「棺桶に手が届きそうな熟年夫婦でもさとりを得られない人間の弱さに、笑みがこぼれた!」さざなみ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
棺桶に手が届きそうな熟年夫婦でもさとりを得られない人間の弱さに、笑みがこぼれた!
久しぶりに地味な作品だけれども、映画らしい素敵な映画を観たなぁ~と言うのが、この映画を観た時の第一印象でした。
S・ランブリングと言えば「愛の嵐」の印象が圧倒的に大きい俳優さんなので、「熟年になった彼女ってどうよ?」って言う先入観がとても強かった。だけれども、本作は全く私のつまらない心配事を見事に払い除けてくれる秀作で、脱帽しました。
この作品のヒロインであるケイトは、現在1週間後に結婚45周年パーティーを控えて、その準備に追われる1週間を描いたのがこの映画の物語。
そして事もあろうに、このケイトの夫には、彼女と結婚する前に別に付き合っていた女性がいたのだが、その彼女の話を殆どケイトは知らされていなかったのだ。
そりゃ、高校生のまま結婚するのではあるまいし、過去の恋人の数人いても全く問題ないのが普通なのだが、そこのところが、このケイトと夫のジェフの場合は事情が違っていたのだ。
この女性が不慮の事故死をしていた事。そして登山事故で彼女が亡くなっているので遺体は出てこなかったのだが、いきなり50年近い時を飛び越えて雪山から、夫の元恋人の遺体が発見されたと言う情報が彼の元に飛び込んできたからさあ大変だ。
夫は忘れていた筈の元恋人の面影を追い始める。
そんな夫ジェフの心の変化に苛立ちを覚えたケイト、彼女の中で一揆にこの45年間に及ぶ結婚に対して疑問や、諸々の感情変化を、この極短い1週間の出来事として、丁寧に描き出す。
だが、考えてみると人間の記憶とは実は本当あてにならないもので、自分に都合の良い嘘を平気でつくものだと言う現実をこの映画は観客に付きつけてくる。何ともこの辺りが他人事なので、映画を観ている私には、興味が持てて面白く楽しかった。
しかも、この夫であるジェフ位の齢になれば、人間の表も裏の顔、総てどんなものなのか位は分かっている筈だけれども、何故か人間に記憶と言うものは、結構成就出来なかった事柄を美化する傾向が有るらしい。
ジェフのかつての彼女に対する思い出などは美化され、肥大化された現実とは違う幻想に過ぎないものを、本当の思いのように、錯覚をしてしまう辺りが、凄く面白い!
そしてケイトも、タイトルバックで、映写機で写真だけが、順に映されていく音だけが、響いていたのが、映画の終盤で活かされてくるシーンが有って、こう言う撮り方も、個人的に好きな手法だ。
人にもよるのだろうが、人間とは常に現実と言う事実の積み重ねの中で生活していると考えがちではあるけれども、日常の現実を体験する経験と言うやつも、体験そのものよりも体験をする事に因って感じる、感情、印象と言う、実は幻想の中で生きている事の方が大きいのだろう・・・
幼少期に受けた影響に因る、潜在意識のフィルターと言う幻想の上に、長年積み上げてきた人生体験から得た観察眼の癖と言う幻想をミックスさせた、単なるフィクションの中で日々生きていると言う事が凄く面白かった!
この思い込みに因る幻想のフィクションを超えた処で生きている人々を、さとりを得た人と言うのかも知れない。だが、ケイトの嫉妬心も含めて、人はこの感情と言う幻想のマジックの中で翻弄されてしまうのが、普通なのだから、こう言う人間と本質を突くような映画を愛してしまう私も、きっとケイトや、ジェフと同じように、感情の嘘と言う幻想の森を彷徨う住人の一人なのだと思う。
静かに心の底で、クスッと笑いがこぼれた。
笑えるような、話ではない、人の情念と言う恐ろしい映画なのだが、何故か心の深いところで、笑える映画で実に面白かった!!