君の名は。のレビュー・感想・評価
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50代母が3回見て感じたこと
きっかけは近所の同年代の男性から熱く薦められたことでした。
予備知識ゼロでこの作品が新海監督作品デビュー、9月末に見に行きました。
鑑賞中、何度かフラッシュバックに襲われた。
前半は映像と音楽とテンポよく面白い、楽しい。
キラキラした風景に初恋の人とのデートの思い出がよみがえり、あの時は世界が輝いて見えたな、などと楽しく見ていました。
中盤、画面のカラーがダークトーンに変わり、立ち入り禁止の黄色いテープや瓦礫の山を見たとき。
私はこれを知っている。これは3.11だ。
あの日のことを描いているのだ。と思いました。
まっさらな状態で見ていたので確実ではないけれど。
住民を避難させる場面、防災無線のサイレンに鳥肌が立ちました。
その時は「津波てんでんこ」という言葉や津波到達点を伝える石碑が思い出されました。
一度目は想像以上の展開にびっくりして、多くの伏線などは見落としながら終了。
でも、不思議です。なぜ、この映画が頭から離れないのか、何日たっても彗星の落ちるシーンを思い出すと胸つかまれ涙ぐんでしまうのか。
もう一度見たい!とこんなにも思う映画は初めてでした。
映像と音楽がすばらしいので映画館で味わいたいと思うのもありますが、それだけではない、何かがある。
12月に部活が忙しくて見ていない娘と3回目を見に行きました。
住民避難のサイレンのあたり、隣を見ると娘は前のめりで目を見開き、ポカンとして固まって見ていました。
想像以上の展開にびっくりしたと。
「私にも運命の人っているのかな。」などと大人びた口調で話す娘を見て、私なりの思いを娘に話そうと思いました。
新海監督は自然からインスピレーション、癒しを感じ、憧れや敬意をもって作品を作っている。
でも、自然は時には冷たくて厳しいもので3.11ではそれを思い知らされた。
私は彗星の墜ちるシーンに自衛隊機から撮影された幾重に続く大津波の映像が重なる。
星が墜ちる先にもあの津波の行く先にも生きてる人がいるのに、誰にも止められない。思い出すと胸がつまる。
ほんとに人生も明日も何が起こるかわからない世の中だけど、
スパークルの歌詞の中に「こんな世界を二人で~生き抜いていこう」とあって、「生きよう」では弱い。
「生き抜こう」だからね。障害や困難を乗り越えて生きるってことだからね。
でも、一人で生きるって無理だから。
支えあって励ましあって、誰かを思う気持ちはパワーを生む。
瀧くんのみつはに会いたいという思いに突き動かされてご神体にたどりつき、みつはに届いて、みんなを助けたい一心でできるだけのことをして未来に帰っていった。
それを引き継いだみつはも走って走って、途中転んで心折れそうな時に手のひらのメッセージを見て「生きよう!生きたい!」ともう一度走り出したよね。
新海監督は若い人たちにそんな風に精一杯生きることを応援したくて作ったんだなと思う。
私はその思いが伝わってきて感動しているんだと思う。
映画をみた後のラーメン屋さんで熱く語る母に娘はなんと思ったか黙って聞いてました。
こんなこと後にも先にもないことだと思う。
春先までの大ロングランやアカデミー賞の行方も気になる。
もう少しこの映画の余韻に浸れそうです。
新海監督この映画を作ってくださり本当にありがとうございます。
仮に実写化されるとしたら、決して妥協しないで欲しい。
私は新海誠作品やRADWINPSの曲に触れるのは『君の名は。』が初めてで、『君の名は。』は殆ど予備知識無し(※)の状態で観に行った。
(※封切り日から約4週間経った時期に、「『君の名は。』の興行収入が『シン・ゴジラ』のそれを上回った」という誰かの掲示板書き込みを目にし、「どんな凄い映画なんだ?」と思った程度)
『君の名は。』の存在を知ってから
実際に観に行くまでにだいぶ時間が経ってしまったが、
結論だけ先に言うと、
「私が今までの人生で見た映画のベスト1を塗り替えた」
この映画に触発されてわけのわからない衝動に駆られ、
久しく書いていなかった同人2次創作小説を書いた。
私をそこまで駆り立てた創作物は、今世紀に入ってからは
今までのところ片手で数えるほどしか無い。
で、いざ感想を書いてみようとすると、上手く文章にできず、
正直、「なぜこの映画をここまで素晴らしいと思うのか?」を
第三者に誤解無く伝える「客観的な」文章を書けない。
「この作品の素晴らしい所は○○だ!」と書いたとたん、
(いや、これじゃない)と思って消したり書き直したりを繰り返した。
そもそも、映画に限らずあらゆる創作物において、
「素晴らしい!」と感じる時の感覚は本質的に主観的なものであり、
100%客観的な評価というものはおそらく不可能だろう。
……おむすびを食べた事の無い者に文章だけでおむすびの美味しさを100%伝えられるだろうか?
