グランドフィナーレのレビュー・感想・評価
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考えるより、感じる映画
オープニング、 高級リゾートホテルの庭に設えられた舞台 下方からの光に不気味に照らされた歌手が、 廻りながら歌い続ける。 地下に眠る人々からの光のようにも思える。 引退した音楽家、彼の親友の映画監督、彼の秘書を務める娘、 彼らが泊まっているサナトリウム付きホテルで過ごす 何不自由なく退屈で活気を失ったセレブ達、 瞑想する僧侶、しなやかに舞うマッサージ師の少女、 彫刻のように美しいミスユニバースの肢体、 「曼陀羅」に嵌め込まれた,一幅の絵画のように、 ホテルに集う人々の「今」が、 これまでの苦悩や生き様を仄かに滲ませながら 描かれていく。 画面に度々現れる原題の「YOUTH」 肉体的「若さ」は、 皆一度は手にし、やがて失い 身体機能・容姿の衰えを感じる誰もが渇望し 失くしてしまえば再び手に入れる事は出来ない宝物 だが、心の「若さ」を保ち 自らの衝動「血気」好奇心を抑え込まなければ たとえ肉体は老いても「青春」は生きている限り続く この映画は、かけがえのない人々(そして監督自身)へのレクイエムであり、 生涯、心は現役であろうとする人への讃歌、応援歌であると受け取った。 シーズン最後に廻り舞台に登場したパントマイミスト 虹色に輝き、次の瞬間には消え去るシャボン玉 現れては一瞬で消える「あぶく」は、人生に例えられる。 様々なメタファーやオマージュが鏤められているようだが 残念ながら、その極一部しか私には分からない 分からないけれど面白い。 美しい映像と音楽、名優達の至芸に身をゆだね 豊かで素晴らしい、ひとときを楽しんだ。 映画の最後に、一瞬 パオロ・ソレンティーノ監督の微笑む姿が重なって見える気がした。
『僕らは欲望に生かされているんだ』
原題「YOUTH」について、見事な考察を見せた一本。 ホテルを舞台にしたあっさり目の群像劇。 美しい景色の中の、静謐な引き画の美しさ。 そこに監督のセンスが光るシュールなカットと、シーンを彩る音使いの妙。 なによりマイケル・ケインの魅力が加わるという、たまらない贅沢風味。 笑いあり、皮肉あり、老齢アルアルあり、そして裸あり。 一回りして「人間だってアニマル」というところに、決して騒々しくなく着地して見せたのがまた見事。 大人にこそ楽しんで欲しい、毛色の違う「島耕作」のような立ち居地の作品。
眠かった
映像美の映画だと思う。盛り上がりに欠けるので眠い人は行くべきではない。批判はあるが、邦題は悪くは無いと思う。「Youth」だったら、却って分かりづらいんじゃないかな。シンプルソングの良さも分からなかった。最後まで指揮を受けた理由が分からなかった。
「グランドフィナーレ」?、終活かと思ったわ。
やっぱりね、原題はイジっちゃいかんよ。「YOUTH」ってラストに映された大文字が、生きないもの。 「YOUTH」だからこそ、欲望と恐怖の感情の問いが生きるんじゃないかな。 だからこそ、老人やミスユニバースの裸体が意味のあるものになるのに。 てか、あの何人かの裸体がR15指定の理由なの? 何の説明もない街角の裸婦の銅像がよくて、映画を通して感じることができるそのままの裸体がダメっていう感覚がよくわからない。 こっちこそいいでしょ? 駅前の裸婦像こそ、布でも巻いておけ。 と、そんなとこを差し置いても、どうも他の方のレビューほど自分の中で感動がない。老いの進む恐怖より、今自分の中にある欲望を満たすことが、若さの秘訣、的なメッセージはわかるのだが。 ・・・と思っていたところに、さっき、ようやくその訳に気が付いた。 だって、庶民は、あんな高級リゾートで何日も過ごせないもの。出てくる人は皆、セレブだもの。少なくとも、若い時からいい暮らししてきた人たちだもの。
原題を変えるべきではない
映画自体は素晴らしいものだったが、「グランドフィナーレ」とう邦題をイメージして観たので、結末に違和感を感じた。 原題「youth」だと日本では受け入れられないと思ったのだろうか? 若さに惹かれるお爺さんをユーモアを織り交ぜて表現している。実際ユーモラスな挙動なのだろう。 映像は非常に美しい。音楽も素晴らしい。期待したイメージとの違いで呆気なさを感じてしまった。 最後のオペラは映像、曲ともに最高でした。
思ってたのと違ってました
不思議な映画です。 老いた人が、こんな風に人生を語るんだろうか。 不思議に見てました。 でも、人と関わって人間って変わるんだと思いました。 最後に肥った彼がマラドーナと気づくのに少し時間を要しました。(笑)
