子供はしっかり保護され親はしっかり聴取される子をすぐに引き渡さない、匿名出産やその後の子のケア養子から調査関連の事務所までしっかり当たり前の制度としてあることが、フランスと違って日本にいると驚き、というか恥ずかしいことだ。
ウニ監督も韓国から大量に発生した国境を越えた養子縁組でフランス人となったそうだ、第1作冬のことりもぜひ見たい。
それにしてもフランス映画、監督は女性、エリザや他の人物の普段着でも着ているものがさりげなく素敵で脱帽。