君の名は。のレビュー・感想・評価
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純粋にいい
映画館に足を運ぶことも少ないし、ましてやアニメはあまり見ませんが、たまたま時間が空いたのと結構話題ということで何気なしに見たら…まさかのどハマりで、アホかというくらい繰り返し映画館に通うことになるとは…
同じ映画館では…あのオッさんまた来たか…と思われるのが嫌で、別々の映画館に足繁く通ってしまいました。
涙することはないけど、こんな物語があっても良いな〜と純粋に思ってしまいます。
ほとんどの映画館で上映が終了してしまうので、記念にレビューを書いて見ました。
超ヒモ理論だ!笑
てっしーが序盤で多世界解釈の雑誌を校庭で出してたところや、時間を飛び越えるトリガーを紐にしていたこと、紐の説明でやたら時間の解釈的な文言を繰り返していたことなどが伏線だと思うのですが、単なるSFとしてでなく最新の宇宙論や時間に対する議論を芯に通していた印象。超ひも理論は並行(多元)宇宙を予言するし、多世界解釈も絡んでくると時間の定義って本当に曖昧になります。
世界を覇権する日本製アニメの金字塔
見始めてすぐに、その素晴らしさに「風の谷のナウシカ」を見たとき以来の大きな衝撃を受けた。日本のアニメーション界に大きな金字塔を立てる作品であると同時に、世界へ打って出て大きな勝利が得られる作品との確信が、見終わってすぐに得られた。
何がそれほど素晴らしいのか?
第1に、メインキャラクター達の表情等、絵的設計が素晴らしかった。男っぽさとワイルドさも相当に備えた立花瀧の作画は、神木さんの声も相まって日本のアニメ史上最高!?の格好良い男の子に思えた。ヒロインの宮水三葉さんの表現も、可愛らしさと真っ直ぐさにコミカルな感じも加えられ、とても素晴らしかった。そして、何よりも、三葉が入った瀧君は、優しさに仄かな色気もある上に神木さんの演技賞ものの声の表現も加わり、今まで全く見たことが無い魅力的なキャラクターとなっていた。瀧の先輩の奥寺ミキさんが好きになって忘れられなくなってしまったのも納得できた。キャラクターデザイン担当の田中将賀さんの類い稀な才能に、深海監督の演出と安藤作画監督の解釈に才能有る俳優陣の表現が加わり、素晴らしく魅力的なメインキャラクターが創作されたことに、大きな拍手をしたい。
次にやはり、新海監督の特徴である景観の美しさに、安藤さんの参加もあってか、さらに深みと凄みを感じさせた。都会と田舎を交互に見せ、そこに心象的要素も入っていて、とっても魅力的であった。通学路、三人で降り立った飛騨の駅、神社の神楽殿、そしてカルデラ湖と外輪山。それと対照的な、瀧のマンションから見える東宮御所?さらに赤坂のビル街と思われる遠景、奥寺さんと待ち合わせた四谷駅前、雨で濡れた新宿駅サザンテラス奥の路面タイルに映るスタバの緑の光、三葉が座っていた代々木駅ホームのベンチ、三葉に携帯をかけてた信濃町の歩道橋、などなど、こんなに美しい、そして魅力的な東京の街は初めて見た気がした。感情が投影されているからか、馴染みある平凡な場所の素敵さに、とても感動してしまった。そして結果として、見事なまでに、東京、及び日本の観光PRにもしっかりとなってもいた。
さらに、本映画では、新海作品としては従来作品とは異なり、よく練られたストーリーと圧倒的に見るものを引き込む大きな展開と疾走感が、本当に素晴らしかった。時間を超えて入れ替わるというのは謎を産み出す秀逸なアイデアである。そして、流れ星での大災害設定も、映像的な美しさと3.11を思い起こさせるとともにそれと闘う社会的メッセージを含ませられ、とても独創的と感じた。巫女舞及び赤い組紐も、日本を感じさせる道具立てとして、とても魅力的であった。優れたエンタテイメントにさせる意味で、今を感じさせるリズム有する音楽と広がりを持たせた歌詞の付与も、世界に通ずる高品質なブランド商品としてのの付加価値付与に貢献していた。
助走期間もあったが新海監督の類い稀な才能の基、日本のアニメ界の実力者達も加わって、新しいタイプの世界トップレベルのアニメーションの誕生に、乾杯である。
アニメはあまり観ないんですが
公開前にラジオでRADWIMPSの前前前世がかかりまくってたもんで気になって観にいきました。そしたらビックリこんなブレイクするとは思いませんでした。
最近、映画.comのアプリを使い始めたんでレビューが今頃になってしまいました。
オマージュ作品?
