裸足の季節のレビュー・感想・評価
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若さと自由の輝き
開幕早々、海辺で制服姿のままびしょ濡れになって遊ぶ美しい5人姉妹。
クッソ、一緒に戯れてぇ…。
絵に書いたような美人姉妹の物語と言うと、昨年邦画でも秀作「海街diary」があった。
が、本作はあちらのような見ていて癒されるハートフルな作品ではなく、瑞々しさの中にも刺がある「ヴァージン・スーサイズ」のような雰囲気を醸し出す。
トルコの田舎町。
両親を亡くし、厳格な祖母と叔父に育てられた5人姉妹。
海辺での一件が事の始まりだった。
男の子たちとただ遊んでいただけなのに、淫らな行為と決めつけられ、以来家に軟禁。
度々抗うが、やがて大人同士が勝手に決めた見合いで、上から一人一人嫁いでいく…。
まず目も心も奪われるのが、眩く光輝く5姉妹の無邪気さと映像美。
とにかく、この5姉妹がヤバい!
皆、揃いも揃ってボリューミーなロングヘアーの美人。
その魅力は「海街diary」の4姉妹や「ヴァージン・スーサイズ」の5姉妹といい勝負。
陽光を浴びながら、生足を重ね合わせて5人で寝そべるシーンは官能的な匂い。
クッソ、一緒に寝そべりてぇ…。
彼女たちの輝きを余す所無く映し捉えている。
あまり馴染みの無いトルコという国。
その田舎町の現状をまじまじと見知らされる。
封建的な制度、古い習わし、厳しい躾…日本だったら一体いつの時代だ?と思わされるしきたりに縛られる。
映画だから過剰に描かれているのもあるだろうが、全てがフィクションではない筈。
その窮屈さ故に中盤突然起きた事件にドキリとした。
5姉妹や映像の美しさを取り除けば、本作は危うさと脆さを秘めている。
そんなデリケートさを、感受性豊かな瑞々しい作品に仕上げた女流監督デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの手腕に魅了される。
話の主軸は末の妹ラーレ。演じたギュネシ・シェンソイのあどけなさと初とは思えない達者な演技力が一際印象に残る。
映画は、ラーレのある反抗と脱出で締め括られる。
思い切った行動だが、これは精神面の自立や意志の強さと感じた。
大人の言う事にいちいち反抗するワガママ娘たちと思われたって別にいい。
満ち溢れた若さと輝きと自由は、誰にも抑えられない。
美しい映画
危うくて性的である事は美しさのはずだ。
5人姉妹は、年相応の危うさと欲求がある、普通の女の子に思えた。
子供だから、当然浅薄で、向こう見ず。
自分がどう見えるか、どう消費されるかに気付いていない。
それと同時に、性に目覚めつつもある。
よって、彼女らの一挙手一投足が、危なっかしい。
でも、成長の一過程であって、望ましい変化なのに、
それを淫らだと断罪して抑圧することはだれのためなのか。
全編を通じて、私は怒りを感じていた。
女だけが貞操を強要される世界。
男に許されることが女には許されない世界。
程度に開きはあるが、トルコでも日本でもインドでもアメリカでもどこでも
たぶんそうだ。2016年のいまでも、そうだ。
女は抑圧されている。男の作った基準に。
これからも、そう、では嫌だから、今、女たちは嫌だといおうとしている。
そんな叫びと、少女たちの無垢で野生的な魅力が堪能できる映画だ。
抑圧の中を掻い潜って、サッカー場に行ったり、
こっそり男の子と逢引したり、シーツの海で泳ぐ遊びをしたり、
姉のブラジャーを服の上からつけてみたり。
懲りない自己主張に、もっとやれもっとやれ!と気分が高揚した。
長女は要領よく好きな男に求婚させて、喜びの中で結婚してゆく。
次女は長女にあてがわれるはずだった男にいやいや嫁がされ、
初夜に出血しなかったため、処女性を疑われ医者につれていかれる。
三女は結婚の勧めにおとなしく従うそぶりであったが、承服していなかった。
結婚相手ではない男と交わり、その後あてつけのように自殺した。
四女もついに嫁がされることになるが、
結婚式の当日に五女ラーレの協力の下、おじさんと監獄のようなふるさとから逃げ出した。
五女ラーレが主人公といえよう。
海での騎馬戦を祖母に告げ口した隣人に「クソ色の服を着ているのがそんなにえらいの?」と、
噛み付き、トラック運転手に車の運転を教わり、祖母のへそくりをくすねて、
姉と一緒に逃げた。
この逃避が、希望であり、まぶしく思えた。
訪ねた先の先生(恋人と同棲中の若い女性教師)や、イスタンブールの大人たちが、
少女たちの逃亡を受け止めていたのであって欲しいと思った。
祖母や周りの女性も、抑圧の中で、そうしか生きられずにいた様子が伺える。
息子であっても男の意に従わされる。