4色型色覚の人が見ている世界を多数派である3色型色覚の人が理解できるだろうか?
(主観を客観に100%変換する事の不可能性ゆえに評論(レビュー)などという行為が成立し、人間の中にはそれで飯を食ってる人もいるのであるが)
強いてこの作品について「この作品の素晴らしい所は○○だ!」的な事を言うとしたら、作品で語られる『ムスビ』だろうか。
……いや、これとてもこの作品を素晴らしいものに成らしめている要素の一つに過ぎない。
作品で語られる『ムスビ』という言葉あるいは概念は
『縁』や『絆』という言葉あるいは概念と似通っており、
『天災など抗う事が困難な事象に抗って生き延びようとする人々のつながりと営み』というイメージの要約であるとも言える。
プラネテスのテレビアニメ版に宇宙空間を思わせる空間で大勢の人々が手をつなぎ合って浮かんでいるイメージが出てくるが、
『ムスビ』という言葉にそのイメージを連想した。
結局のところ、私は自分が感じた感動を全て言語化する事ができない。
この感想を書くまでの思考過程のごく一部だけをかいつまんで述べるのがせいぜいだ。それが上記である。
ところで、ネット上を散策してると、この映画を不当に貶す発言もチラホラ見られる。「あんだけ売れる要素が揃っているなら俺にだってできる」と嘯く某漫画家や評論家や売れない映画監督や、
ティアマト彗星の軌道図にケチをつけた某SF寄りの小説家など。
どうも、(生産者・消費者の別を問わず)「ハードSF寄り」あるいは「リアリスト」を自認している者ほど、『君の名は。』を不当に貶す傾向が強くなる様だ。
それらに対する反論なら、むしろ『君の名は。』自体への純粋な称賛よりも書き易いぐらいなのだが、不毛なのであまり好き好んで書く気にはならない。
敢えてこの映画の欠点を書くとしたら、
「なぜ物語の山場で町長があの様な決断をしたのか?」について容易に推察できるに足る情報を、映画の中だけから汲み取れる程度に盛り込んで欲しかった、というぐらいのものか。
(それにしたって考察の材料が全く無かったわけではなく、想像力旺盛な人が映画を隅々まで見れば薄々感づく程度には、情報がちりばめられていたのだが)
誰も予測しなかったであろう興行収入200億超えの要因について「分析」する声や「基本的に万人受けするような人じゃないのになぜか流行っている」という旧来からの新海作品ファンと思しき人の困惑の声が未だに後を絶たないが、
大大大ヒットは多分「川村プロデューサーとRADWIMPSさんのおかげ」
某所で見かけた話によると、
「川村プロデューサーが脚本初稿の「秒速」的エンドにダメ出ししたのと、
新海監督とRADWIMPSさんが綿密な打ち合わせをした結果、映画のテーマ曲が決まり、
その曲から監督がインスピレーションを受けてあのラストのハッピーエンドになった」
……のだとか。
その話が本当なら、川村プロデューサーとRADWIMPSさんは「影の脚本担当」とも言えるだろう。
あと、どこかのインタビュー記事で、新海監督自身は
「自分を含めてこの映画を世に出すに当たって強く関わっている人全てが妥協しなかった事が、予想を遥かに上回る大ヒットの一番大きな要因」
という旨の自己分析をしていたかと、私は記憶している。
これだけ強力な「ドル箱コンテンツ」と化してしまった『君の名は。』なので、
東宝の偉い人達が2022年か2023年辺りに実写版リメイクを画策しても全然不思議ではない。
(なぜ「2022年か2023年辺り」なのかは、映画をちゃんと見た人なら得心する事であろう)
仮に後年実写化されるとしたら、どこぞの芸能事務所のゴリ押しでミスキャストに屈したりスポンサーの意向で作品の世界観を損なうような事態を招く事無く、実写版を世に出すに当たって強く関わる人全てが決して妥協しない事を、私は強く祈願する。
重たい内容ですが
前評判が高かったので、見に行きました。
高校生の、超常的な恋愛ものかと思いきや、
衝撃的な内容でもあり、真剣に見入りました。
主人公の女子高生が巫女であることで、神秘体験や、
神、霊魂との結びつきの強い人物設定となっています。
この設定からも、男女の入れ替わりの意味が見えてきます。
もともと飛騨地方は、神が宿る山や岩などのある場所、
と言われています。
新海監督も、そこに目を付けたのかどうか・・・
< ここからは、ネタばれあり >