この監督は40代と聞きました。過去の名作を知らないわけはないのでこの作品はオマージュ作品と銘打ってほしいですがいろいろな映画から拝借してるのでそれも難しいのかな。それとアニメが苦手な人の多くが感じるであろうアニメ特有のキモい少女描写が満載です
良かったですが…
内容やテンポ、ギャグ、音楽はとても良かったです。泣く場面はありませんが、心温まる作品でした。ただ気になる点がいくつかありました。
カメラが横移動するときに人物像が紙のようにペラペラに見えてしまうのは自分だけでしょうか。映像がとことん綺麗だったために少し残念でした。
三葉と入れ替わった瀧が自分の胸を揉むシーンは素直に笑いましたが、その他のシーンでもエロ描写が極端に多かった印象です。緊迫した場面でもパンチラを挟んでくるのはやりすぎでは?と思いました。
真実性と物語性の致命的な欠如。
◯「秒速5センチメートル」にみる新海作品の特異性
新海誠監督の作品鑑賞は、「秒速5センチメートル(以下、秒速)」以来である。「秒速」は、主人公2人の「内なる世界」を描写した物語であった。主人公2人を異物として切り離すクラスメート、息苦しさの根源的要因として描かれる現代社会。その対立構造が、2人の関係性により特別感を演出し、短編作品としての完成度を際立たせるのに効果的であったように思われる。そこでは、2人の「内なる世界」の特別感を演出するために、それ以外の登場人物や社会そのものが2人にとっての「異物」、つまり「外なる世界」として描かれた。2人だけの世界では、2人の人間が感情を交流させていた、それ故に物語の世界から完全に孤立した「内なる世界」には特別感があった。短編作品としては、非常に完成度が高いように思われた。ただ、そこにはリアリティやストーリーテリングといったものの存在がない。「内なる世界」で紡がれる2人の関係性に特別感を演出するために、「外なる世界」のすべての事象は、機械的な記号として描かれたし(ストーリーテリングの欠如)、それ故、世界からはリアリティが欠如していた。しかしながら、僅かな時間と登場人物を以って、「内なる世界」で紡がれる2人の特別な関係性には、浮世離れした不思議な魅力が確かに存在していたし、その幻想的な世界観の演出を目的とした短編作品には、そもそも真実性(リアリティ)も物語性(ストーリーテリング)も必要なかったのであろう。
◯真実性、物語性の欠如からくる違和感
「君の名は。」という作品も、「秒速」と同様に瀧と三葉の「内なる世界」を描写したものであった。ただ、「君の名は。」と「秒速」には決定的な違いがある。それは、長編作品であるのか、短編作品であるのか、という点だ。そして、両者に共通するのは、やはりリアリティとストーリーテリングが致命的なまでに欠如している、という点である。順を追って説明を加える。
リアリティとは、「現実性」ではない。アニメ作品は、アニメ作品である以上、奇跡が許されているし、私もSF作品を好んで鑑賞する。ここにいうリアリティとは、「真実性」である。「君の名は。」に登場する瀧や三葉が生活する「空想の世界」が如何に真実性(リアリティ)に富んでいるか、そういった意味で受け取ってもらえるとよいだろう。さて、「君の名は。」に描かれる「空想の世界」のどこが、どのように、リアリティに欠けているのだろうか。男女の身体がリバースする、という設定はありふれているし、そこは問題ではない。ここで問題とすべきは、一度も顔を合わせたことのない男女が如何にして、尋常でないほどに恋い焦がれ合うようになるだろうか、という素朴な疑問である。リバースを重ねる度に、互いの存在を認識し、求めるようになったのであれば、常識的に考えれば、声を聞きたい、実際に会いたいと思うのではないだろうか。そうしたプロセスもなしに、瀧は、未だ実際に顔を合わせたことのない三葉のために尋常でない労力(コスト)を払う。その割には、三葉の父親である町長には、あっさりと引き退る。やはり、リアリティがない。真実性の証明が難しい場面が多すぎるのだ。
