ヘイトフル・エイトのレビュー・感想・評価
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Quentin Tarantino
一見さんお断りの超極上のウエスタン映画。
毎回、クエンティン・タランティーノの映画を見ていると頭が爆発しそうになる。そして見終わった後には、自分の文学的、芸術的能力の低さに落胆してしまう。
ここまで世界中で愛され、日本にも多くのファンがいるタランティーノですが、その作品の奥に隠された層の厚さというのは、ただ血が飛び散り、豪快なアクションシーンがあるだけではない。
まず、この映画は2時間48分で何を言いたいのか。それは毎回タイトルが示すように、”ヘイトフル・エイト”、8人の嫌われ者です。しかし、ただ8人の色々な種類の悪人が撃ち合いをするのではなく、吹雪のんかの小さなロッジで誰が正義で誰が悪なのかを醜く描いた作品です。まじで前半から第4章にかけてのキャラクターの関係性が目まぐるしく、かつ滑稽に変化する様子が面白くてしょうがない。映画の超基本でありながら、一番大切なキャラクターのつながりが中心に描かれているから最高。誰と誰が協力し、誰と誰が敵対するのか、どちらが有利なのか、有利・不利を判断する基準はなんなのかこれが全てです。
私が一番好きなキャラクターは保安官のクリス。コロコロと立場を変えながらも堂々と意見を述べ、最終的には自分の想像を超えたことをしてしまうキャラクター。他のキャラクターがしっかりと根を張っているので、このキャラの地に足についていない感じがどうしようもなく滑稽。次に主人公のウォーレン。慎重かつ大胆、さらには残虐的なタランティーノ映画のダークヒーロー的存在。小癪な手を使いながらも、自分の意見は曲げない、ずっしりとしたキャラクター。
このようにキャラクターを説明できるほど、芯を持ってキャラクターが作られていくから面白い。
ブロッキング
タランティーノ監督としての天才的なところは彼のブロッキングにあると思います。なんといっても一番は、ブロッキングでキャラクターの関係性を描くことができるということ。ステージの上下前後左右を広く使ったブロッキングはまさに映画。アングルの違いで表現するキャラクターのパワーバランス。印象的なサイドショットで描くキャラクターの物理的距離感。前後の奥行きを使ったキャラクターの心理的距離感。そして、ドリーやクレーンを使って、それらを流動的に我々に見せてくるから意識的には処理スビードが間に合わない。
そして、今作品でそれを最大化してのが、ロケーション。1つの小さなロッジを動き回るキャラクターとカメラは圧巻。それを実現させたのが、かの有名な種田陽平さん。
ライティング
ロバート・リチャードソンの代名詞とも言える、ハイライトのグロー。今作でも健在。しかし、今作で少し違ったのはその印象的なグローは、一部のシーンでしか使われないということ。それゆえ、タランティーノのチョイスしたクロースアップのフレーミングに、ロバートリチャードソンのライティングが組み合わさって、圧倒的なパワーを持つ映像の完成。
セットの雰囲気ともあいまって、テーブルやバーにキャストされるスポットライトは感情がある。マジですごい。
フィクション的なライティングが光るってことは、それは自然なライティングできてるからこそ。意外とフィルライトのバリエーションがえげつなかったりする。
65mmフィルムにアナモルフィックレンズを使ったウルトラパナビジョン。2.7:1の超ワイドで70mmブリントにするって、もう本当にバカじゃないかな?何%の人がその理想の条件で観れるのか。そこまでこだわるのが作品にも出ている。芸術作品として、今後将来残していく作品として、を考えている。
だから、タランティーノの描くテーマはとてもダークな陰の部分だし、滑稽にも見えるバイオレンスシーンも痛々しく感じるし、チョイスする音楽は歴史を重ねる。まさに文学的。芸術性と文学性と、ユーモアを持ち合わせた鬼才。天才。
戦場と化した店
監督の熱烈なファンという訳ではないけれど、結構良作だと思いました。
「憎むべき8人」
...ん?9人いる?
あれ、憎たらしいのは7人だけになったか?
