ヘイトフル・エイトのレビュー・感想・評価
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憎しみ満載の(忌むべき)8作目
オレは「エクソシスト2」が大好きである。
モリコーネと言えば、オレにとっては「エクソシスト2」であり、「オルカ」であり、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」であり、「アンタッチャブル」である。
素晴らしい曲ばかりである。
だからと言って、それらは、そういう映画で、そういう使われ方をするからこそ、印象に残るのであり、そうでなければ、違和感でしかない。
「ヘイトフル・エイト」
まずは、これは日本人として言わせてもらう。
「70mm、観れる環境がなければ、意味がないでしょう?」
そして、めんどくさい映画バカとして言わせてもらおう。
「効果的な画が無くっちゃ、意味がないでしょう?」
とにかく、「映画的お飾り」にしかやたら話題がいかないような、脚本が流出したかの影響下か、ここに繰り広げられるものは、すべてタランティーノの、ムキになった面が出過ぎた「出さざるを得なくなった」かのような作品。
モリコーネの起用もその延長線にしか見えない。
序盤の「リーガンのテーマ」を全く意味がないところで使ったり、とオタク的な面には見事に外し、ワイドスクリーンを使った、奥行きのある裏の出来事の見せ方の陳腐さと大したできごとが起こっていないことにがっかり。
とにかくクールさを欠いている。
登場人物もまるで、魅力の無いモノばかり。サミュエルはいつものサミュエル。ほかはもう全然ダメ。
特にラッセルがダメダメで、序盤の立ち位置や引っ張り方が小物にしか見えない。
さらにジェイソン・リーは、まさしく「リーガン」そのもので、だったらあの時の「リーガンのテーマ」は使い方自体がおかしいじゃねえか、と。
ストーリーもつまらなければ、出さなくていいミニーは登場させてしまうし、出なくていいアイツはクレジットで出してしまうという、あえての「破たん」の仕方も全然うまくいっていない。
追記
「The Hateful Eight」
憎しみに満ちた8人、という訳し方をしている人が多いようだが、そうではない。
「脚本流出して、冷静さを欠いてしまった、(タラ自身の)憎しみ満載の(忌むべき)8作目」
という意味以外にないと思うがね。
タランティーノ節
ずっと見なきゃと思っていたけど中々機会がなく、海の上のピアニストでティム・ロスのハマったからやっと見た。
タランティーノ作品の人たちが集まってるのほのぼのする。
みんなイケおじになったなー!
3時間結構あっという間だった。前半少しだれた気もするが、、。
後半の巻き返しがよかった。3人(?)悪役チームなのがいいね!撮影が楽しそう。
色々きついシーンが多いから1人でしか見れない。
人種差別もひどい。
兄が素直に出てきて殺されるのも、他の2人が傍観してるのも意味わからないが、そんなことはどうでもいいって感じ!
タランティーノ節満載で面白かった。
マニックス、コーヒーだ❗
当時、映画館で観ました🎬
タランティーノ監督作ということで、今作もバイオレンス描写たっぷりでしたね。
カート・ラッセル演じるジョンが毒で殺されたあたりから、怒涛の展開です。
そしてチャニング・テイタムの出番の短さ。
最後は殆どの登場人物が死亡。
(オズワルド、ジョー、メキシコのマルコも皆ドメルグの部下でしたね)
ラストでドメルグは吊るされて死にましたが、マーキスとクリスもあの傷では長くはもたない気が‥。
マーキスが大事にしていたはずのリンカーンからの手紙も、実はハッタリだったというのも、タランティーノらしいですね🙂
今作はジェニファー・ジェイソン・リーの演技が光っていたと思います。
ジョンの血反吐が顔面にかかっても、ゲラゲラ笑っているのに、チャニング・テイタムの返り血を浴びた時は叫び声をあげるところとか。
サミュエル・L・ジャクソンは相変わらずのくせ者演技で、期待通りでした❗
ネタバレあり♥
さて、この物語は誰が語っているのか?
臭い終わり方も出鱈目の様な終わり方も全部計算されている。見ている者が騙される。
そこまで含めて評価したい。
アメリカ人なら、手紙の主の本当の姿を知っている。ましてや、賢明な演出家故、知らない訳がない。
題名も何故?8なのか?
そして、誰もいなくなった?エッ!
