あやつり糸の世界のレビュー・感想・評価
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長かった
仮想空間の仮想空間の仮想空間の......ってきりがない。
神が人間を作ったと考えたり、仮想空間の中にいる自分を考えたり、人間はいつも実存に不安を抱えているのでしょうか。流石に長すぎたので、2時間弱くらいにまとめられたら、良かったです。
眠かった
1部の後半で物語の全体像が見え始めたら少し面白くなって来たのだが、それまでなんども中断して寝てしまった。第2部になっても3回に分けて見るほどの眠気誘発装置ぶりで、本当に眠かった。絵作りなど非常に凝っているのだがとにかく退屈で眠かった。どれだけ意味深であろうとも退屈すぎて興味を抱けない。
あやつる世界の繰り返し
全くSFな描写が皆無だが映像全体の雰囲気にSFを感じられるし不思議な実験的な映像に電子音や奇想天外な場面など興味の持続は保たれるし謎解き感覚で楽しめる。
第2部から逃走劇になりSF的な魅了された不思議な感じが薄まるがラストのカメラの引いて行く映像が素晴らしい。
模範世界の発想も面白く最後に辿り着いた世界は果たして本物か?
ハリウッドがリメイクしても良さそうな感じだが70年代の古き良き世界観がまた堪らなく超大作にされたら駄目なんだろう。
これをお茶の間で放送してたのか?
欲望のノワール
ファスビンダー監督。1973年製作のテレビドラマ。
ストーリー自体は難しくない。「現実が投影された仮想世界が幾層にも重なっている」…SF映画では、おなじみの展開。『マトリックス』『ダークシティ』『インセプション』etc.の先駆け的作品(ちなみに『13F』と原作が一緒)。
派手なSF描写はない。鏡張りの実験室でグルグルまわるカメラ。ただそれだけで、仮想世界を想像させ、もしかしたら今居るこの場所も仮想なのかも…と思わせる凄さ。素晴らし。
ドイツの人が、ラング『メトロポリス』と並んでドイツで撮られた最高のSFと、鼻息荒くなるのも分かる気がする。
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私がこの作品に惹かれたのは、そのSF的素晴らしさよりも、全編に流れる濃密なノワール。
ファスビンターは徹頭徹尾ノワールの人だ。たとえジャンル違いの映画であっても。
リリー・マルレーンが流れる酒場。くゆるタバコの煙。中折れ帽の男たち。ノワール映画で観た一場面があちこちで再現されている。
ノワールといえばファムファタルだが。
喪服の美女。寝返る秘書。皆、悪女か聖女か分からない顔をしている。謎めいている。
そして、何よりバーバラ・ヴァレンティン素晴らし。
「あやつられるのが心地いいのよ」と囁く女。
ああ、この世界の中に入っていってしまいたい。いつまでも浸っていたい。
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主役のクラウス・レービッチェは、ノワールというより冒険映画に出てきそうなタイプ。
ハンサムでマッチョで身体能力が高くて、女にモテる。何かの映画で観たステレオタイプなヒーロー像にも重なる。
スーツの着こなしはジェームズ・ボンドで、運転は『ブリット』っぽい(駐車場のシーン、かっこいい)。
男の「かっこいい」を凝縮して投影したような主人公。
今さらながら気付く。
(本作に限らず)映画とは、「観客の欲望を凝縮し投影したもの」なのだと。
「映画」=「欲望の投影」=「仮想世界」。
だから、仮想世界が主題の本作は、様々な映画のモチーフ(ノワール、活劇、メロドラマ、ドンシーゲルSFなど)が集められ再現されている。
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ラスト、主人公は現実世界へと助けだされたる。一見ハッピーエンドのようにも思える。時空を越えた愛の結実として、充分に気持ちの良い終り方だ。
だが、主人公はこの先こんな問いに悩まされるのではなかろうか?
此処も仮想世界なのではないか?上には上があるのではないか?と。
彼の世間へ対する不信感は実は何一つ解決されていない。愛が解決出来る問題ではない。だから、きっとまた悩みはじめる。
もう一つ並行して描かれるラストシーン、銃弾を浴び蜂の巣にされて「真実を叫んで華々しく散る」ほうが、ノワールとしては美しい。完結している。だが、これは仮想だからこそ許され美しいのだ。
悩み不信感を抱えながらも、生きていく。日常は続いていく。それが現実なのだ。
仮想が閉じれば、日常が始まる。
映画が終われば、観客の日常がまた始まるように。
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追記1
強いマッチョ、そんな夢の投影が主人公であるが、監督はヒョイと意地悪をする。
長身のゴットフリート・ヨーンと並ぶと、非常に小さく、頼りなく見える。今までカッコいいマッチョな男と思っていたのに、本当は違うことに一瞬だけ気付かされる。
現実と仮想の乖離。夢の歪み。
その歪みを告げるヨーン、素晴らし。
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追記2
話の本筋とは関係ないところでファスビンダーの男色趣味が炸裂(コックさんとか何だったのだろう?)。ファスビンダーの愛人たちも登場(クルト・ラーブの役はちょっと可哀想だ)。
小柄なマッチョ、薔薇っぽい感じ、そこかしこに散りばめられた日本趣味。私の勝手な連想だけど、三島由紀夫をちょっと思い出してしまったなあ。ちなみに三島はこのドラマが出来る三年前に切腹している。
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追記3