と思っていたら、しっかり8人いる。
そして「8人」が「小屋の中の誰か」を憎んでいる。
最後は多少和解した2人だけがかろうじて息をしていて、憎悪と血飛沫とグロで散々な1日も、「リンカーンの手紙」に記された希望を読み上げて終わる所に救いがあります。
「ニガー」の思想と知れば誰も相手にしない。でも「リンカーンの言葉」なら、興味をそそるし、読んでみたいと思う。感動する人すらいる。しかしそんな手紙を持ち歩いてあの時代を生き抜いてきたMajor Warrenを、全く同情的に描いていません。
紅一点のDaisyも、文字通り鎖に繋がれ、その命運は男性陣の手中にありますが、その理由は性別ではなく、性悪だから。
善人、悪人、将軍、保安官-to-be…
同情する暇もなく、誰であっても「公平に」災難に遭い、無傷な人は一人もいない…。
暴力そのものは差別することなく公平に相手を傷付ける。
銃社会は国を滅ぼしてしまったりしてね。
小屋内でも吐く息が白くて、ほんと寒そうでした。
“..... that dispassion is the very essence of
justice. For justice delivered without dispassion, is always in danger of not being justice.”
映画館で観たかった
“首吊り人”とも呼ばれるルース(ラッセル)は賞金首を生け捕りにするポリシー。
途中、またもや白人を拾う。目的地レッドロックの新任保安官のクリス・マニックス(ウォルトン・ゴギンズ)だ。彼はルースのこともマーキス(ジャクソン)のことも知っていたが、特に南軍時代に白人捕虜までを焼いてしまった事実を語りだす。マニックスもまた父親が略奪団をやっていた・・・
吹雪のせいでミニーの服飾店で足止めを食らう。そこにはボブ(デミアン・ビチル)、絞首刑執行人オズワルド・モブレー(ティム・ロス)、カウボーイのジョー・ゲージ(マイケル・マドセン)、元南軍のサンディ・スミザーズ将軍(ブルース・ダーン)がいた。南北戦争をもとに様々な人間関係、確執を持ってる者がいるため、小屋に境界線を引こうと提案もなされたが、マーキスが将軍の息子を残酷な仕打ちの末殺したと侮辱を与えたため、将軍が銃を放つ瞬間マーキスが返り討ちにする。
そんな銃撃の中、何者かがコーヒーのポットに毒を入れていたのをデイジーだけが目撃。彼女は黙って、誰がコーヒーを飲むかを注視していた。コーヒーを飲んで死んだのはジョン・ルースと御者のOB。マーキスはクリスとともに残りの人間ボブ、ジョー。オズワルドに尋問する。そんな矢先、マーキスは地下にいる何者かに股間を撃たれてしまう・・・
地下に潜んでいた男はデイジーの弟ジョディ。彼ら4人はデイジー救出のために朝早くからミニーの店を占拠していたのだった・・・
マーキスもクリスも多分出血多量・・・最後には全員死んでしまうってのが何とも強烈。
タランティーノが袋詰め
あれ…?期待ハズレ。タランティーノでティムでサミュエルでマドセンで...
とうとうタランティーノが枯れてしまったことが露呈した“憎むべき8作目”
俺の生涯ベスト映画はパルプフィクションである。今でも初めての映画を見るたびにパルプフィクションを超えてくれるか、という入り方をして見てしまうくらい好き。
パルプフィクションを撮ってくれた為にタランティーノは次にどんな衝撃をくれるんだろうと期待して彼の映画は全て見てきた。
ヘイトフル8の落胆に繋がるのはタランティーノの映画監督としての感覚の劣化では無いかと思う。
彼の初期作品(レザボアドッグス、パルプフィクション、フォールームス)は映画おたくのビデオ屋店員が世間へ突き立てた中指、「学も金もコネも無いけど、俺はどうすれば映画が面白くなるか知ってるぜ!」という鋭さ、世間を冷めた目で見た冷たさ、そしておしゃれ。
才能とセンスと若さ、全てがベストのタイミングで世に放たれた最高の総合芸術だった。
ただそのあとの彼の作品、具体的にはキルビル以降、タランティーノが面白いものと世間が面白いものにギャップが生じてきたと感じる。
それが現れ始めたのがキルビル、イングロリアスバスターズ以降は顕著になったと思う。
そして、それと比例するように彼の映画の才能、センス、タイミングがどうも落ちてきた気がしていた。