映画で描かれている大災害は、ある意味不自然ですが、
東日本大震災などの、大災害を幾度となく経験した日本人
ならではの視点があります。
「あのころに戻れたら」という思いは、突然の災害などで
人生を失った人たちにとっての、強い願いかもしれません。
そんな、「過去に戻って、やり直せたらどんなにいいか・・・」
という切ない願いが、映画では、よく出ていました。
難点を言えば、主人公の女子高校生・三葉が、
東京へ行くシーン。
飛騨の山間部から、特急や新幹線を乗り継いで東京に行き、
その日のうちに帰ることは、現実にはできません。
最低でも、片道半日かかり、簡単には戻れないです。
そのうえ、たまたま居たホームから、ラッシュの電車の中に、
もう一人の主人公・瀧を見つけて電車に飛び乗ることは、
東京初体験の女子高生には、至難の業かと。
やはり超常現象そのものですね。(^-^;
内容的には、最後に救いのある映画でした。
ほっとする、余韻の残るラストシーンです。
ただ、これも難ですが、東京は良くて、
地方は夢も未来も無いように描かれている面があるところ。
三葉が、地元が嫌で東京に憧れ、最後は結局東京に行く、
というのも、少しさみしい気がしました。
自然の良さを知った瀧が、就職先を東京に限定せずに、
飛騨の田舎町に行き、そこで三葉たちに再会する・・・
そんなラストであってくれたらもっと良かったのに、
と思って見ました。
せっかく飛騨の美しい自然が描かれているのだから、
人類のふところでもある、自然に戻ってほしいと思いました。
どこが泣けるかがわからない
背景と音楽は素晴らしかった
ただ、あまりにも御都合主義すぎて
どこが泣けるかわからないくらいに
途中から冷めました
1番の違和感は
なぜ時間がずれていたことに気づかなかったのか
スマホの日記の日付
そもそもスマホの形
流行の音楽
流行の食べ物
地名を聞いてなぜ気づかなかったのか
未曾有の大惨事
それこそ「閖上」「大槌町」「浪江町」この地名を見て
すぐに災害と結びつくように
街一つがピンポイントで消えるような災害で
しかも数年しか経ってない状況で
なぜ気づかない?
そういう違和感がものすごく強い
流行りものなんで......
取り敢えず遅ればせながら鑑賞。
まず絵が綺麗。そして時間のトリックがよくわからない。そして恋愛感情にはご免なさい。共感はできなかった!
ただ単なる思春期の体入れ替わりだけの単純なストーリーではなく、彗星のという自然災害をテーマに絡めたスペクタクルストーリーになっている。
不思議な?不自然な?ところもあり、二回観たくなるのも頷ける。
追伸
一端記載してからネットでストーリーのからくりを把握することができました!
あっっっ!そういうことでだったのね!
と腹落ちしました!
三年の差!これがキーワード。
ということは三葉は瀧の三歳お姉さんということかぁ? なるほど。よく考えられたストーリー!★一個半追加しました!
つっこみどころは
多々あるけどあげあしをとるような真似はしたくない
物語を成立させる為のご都合主義的な構造で成立しているのはわかる
だから身体が入れ替わってる時に地元に帰ろうとするエピソードはない
男女の身体の入れ替わりは思春期的なエピソードよりもSF的な不思議現象色が強く、隕石のくだりも唐突な印象だったけどその後の畳み掛けが素晴らしかった
よくこの流れの話を作ったなあと感心
恋愛感情の正体は入れ替わってる身体への自己愛だとも言えるし、状況的には吊り橋効果なので、記憶が薄らいでからの後に階段ですれ違うシーンは蛇足かなとは思う
良い映画でした
映像の美しさが良かったです。
ストーリーは、映画だけで完結してないと思えるので★半分減らしました
よく言えば誰にでも受け入れられそう
なラストにしちゃった感
入れ替わってる時間がずれてる&もう既に手遅れから、過去改変は無理じゃ無いかって感じてその辺り勢いだけで、ハッピーエンドにしちゃうのは、説明不足だと思いました。
でも嫌いじゃないです。
ピュアだ!(笑)
ヒットしてるというので、観たかったのですが、ターゲット層が明らかに中高生で、オッサン(笑)な私は、なかなか躊躇してしまい、ようやく平日朝早く観に行きました。
でも旬が過ぎたというのに、結構まだ人が入ってます。流石、社会現象!
新海誠監督は、知っていましたが作品は観たことなく今回初めてです。
まず、やっぱり映像の美しさはスゴイ!
