マギーズ・プラン 幸せのあとしまつのレビュー・感想・評価
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間違った選択に右往左往する人生喜劇。
レベッカ・ミラーという監督は、間違った選択をする登場人物をジャッジすることなく描き出すのがとても上手い。この映画の主人公マギーも、企画書をハリウッドの大手スタジオに持ち込んだら即座に却下されそうな倫理的に曖昧な主人公像で、リアルなんだけどとらえどころがなく、おおよそ物語向きではない。そしてマギー役のグレタ・ガーウィグは、感情のありかを本人が一番見失ってそうな人物像を演じるのが本当に上手い。ミラーとガーウィグのマッチングの良さが、この映画の得難い魅力を生み出していると思う。
そしてやはりミラーは、この映画でも、練ってるんだか適当なんだかよくわからないハッピーエンドを用意していて、処理が雑に思えるのがいい。人生におけるハッピーエンドなんて一過性のものでしかなく、ハイ、この物語は便宜上ここでおしまいです!と開き直ったかのような抜け感が、綿密そうでザルな人生プランに失敗したマギーという主人公にふさわしい。
『こんな映画見たいな』事実は無い!避妊具は付けよう♥
高学歴でピクルス屋で起業した奴が髭面な理由が分からない。
ピクルスに毛が入ったら、味なんか関係ない。
シラミを探る話を最近の西洋映画で何回か見るが、西洋人ってシラミが毛の中にまだいるのか?それなら、なお一層の事、髭面は止めるべきである。人生の屁理屈を言うよりも先ずは身だしなみを整えろ!って言いたいね。
なんか薄気味悪い話だと思ったら、七光りと知性を履き違えて、知性はDNAのみで繋がれるとしている。ひっくり返せば、優生保護法に連結しないか?
言葉や表現にも避妊具が必要なのだろうか。
また、髭面のピクルス屋と小説家の立場をひっくり返えしたら、それでも髭面のピクルス屋の子供が欲しいと西洋人の女性は思うだろうか?小説家がイケメン俳優だから、この話は成り立つと感じるが。
とにかく、生殖行為と恋愛を入れ替えて、デフォルメし過ぎている。こんなNEWYORKERはいないと思うよ。
挙句の果てに文化人類学!こんな狭い知性の持ち主が文化人類学を好むって事自体があり得ない話。
男社会真っ只中のフリー・セックスは女性にとっては落とし穴だと思うので、こんな映画“見たいな“行動は慎む様に。きちんとに“避妊具“は付けさせよう!
『あなたの小説はアレゴリーに偏り過ぎ物語を”論理を証明する道具“にしている。純粋に理論だけを書くべきよ。そうすればベイトソン賞の候補になるわ』って、ノーベル賞も無理だね。頑張れ村◯春◯!
彼の小説で一番良いのは『アンダ◯グラウンド』かなぁ。
落ちが一瞬なので、姑息でご都合主義だね♥
とにかく、
『橋からの眺め』とか『セールスマンの死』が泣くよ!
う〜ん…
はっきり言って私にはあまり面白くなかった。
結局は子どもはピクルス屋さんからもらった人工授精によってできた子で、ひとりで育てる結末になってるわけだから、マギーのプラン通りになってるんだろうけれど。
その間にいろんな人を傷つけたでしょ。
ピクルス屋さんの表情、不倫相手の奥さん。
その子どもたちも困惑させてしまって。
どっちつかずな自分勝手な男も観ていてなんだかモヤモヤした気持ちになるし。
不倫相手夫婦は結局、離れてみてお互いの良さ、必要性に気づいて前より良い関係に戻れて良かったみたいになっているけれど…
個人的にはモヤモヤが残りあんまり好きになれない作品だった。
夫婦関係は「バラ」と「庭師」さ
映画「マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ」
(レベッカ・ミラー監督)から。
「ニューヨークで暮らす男女の奇妙な三角関係を、
軽やかに描いたハートフルコメディ」との説明に惹かれた。(汗)
男女の三角関係に「軽やか」という単語が妙に違和感を感じたし、
一度、不倫で壊れた夫婦関係が元にもどる設定が気になった。
では、夫婦関係ってなんなんだ?と疑問に思っていたら、
作品中に、面白い例えをみつけた。
「夫婦関係は『バラ』と『庭師』さ。妻はバラだ」
「あなたは庭師?、へっぽこの。あなたがバラかも」
バラは華やかだし、自由自在に延びるけれど、
庭師がうまく剪定をしないと、トゲがある分、手入れが大変だ。
お互いが好き勝手にしていては、バラの良さはひきだせない。
だから、夫婦を「バラ」と「庭師」に例えて、どちらが欠けても
その魅力は半減してしまうことをつたえたかったのだろうか。
逆に言うと、この組み合わせが上手くいくと、
どちらも社会で評価されることになる、とも言える。
「夫婦関係って、楽しいけれど難しい」ではなく、
「難しいけれど楽しい」関係であって欲しいなぁ。
まあまあ