吉祥寺で一回見て、寝てしまったので、二回目を見て、スッキリ♥
今日は3回目。また寝てしまったので、4回目で見直し、最高♥
傑作だ。
ホラー映画?
中盤まではほとんどミニーのお店の中での会話劇で、タランティーノ監督の特徴のひとつである会話の面白さを楽しむ。誰が本当に悪党なのか、先の読めない展開が個人的には結構気にいっている。
後半に入って、タランティーノ監督の本領発揮というか、残虐シーンが多くなる。最後に至っては、ホラー映画そのものだ。
この映画のすばらしいところは、脚本の面白さにある。特に、サミュエル・ジャクソンが、ミニーがメキシコ人に店を任せるはずはないと殺してしまうところで、長々と理由を説明するが、なるほどと納得してしまった・・・スープ、デイヴが座っていた椅子、犬とメキシコ人の看板、コーヒー(これは説明はないが、ミニー以外の人が淹れたコーヒーなのでまずい)。
サスペンスタッチの音楽もよかった。クレジットを見たら、私にとってはマカロニウェスタンを連想してしまうエンニオモリコーネ・モリコーネだった。まだ生きていたんだ。一体何歳なんだろう?
これで残虐シーンがもうちょっと控えめだったら、もっと高評価にしたかったので残念。でも、控えめだったらタランティーノ監督らしくなくなってしまったか?
タランティーノは好きなのだが...
最初は会話劇パルプ・フィクションを見た時からタランティーノのそれが大好きになって、すごいワクワクしたけど、急な同性フェラかなりきつかったです。
そこからウォーレンがずーっとクソ野郎に見えてしまってドメルグの首絞めシーンなんて腹が立ちすぎて。
犯人を見つけて思い切りタランティーノお得意の復讐劇が見れると思ってたのに、ちょっと胸糞でした。
さすがグロさ的にはR-18と言う感じでもなかったがただただストーリー性に納得いかなかった。
シチューが食べたい(笑)
初めて観た時はまあまあに感じてしまって、2回目からの方が面白かったです! どういう風に登場人物たちはやられていくのかと思ったらいきなり大量の血を吐くとは! 『ヘイトフル・エイト』っていう響きも好きだし、この映画を観るとシチューが食べたくなる(笑)
タランティーノはアメリカの「蛭子能収」だ。
タイトルにもある通り、自分の現実では思い通りに行かない願望をそのまま漫画の原稿用紙に投影する「蛭子能収」の作風にこの監督はそっくりだ。
蛭子氏は故人のお葬式の最中にニヤニヤ笑う嫌な弔問客という「サイコパス」「発達障害」の負の強いイメージが芸能界では通例になっているが、彼の精神性とタランティーノのそれとが異常に類似しているように思えてならない。
まず、芸術作品を作る以前に作家自体の倫理性と一般常識が社会通念上ズレまくっている。
作品一般を見てきておしなべてこう感じざるを得ないのだが、この監督は本来の自身の性格がこうなのか、同じような変質者の男子ファンからの受けを狙っているのか「女心というものを全く解していない」!
「パルプ・フィクション」中でマドンナの「ライク・ア・バージン」の歌詞の意味をそっくりそのまま現実の「女性心理」として監督自身が受け止めていたというが、後日談で当のマドンナから正しい歌詞の意味の解釈と女性の表面には表出されない裏の心理を懇切丁寧に指摘されたというからお笑いである。
アン・ルイスのかつての歌で「女はそれを我慢できない」というのがあったが、あの歌詞を現実の女性もそう考えているのだと勘違いしているバカな男の代表格だったのかもしれない。
監督自身も。
少年のころから恋愛小説も女性が読むような書物も全く読まずに、くだらない成人漫画やB級ホラーやアクションものの映画ばかり見てきたのか、頭の中が、女性とは「男に都合の良いようなHな女性」ばかり思い描いてきたのだろうか?
全く、おめでたい「男のコ」である。
また、それにもまして、更に最悪で辟易させられる事実が、タランティーノの描く作品には、女性が残忍な殺され方やリンチシーンで溢れている所である。
「キル・ビル」の最後のジュリー・ドレフュスの両腕を切り落とすシーンしかり、「ワンス・アポン・ア・タイム……」の最後のヒッピー女性への火炎放射の報復しかり、今回の当作品の女性へのリンチシーンしかり、タランティーノは「女性」という生き物に対し並々ならぬ「偏見」や「復讐心」のような負の感情を持ち続けているような心性をその一連の作品から感じ取れてしまう。
現実の私生活で「女性」から何か屈辱的な裏切りでも受けたのか?