傑作の概念を遥かに越えた大傑作
これぞ映画。これぞ映像。5点満点とか、100点満点に収まらない2016年度の屈指の大傑作だと思う。 美しく、美しく、美しく、美しい。 そして、醜く、醜く、醜く、醜い。 映像が全てを表現することが出来ることを証明する、まさに「映画の勝利」を高々と謳い上げる。 ジェーン・フォンダが、ジェーン・フォンダとして出演していることに驚く。彼女はブレンダと言う役ではなく、まるでそこにジェーン・フォンダがいるように演じる。 マラドーナもスミ・ジョーも彼らのままだ。 映像と音楽と演技と役者と編集とキャメラの全てが噛み合った奇跡的な作品だ。 こういう映画を観ると、映画を見続けて来てよかったとつくづく思う。 そうとう控えめに言って、ヴィスコンティの「家族の肖像」や「イノセント」に匹敵する作品とだけ、最後に言っておこう。
希望
生きる事は希望を持つこと。 幾つになっても、立場がどうなっても、人間は希望があれば生きていける動物なのだ。 気持ちを内へ籠もらせてははいけない。 外へ外へと出て行こう! スイスは美しい所だけど、あんな所に長く居ては飽きちゃうね(笑) 最後の演奏会のシーン、音楽が素晴らしくて泣かされました。 良い映画でした。
微妙。思ったのと、なんかちょっと違う。
年老いて引退していた作曲家で指揮者の老人が、親友とアルプスの高級リゾートで過ごしていた。そこへ、エリザベス女王の使者から「代表作を披露してほしい」と言う依頼がくるが・・・。 実はこのストーリーは、実際に起きた“著名なイタリア人指揮者が、女王からオーケストラの指揮を依頼されたが、レパートリーについて折り合いがつかずに断った”と言うエピソードにインスピレーションを得ているそうです。指揮者のレパートリーを調べずに依頼するというのもアレですが、女王の依頼を断るというのもアレですね(笑)。どちらも、なんとも・・・。まぁ、指揮者もプロだから断ったんでしょうね。 さて、こちらの作品の話ですが、予告編から予想される内容とはちょっと違いますね。もっとも、最後に依頼された曲を演奏するというのはその通りなんですが、そこに至る過程がね、予想とは異なりました。それと、ネタバレになってしまうので、あんまり書けませんが、フレッドの“シンプル・ソング”の指揮を拒む理由が、「この曲は妻のために書いたが、妻はもう歌うことが出来ない」と言う事なんですが、こう言われるとね、普通はね・・・と思うんですが、これには驚き。「えっ!こう来るの?」と言う感じです。 スイスのリゾートを舞台にした作品なので、色々と有名人に似た人が出てきます。マラドーナ(のそっくりさん)が居たり、あるいは、ポール・ダノの言う“ロボット映画”って、あの車がロボットに変形する映画のこと?だって、なんか見た目が、シャイア・ラブーフに似せてるんだもん。でも物語後段、ポール・ダノが演じているジミーの“役作り”の格好にはびっくりです。ヒトラー?一瞬、誰だかわかりませんでした。 正直って、なんだかちょっと釈然としないまま物語は終わってしまいました。何かもう少し、フレッドの心の動きとかがあるのかと思ったんですが・・・。それと、これだけ焦点になっていた“シンプル・ソング”もイマイチ・・・
期待外れ。
当代の大物ミュージシャンのご登場まで頂いて、やっぱり「欲望」こそが生きる活力源なんだとは、分かりきった話ではないか。 やっとのことで引き受けた指揮も様になっているとは言えないし、見どころと期待していたところがことごとく期待外れ。
名優の演技は流石
シネマのポイントが今月一杯で失効する事に気づき、急遽鑑賞。 たまには年相応な作品をと思い、マイケル・ケインが主演だというだけの理由で選択。 大袈裟な動き無しで感情の起伏を表現するあたりは流石の一言。 気色ばみながら「私的な理由」を吐露するシーン、直後に娘に声をかけるシーンにはグッと来た。 美しい映像も素晴らしい作品です。
観る人を選ぶ映画
マイケルケイン、ハーヴェイカイテルが目当てで行きました。ふたりともさすが。ハーヴェイはスモーク(古い!)の印象が強すぎる私には、おじいさんになられて…という印象。 老年となってもある友情や笑える場面もあるし、んん??ってなったところもあった。 所々に入るYOUTHと言う言葉に?となっていましたが、こちらが映画のタイトルだったんですね。日本語タイトルが映画をつまらなくさせてる、人を選ぶ結果になっていると言うよくある一例。 日本の配給映画会社の人って映画嫌いが多いんですかね。
人生に「シンプル・イズ・ベスト」はあるのか?
