「やっかいだけれど愛すべき、未練というもの」海よりもまだ深く cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
やっかいだけれど愛すべき、未練というもの
これまで、ダメ男を幾度となく演じてきた阿部寛。大きな身体を持て余すような彼の存在が、本作では一際光っている。というか、とにかく目立っている。彼を取り巻く人々(樹木希林、小林聡美、真木よう子、池松壮亮…)が小柄なうえに、ご丁寧にも座ったりバイクに乗ったりで、彼の目線をさらに引き下げる。人だけではない。母の住む古ぼけた団地は、天井が低く、全てがこじんまり。彼がそこに居るだけで、家に収まりきれない、はみ出した彼の有り様を一目瞭然に物語る。どこを取っても、「画になる」ショットのオンパレードだ。
もちろん、そんな視覚の妙だけではない。冒頭のリズミカルな母娘の会話で、家族関係をさらりと観客に示すところから、是枝節全開。ごく自然で何気ないやり取り…のようで、是枝監督作品は、いつも精緻に計算され尽くされている。まるで、監督の手のひらの上で自在に転がされているようだ…と思いつつも、ゆるゆると身を委ねてしまう。
アレ、コレ、ソレ…といった、分かったようで分からない、ぼやかした言葉の連なり。彼らの会話に繰り返し登場する、亡き父の様々なエピソード。夜中にしては大音量でラジオから流れる音楽…。これらはすべて、ここに行き着くための布石だったのか、と台風一過のラストに至ってハッとした。雄弁すぎる歌詞のエンディングテーマが、思いきりエンドクレジットにかぶさる。ああそうか、これは、パッとしない主人公が、小さな積み重ねを経てやっと一歩を踏み出す物語だったのか、とちょっと胸が熱くなった。
…しかし。翌日、とあるラジオ番組を聞いていて愕然とした。そこでは、本作が「なんにも起こらない物語」として紹介されていたのだ。いやいや、そんな訳はない。ハリウッド大作のように世界や地球が破滅するわけではない…にしても!
と、違和感を幾度となく反芻しているうち、「それもそうかな」という思いがふっと湧いてきた。
ラストの良多はなかなかカッコよかったけれど、やっぱり彼は、またしても未練タラタラに、元妻につきまとうかもしれない。仕事の方は急展開しそうにないから、フラフラした生活も当分続きそうだ。けれども、元妻と子に見せた「その瞬間」にウソはない、とも思う。確かにその時、彼は凛として決意し、一歩踏み出した。それで十分だ。…もしかすると、良多と元妻、息子は、毎月同じやり取りを繰り返しているのかとしれない、だとしたら…などと、思いはとめどなく広がっていく。
「そして父になる」のラストをハッピーエンドと捉える人がいる一方、終わらない悲劇の始まりと捉える人もいる。本作も然り。その選択が正解か否か、ハッピーかアンハッピーかは大したことではない。「人生万事塞翁が馬」と言えばそれまでだけれど、良多の身体と同じく、枠組みに収まりきらない交々の味わいを、本作は丁寧に描き出す。
また、母の家にあふれる古ぼけた品々も忘れがたい。(民芸調の赤い布張りの箱には、特に目が釘付けになった。くたびれ具合まで、実家の裁縫箱と瓜二つ!)未練を捨てることの難しさ、未練を持つことの悲しさ面白さ。是枝監督作品は、観る人それぞれの生活や家族に思い当たるあれこれを絶妙に散りばめ、何気ない日常の豊かさに気づかせてくれる。