劇場公開日 2016年3月5日

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「時代を先取りした実存主義的SF映画」あやつり糸の世界 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)

3.5時代を先取りした実存主義的SF映画

2016年3月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

本作は、『秋のドイツ 』や『シナのルーレット』『マリア・ブラウンの結婚』『リリー・マルレーン』に先立つ1973年の作品で、元はテレビ作品らしい。
(なるほど、だから長尺3時間30分なのね)
それを2部作にして劇場用映画にしたのは、彼の死後設立されたRWF財団の手によるものだろう。
(そこいらあたりは、エンドクレジットからの想像だけれど)
原本は1時間×4回でテレビ放映したことも察しがつく。
(第1部、第2部とも、ちょうど中間あたりで、フェイドアウト(溶暗)するカットがあるからね)
と、前置きが長くなったが、

近未来の1980年代。
ドイツでは国家事業として、コンピュータを使った未来予測に力を入れていた。
スーパーコンピュータに疑似空間をつくり、その中で個人個人がどのように活動し、ひいてはどのような経済状況・社会状況になるかを予想しようというものだった。

ある日、監督省庁の次官がその未来予測研究所の視察に訪れた際、研究責任者であるフォルマー教授が途方もないことを言いだし、数日後、不慮の死を遂げる。
研究補佐シュティラー博士(クラウス・レーヴィッチェ)が後任に就くが、まもなく保安主任ギュンター・ラウゼという男が、所長開催のパーティの席で突如として姿を消してしまう。
シュティラー博士はラウゼの行く末を気にするが、周囲のひとびとは端からそんな男はいないという・・・というハナシは、この後、シュティラー博士がフォルマー教授とともに作り出したコンピュータ内の疑似空間と交信をし、コンピュータ内の個別識別(いわゆる、ひと)からシュティラー博士が暮らす世界もまたコンピュータ内の疑似空間であると告げられることで、人間の「実在」をつきつめるSF映画と化していく。

映画の内容は、現代の視点でみると、なんとも先鋭的で素晴らしいのだけれど、映画が面白いのか面白くないのかと問われると、あまり面白くない。
特に第1部、ハナシの展開がもたもたしており、驚愕の事実が知らされるまでに100分以上も費やされてしまっている。
この前半は、通常だったら、フォルマー教授の死、保安主任ラウゼの消失といった謎を、シュティラー博士が探っていくということで、ハードボイルド的な面白さがでてよさそうなんだけれど、なんだかもたもたしていてつまらない。

これに対して第2部は、世界の秘密を知ってしまったシュティラー博士が(この時点では彼の考えが正しいかどうかはわからないのだが)、フォルマー教授殺害の犯人に仕立てられるとともに、彼が属する疑似空間と実空間の橋渡し役を探し出そうとするサスペンスが盛り上がってくる。
このあたりからファスビンダー監督の演出は冴え、前半でも使われていたガラスを通しての人物配置や鏡の虚像を用いた構図など、「実存」の揺らぎを、これでもかこれでもかと感じさせてくれる。
これは、撮影監督のミヒャエル・バルハウスの功績大である。
とくに、四方八方を鏡で取り囲まれたコンピュータルームや、実像から鏡の虚像、さらにはガラス越しの実像といったものを一連のワンショットで撮るあたりは、念が入っていて恐れ入る。

世界の秘密を知ったシュティラー博士の結末は・・・
意外とハッピーエンドなので、ここいらあたりに1970年代を感じることができる。

1部、2部を通じて、この評価としておきます。
(はじめから劇場用として2時間にまとめていたら、かなりの傑作になったかもしれないけれども)

りゃんひさ