ストーリーテリングはどうだろうか。たとえば、瀧の考えを追認し、無償で支援する友人たちの存在はどうだろうか。親しい友人であれば、そう易々と瀧の考えをすべて追認するとは考えにくい。であれば、瀧の考えを、考えなしに追認するような関係の浅い友人が、無償の支援を行い得るだろうか。友人の存在に対する漠然とした違和感は、ストーリーが終盤に進むにつれてより強くなる。意味深げに画面に映る巫女は、神社は、何か物語の根幹部分を成していただろうか。自らしか隕石の危機を知らぬはずの瀧が、尋常でない労力を払った挙句に、町長の説得を試みず、そう易々と引き退るのが自然だろうか。そこからは、ストーリーテリングを感じ取れぬ。この作品に物語性はあるのか、と問わずにはいられないのである。(SF作品としての作り込みの甘さは、ここでは言及しないが、「内なる世界」を描くという目的に対して、SF作品としてのリアリティを追い求めることは、無意味であるとの判断があったのだろう。詳しくは以下を参照。)
◯違和感の正体
私は、「君の名は。」も「秒速」と同様に瀧と三葉の「内なる世界」を描写して作品であると指摘した。つまり、2人の特別な関係性を演出することを目的とした作品であるからこそ、そこにはリアリティもストーリーテリングもはじめから存在しないのではないか。「内なる世界」で紡がれる2人の特別な関係性を演出するためには、友人も、家族も、街も、風景も、隕石ですらも、それをより効果的に引き立てるための記号に過ぎないのである。であればこそ、そこには真実性も物語性も存在しないし、寧ろ存在する必要はないのである。そして驚くべきことに、「内なる世界」の特別感を演出するという目的を完遂するためには、瀧は瀧である必要性はなく、三葉は三葉である必要性はないのである。2人もまた、「内なる世界」の特別感を演出するための記号に過ぎないからである。だからこそ、ストーリー序盤ではリバースがコメディのように描かれ、恋愛作品としてのリアリティすら感ぜられないように思われても、終盤にかけて、瀧は実際に会ったこともない三葉を恋い焦がれ、尋常でない労力を払うというストーリーテリングのカケラもない行為に及ぶことが可能なのである。
以上が、違和感の正体である。
「君の名は。」という物語は、「内なる世界」の特別感を描写してきたら新海作品の一作品に過ぎない。では、なぜ「秒速」を評価しておきながらも、同様に「内なる世界」の特別感を描写した「君の名は。」の評価を☆1とするのか。答えは、明瞭だ。何故なら、「君の名は。」は、長編作品としての体を成していないからである。私にとって「君の名は。」という作品には、PVを長編アニメーション作品に引き延ばした、といった印象しか持ち得ないのである。
短編作品で真実性と物語性の欠如が許されるのは、PV(プロモーション・ビデオ)が非物語的なアプローチで製作することを許された芸術作品であるからだ。そこが長編作品との最大の違いであり、「君の名は。」はそうした意味では、長編のアニメーション作品としては、評価のしようがないのである。
映画作品において、真実性と物語性が欠如しているといるということは、世界観が作り込まれず、登場人物が感情を持たない記号として存在していることを意味する。ここまでこのように長い駄文を読み進めてくださった読者であれば、それが物語としての死を意味することは、想像に難くないことであろう。
◯補稿(Y2さんコメントいただき有難う御座います。真摯に受け止め、可能な部分については返答致します)
>これほど「外なる世界」と戦った新海作品は他に無い
「君の名は。」鑑賞後、新海作品をおおよそ鑑賞しましたが、共通するのはやはり「内なる世界」の特別感を描写している、という点です。「君の名は。」の場合、男女の恋愛という「内なる世界」に、隕石災害という「外なる世界」の大事象が直接的に接続されています。しかし、これ自体が「内なる世界」の特別感を効果的に演出する目的で隕石災害という事象を記号=道具(演出装置)として登場させたに過ぎないように思われます。
>交換日記、あるいは文通ってしたことあります?