派手に袖にされたのか、裏切りに近いフラレ方でもされたのか?
とにかく、タランティーノの劇中にはこれでもかと女性に対するひどい「虐待」にも近い扱われ方が目に余るのだ。
女性という生き物は男性と違い少し小ズルく、物事を率直に正直に言わず、暗号のようなキーワードやボディランゲージ等で自分の心理や生理的な感情を表出する現実をこの監督自身が全く解していないのだろう。
女性の言葉をそれこそ「バカ正直」に受け取ってしまうのだろう。
この男は。
それこそ、世に氾濫するバカ男の典型みたいな人がタランティーノ監督の本来の性格なのかもしれない。
日本の蛭子能収氏もタランティーノ監督と同じような感覚で女性を捉えている。
氏自身、無類の「H好き」で、結婚した理由は無料でHをしたい放題というくらいの色好みである。
氏にとっての女性もやはり「穴」目的なのだろう。
全く、お粗末な「女性観」である。
サザンのかつての歌で「♪~女なんて揉んで吸って、いい気持ち~!女なんてそんなもの~♪」というのがあったが、このくらい二方の女性観は女性にとって不当に冷たく、残酷で、容赦ない。
女性の心が理解出来ないからせめて映画という虚構の中で妄想でも良いから女性を凌辱して、自分の言う事を聞かせたいというお粗末な「男」の心理状態そのものなのだ。
このタランティーノという「オタク」は。
現実に映画でも撮っていなかったなら、おそらくこの男は幼女誘拐殺人とかレイプとかとんでもないSM的な変態行為を女性に対して行っているのだろう。
現に、「足フェチ」であるし………・
また、事実、「女性蔑視」であるのか?という問いを「ワンス・アポン・ア・タイム……」完成時に女性インタビュアーから受けた時も、この男は頑なに返答自体を拒んだ過去がある。
また更に悪い事に、蛭子氏もタランティーノ氏同様に自分の作品中で不条理な殺され方をキャラクターに課す。
なぜ、この人を殺すのか?
蛭子氏の漫画では「必然性」というワードが全く符号しない。
まるで、殺される人が蛭子氏にとって個人的に気に入らないというか、現実生活で何かトラブルにでも巻き込まれたというか、第三者には全くわからない経過や理屈で「不自然に」惨殺されるケースが多々ある。
だから、読者としては、蛭子氏の言わんとするメッセージが全く理解出来ないし、共感も出来ない。
「俺様がこう思うのだから、読者も俺の感覚に従え!」と、まるで、価値観を押し付けてくるようなそんなマイナスな感情にいつも蛭子氏の漫画を読むたびに感じる。
これは、タランティーノの提唱するオマージュという価値観を観客や視聴者に押し付ける事実にも見事に類似している。
品性下劣なキャラクターと一貫するストーリー性のなさ、リアリズムの欠如、殺す必要もない者を殺す非情な世界観、どれを取っても「蛭子氏」の漫画の作風に共通している。
おまけに、異例の出たがりで、漫画を描く以上に、メディアやTVに出演したがる、異常な「目立とう精神」まで2人の行動は共通している。
ただ、劇中で楽しく演じている居られるお二方は、自己満足を満たしておられて、結構だが、演劇の訓練も受けていない、また、お世辞にも良い「イケメン」でもないお二方の「ふざけた演技」を見せられる観客のこちら側としては、正直申し上げて「辟易」させられるし、呆れるし、白けっぱなしである。
「不細工なマスク」はあまり見ていて気持ちの良いものでない。
2人の共通した性格は「品性下劣」であり、異常なほどの「目立とう精神」である。
また、徹底的な「独りよがり」な作風である。
「品性下劣」な作家が作る作品が世の映画ファンから好き嫌いを生じさせるは必然の結果である。
故エンニオ・モリコーネがタランティーノの作品を過少評価し、毛嫌いしていたのもわかる。
あんまり盛り上がらなかった
・登場人物、皆あやしくて悪い人間っぽかったので、誰が殺されそうになっても、まぁしょうがないんじゃないかって思えてきて気持ちがあんまり入らなかった。
・後半の解説章で理不尽に殺される店主たちが可哀そうだった。
・常にだれも信用できない、嘘をついているんじゃないかっていう状況が続いて、終わっても結果、誰が本当の事を言っていたのかが物凄く曖昧に感じた。結局、保安官だったのかとか。