全体が、淡い感じの色調で、東京ってこんなに美しいのか?(笑)。糸守町の風景も流石です。
話的には、過去似たアイデアの作品は、あるのですが(東野圭吾の「ナミヤ雑貨店の奇跡」キアヌ・リーブスの「イルマーレ」とか)既にいない相手と分かった時は、驚きましたね。だからスマホが通じない伏線がナルホド!と。
内容で、ちょっと残念かなと思うのは、体が入れ替わったと気付いて、お互いがやり取り始めて親しくなっていくところが、ダイジェストっぽい?ので、淡い恋心を抱き始める主人公の感情が、唐突な感じで・・・。
酷い表現で作品を表すと、女子高生が好む恋愛スィーツ映画をアニメでファンタジー交えた感じ(笑)
でも、面白かったですよ。まあ、擦れた大人の自覚ある私としては、久々に新鮮な感じでした。(笑)
後、ネットとかでオタクアニメだとか、キモイ(笑)とか、批判もあるようですが、そんな感じは無かった?と思うんですけどねえ。
ちなみに御神酒は、作り方知ってたら絶対飲まない(笑)
後、思春期の男子が女子の体、手に入れたら、乳揉むぐらいじゃ済まんぞ!
って、このあたりがオッサンの発想ですかね。
いや!男なら同感してくれるはず?こういうのがキモイか。
新海誠が監督したRADWINPSの壮大なPV
大ヒットに値するとても素敵なお話。映像も驚愕の美しさ。…なのだが、お話のキモとなるシーンで必ずRADWINPSの歌がかかるので、なんかいやらしく感じる。お話の展開もやや強引。瀧と三葉の恋愛感情も大切なのに、80パーセントは夢のタネ明かしなので、二人の恋愛模様が薄く、唐突に好き合ったように感じてしまう。感情移入出来なかった人をおいてけぼりにしてしまう間延びシーンも多い。が、ここで脇キャラが良い仕事してて楽しい。彼らのおかげでラストは胸が躍る。テッシー&さやちん大好き。あと、長澤まさみと谷花音ちゃんアテレコ上手すぎ。声優業界ヤバいんじゃないスかね。
キレイ
「恋してた女の子が、すでに死んでた」ことに気づいた瞬間の背筋のゾクゾクが好き。意味深なオープニングとか、スマホのバージョンとか、小さく引っかかってたヒントが繋がった時の感覚とか、やっと対面できると思ってた好きな子が未来永劫失われてたショックとか。
彗星が凄くキレイで、なのにこれが人を沢山殺すというギャップに胸が締め付けられた。
今作を観る前に新海誠の旧作品を観たんだけど、正直素直に好きになれなかったので、観るか迷ってたけど観てよかった。私がそう感じてるだけかもしれないけど、特に制作が古ければ古いほど女の子キャラが「ぼくのかんがえたさいきょうのおんなのこ」ってだけで中身がよくわからず、気持ち悪かった…今作だと、三葉サイドの情景がわかりやすく、実体感があった。
あと、だいたいいつも別離エンドだったのが今作はハッピーエンドだったのも、印象的だった。
詩的な作風はそのままに、色々なバランス感覚をつけた感じ
最後、もうひと押し欲しかった
空にぬけるように広がる舞台。
それを包む大気に奥行きがあるのが分かる。
時や場所、性別を超えて見ず知らずの人と繋がるその奇跡を神秘的に描き出している。
夢のような情景に現実を感じるのは、作者がありのままにものを見て、そこに自分の見たいものを創造し重ねているからだと思う。
指摘されるような話の筋に対する違和感は人物の感情、物の道理を考慮しても特に強いものではなく創作上の自由の範囲を超えない。
人間間で心と体が入れ替わることや時間軸のずれに関する他の作品との類似性への指摘も、感じるところではない。
それは、入れ替わりに伴う神秘性そして、そのことの意味、それが向かう先を現実感を伴う奇跡のような情景とともに描き出していることによる。
この作品に私が求めるものは愛し合う男女間に起こる能動性。それにかかわる描写である。
もちろん話の筋における記憶に関する理由も重々理解するところなのだが、想う相手とのすれ違いや別れに対してあきらめがよすぎる。
作者監督の他の作品においても、相手への想いの現実における無力感が強く現れる。
相手を愛したいのであれば、あらゆる努力をしてほしい。
感傷に浸らずにちゃんと苦しんでほしい。
偶然に頼らず、二人の想いと、その行いで再会してほしかった。
最後、まごうことなくその言葉を言ってほしかった。