引退した名作曲家、指揮者のおはなしです。 音楽に関わる映画は大好きなので、見に行ってきました。 ラストシーンで演奏される「シンプルソング」とってもよかった。 それ以上に、心癒される保養地の風景。 美しい建築、緑の高原。 プールに映る夜の照明。 どれも、絵画のような美しさ。 この作品には、ストーリーなどあってもなくても構わない、と思えます。 また、許せてしまいます。 そういうアート系の映画がお好きな方向けです。 アクション映画専門の方ははっきり言って「ご遠慮ください」としか言いようがないですね。 主人公フレッドは、現代イギリスを代表する名作曲家であり、指揮者です。まさに「マエストロ」 今は引退して、スイスアルプスの保養地で余生をおくっています。 そのマエストロの元へ、エージェントから依頼がきます。 「女王陛下が、マエストロの指揮で『シンプルソング』をご所望です」 わざわざ、王室から直接依頼がくるなんて、とんでもない名誉なことです。 一般ピープルならそれこそ「揉み手」をせんばかりに、 「へっ、へっ、おおきに! なんぼでもやりまっせ!!」と作り笑いを浮かべて、愛想を振りまくところなんでしょうが(それはお前のことだろ? という批判は置いといて……) 主人公フレッドは違います。 この女王陛下の申し出を断ってしまうのです。 「シンプルソング、あの曲は妻のためだけに書いたのだ。演奏するか、どうかは、私の自由にさせて欲しい」 奥さんもかつて音楽家でしたが、いまは認知症のため、施設で暮らしています。 フレッドは、今まで音楽に捧げてきた自分の人生を振り返って思いをめぐらせます。 「これでよかったのだろうか?」 家族を顧みず、音楽だけに没頭し続けた。 そして、音楽の高みを目指して日々研鑽を重ねてきた。 その結果が 「妻は認知症」「娘とも別居」「家庭崩壊」 これが音楽へ人生を捧げた、その見返りなのでしょうか? だとしたら、いったい自分の80年の人生は何だったのか? そのあたりを、友人の映画監督ミックと語らいながら、マエストロは保養地で日々を送って行く、というお話です。 こういう類の作品については、人物の造形が大切なんですね。 キャスティングについては、それなりのキャリアを積んできた、相当なベテラン俳優。しかもカリスマ性も必要です。 主人公の作曲家にマイケル・ケイン、その友人の映画監督にハーベイ・カイテル。 これはいいです。キャステングハマってますね。 この二人の存在感で、映画の緊張感が崩壊せず、ギリギリのところで踏みとどまっている感じがしました。 本作は劇的なストーリー展開など、ハナからあるはずもない作品。 そういうことをご理解した上で、鑑賞されることをお勧めします。 本作でモチーフとなる「シンプルソング」という楽曲。 これ、少年がヴァイオリンで練習したりするところで、断片的に紹介されるんですね。 女王陛下が聴きたがった楽曲。 そして、マエストロが奥さんのためだけに作った曲。 それゆえに「どうしても演奏したくない曲」 どうです? ものすごく勿体ぶっているでしょう? いったいどんな楽曲なのか? 最後の最後まで観客を焦らせておく演出方法です。 それだけ映画作品の中で、なかなかその姿を現さない楽曲 「シンプルソング」の「価値」や「ハードル」をあえて高めておいて、 ラストに、これでもか!と涙が出るような美しい音楽を聴かせる。 これは素晴らしい演出方であり、また、楽曲そのものがそれだけの「品の良さ」 「格調の高さ」を持ち合わせていなくてはなりません。 本作のために作られた「シンプルソング」という楽曲の出来栄えが、本作の鍵を握っていることは言うまでもありません。 その監督の厳しい要求に応える音楽を提供したデヴィッド・ラングさんは、素晴らしい仕事をしたと思います。 本作における、映像の美しさ、音楽の美しさは、とても気品溢れるもので、僕はとても好きなタイプの映画です。 作品世界の中へ身を浸して、ゆっくりと過ぎてゆく時間を楽しむような、そんな作品です。 ゆったりした気分でお楽しみくださいませ。
(あるいは無知が、もたらす…?)
誰に感情移入するか、迷っているうちに、エンドロールが。ごめんなさい。つまり、私の理解力を超越してました。それと、中盤が、去年の某作品賞と、かぶって見えて。あれは何かの伏線なのでしょうか。確かに、美意識研ぎ澄まされた映像です。ただあまりに冷淡な目線で、美とは、退廃の副産物だと云わんばかりの描写に、少し違和感覚えました。ま、それはともかく、エンディングノートは、人の数だけあるわけで、その1つを拝見させて頂いたと思えば、安い買い物。人生のカルトな引き出し、また1つ増えましたね。あるいは、本作そのものが、無知がもたらす予期せぬ奇跡なのかも、知れないですね。 追記 先ほど他の方のレビュー、見させてもらいました。邦題と原題のズレを指摘されていました。原題が、竹原ピストルのアルバムタイトルと同じという謎を解いてくれました。『何度でも立ち止まって また何度でも走り始めればいい 必要なのは走り続けることじゃない 走り始め続けることだ』(作詞 竹原ピストル オールドルーキーより) 本作は、エンディングノートではなく、オールドルーキーが、また走り始める軌跡、あるいは奇跡なんですね。映画より、レビューに感動しちゃいました。
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