70年代のドイツということで、バーダー・マインホフも思い出す。(ファスビンダーが最初居た劇団にもバーダーのシンパが居たらしい。)バーダー・マインホフ、爆弾が世界を変えられると信じた人々。
ファスビンダーは、バーダー・マインホフには、ならなかった人だ。
思想や政治や何かで世界を変えられると信じた世代を、冷めた眼で見ていた人なのだろう。そんなことは信じられない人だったのだろう。だからこそ、このドラマを撮った。
そして三島にもならなかった。華々しく散らなかった。
美しくない現実の中で、醜くのたうちまわった。そんな自分を見つめ続けた。彼の『ベルリン・アレクサンダー広場』フランツのように。
だからこそ、こんなにも美しいSFを作ったのだと思う。
時代を先取りした実存主義的SF映画
本作は、『秋のドイツ 』や『シナのルーレット』『マリア・ブラウンの結婚』『リリー・マルレーン』に先立つ1973年の作品で、元はテレビ作品らしい。
(なるほど、だから長尺3時間30分なのね)
それを2部作にして劇場用映画にしたのは、彼の死後設立されたRWF財団の手によるものだろう。
(そこいらあたりは、エンドクレジットからの想像だけれど)
原本は1時間×4回でテレビ放映したことも察しがつく。
(第1部、第2部とも、ちょうど中間あたりで、フェイドアウト(溶暗)するカットがあるからね)
と、前置きが長くなったが、
近未来の1980年代。
ドイツでは国家事業として、コンピュータを使った未来予測に力を入れていた。
スーパーコンピュータに疑似空間をつくり、その中で個人個人がどのように活動し、ひいてはどのような経済状況・社会状況になるかを予想しようというものだった。
ある日、監督省庁の次官がその未来予測研究所の視察に訪れた際、研究責任者であるフォルマー教授が途方もないことを言いだし、数日後、不慮の死を遂げる。
研究補佐シュティラー博士(クラウス・レーヴィッチェ)が後任に就くが、まもなく保安主任ギュンター・ラウゼという男が、所長開催のパーティの席で突如として姿を消してしまう。
シュティラー博士はラウゼの行く末を気にするが、周囲のひとびとは端からそんな男はいないという・・・というハナシは、この後、シュティラー博士がフォルマー教授とともに作り出したコンピュータ内の疑似空間と交信をし、コンピュータ内の個別識別(いわゆる、ひと)からシュティラー博士が暮らす世界もまたコンピュータ内の疑似空間であると告げられることで、人間の「実在」をつきつめるSF映画と化していく。
映画の内容は、現代の視点でみると、なんとも先鋭的で素晴らしいのだけれど、映画が面白いのか面白くないのかと問われると、あまり面白くない。
特に第1部、ハナシの展開がもたもたしており、驚愕の事実が知らされるまでに100分以上も費やされてしまっている。
この前半は、通常だったら、フォルマー教授の死、保安主任ラウゼの消失といった謎を、シュティラー博士が探っていくということで、ハードボイルド的な面白さがでてよさそうなんだけれど、なんだかもたもたしていてつまらない。
これに対して第2部は、世界の秘密を知ってしまったシュティラー博士が(この時点では彼の考えが正しいかどうかはわからないのだが)、フォルマー教授殺害の犯人に仕立てられるとともに、彼が属する疑似空間と実空間の橋渡し役を探し出そうとするサスペンスが盛り上がってくる。
このあたりからファスビンダー監督の演出は冴え、前半でも使われていたガラスを通しての人物配置や鏡の虚像を用いた構図など、「実存」の揺らぎを、これでもかこれでもかと感じさせてくれる。
これは、撮影監督のミヒャエル・バルハウスの功績大である。
とくに、四方八方を鏡で取り囲まれたコンピュータルームや、実像から鏡の虚像、さらにはガラス越しの実像といったものを一連のワンショットで撮るあたりは、念が入っていて恐れ入る。
世界の秘密を知ったシュティラー博士の結末は・・・
意外とハッピーエンドなので、ここいらあたりに1970年代を感じることができる。
1部、2部を通じて、この評価としておきます。
(はじめから劇場用として2時間にまとめていたら、かなりの傑作になったかもしれないけれども)
内容も映像も完璧か…
一部終了。鏡を効果的に使っていたのが印象的。筋の斬新さもさることながら、絵が非常によく決まっていることに驚きを覚える。色味や装飾で決める映像というのはSFものの常套手段のようにも思えるのだが、それプラス構図となると、なかなか例を挙げることができない。しかも隅々にいたるまで実に緻密に練り上げられている印象があった。音楽に使い方も、個人的にはツボだったりするし、エンディングのギターなんて繰り返し聴きたいくらいだ。眠いけど、続けて二部へ─
二部終了。寝た。長い。構成や展開は文句のつけようがないくらいに素晴らしいが、一気に見るのはつらいかもしれない。画面内の情報がとにかく豊富であるので、集中力をかなり使う。ストーリーもパラレルワールド的に展開していくので脳味噌フル回転、力尽きると確実に落ちる。
マトリックスの元ネタ
正しく、マトリックスの元ネタです。
2部構成になっていて、両方で4時間。
見る前は、正直しんどいかも
と思っていたんですが、意外と
ワクワクドキドキ面白かったです。
あ、これは、マトリックスの
アレだなと分かるシーンが、
そこかしこにあります。
因みに、アレ?
このシーンいるの?
みたいな。
脈絡の無さも感じますし、
ドイツ語なので
違うのかもしれませんが、
この訳、ナンカ変?
と思えるところもあります。
しかしながら、1回は見ても
損は無いと思います。
個人的には、どこかで
DVD作ってくれないかなぁ
と思う次第であります。
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