自ら紐を編み、繋がる二人をみたかった。
ポストモダニズムの象徴としての君の名は。
この映画を初めて視聴したとき、映像美や音楽との融和性、ストーリーの構成などから純粋に感動し、涙を流した。
ただそれと同時に、設定についていくのがやっとで
「これって矛盾してんじゃないの?」と疑問が消化されないまま
鑑賞を終えたのも事実であった。
ということで、感動を再度味わうために、そして疑問点を解消するために、現在計3度の鑑賞に至っている。
3度の鑑賞で自分が強烈に感じたのは
「この映画はポストモダニズムを鮮やかにかつ力強く描き出している」ということだ。
このレビューではポストモダニズムとそれが乗り越えていこうとしているモダニズムを以下のように定義する。
モダニズム=近代合理主義的な考え方。神や愛、感覚といった物理的、論理的につかみどころのないものよりも、理性に基づいて科学的に物事にアプローチしようとする態度。地球上で理性を持つ唯一の存在とされる「人間」を世界の中心として考えるため、自然を人間に従属したものとしてとらえる。
ポストモダニズム=脱近代的な考え方。近代が生み出した問題点を乗り越えていくために、近代合理主義の恩恵を認めつつも、理性でとらえられないもの、人間以外の存在(宗教、自然、愛など)も同時に大切にしていくべきであるとする態度。
ポストモダニズムという切り口で「君の名は。」のストーリーをみていきたい。
物語の序盤でてっしーが、前日の様子がおかしかった三葉に対して
その原因が「それって、前世の記憶?エヴェレット解釈に基づくマルチバースに無意識が接続したっちゅう!!!」というなにやらわけの分からぬことを、オカルト雑誌を開きながら発言するシーン。
同級生の様子のおかしさを理性では到底とらえられぬオカルト的要
素に帰結させるてっしー、ナイスである。
このてっしーの存在がポストモダン的な生き方の一つ象徴なのだが、それはまた後程。
そしてその夜、組紐作りにいそしむ宮水一家の様子と
巫女装束に身を包み儀式を行う三葉・四葉の姿が映し出される。
近代が下等なものとして興味の埒外に置いた「宗教」的要素が非常に美しく描かれている。
その中で、おばあちゃんが「文字は消えても伝統は消しちゃいかん」といった趣旨の発言をしたシーンも興味深い。
これは「オーラルヒストリー」を端的に表したセリフだ。
「オーラルヒストリー」とは、近代合理主義的な歴史分析の「文字という、理性で客観的に把握可能なもの」をもつ物にのみ歴史が存在し、文字を持たないすべてのものは同時に歴史をも持たないという立場を乗り越えようとする歴史観である。
たとえ文字は消えても、土着の人々の力で時には口頭で、時にはもの(組紐)で文化(歴史)を伝承していこうとする態度だ。
また、三葉・四葉の父、俊樹が妻を亡くしたことから神への懐疑を抱き、神社を出て政治の道に進んだことが明らかになったシーンは
まさに、モダニズムの象徴である。
神が世界の中心であった中世から、人間を世界の中心に据えて
人の力で世界を変えていこう(その手段は往々にして政治もしくは商業活動だ)とする態度が端的に表れている。
町長に再度選出されるために土建屋への根回しをするなど
非常に理知的に物事を進め、娘(中身は瀧だったが)の「彗星が町に落ちてみんなが死ぬ」という主張にも一度は耳を貸さず、「病気だ」と合理的な反応を見せる父は、近代主義を凝縮したような存在である。
そして、物語のキーの一つである「彗星」に
近代合理主義への警鐘が読み取れる。
三葉との入れ替わりが起きなくなった瀧は、三葉に会いに行くことを決意。途中立ち寄ったラーメン屋で手がかりを得、糸守へと向かうが、そこに待っていたのは壊滅し、町が消失した糸守だった。
物語のなかで非常に美しく、幻想的に描かれていた彗星が、実は破滅の象徴であったという事実に、私は驚きを隠せなかった。
ここから読み取れるメッセージは、「結局のところ自然は人間の思い通りになるものではなく(作中でも、彗星の核が砕けて落下をすることをだれも予測できなかったというセリフがある)、時には人智を超えた力をも発揮し得る。そんな自然を支配しようとするのではなく、崇拝し、時には恐れ、共存していくべきである。」ということではないだろうか。
彗星の落下によって糸守は壊滅し、三葉も死んだ。
