「Let It Be」君の名は。 STAYGOLDさんの映画レビュー(感想・評価)
Let It Be
1回目は、ただのRADタイアップPVムービーだと侮っていた。2回目は、気になった色々な仕掛けを確認するために観た。3回目は、関連小説を読み込み伏線を理解して観賞した。4回目は、フラットな感覚で極上音響を楽しんだ。そして、5回目以降は…。
エンタメにお金を落とすことは、ひとそれぞれに理由がある。本作は、あからさまに様々な方向にプロモの触手が伸びており、そのやり方に嫌悪感を抱く方も多いと思う。正直、私もそうだった。
だが、しかし。
結果的には、私は映画として愛した「この世界の片隅に」よりも、単なるエンタメでしかない、本作の方が数多く接することになった。
先入観で物事をはかっても何も変わらない。感じなければ何も。そうして、その結果、私は何度も本作をハコで感じることになった。私はよほどのことが無い限り映画はハコで観る。その場所に釘づけになって、人生の数時間を供する価値があるかが大切だからだ。時間は有限だ。死ぬまでに、やりたい事は多すぎる。複数回観賞したタイトルは、そのハードルを突破してくれた愛すべき作品たちだ。
本作には、よく比較にされる作品があげられるが、ネタ自体既に使いつくされたモノ。単なる入れ替わりタイムリープもので、そこにデッドリミットを絡めたオハナシに、美麗な背景とRADのおとを重ねたモノガタリ。ただそれだけ。時代劇や西部劇のようにジャンルとして使っただけ。
「枯れた技術の水平思考」
使い古された技術でも、やり方はいくらでもある。
でも、なぜだろう。ただそれだけのエンタメが、ひどくこころに突き刺さる。
前置きが長すぎた。
本作の最大の魅力は、若い二人のピュアなモノガタリだからだろう。これは若い二人の俳優がしっかり声優をこなし、性差を超えて演技を魅せたからこそ、効果をあげている。全てがどこかぎこちない瀧くんを演じる神木隆之介とこなれた演技を魅せつける三葉を演じた上白石萌音。この二人のこえが蒼いモノガタリを美しく彩る。このころの男の子女の子の違い。なかなか、うまく表現されている。二人の関係だけでなく、それぞれの友人、家族との絡みが、ひどく自然で、そうだよなあ、こんなこともあったよなあと、すっと飲み込める部分がきもちいい。
またバイキャラの完成度も高い。まず感心したのは、各キャラクターに対して、しっかりサイドストーリー、コアである本作につながるモノガタリが創られていることである。これは故野沢尚氏もホン創りの際に行っていた大切な設定。おざなりになりがちな世界をしっかり、もうひとつの現実として構築することで、本線の厚みが増し、ああ、そうだったのかと観客がほくそ笑む喜びを与えている。まあ、この方法は本来外に出すものではなく、全て商売に結び付けるやり方が、残念ながらアンチを生む原因にもなっている。もちろん、バイキャラと呼ぶには豪華な役者陣も機能している。長澤まさみ演ずる奥寺先輩も市原悦子演ずる三葉の祖母、一葉も声優としての出来は何の問題もない。
都会と田舎。今と過去。地球と宇宙。その全てを対比しながらモノガタリは加速していく。途中で謎がどんどんほどけてゆき、ラストに向かってひた走る疾走感は、ある種の爽快感すらともなう。
様々な困難を乗り越えて、黄昏時に出逢う二人の姿。
やっと持てたふたりの時間。
それなのに大切なことを忘れ去ってしまう、せつない運命。
きっと忘れない。忘れるわけがないとこころが泣き叫ぶ。
そうして。
タイトルに刻まれたことばをお互いが発したとき、
この作品はさわやかな結末を迎える-。
モノゴトを形で観ない、この若いふたりの様な
素直なハートの方々におススメしたい作品でした。
STAYGOLD@ぴあ映画生活