海よりもまだ深く : インタビュー
原点に立ち返った是枝裕和監督、見据える先にあるもの
第69回カンヌ国際映画祭ある視点部門に選出された是枝裕和監督の最新作「海よりもまだ深く」が、5月21日から全国で公開される。9歳から28歳まで住んでいた東京・清瀬市の旭が丘団地で撮影したオリジナル作品に込めた思いについて、是枝監督が穏やかな面持ちを浮かべながら語った。(取材・文/編集部)
是枝監督が原案・脚本を兼ねた今作がクランクインしたのは、2014年5月。前作「海街diary」の春編と夏編の間隙を縫っての撮影となったが、着想そのものは01年までさかのぼる。父親が他界し、団地でひとり暮らしを始めた母親のもとへ正月に帰った際のことを、「いつかこの団地の話を撮りたいなあって思ったんだよね」と振り返る。
ここ数年は、これまで手掛けてきた作品に漂っていた世界観を保ちながらも、「そして父になる」「海街diary」という是枝監督にしか作り得ないエンタテインメント作品として世に放ってきた。撮影の時期は前後するが、この2作品の後に「海よりもまだ深く」が公開されることに大きな意義を感じる。
「作り手としてのバランス感覚っていうのは、あるかもしれませんね。現場での作業は変わらないんだけど、確かにエンタテインメントと言われれば『そして父になる』は脚本を書く時に物語の構造を劇映画の方向に振って書いていった作品だし、『海街diary』は深く潜っていって、吉田秋生さんという原作者がここで何をしようとしたのかっていうのを探っていく作業で出来上がった作品でしたからね」。
今作の脚本執筆に着手したのは、13年夏。「海街diary」の脚本に取り組みながらも、「今なら書ける」と思い立ち、早々に第1稿を完成させた。1ページ目に書かれていたのは、「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」という言葉だった。
是枝監督が、ふと気になったことを書き留めておく“ネタ帳”をつけていることは有名な話だ。「手帳を作り始めたのは2009年。『歩いても 歩いても』が終わった直後から、いろんなエピソードの断片を書き溜めていったんです。仏壇の線香立てを掃除するとか、親父に『宝くじ買ってみろ』と言われて、買ったことを母親に言ったら怒られたとかさ(笑)。自分の子ども時代の話も含め、書いてきたものがある程度溜まってきたんですよ」。
映画は、作家として芽が出ずに探偵をして暮らすダメな中年男・良多と元妻、息子が、良多の母が暮らす団地に思いがけず集い、台風が通り過ぎるまでのひと晩を過ごす姿を描く。本編には、「こんなはずじゃなかった」という思いを胸に抱く愛すべき登場人物が何人も出てくる。と同時に、「なんで男は今を愛せないのかねえ」「海より深く人を好きになったことなんてないから生きていける」など、思わず合いの手を入れたくなる珠玉の“セリフ”が、阿部寛扮する主人公・良多の母を演じた樹木希林によってつむがれていく。
「『海街diary』が終わったらもう一度、小さな話に戻してみようかな。自分の原点というかさ、立ち位置を確認してみようかってね。いずれ社会派の大きなものをやってみたいと思っているんだけど、このまま大きなものへストレートに行くよりは、今一度ここへ立ち帰っていくのは必要な作業だなと思ったんです。そう思って書き始めたら、第1稿が思いのほか早く書けちゃった。書けちゃったら、撮りたくなっちゃった。それで、プロデューサーに見せたら、『これならすぐに撮れるかもしれませんね』って。阿部さんのスケジュールも確認取れたので、2班同時に走らせるのは勇気がいったんだけど、『海街』も本格化していなかったから『これなら出来そうだな』と判断しました」。
阿部はもちろん母親役の樹木にしても、是枝監督は「他の人にお願いする発想がまったくなかった」「樹木さんがOKしてくれなければ、この作品は撮らないつもりだった」と話すように、全幅の信頼を寄せている。それだけに、「よく集まってくれたよね。それはラッキーでしたね。でも、大変だったと思うよ。希林さんは『あん』と『駆込み女と駆出し男』の間でしょう? 『疲れていて現場を全然覚えていない』って言っていましたから」と笑みを浮かべる。
また、日本映画界で引っ張りだこの存在へと飛躍した池松壮亮が、「小説の取材」と周囲にも、自分にも言い訳をして探偵事務所に勤務する良多の業務上の相棒・町田役を務めている。初めて現場をともにする池松の芝居を見て、是枝監督は脚本を改稿し、シーンを足すこともあったという。
「池松くんはね、野球のシーンもそうだし、撮り始めてから足したシーンもありましたね。撮っていたら『ああ、この2人は擬似親子だな』と思ったんです。探偵事務所の中で別の家族、親子関係が成立しているというのが大事だなあと思ったのは、池松くんの最初のお芝居を見てから。それで、猫探しのポスターを貼りながら歩いてくるシーンは書き足しました。町田の優しさは、自分が実の父親とそういう関係を持てなかったから、ここで追体験しているんだよね。それは僕が書いたんじゃなくて、彼の芝居からそれがわかったから、そういうシーンを書いたということです」。
そして、是枝作品のファンならば見逃すはずがない「良多」。阿部が是枝監督作で良多と名のつく役を演じるのは「歩いても 歩いても」、テレビドラマ「ゴーイング マイ ホーム」に続き3度目。「そして父になる」では福山雅治が野々宮良多に扮しているが、是枝監督はかつて「自分に近いところで主人公を設定するときは良多を使うようにしている」と語っている。
「あれ、そんなこと言ったかなあ。でも、40代で『歩いても 歩いても』をやって、設定年齢はもうちょっと低いけど僕も阿部さんも互いに50代になってから今回の作品でやった。もうちょっと年を取って、家族ものをやるときに阿部さんで良多をやってみようかな。今回でやりきった感はあるんだよね。しばらく、こういうホームドラマは離れようかな。もう出てこないよ(笑)」。