この事実を知った瀧は、様々な苦悩を抱えつつも口噛み酒によって再び三葉との入れ替わりを行い、糸守を、そして三葉を救うことを決意する。
さやちんとてっしーと共に糸守救出作戦を練る瀧 in 三葉。
ここでてっしーがポストモダニズムの象徴であるということが一層鮮明に見えてくる。
防災無線、重畳周波数など普通の高校生では知りえないような科学的な知識を披露し、高校生にしてMacbookを操る。
非常に理知的な印象を感じるシーンであるが、先述のように、このてっしー、オカルトマニアである。ほかの方々のレビューでも言及されているように、オカルトマニアであるからこそ、「彗星が落ちてみんなが死ぬ」という突拍子もない言葉に真摯に向き合えたのだ。
狐憑きや彗星の落下といった非合理的なものにも心を開き
問題を解決するときは理知的に、合理的に。このようなてっしーの生き方は、ポストモダンな現代に生きる我れにこそ必要な生き方であろう。
御神体のある地でカタワレ時に奇跡の出会いを果たした三葉と瀧。瀧から作戦を引き継いだ三葉は町へと戻り、父のもとへ。
ここまで見てきたように、三葉の父・俊樹は
モダニズムの象徴的な人物である。
一度は「彗星が町に落ちる」という発言に全く取り合わなかった父。
しかし、傷だらけの三葉の姿、そしておそらく、三葉の熱意に押され、消防団の出動を命じたようだ。
この出来事に、ポストモダニズムが集約されている。
近代的、合理的な考え方で行動してきた父が最終的には
娘の「熱意」によって「感情」を動かされ、非合理な事実(町長は山火事はないとの連絡を受けていた)から目をそらさず、
意思決定をしたというこのシーン。
まさに、非合理が合理を乗り越えた瞬間であろう。
このようにポストモダンという切り口でみても印象的なシーンがとても多い「君の名は。」。
私の周りの友人たちは意外にも辛口だ。
「時間軸がずれた入れ替わりなのだから、糸守がすでに壊滅していることにお互いが気付かないのはおかしい。」
「日常生活の中で今が西暦何年なのか、普通に気づくはず」
「メモなどの非効率な方法ではなく、もっと早くスマホで連絡を取ろうとするはず。」などなど・・・
確かに、非常に理にかなった指摘であり、「なるほど」と思わされた。
映画や小説などは非常に精緻に、矛盾がないように作成されることが前提の現代において上記のような点は確かに気になるポイントではある。
しかし、この映画を見て、純粋な感動を覚えた私は、あえて声高に主張したい。
「それでも良いではないか!!!!!」、と。
細かな矛盾はあれど、「映像美」や「音楽」といった
「感覚的」なものを基礎に、ストーリーにもふんだんに非合理的要素が散りばめられた本作が多くの人の心(外国人の心さえ)つかんだというのはまぎれもない事実である。
憶測の域を出ないが、新海監督をはじめとする「君の名は。」の製作スタッフは、あえてこのような矛盾点を残したのではないだろうか。
矛盾はあれど、映像、音楽、ストーリーによってそれらに対する疑問をはるかに超えた感動を生み出そうとする大いなる挑戦=理性万能の近代合理主義を乗り越え、感覚的でメタフィジカルなものにも焦点を当てていこうとするチャレンジ。
確かに、爪痕を残したのではないだろうか。この映画がヒットしたということは、人々の中に近代合理主義への懐疑が生まれている証明になるかもしれない。
あるいは、人の心を動かすのは論理ではなく、感情的な要素だ、ということの証明だろうか。
いずれにせよ、言葉や論理を超え、直接感情に訴えかけてくる本作が素晴らしいものであるということに、変わりはない。
忘れてはいけないもの 青い心と3.11
日頃全くアニメは観ないのですが、とても話題になっていたので鑑賞。うん、普通に面白いじゃないですか!
観ててやっぱり「若いっていいなー」っと思いました。年甲斐もなく若い頃の何かに夢中になっている時の気持ちを思い出してしまい胸が熱くなる始末。学生の時に観たらきっともっと面白かったのではないかと思います。
隕石が落ちてきた災害は3.11がモデルですよね。恋愛の要素と共に災害を食い止める要素が1つのテーマとなっています。確かに恋愛要素のみではここまでロングランのヒットにならなかったのではないでしょうか?