女達を苦しめるのはまず女の中にある性差別だ、という話を聞いた事があるが、
祖母や周りの大人の女性の振る舞いは、正にその通りに思えた。
そして、おじさんである。
三女と四女に性的暴行を行っていたとにおわせる描写があった。
祖母に知られても平気な顔。許せない。
こんな男が、祖母のことも姉妹達のことも「所有」しているなんて。
こんな男の一存が、彼女達の全てを規定しているだなんて。
言いようのない怒りがこみ上げた。
上質な映画だと思う。
映像が雄弁だったし、閉塞感の中にもユーモアがあった。
何より、少女達が本当に野生の馬のようで、
手懐けることなど到底適わない、輝きに魅力を感じた。
危なっかしくてまぶしい女の子たちに、うっとりと見とれた。
それを味わうだけでいいのだけれど、
どうしても抑圧への怒りを抑えられない。
私はフェミニストなんだな、それが今の自分の核なんだなということを
つよく実感した。
『世界はひとつ』ではない。
隅々まで瑞々しい美しさをとらえながら 抑制的に描かれる物語
男性社会
トルコが特別なわけではなく、イスラム教が特異なわけでもなく、世界の国のほとんどは男性社会です。
何故「レディファースト」や「女性活躍推進法」があるのでしょうか。それは、男性を中心として社会が動いているからに他なりません。
ラーレを始めとする姉妹と村の慣習は、世界中の女性達と男性社会の関係を象徴しているかのようでした。女性は、男性社会を守るために存在している。
しかし、ラーレ姉妹は勇敢にも村の慣習を拒絶し、村を離れて生きていこうとしています。追い詰められたラーレが頼ったのは、慣習通りに生きている人ではありませんでした。
人生は、自らの行動力でしか変えていくしかないようです。
このことは、何も女性だけに限ったことではなく、慣習に息苦しさを感じている全ての男性にも当てはまるのではないでしょうか。
happy-sad
自由を求めて
裸足
美しい。
ある意味桃源郷か
ラーレはLady Mustang
一見、トルコの田舎という遠い世界の話のようですが、我々の世界とも地続きな物語だと感じました。
個人を尊重しない価値観によって自宅が牢獄化し、親の意志で結婚を決められてしまう。この映画だと本当に強制されるのですが、ここ日本でも無言の圧力で子どもの意志が去勢されてしまうケースはたくさんあるはず。三女エジェの自殺は悲しすぎるけど身近な感じがしました。
5人の姉妹も気の毒だけど、あの抑圧的な価値観に縛られている村人たちも悲しい。祖母やクソ叔父も含めて。女性は言わずもがな、男性も幸せじゃないよね。
異常に横暴で、深夜に姉妹の寝室に出没する気持ち悪すぎる叔父からは、まったく満たされていない超不幸せなバイブスがビンビンに伝わってきました(同時期に上映している『葛城事件』の清とよく似てます)。誰も幸福にならない村ですね。
ラーレたちがついに逃げ出すシーンで「行かせてやれ!」という声があったけど、あれはグッときました。あの言葉を言った人は、自分が本当になりたかった姿をラーレに重ねたのでしょう。
ラーレの勇気、実行力は最高です!
車も自分で運転しようとしていたし、自分の力で地獄から抜け出してやる!という意志の強さがカッコよかった。
まさにMustang!
トラックの運ちゃん・ヤシンもナイスガイでしたね〜。そしてイスタンブールの先生。「かわいいラーレ」って言葉、素敵でした。あの村でかわいいって言葉、絶対にかけてもらえないですから。
自由をつくづく感じる幸せ。
ラーレ
5人姉妹のゴワゴワした長い髪の毛の美しさ、スリムジーンズに赤いバンズ。トルコの片田舎がまるで南仏みたい。靴下とか鉛筆とかスリッパとか水着とか、いちいち垢抜けてる。特筆すべきは冒頭の制服。白シャツにタータンチェックのスカートに黒いタイツに、オールスター。で海に飛び込む。ココとまだ5人揃ってる時に窓辺で寝転んだりしてるとこがピーク。勿論、そんなのは本題じゃないのだけれど、2番目の姉が検査医師にうそぶく、世界中の男とやっても傷付かないというか、私は変わらないこの世界と同じように的な、凛とした美しさがラーレ達にはあって、やるやられるの価値観でしか計れない上の世代だとか、助けにならない同年代の男どもを軽々超えていく。3番目のお姉ちゃんのくだりもそういうことで、このまま年取ってここにいても仕方がないから、一番綺麗な時に次に行く。叙情なんて要らない。サクッと次に行く。ソフィアの夜明けもそうだったけれど、あの辺りの色付いた空背景にバスとか路面電車とか撮ると、ハッとする程画になる。スーパーの宅配やってるヤシンがやたら良い兄貴。ラーレはなんだかバルテュスの描く少女みたい。
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