本作は密室劇にすることで彼の十八番中の十八番、会話劇で引っ張ることができる、また時間軸のバラシもやっている。が、それがつまらない・・・。
セリフ回しは長く、汚い言葉の羅列で不快。時間軸のバラシがただのあと出しジャンケン(物語中盤での床の下に人はオッケーなのか!?)。
そして、一番不快に感じたのは女性への扱い。極悪犯だからという理由はあるにせよ、女性への暴力を映像にして執拗に見せる必要があるのか?不快に感じた。
この作品はウルトラ・パナビジョン70という昔の大作映画で使用されていたフィルムを使用して撮られている。監督の意図としては「風と共に去りぬ」といった昔の超大作昔映画を鑑賞する「体験」を観客に与えたいということらしい。グラインドハウスでもZ級映画2本立てを汚ったない映画館で見ているような「体験」を与えてきたタランティーノだけに映画そのもので伝えることよりも、映画を見るその体験こそがタランティーノが提供したいものなのだろう。
が、昔の超大作昔映画の鑑賞体験を与える環境まで整えたはいいが、そこで繰り広げられるのは先にも述べたタランティーノの俗悪暴力映画である。鑑賞環境と映画の内容に大きく隔たりがあると感じる。
タランティーノが新しかった事は彼の描く殺しに全くカタルシスが無かった事だと思う。
人を弾みで撃ち殺してしまっても「ヤベェ、撃っちまった」とまるで犬のフンを踏んだような、おおよそ人が取らないリアクションを見せた。
そういった殺しがテンポよく繋がれていく中で、でもきちんと殺しをやった奴は制裁を受けるバランスがあった。
そもそもこういう殺しの描写が得意な人間なのだから、復讐劇が上手いとは思えない。
イングロでユダヤ人、ジャンゴで黒人とマイノリティーが受けてきた負の歴史を映画の中で暴力を用いて復讐してきたが、彼の描く復讐にはマイノリティーを盾にして暴力描写をやりたいだけのように感じる。
何かタランティーノを否定しちゃいけない雰囲気があると思う。批判したら分かってない風に取られそうで。でも、俺は映画のこと分かってないと言われても構わない。
俺が最も尊敬していた監督の落日を目の当たりした一本、本当に“憎むべき8作目”。
タランティーノ節炸裂!
まさにタランティーノという作品だった。3時間もあるものの、前半はタランティーノ作品おなじみの会話劇で全く退屈させなかった。そしてその会話が後半にじわじわと効いてきたりして、もう本当に面白かった。
この映画で一番好きだった点が、主演サミュエル・L・ジャクソンの名演技。僕の大好きな俳優の1人で他の作品でもなかなかの演技を見せているが、この作品での演技は僕が見た中で一番良かったんじゃないかなと思う。出演していた他の俳優たちの演技もみんな本当に素晴らしかった。
マイナスな部分をあげるとしたらまず、誰もが大好きな作品ではないということ。お得意の雑談も嫌いな人からしたらとことん嫌いなはず。そしてもう1つは名探偵コナンなどの密室ミステリーを想像しているとがっかりしてしまうということ。
タランティーノ作品としてはあまり好きではない方の映画だった。
演劇映画
一言でいうと舞台演劇を映画のスクリーンで見ているようなでした。
2時間40分は長く感じられなかったが前半の馬車の中のあまり
意味のないトークはもう少し短くても良いのではないかと思います。
この映画は南北戦争後あたりの時代背景なんでしょうか、相も変らず黒人差別の題材をしている所もありますが、まあ主演は黒人ですしヒーロー的な役柄なのはその辺は国民に対してバランスをとっているのかが良くわかります。
銃撃シーンも最初はびっくりしましたがこの時代だったら日本の時代劇の殺陣のシーンを西部劇風にリアルにやればこんな感じなのだろうと納得するようにもなりました。
全体に流れている音楽が独特で凄く気になっていたんですけど
この映画の後に起こるストーリーを予測するにはピッタリ合っていると思います。
やはり、アカデミーの音響賞受賞ですね納得です。
また、この映画は後でもう一度見直して見たくなるような作りなっている映画だと思いました。
落語
全員悪人
メモ
鑑賞後に気づくポスターの秀逸さ だけど首吊り人の嘘とは?手錠か?
ジャクソンの一人勝ちかと思いきやからの思いきや
JBせつない
ぐだぐだなころしあい かなり面白かった
小説を読んでる感覚!
そして、誰もいなくなった…。
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