タキくんが頑張ったのも、災害を食い止めるっていうよりも、なんだかんだでミツハに逢いたかった為なんですよね、基本的な動機としては。その結果として多くの人を救う事になったという。好きな人の為に夢中になれるってのは素晴らしい事だと思います。
大人になると日々の生活に埋没してしまう青い心、そして現実の世界では止められずに起きてしまった不幸を忘れる事なく生きていかねばなと思いました。
再観賞記録
2021/3/27
本作を最初に観た当時からすると随分と色々アニメを観たので、やっぱり良くできているなっと思いました。映画は良く観る側の人間なのですが、最近アニメも面白いってのに気が付きチョコチョコと観るようになってます。人間いくつになっても知らない面白い事は世の中に溢れてるもんですよね。
本作を久しぶりに観て、救われない現実もあるけど、救われた世界もあっていいんじゃなかろうかと思います。
再々鑑賞履歴
2022/10/2
IMAXにて
私たちの行けない、彼岸の物語 (妄想、願い、あるいは祈り)
この物語を恋愛ものとして見ているレビューが多いので、あえてもう一つの視点からの感想を書こうと思う。
その分ネタバレの内容も詳細なので読む方には気を付けていただきたい。
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この物語の主人公が誰かと問われれば、当然 三葉と瀧という答えになるだろう。
彼らは物語の中で「運命の出会い」というテーマ部分を担っているが、視点を変えて別のテーマで見たとき、私はあと2グループの主人公たちが存在していると思えた。
ひとつは、テッシーとサヤちゃん。
もうひとつは、高山ラーメン屋のおやじである。
テッシー達はともかくとして、ラーメン屋のおやじはどうかと言われそうだが、彼はとても重要な位置にいる。
彼は「災害後生き残った人」の代表なのだ。生き残り、失われた故郷を離れ、喪失感を抱えながら堅実に今を生きている。
彼の「あんたの描いた糸守、ありゃあよかった」という台詞は、私にとっては上位の涙腺ポイントだった。
彼は私達の投影だ。311を生き残り、故郷を失い、それでも今を生きている私達そのものだ。
では、テッシー達は誰の投影か。
おそらくは、311(あるいは、過去に起きたすべての災害)で亡くなった人達である。
タイムリープもの、あるいは歴史書き換え物の作品に出合った時思うのが、歴史が書き換わらなかった方の元の世界はどうなっているのだろうか、ということだ。
考え方は2つあって
1)歴史が書き換えられた時点で消滅
2)平行世界(パラレルワールド)として、そのまま存在している = おこった悲劇はそのまま
だろうと思う。
2)だと救いがないので基本的に私は1)の解釈を当てはめることにしているが、今回の作品に関しては2)の方が救いがあると思っている。
なぜなら、今まさに私たちが悲劇が書き換わらずにそのまま時の経った方の世界にいるからだ。(=ラーメン屋のおやじ側)
もしも「あの日」に戻れたら、きっと誰もが三葉たちと同じ行動をとりたいと願うはず。
自分にそんな能力はないが、もしかしたらもう誰かがそんな不思議な体験をしているのでは?という想像をせずにはいられない。
書き換わった歴史のもう一つの世界では、此方側では未来を失った若い人たちが元気で生き延びて、(テッシーとさやちゃんのように)喫茶店で恋人と結婚式の打ち合わせをする光景が存在しているのかもしれない。
小学生だった少女たちは、(四葉のように)高校生になっているのだろう。
けれどもその世界は平行世界の此方側にいる私達には決して行くことのできないあちら側 ―― 彼岸である。
決して行けない向こう側。
だから「あったらいいな」という願いだけが残る。
こんな平行世界があったらいい。
決して行くことはできないけれど、あったらいい。
そして、そこではもういなくなったはずの彼らが幸せでいてくれたならどんなにか救われることだろう。
この映画はたぶん、そういう妄想であり、願いであり、祈りである。
そんなに?
@新宿TOHO.ヒットし異例のロングラン上映をしている事と、高校生が主人公である事以外、何の事前情報も得ずに鑑賞。鑑賞理由としては、なぜそこまでヒットしているのかに興味があり、先入観を抱かずに鑑賞するためにも、事前情報は仕入れなかった。感想=自分にはなぜそこまでヒットしているのかよく理解できなかった。映像・音楽の使い方がうまく、飽きる事なく映画を鑑賞できた。しかしどうしてもストーリーがしっくり来ない。男女の入れ替わり系は特に新規性がないし、残りは単なるラブストーリーだし、何がそんなに良いのか??この映画のターゲット客としては主人公と同年代近辺だろう。しかし映画館にはかなり幅広い年齢層がいた。うーん、わからない。
超びみょー・・・。
前情報が少し入った状態で見に行きました。
テレビで流れる映画情報のコーナーでは絶賛の嵐。
舞台になった地を巡る「聖地巡礼」という行動をする方もかなり多いと聞き、
「そんなに言うのなら、きっとものすごい作品なのだろう!私も見たあとに聖地巡礼をするぞ!」と大きな期待を持って見に行きました。
しかし鑑賞直後の私は
「面白かったけど、社会現象になるほど盛り上がるものではないな」と思いました。
もし誰かから感想を聞かれたときに簡潔に答えるとするならば
「綺麗すぎる画に気を取られてる間に、サッと気づかれないように伏線を張ってくる。伏線の張り方と回収の演出が悪くて、後半は置いてけぼりを食らう。何も考えないで見て入ればスッと入ってくるけれど、色々考えてると突っ込みどころが多々あって集中できない。あと私は涙腺がピクリともしなかった。」
と言うと思います。
前情報が入っていなければもう少し感じ方が変わっていたかもしれないですが。
また、この感想を見て「そういったツッコミは野暮だよ」と思われる方がいるかもしれませんが、だって気になるんですもん。
腑に落ちないとことは黙ってはいられないです。
CMだと恋愛もの感もりもりに見えましたが、それよりSF的な要素のほうが目立っていたように思います。
まず、“心と体の入れ替わり”のことに関する意見ですが、
「学校に行く」なんて行動が考えられないです……。
自分がどこの誰かも分からない人間になっていて、ちゃんと学校に着くなんておかしな話じゃないですか?