北軍黒人と南軍白人は共闘できるか。
北軍で戦った黒人と、南軍で戦った父親を持つ白人。
序盤は罵り合う二人も、
状況が変化していく中で、結果的に共闘する形に。
異色のバディものとしてこの映画は描いていると思いました。黒人と白人、というだけではなく、互いに憎しみ合う、北軍と南軍という水と油のような存在を、くっつける舞台設定というのができてたと思います。
舞台となるお店はまさに、アメリカそのものと解釈もできるかもしれません。まあこれは言い過ぎだとしても、北と南の憎しみの果てに、お互いに手を取り合って戦えるかどうか。
最悪の敵が現れた時に、真に共闘できる人々として、アメリカ人を描いたのだと思える。
とはいえ、純粋にミステリー、バイオレンスとしての面白さは十二分にあって、考えなくても楽しい。
戦場と化した店
監督の熱烈なファンという訳ではないけれど、結構良作だと思いました。
「憎むべき8人」
...ん?9人いる?
あれ、憎たらしいのは7人だけになったか?
と思っていたら、しっかり8人いる。
そして「8人」が「小屋の中の誰か」を憎んでいる。
最後は多少和解した2人だけがかろうじて息をしていて、憎悪と血飛沫とグロで散々な1日も、「リンカーンの手紙」に記された希望を読み上げて終わる所に救いがあります。
「ニガー」の思想と知れば誰も相手にしない。でも「リンカーンの言葉」なら、興味をそそるし、読んでみたいと思う。感動する人すらいる。しかしそんな手紙を持ち歩いてあの時代を生き抜いてきたMajor Warrenを、全く同情的に描いていません。
紅一点のDaisyも、文字通り鎖に繋がれ、その命運は男性陣の手中にありますが、その理由は性別ではなく、性悪だから。
善人、悪人、将軍、保安官-to-be…
同情する暇もなく、誰であっても「公平に」災難に遭い、無傷な人は一人もいない…。
暴力そのものは差別することなく公平に相手を傷付ける。
銃社会は国を滅ぼしてしまったりしてね。
小屋内でも吐く息が白くて、ほんと寒そうでした。
“..... that dispassion is the very essence of
justice. For justice delivered without dispassion, is always in danger of not being justice.”
とうとうタランティーノが枯れてしまったことが露呈した“憎むべき8作目”
俺の生涯ベスト映画はパルプフィクションである。今でも初めての映画を見るたびにパルプフィクションを超えてくれるか、という入り方をして見てしまうくらい好き。
パルプフィクションを撮ってくれた為にタランティーノは次にどんな衝撃をくれるんだろうと期待して彼の映画は全て見てきた。
ヘイトフル8の落胆に繋がるのはタランティーノの映画監督としての感覚の劣化では無いかと思う。
彼の初期作品(レザボアドッグス、パルプフィクション、フォールームス)は映画おたくのビデオ屋店員が世間へ突き立てた中指、「学も金もコネも無いけど、俺はどうすれば映画が面白くなるか知ってるぜ!」という鋭さ、世間を冷めた目で見た冷たさ、そしておしゃれ。
才能とセンスと若さ、全てがベストのタイミングで世に放たれた最高の総合芸術だった。
ただそのあとの彼の作品、具体的にはキルビル以降、タランティーノが面白いものと世間が面白いものにギャップが生じてきたと感じる。
それが現れ始めたのがキルビル、イングロリアスバスターズ以降は顕著になったと思う。
そして、それと比例するように彼の映画の才能、センス、タイミングがどうも落ちてきた気がしていた。
本作は密室劇にすることで彼の十八番中の十八番、会話劇で引っ張ることができる、また時間軸のバラシもやっている。が、それがつまらない・・・。
セリフ回しは長く、汚い言葉の羅列で不快。時間軸のバラシがただのあと出しジャンケン(物語中盤での床の下に人はオッケーなのか!?)。
そして、一番不快に感じたのは女性への扱い。極悪犯だからという理由はあるにせよ、女性への暴力を映像にして執拗に見せる必要があるのか?不快に感じた。
