劇場公開日 2016年8月26日

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「褒めたいんだけど・・・」君の名は。 チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0褒めたいんだけど・・・

2017年1月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

萌える

思い当たることがあり、二回目を見て、ここでのレビューを書き直し。
第一印象は客を楽しませるために特化した映画だということ。
クサい演技、情緒を生む音楽、そして背景美術の全てがその点に特化していること。これは昨今の日本映画では見かけないレベルの高クオリティで、日本もやれば出来ると胸を張って言える映画です。少なくとも演出面は。

多分多くの方が巷に蔓延るこの映画の評価に対して反発していると思います。「自己満足」「うるさい映画」「クサい」などなど。
正直、その通りです。
この映画を見てからというもの、どうも自分の中で「コレだっ!」って言うほどの正しい評価が下せなくて胃が痛くなっております。
劇場で見たときは心動かされたのは確かですが、思い返せば返すほど、その心動かされたのが物語やキャラクターとは違うところにあるという気持ち悪さを感じました。
瀧の必死さが妙に現実から離れており、三葉の感情の起伏、ラストの大人達の描写の欠落、ご都合的と取らざる得ない展開といったぐあいに、演出力が長けた作品であるがゆえに、本当に感動すべき物語やキャラクターに対して感情を揺さぶられていない自分がいたのです。

じゃあ何に心動かされたのかと言えば、やっぱりそれは演出力なんですよね。
RADWIMPSによるミュージックビデオ的映像表現は見事にマッチしています。それに加えて馴染みやすいキャラクターデザインや美麗な背景といったぐあいに、演出に大切な要素が全てハイクオリティで確立しているのです。
そしてそれが一番効果的に働いているのはヒロイン三葉の悲劇のシーン。美しさを醸しながら恐怖を与える彗星落下のシーンは非常によく出来ていて鳥肌が立ちました。そこに流れるRADWIMPSの曲も、その悲劇感を強くさせる一助であったと思います。
このシーンで二人の残酷な関係性を彷彿とさせられました。まさしく心動かされたのです。

でも気づいたんです。終盤フェードアウトしてしまった大人達を無視して迎えた二人のラストシーンの不可解さを。
田舎を嫌い、伝統を嫌い、東京に憧れていた三葉と、三葉を探しにやってきた瀧との再会をもたらしたのは、三葉がなにより嫌っていた田舎の伝統によるものです。
二回目の鑑賞はそこに注目していました。三葉はどんな思いでラストシーンの結末に至ったのか。失われた故郷をどう思ってるのか。

何も思ってないんですよ三葉。故郷のこと気にも留めてないんですよ。

ましてや母親が眠る町でもあるわけですよ。劇中にわざわざ「郷愁」なる写真展まで登場させといて、ラストの三葉が故郷についてどう思ってるのか描かれてないんです。
しかも三葉の父や祖母について描かれておらず(友人は描いてるくせに)、ただでさえ劇中では大人は二人にとって邪魔者あるいは役立たずのように描いてるにも拘わらず、ラストは姿すら見せてくれません。
父親の説得シーンもカットされていました。こんなふうに描かれていたら、今まで目をつむっていた幾多の矛盾点もこう思わざる得ません。
製作側が意図的に用意された舞台だと。
こうなってくると全てのセリフやクサい芝居が観客を盛り上げるために用意された作為的なものになってしまいます。あのRADWIMPSも酷く下品に扱われたということになってしまいます。
冒頭の30分アニメみたいなオープニング映像もどうかと思いますが、ここまで吹っ切れて現実感皆無なキャラクターでラブストーリーを展開されても、繊細な心の変化を描くラブストーリーとは程遠い、作られたものにしか見えません。
特に瀧の手のひらに名前書こうとするシーンはお笑い物です。ぶっちゃけ一人コントです。でもそこは最初は目をつむろうとしたんです。
でも最後にいくにつれて本当に鼻につきはじめ、最後はハッピーエンド。二人良ければそれでいいという映画です。
思えば災害のことを忘れていたり、デートコースには相応しくない彗星落下して消滅した街の写真展(おまけに三陸の写真もあるようです)に訪れたりするという、もう本当に作為の塊です。

最初に書いたように、並々ならぬ演出力で心動かされたのは事実です。
しかし物語で感動したのではなく、演出で心動かされただけであり、主人公の二人の境遇に心動かされたりしないのです。
日本映画らしからぬ演出力で見た目上はパーフェクトです。そこは評価したいのですが、作品そのものを考えた場合は「うーん・・・」と言わざる得ません。
これで物語が(多少の矛盾はあれど)真っ当にラブストーリーとして説得力のあるものが作れていれば、気持ちよく傑作と言えたんですが・・・。

チンプソン