ニューヨークの大学で働くマギーは、妻子持ちの文化人類学者ジョンと恋に落ちる。仕事ひとすじで家庭を顧みない妻ジョーゼットに愛想を尽かしたジョンは離婚を決意し、マギーと再婚。数年後、ジョンとマギーは子どもにも恵まれ幸せな毎日を送っているかに見えたが、小説家になるため仕事を辞めたジョンとの生活にマギーは不安を感じていた。そんな中、多忙なジョーゼットの子どもたちの世話をするうちに、ジョーゼットとも親しくなったマギーは、ジョンはジョーゼットと一緒にいた方が幸せになれると気づき、夫を前妻に返すという突拍子もない計画を思いつく。二人のよりを戻すため学会で偶然を装って会わせ、うまくいきそうになるが、ジョンはそれに気が付いて腹を立て出て行ってしまう。ジョーゼットとマギーはそれぞれの子供を育てることになる。結局、ジョンは二人と別れて暮らし、マギーもジョーゼットも自分の子供を育てながらジョンとも適度な距離のある平和な生活を得ることができた。
フライヤーがMAX
フライヤーやWebサイトがとっても好きだったので楽しみにしていたのですが、このデザインから想像する内容とは違った。
フライヤーのこのシーンは本当一瞬で、この映画を表しているシーンでもなかったので何故この写真を使ったのかちょっと不思議。
二人の関係も出てるようで出てない巻。
本国のフライヤーやら見たら、全然違ったので、配給会社のデザイナー凄いなと感じる。
フォントとかイラストの感じとか素敵。
二人の愛を育んだ時間は短く、不倫の後に旦那への愛は冷める。
「私たちは不倫のままがよかったのよ」というセリフが印象的。
全員が全員そうじゃないだろうけど、こう思ってる人は結構多い印象。
ただ前半のイーサンホークが愛おし過ぎて、あんな求愛されたらそりゃファーーーてなる。
途中から結末は見えたけど、ハッピーエンドだったので良かった。
テーマは子供。
G・ガーウィグの肩幅はすごい。初めて観た時からガタイのいい
姉ちゃんだと思っていたが、まるでハンガーみたく掛けられそう。
さすがドイツ系!という感じだが、一色変わった個性が活きてる
彼女は私生活もこのマギーとよく似ている風なので(^^;さすがだ。
奇妙な三角関係だが、それぞれ皆さん頭のいい人なのでそこそこ
の選択ができそうなものだが夫婦となるとどうもうまくいかない。
特に夫役のイーサンに関しては、アンタ本当にバカなの!?って
言ってやりたくなるくらい子供っぽい。甘えてはすぐブチ切れる。
グレタ演じるマギーは続かない男関係を脱し精子提供だけを受け
出産しようと試みるが、そんな折、イーサン演じるジョンと一夜
を共にしてしまう。…で数年後には子供がいて、二人は結婚して
いるのだが、前妻ジョーゼットを演じるジュリアンの仕事ぶりと
ダメダメな家事ぶりを見かねて子供の面倒もマギーが見ている…
略奪愛の後始末。という感じなので自業自得ともいえるわけだが、
小説家として全く目の出ないジョンにだんだん嫌気がさしてくる。
あ~こりゃ前妻に返したほうがいいわ、向こうも好きみたいだし
ってアンタ(^^;おせっかいというより自己中もいいとこなのだが、
またこの計画にバカ夫が騙されるのだ。なんというのかこの流れ
あまり観ていて気持ちのいい展開とはいえない。洒落たコメディ
に描いているのだが、子供の立場でこの勝手さ許せます?って話。
しかし、タイトルに偽りはない。最後の〆に恐ろしい事実をこの
物語は提示してくるのだ。え~つまりこれって、最初から観客も
騙されてたってこと?まさか本人気付いてたよね?怖いぞマギー。
(しかしグレタが演じると嫌味じゃないのがいい。普通の女だと✖)
お節介?いやいや。無自覚な自己中でしょ。
そこはかとなくもやもやが残る作品。
ニューヨーク、グリニッジビレッジの風景は素敵、
マギーの服装、リリーとマギーの幸せ母子シーンも素敵。
役者は楽しそうに生き生きと演じているし、演技合戦も楽しい。
でも本筋は、肩透かしというか、論点がずれてる感じがして、いらいらしました。
あらすじはこんな感じです。
マギーは子供が欲しいが、男とは続かないので、友人から
精子提供を受ける予定。
↓
そんな折にジョンと出会って意気投合
ジョンは格上妻の尻に敷かれる日々を呪い、
小説を書きたがっている未成熟中年。
↓
友人ガイの精子をスポイドで自ら注入していたら、
ジョンがやってきて好きだと告白、マギーも告白してベッドへダイブ。
↓
ジョンの娘を産み、ジョンは離婚してマギーと再婚。
でも小説は完成も出版もせず、家事育児しないジョンと、
ジョンの子供たちの面倒も見て、てんてこ舞いのマギー。
↓
鬼嫁だと思っていたジョーゼットが知的で素敵な女性と知り、
うまくいかない結婚を精算するためなのに、
愛し合う2人をモトサヤにしようと、マギーはジョーゼットに
ジョンとよりを戻さないかと持ちかける
↓
ジョンは2人の策にまんまとはまって、ジョーゼットとヤる(バカすぎ)。
↓
女2人に手のひらころころされているとは知らず、
悲劇のヒロインよろしく嘆くジョンは
ジョーゼットとよりを戻そうとするが、
成り行きで訪問したマギーの友人宅でジョン返還計画を知ってしまい、
怒りくるって姿をくらます。
↓
マギーはお節介を反省。
ジョーゼットとはより仲良く。
ジョンは結局ジョーゼットとよりを戻し、
マギーは娘リリーとジョン&ジョーゼット一家と仲良しに(意味わからん)。
その上、リリーはなんだか数字が好きみたい。
あれあれ、精子提供してくれたガイは数学専攻よね?