この作品はウルトラ・パナビジョン70という昔の大作映画で使用されていたフィルムを使用して撮られている。監督の意図としては「風と共に去りぬ」といった昔の超大作昔映画を鑑賞する「体験」を観客に与えたいということらしい。グラインドハウスでもZ級映画2本立てを汚ったない映画館で見ているような「体験」を与えてきたタランティーノだけに映画そのもので伝えることよりも、映画を見るその体験こそがタランティーノが提供したいものなのだろう。
が、昔の超大作昔映画の鑑賞体験を与える環境まで整えたはいいが、そこで繰り広げられるのは先にも述べたタランティーノの俗悪暴力映画である。鑑賞環境と映画の内容に大きく隔たりがあると感じる。
タランティーノが新しかった事は彼の描く殺しに全くカタルシスが無かった事だと思う。
人を弾みで撃ち殺してしまっても「ヤベェ、撃っちまった」とまるで犬のフンを踏んだような、おおよそ人が取らないリアクションを見せた。
そういった殺しがテンポよく繋がれていく中で、でもきちんと殺しをやった奴は制裁を受けるバランスがあった。
そもそもこういう殺しの描写が得意な人間なのだから、復讐劇が上手いとは思えない。
イングロでユダヤ人、ジャンゴで黒人とマイノリティーが受けてきた負の歴史を映画の中で暴力を用いて復讐してきたが、彼の描く復讐にはマイノリティーを盾にして暴力描写をやりたいだけのように感じる。
何かタランティーノを否定しちゃいけない雰囲気があると思う。批判したら分かってない風に取られそうで。でも、俺は映画のこと分かってないと言われても構わない。
俺が最も尊敬していた監督の落日を目の当たりした一本、本当に“憎むべき8作目”。
メモ
鑑賞後に気づくポスターの秀逸さ だけど首吊り人の嘘とは?手錠か?
ジャクソンの一人勝ちかと思いきやからの思いきや
JBせつない
ぐだぐだなころしあい かなり面白かった
小説を読んでる感覚!
長い
見たら分かると思いますが、殺せるチャンスはいくらでもあったはず。最後まで無理くりにに引っ張った感がハンパない。出演者も常連俳優さんなので新鮮さが無い。3時間は長いよ。見たら分かると思いますが、服飾店って設定なのにただの山小屋。いつのまにかジャクソンが主導権を握りはじめるし。展開が長い割りに雑。
映画ポスターもジミー・ペ○イジが演奏しなかったあおり方と同様。完全に騙された。
長いけど
前半のほとんどが会話シーン
これが長いんだけど
中盤の終わりくらいから一気に鑑賞でき
長かったのかあっという間だったのかよく分かりませんでした笑
思っていた程グロくなかった
吐血の多さはヤバかった笑
舞台劇を観てるようで引き込まれる!!
長いですが舞台劇を観てるようで引き込まれます。最初胡散臭いなあコイツと思っていた自称保安官ですが、軽薄だし印象が薄いままストーリーが展開し、最後男をアゲるさまは大変お見事でとても興奮しました。種田洋平デザインの山小屋も素敵です。パンフレットを読むと、タランティーノ自身が各キャストに電話で出演交渉しているさまが書いてあり、非常に熱い男だと知りました。今まで食わず嫌いだったのは勿体なかったと気が付きました。
タランティーノ式、アンチドグマ主義
〇〇〇をしゃぶらせた者が〇〇〇を撃ち抜かれる。その事から解るのは……
「憎悪がある者はそれ相当の憎悪で報復される」というもの凄く真っ当な見解だ。
それが血まみれ血みどろでもだ。だってタランティーノだから。
だからラストのアレももの凄く真っ当な終わり方である。
どうやら『イングロリアス・バスターズ』から始まったタランティーノの政治性メッセージ映画は「落ち着くところに落ち着いた」ようだ。
個人的に気になるのはこれが70mmでないために本当にこの映画の面白さを堪能できているのかどうか良くわからないところか。
何だか…。
密室劇でいうならレザボアに印象は近いけど、何か中途半端だな。後半に人物が増えるのは良くない。それまでいなかった登場人物が話を進行させるのはミステリーの体裁からいうと邪道。
全51件中、1~20件目を表示