>想像力がかき立てられる分、むしろ恋の炎が燃え上がっても不思議は無いと思います
あります。
不思議はないでしょうが、そうした仮説を決定づけるような描写(心情の変化)、演出には心当たりがありません。
>単純に三葉の父親の胸倉をつかんだあとの詳しい描写がされてないだけ
どこかで新海監督のインタビュー記事を拝見しましたが、瀧と三葉の心情に焦点があるため、その場面を描くとブレが生じるといった趣旨のコメントをされていました。しかし、その場面を描写しないことで、物語の接続が曖昧になり、ストーリーテリングが薄弱化しています。映画は大衆作品である以上、物語の整合性は非常に重要なことのように思われます。ただ、この場面のストーリーテリングの軽視が、「内なる世界」の特別感を演出するのには必要なかったからであるとすれば納得がいきます。
>好きな相手の無茶に付き合うことに理由は無いと思いますよ
それにしても、瀧にとって「都合の良い」友人として描かれ過ぎていることには違いありません。これも、「内なる世界」の特別感を演出するのには、友人らは瀧の考えを追認するのが都合が良かったということであれば納得がいきます。
>三葉が東京に来たとき瀧に会えたのは偶然というにはおかしすぎる
この点は、どのような作品にも散見されることなので問題はないかと。
>三葉の日記がなんで物理的に消滅してしまったか
リアリティとストーリーテリング軽視の結果でしょう。
日本アニメ史上に残る新たな金字塔
三回見た。その度に感動した。
嫁さんは何度も泣いてた。
始まって5分で間違いない当たり映画だ、と核心させられました。
きらめく自然と都会の対比、田舎の女の子と都会の男の子の対比。
その全てが美しく、映画館で観客全てが夢に落ちたかのように魔法がかけられていくのが感じられました。
本当にこの映画に出会えてよかった。
空が落ちる…そして夢がさめても、この感動は一生忘れないと思う。
この映画の感想を書ける事が幸せ、そんな映画です。今からでも映画館で見てほしい。
RADWIMPSの音楽と心身の入れ替わり、くらいの予備知識でシネコ...
RADWIMPSの音楽と心身の入れ替わり、くらいの予備知識でシネコンへ。単なる青春ラブものかと思いきや、なかなかに凝ったストーリーで、いい意味で裏切られた。ネタばらし厳禁タイプだから、細かいとこだけ、突っ込んでおく。
・マッキーとのタイアップ→うまい
・おっぱいさわる必然性あり→うまい
・奥寺先輩の声→へた、棒読み
・サマーウォーズに続く神木隆之介の引きの強さ→神
・タキ君の都立新宿高校は制服ないはず→なのにある
・ユカタン半島あたりで実写+CGのハリウッドリメイク→ある
・四ッ谷須賀神社の階段ですれ違いごっこ→ない、がぜひチーくんにトライしてほしい
公開から1ヶ月たっても劇場は満員、も納得できる完成度の高さ。都会と自然のバランス、時空をまたがるミステリ、神vs宇宙の壮大スケール、日本が誇る高品質なアニメーション。8点→あえて比べると個人的には「シンゴジラ」のほうがちょっと上か
泣けるし深い、良かった!