皆がいるスケート場にガイもやってきた?
あっれー、実はリリーはジョンではなくガイの子?
それ何のフラグ?うそ、そのままおしまい?!
とまあ、こういう話です。
私のいらいらポイントは、
マギーがジョンにさめたのはわかるが、
その解決作を「ジョンとジョーゼットのため」として実行したことでしょうね。
なんで、小説を書くため大学を辞めたのに、
何年(恐らく2-3年?)たっても芽が出ず、
無職なのに家事も育児も手抜き(前はやってたのに)なジョンに幻滅したから
もういらん、別れたいって、はっきりゆわへんねん!!!!
本当は2人は愛し合ってるからとか、人のせいにして、
自分は「おせっかいだから」って。
おせっかいじゃなくて、自分勝手に無自覚なだけだろーよ。
無自覚な自己中がいっちばん嫌い、なので、そこにいらいらいらいらしました。
悪い子ではないし、精子提供を受ける辺りまでは、
自分に似てるなー、理解できるわーと思ってたから余計に。なにこれって。
コントロールしたがりがよくないんじゃない、
自己中をやめろともいわん。人は自己中なものだから。
ただ自己中を自覚しろ。自己中を人のためのお節介に粉飾するな。
そのように思いました。
ジョンは一緒にいる分にはかわいいと思えるだろうから、
セックスはするかもしれんけど、パートナーにするには未熟すぎる。
どこにでもいるただの男です。つまみ食い程度がいいでしょうよ。
また、結局リリーの製作担当者をガイか?と匂わせるのも意味わからんと思いました。
論点がずれるじゃんよ。ずっこけ話にするつもりか!
蛇足だ蛇足。品がないぜ、とかも思いました。
議論の余地があるいい題材を、もっと掘り下げろよ。せっかく高学歴の登場人物を揃えているのにさ!学者の意味ないやん。
ジョーゼットは、ジュリアンムーアが好きなので、面白いキャラを
楽しそうにやってはるわ、とは思いました。
でも、なんぼコロンビア大の終身雇用教員だからってさ、
食洗機の洗剤の適量もわからんのかい、と思いました。
書いてあるやろ洗剤の容れ物に!
あと、なんでジョーゼットの子供たちはデニッシュアメリカンスクールに
通ってたんでしょうね。ジョーゼットかジョンがデンマーク系なのかな?
辛辣な娘はよかったです。
現代的で議論のしがいのあるテーマを、
うわべだけかすってずっこけ話にしてしまっていて、こっちがずっこける出来です。
やれやれ。
感情的にならない都会のインテリたちの三角関係
知的で都会的な人々のためのコメディと言えばウディ・アレンを思い出す。次世代のウディ・アレンという呼び声もあるノア・バウムバックのミューズであるグレタ・ガーウィグは、まるで第2のダイアン・キートンといったところか。その存在が知的で都会的なコメディが良く似合うし、作中ジュリアン・ムーアが言うように「凄く純粋で、ちょっとバカ」なところがユニークな個性に繋がっている。
この映画自体も、ちょっぴりアレン風味。やっぱり都会のインテリ系コメディはアレンの影響を受けずには作れないのかな?というもどかしさも少々。
登場人物全員がそれぞれちょっとずつズレていて、その噛み合わなさを楽しむという分には十分楽しめるコメディ。ただタイトルを「Maggie's Plan」とまでしたそのプラン自体が実にお粗末なもので、全然物語を盛り上げない。義娘から「計画性がない」と呆れられてしまうほどの他愛もないプランは、プランというよりただの思い付きでしかなく、物語を牽引したり象徴したりできるほどの吸引力を持たないのは聊か問題。当然の如くあっさり失敗して、あっさり終わってしまう程度しか描かれないのは不服か。
物語が終わって、「丸く収まった」というより「余計なことをした」だけのように見えてしまったのは、映画として正しかったのか?ともやもやする感じ。
この映画にはアレンもいないしバウムバックもいない。レベッカ・ミラーならではの魅力が、この作品からは感じられなかった。
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