「2人が恋に落ちた理由がわからない人へ」君の名は。 sさんの映画レビュー(感想・評価)
2人が恋に落ちた理由がわからない人へ
劇場で5回鑑賞しブルーレイも購入するほど大好きで大切な作品ですが、レビューをずっと書きそびれていたので、地上波放送をきっかけに書きます。
映像美や音楽、キャストのお芝居の素晴らしさなどは他の方がたくさん書いてらっしゃるので割愛。
「瀧と三葉が恋に落ちた理由がわからない」「どんなところに惹かれたのか説明が不十分」という感想が散見されます。
たしかに明確な説明はなく、ぼかして描いてある部分も多くあるのでそう感じるのかもしれませんが、瀧の書いた日記で
「授業中にお前(三葉)の陰口を言ってる奴らがいたが、あんな奴らのことは気にするな。お前はお前らしく〜…」というような文章が映るカットがほんの一瞬ですがあります。(前前前世が流れるシーン)
2人は体の入れ替わりを通してお互いの生活を少しずつ知り、スマホの日記でこのようなやりとりを重ねるうちに強く惹かれていったのでしょう。具体的な描写をしすぎないところも新海誠監督作品の醍醐味だと、一ファンとして勝手に思っています。
余談ですが、先月都内で開催されていた「新海誠展」で新海監督の描いたコンテ(?)を見てきました。
作画スタッフに指示を出すためのやりとりが隅に書いてあったのですが、全てのものに「○○様 丁寧なお仕事ありがとうございます」から始まり、「ここは○○なのでもう少し〜にお願いいたします」「○○にしていただけないでしょうか」とやんわりかつ具体的な指示を出し「なにとぞよろしくお願いいたします」と締めてあり、監督の人柄の良さをひしひしと感じることができました。
君の名は。のラストカットの締めの言葉だけが「なにとぞなにとぞよろしくお願いいたします!!!」になっていたことからも、この作品にかける思いがどれだけ強いかが感じられて涙が出そうになりました。この世界的大ヒットは偶然ではないと確信しています。
新海誠監督、キャストの皆様、スタッフの皆様、素晴らしい作品をありがとうございました。
好きになることに“理由”はないでは?言葉では説明できない“縁”があり好きになるのでは?“きっかけ”があり恋に落ちるものでは?
瀧と三葉の“縁”は説明の必要がないと思います。
何度も繰り返される“入れ替わり”は十分な“きっかけ”でしょう。
最初は入れ替わった相手が自分の生活を変えてしまうことに戸惑い、怒ったりもするが、入れ替わり生活を楽しむ内に互いを理解しあい始める。
打ち解けあい始めた時、自分の恋心に気がついていない三葉は衝動に駆られ、見れば絶対に分かる、と信じて瀧に会いに行った。“入れ替わり”の前の瀧には誰だか全く分からず、淡い恋心は傷をおってしまう。三葉にとってはその直後に、自分を助ける為に瀧が来てくれ、思いがけない形で瀧からの告白を受ける。
瀧を入れ替わりを繰り返す間にいつの間にか三葉のことが異性として気になる存在になっていく。朝起きると何故か泣いる。入れ替わりの記憶は夢のように曖昧で、起きると薄れてしまう。大切になった人をなくしてしまう、忘れてしまう。喪失感が涙を流す理由でしょう。
度々繰り返された入れ替わりが突然なくなり、大切な人に会えなくなる。居ても立ってもいられない。瀧も自分の中で生まれた恋心を明確に意識しないまま、曖昧な記憶を頼りに三葉を探しに行き、藁にもすがる思いで最後の入れ替わりを果し、自分の気持ちに気が付く。
打ち解けあっていくシーンは大急ぎでも、恋は物語の流れから十分に分かりました。
この映画に共感できるか、できないのか?
- 端折って省略した打ち解けあうシーンを他のシーンで自分で補完できるか?(そして、“運命”の2人が恋に落ちることに納得できるか?まだ2人が自分の恋心に気がつかずに会いに出掛ける衝動を理解できるか?)
- 自分ではどうしようもない衝動や他人に対する思い、を経験しているか?
- この映画はSFではなくファンタジーである、と理解しているか?
この3つの条件をクリアしているか、していないかにかかっているように思いました。
瀧が最後の入れ替わりで目覚めた時、三葉が生きていることに喜び、涙と鼻水まみれで生きている四葉を見て「ああ妹だ。四葉〜」と駆け寄るシーンで「自分もそうなるよ!!!」と思いました。こう思えた人はこの映画が好きになれるのではないかな?