「懐かしいような思い出せないような人が」君の名は。 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
懐かしいような思い出せないような人が
2018年の年が明けたばかりだが、この映画の上映が2016年というのが間がなんだかあいた気もする。日テレのテレビ初放送を録画にて。『アナと雪の女王』もたしかCSでだったが、映画館や関係者には申し訳ないが、テレビ放映まで待っていた。というか、番組表で知ったので、来たかと思った。現在の日本人の感性がわかる大ヒット映画である。一体何がそうさせたのか吟味したいと思った。新海誠監督の映画は、これまでにdTVなどで『言の葉の庭』、『雲のむこう、約束の場所』、『秒速5センチメートル』は垣間見た。垣間見たというのは早くも詳細は忘れているからである。ただそれらの作品と似通ったモチーフが入っている気がする出だしである。今回失敗したのは、DVDに録画してからの視聴なので画質が落ちたところではある。ただ私はそれには音もそうだが無頓着なほうで内容が同じならいいかと思うほうである。その良し悪しはわからん。それでも『言の葉の庭』を観たときは衝撃だった。細かい、繊細な描写。私がアニメをそんなに観てこなかったからなのかどうか、雨とか電車とか、精緻というのか。だが哀しいことにだんだん慣れてしまう。口噛酒とか言うのが出てきたが、『はじめ人間ギャートルズ』でやっていたのかと思って調べたら、それは猿が噛んで作った酒で、映画のように巫女が噛むのではなかった。さて、どこかで映画では『転校生』とか、『時をかける少女』とかの要素も入っているようなことを観たような気がするが、そんな風でもありそう。
現実に他人と身体が入れ替わったら、この映画よりももっと不都合が生じたとは思うが。おばあさんの「結び」の話。神のような不思議と人間、人間と人間の邂逅の教え。複雑にニヒリズムや乱交が
加わっている現代に、この「こころ」の描写と音楽は潤いと穏やかさをもたらす。芸術はモラルを交えていなければならない。この難しい契約よりも早熟が先に来る時代の中で、この映画に関してはどうそれは作られるのだろうか。ただ良い人生に巡り合うためには、脇役として出てくる、例えばバイトの女性の先輩なども良い人だったから、良い人生を続けられるのかも知れない。至るところに見える淡い三角関係以前の脇役が出てきて、その片思いに対して別の思ってくれる人がいるというのもあった。カズオイシグロは一つもまだ読んでいないが、SFの入る考えさせる手法があるらしいが、『雲のむこう、約束の場所』も薄っすらそうだったと思うが、この映画もSFである。身体の入れ替わりからして既にそうだが、流れ星のようなところから発している。そして、入れ替わりをしなくなってからになる。ふと私の思考過程に於いて大事だが、ある時期からモラルを逸脱することをエロスにする経緯が長引いたが、いつの間にか逸脱が主流になりエロスがわからなくなってしまったのだろうと思った。硬く真面目なところに少し揺らぎが起きてエロスが生じるが、エロスだらけの逸脱は麻痺となる。それが現代社会の経緯なのだろう。だとすればモラルを戻さなければエロスは取り戻せないのだ。◆そして用事があって外出し、再び途中から観る。◆幾つか観ただけだが、新海作品というのはこう転回することがあったかも知れないと思い出すような気がした。分析という言葉だと冷たい気もするが、記憶の良し悪し、または何度か繰り返して他の作品も観ていたなら、照合できたのだろう。法的に考えたら未成年飲酒シーンになる場合も、正月などにほんの少しおちょこから子供に与えられた祭事のお神酒みたいな意味と、そんな少し難しい考えるシーンもあった。だがそのお猪口一杯の酒は、男子を生と死の境に引き込む、命がけの酒だった。そんな意味も酒の貴重な時代にはあったのだろうか。しかし、タイムトラベルで事実を変えてしまって良いのかという話になってくるのか?私自身だけの事を言えば、もう20年くらい前なのか、3つ年上の女性と見合いさせてもらい、私のほうから断ったかも知れない事があったのだが。その頃、年下の相手のほうが良いとばかり思い、その考えが邪魔をした。そんなことを考えたら、映画がわからなくなる。しかし生死の境目のシリアスなドラマなのに、一瞬のタイミングにユーモアになっている。もう運命の男女でありお似合いなのに、それからどうなってしまうのだろうか。と思った途端に覚まされる。どうしてと
。確かにその時その時の判断からの行為の違いで将来は変わるわけだけど。見せたくないような欠点はないかも知れない。ただ、現実には街の雑踏の中でお互いを良いと思っても、男の声かけではストリートナンパのようになってしまう。この映画の出会いはそう観るのではなくて、職場でもお見合いでも誰かからの紹介でもふとしたきっかけから、ちょっと懐かしいなと思うような、そんな些細な思いからでも、惹かれあったら、それからそれが運命の相手だったんだという事になるというような、出会い方よりも、必死に探して見つけたいような相手との出会いは意外にちょっとしたところにあるみたいな、そこから過去に深い因縁があったような人だったと後で気が付くのかなと、少し懐かしさのような直観を開いて、ちょっとしたところから、運命の人だったとなるというような。そういう条件付きだが、結果、この映画は、過去の新海作品では批判的な場面もあったのだが、それさえ無かったような、最高の作品だったと思う。これは大ヒットするはずだと思った。