すごく良かった!
単純に泣けたし、風景も美しくて、ラッドの音楽も最高だった。
でも、黄昏時とか組紐とか糸守のご神体とか、太古の時代から続く伝承が大切な役割を果たしているところが一番印象に残っているかもしれない。
沸きすぎじゃ?
自分の理解不足かもしれないがストーリーがよく分からなかった。体入れ替わった~までは分かるがその後よく分からなかった。
TVでも話題だったので見てみたが内容はエロどころ満載の変態映画。あれごときで変態と言うなという人もいるだろうが、これは変態映画では。胸揉んだりパンツ見えたり、そういう面で儲かったりすんのは好きではない。もちろんそれだけで儲かった訳ではないだろうが。
飛行機映画3本目 やっと観れた… アニメでこんなに泣けたのは初めて...
飛行機映画3本目
やっと観れた…
アニメでこんなに泣けたのは初めて?ってくらい泣けた。
なんなら飛行機で泣いたのも初めてだろう…
ストーリーは知らず、単純に評判だけをきっかけに観たけどかえって正解だった。
序盤のキュンキュンする青春物語からいっぺん、SFに展開していくとは…
楽しくて、切なくて、儚くて…色んな感情が絡まって、詰まってる素敵な映画。
そして評判通りの音楽と映像美…
これは想像を超えてた。
世界観に引き込まれるってこういうことなんだなって久々に思えた。
新海誠監督からの過去作ファンへの贈り物
色んな人がこの作品のレビューしているので自分は過去作品との関連性を挙げたい。
この作品を映画館で観た時、新海監督から過去作ファンへのメッセージが大量に散りばめられていたと思う。
なぜならほぼ全ての過去作に登場した描写が再登場しているからだ。
・ほしのこえ、秒速五センチメートルでも携帯電話は大事な役割を持って登場していた。
・雲の向こう約束の場所でも時間軸をあえてごちゃ混ぜにして視聴者へのトリックを演出している。
・秒速五センチメートルでも電車内からヒロインらしき人を見かけて主人公がハッとしていた。
・電車に乗車する時の横からのカットや、鳥が空を飛ぶ高所の描写は新海監督の十八番。
・過去作に出てきた固有名詞もいくつか登場している。
・秒速五センチメートルでも主人公がヒロインの住んでいる地へ電車の旅をしている。
・君の名は。で降り注ぐ多数の隕石は秒速五センチメートルで打ち上がるロケットの対比。(隕石は主人公とヒロインに降りかかる問題を暗示していて、ロケットはヒロインの1人の主人公に対する想いを奪って宇宙へ飛んでゆく。)
・星を追う子どもでもヒロインが約束の場所に向かって無我夢中で進んでいた。
・新海作品はほぼ主人公とヒロインが離れ離れになる。
・新海作品では主人公とヒロインが必ず友達以上恋人未満の時期がある。
・言の葉の庭では脚フェチ歓喜、君の名は。では胸フェチ、唾液フェチ歓喜。
ファンにとっては上に挙げた描写でニヤリとできる事が多く、この作品は新海監督を知らなかった人も、ずっとファンだった人も楽しめる良作だとそう確信した。
次の作品も楽しみですね。
THE王道!でも新海監督らしくない
新海作品ファンとして見にいったので、全てにおいて新海監督らしくないなぁと思った。でも面白いし、三葉がおっぱい揉むシーン(ほんとはタキくんだけど)が見たくて4回見に行きました。
中盤の「復興庁」のテープが見えるシーンは衝撃。
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