私だったら、家に引きこもるか家の周辺を探り、自分が誰でここはどこなのかの答えを求めるくらいしかできないと思います。
その後、お互いの環境に徐々に適応していくのはいいのですが、
お互いの時間の差に気がつかないのはちょっとムリな設定なのではないかなと思います。
三葉の住む町の美しい描写はとても素敵です。
風に揺れる木々の緑色にキラキラと光る湖など、もう実写にしちゃえばいいじゃん!と言いたくなるほどリアリティーがあります。その場の匂いも感じられそうなほどです。
組紐を作る場面だったり、神楽の舞台だったり、ラーメン屋だったり、「聖地巡礼」する人を狙って作ろうとしていたのかは分かりませんが、訪れてみたいと思わせるような描写が盛り沢山でした。
折角の「入れ替わり」なのだから、瀧くんの住むところももっと美しくアピールしてほしかったです。都会の魅力をもっと!
瀧くんと奥寺先輩がデートをした美術館のリアルな画にはとても驚きましたが。
三葉には都会への憧れや、現状への不満など、感情を感じ取れるシーンが多数あっと思いますが、瀧くんにはいまいち…何の特徴も無さすぎです。
お互いが恋に落ちる点もようわからん。あの過ごし方とかだと、「なんかちょっと気になる」程度にはなっても、好きとは確信できないよ。
お互いが惹かれる要素がないし、そんな演出が微塵も感じられなかったわ…
涙するほどまで好きになる要素があったとは思えない。んまぁ恋愛に関しては「理論」じゃなくて「理由はわからないけど、いつの間にか」ってのはよくある話なんだけど…
全体を見るとやや三葉のほうに注ぐ力が偏ってしまってる気がします。
もうちょっと中身を洗練させて、集中できる内容にしてくださいって感じです。
私が褒めるのは絵の綺麗さだけ。
あ、RADWIMPSはイメージがぴったりでしたね。
違う人が曲を担当してたらこんなにヒットしてなかったと思います。
...前評判ほどでは
また映画館、DVDで観ようとは思わない
TVでチャンネル回してて、やってたら「TV画面だとどんな感じだろ?」程度にちょっと観るくらいかなあ
周りの前評判
ストーリーが面白い。
絵が綺麗。
ストーリーが面白い。
→過去変われ!って応援できたし、再会できたところはスカッとした。
開始1時間経ったくらいから楽しめる。
たきくんの糸守の絵から実際の場所探すとことか
ただ、見たことある感はぬぐえない。
携帯に日記は残すのに即電話で連絡取り合わないのは、ストーリーを楽しむ映画を成り立たせるためとはいえ、きびしかった
笑いどころもいくつかあるけど、タイミングが微妙なのと、
過去のカラダ入れ替わりストーリーのドラマの笑いどころの多さと言ったらそれはそれは多かった記憶が
あれは俳優と女優が生身の人間だったからか。
俳優のもともとのイメージとのギャップというか
あと、流石にカラダたきくんが最後まで内股っていうのは、感情移入が難しかった
彗星落ちるのが、サマーウォーズっぽかった
他の次世代アニメ監督と似たようなのは見たくなかった
中身が入れ替わるストーリーの日本のドラマ(タイトル忘れ)
時間軸がかわるストーリーの洋画 all you need is kill、interstellar
が観たくなった
絵が綺麗。
→綺麗。小物は。鉛筆の痕とか、戸のレールとかがリアルで。
ただ、リアル=綺麗 で観てしまうと、どうしたって人が浮き出てしまう。なじまないというか。
ジブリで、全て手書きのかぐや姫の物語があったが、あれのアニメとしての良さを感じた
彗星のかたわれ?、オーロラみたいなとこが画的にはいちばんの山場なんだろうけど、期待を越えるまではいかなかった。
パンツとかブラとか、奥寺先輩の私服とかの、ナニコレ感
テンションというか、ワクワクが少ないというか。
自分が想像力が足りないのか、
アニメ絵に慣れてないのか、
映画開始前広告の土竜の唄?のエロの方が強かったからか
全体的には、
ストーリーも、絵も、セリフも、
こんなん好きなんやろ?感が強め
自分がアニメに慣れてないからかもしれないけど
次世代アニメ監督3人?
時をかける少女、サマーウォーズ、までは楽しめた 素直に、とても。どちらも3回以上観るほど
ただおおかみこども、バケモノの子あたりから、こんなん好きなんやろ感が胸やけしそうになる
余白が少ないというか、
薄皮あんぱんならぬ、ほとんど皮ないあんパンというか、
人格整い過ぎとか、絵と声優キャストのルックスそのまんま感とか
準備され過ぎてる感 とでも言うのか
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