「仮に実写化されるとしたら、決して妥協しないで欲しい。」君の名は。 平 和男さんの映画レビュー(感想・評価)
仮に実写化されるとしたら、決して妥協しないで欲しい。
私は新海誠作品やRADWINPSの曲に触れるのは『君の名は。』が初めてで、『君の名は。』は殆ど予備知識無し(※)の状態で観に行った。
(※封切り日から約4週間経った時期に、「『君の名は。』の興行収入が『シン・ゴジラ』のそれを上回った」という誰かの掲示板書き込みを目にし、「どんな凄い映画なんだ?」と思った程度)
『君の名は。』の存在を知ってから
実際に観に行くまでにだいぶ時間が経ってしまったが、
結論だけ先に言うと、
「私が今までの人生で見た映画のベスト1を塗り替えた」
この映画に触発されてわけのわからない衝動に駆られ、
久しく書いていなかった同人2次創作小説を書いた。
私をそこまで駆り立てた創作物は、今世紀に入ってからは
今までのところ片手で数えるほどしか無い。
で、いざ感想を書いてみようとすると、上手く文章にできず、
正直、「なぜこの映画をここまで素晴らしいと思うのか?」を
第三者に誤解無く伝える「客観的な」文章を書けない。
「この作品の素晴らしい所は○○だ!」と書いたとたん、
(いや、これじゃない)と思って消したり書き直したりを繰り返した。
そもそも、映画に限らずあらゆる創作物において、
「素晴らしい!」と感じる時の感覚は本質的に主観的なものであり、
100%客観的な評価というものはおそらく不可能だろう。
……おむすびを食べた事の無い者に文章だけでおむすびの美味しさを100%伝えられるだろうか?
4色型色覚の人が見ている世界を多数派である3色型色覚の人が理解できるだろうか?
(主観を客観に100%変換する事の不可能性ゆえに評論(レビュー)などという行為が成立し、人間の中にはそれで飯を食ってる人もいるのであるが)
強いてこの作品について「この作品の素晴らしい所は○○だ!」的な事を言うとしたら、作品で語られる『ムスビ』だろうか。
……いや、これとてもこの作品を素晴らしいものに成らしめている要素の一つに過ぎない。
作品で語られる『ムスビ』という言葉あるいは概念は
『縁』や『絆』という言葉あるいは概念と似通っており、
『天災など抗う事が困難な事象に抗って生き延びようとする人々のつながりと営み』というイメージの要約であるとも言える。
プラネテスのテレビアニメ版に宇宙空間を思わせる空間で大勢の人々が手をつなぎ合って浮かんでいるイメージが出てくるが、
『ムスビ』という言葉にそのイメージを連想した。
結局のところ、私は自分が感じた感動を全て言語化する事ができない。
この感想を書くまでの思考過程のごく一部だけをかいつまんで述べるのがせいぜいだ。それが上記である。
ところで、ネット上を散策してると、この映画を不当に貶す発言もチラホラ見られる。「あんだけ売れる要素が揃っているなら俺にだってできる」と嘯く某漫画家や評論家や売れない映画監督や、
ティアマト彗星の軌道図にケチをつけた某SF寄りの小説家など。
どうも、(生産者・消費者の別を問わず)「ハードSF寄り」あるいは「リアリスト」を自認している者ほど、『君の名は。』を不当に貶す傾向が強くなる様だ。
それらに対する反論なら、むしろ『君の名は。』自体への純粋な称賛よりも書き易いぐらいなのだが、不毛なのであまり好き好んで書く気にはならない。
敢えてこの映画の欠点を書くとしたら、
「なぜ物語の山場で町長があの様な決断をしたのか?」について容易に推察できるに足る情報を、映画の中だけから汲み取れる程度に盛り込んで欲しかった、というぐらいのものか。
(それにしたって考察の材料が全く無かったわけではなく、想像力旺盛な人が映画を隅々まで見れば薄々感づく程度には、情報がちりばめられていたのだが)
誰も予測しなかったであろう興行収入200億超えの要因について「分析」する声や「基本的に万人受けするような人じゃないのになぜか流行っている」という旧来からの新海作品ファンと思しき人の困惑の声が未だに後を絶たないが、
大大大ヒットは多分「川村プロデューサーとRADWIMPSさんのおかげ」
某所で見かけた話によると、
「川村プロデューサーが脚本初稿の「秒速」的エンドにダメ出ししたのと、
新海監督とRADWIMPSさんが綿密な打ち合わせをした結果、映画のテーマ曲が決まり、
その曲から監督がインスピレーションを受けてあのラストのハッピーエンドになった」
……のだとか。
その話が本当なら、川村プロデューサーとRADWIMPSさんは「影の脚本担当」とも言えるだろう。
あと、どこかのインタビュー記事で、新海監督自身は
「自分を含めてこの映画を世に出すに当たって強く関わっている人全てが妥協しなかった事が、予想を遥かに上回る大ヒットの一番大きな要因」
という旨の自己分析をしていたかと、私は記憶している。
これだけ強力な「ドル箱コンテンツ」と化してしまった『君の名は。』なので、
東宝の偉い人達が2022年か2023年辺りに実写版リメイクを画策しても全然不思議ではない。
(なぜ「2022年か2023年辺り」なのかは、映画をちゃんと見た人なら得心する事であろう)
仮に後年実写化されるとしたら、どこぞの芸能事務所のゴリ押しでミスキャストに屈したりスポンサーの意向で作品の世界観を損なうような事態を招く事無く、実写版を世に出すに当たって強く関わる人全てが決して妥協しない事を、私は強く祈願する。
「この世界の片隅に」は奇蹟なんて信じるな苦しみに耐えることが悟りにつながるという小乗仏教のような考え方で、「君の名は。」は、すべては「空」だからこそ理想の世界を創ろうという大乗仏教的だと思います。自分の印象では、「この世界の片隅に」は菅直人の「最小不幸社会を目指す」が思い浮かんでしまいます。「君の名は。」にはエネルギーが満ち溢れていて元気が出ます。人間の心はとてもデリケートであり、負け知らずのボクサーが一度負けたことで全然勝てなくなることもあるように不安を払拭するのはとても難しいです。そこで、愛の為や魂の進化の為だと思うことで勇気が湧いて来るのではないかと思います。思考の限定「どうせ無理だ」「普通はこうだ」という思考のリミッターを解除してくれるのが「君の名は。」のような気がします。