ヘイトフル・エイトのレビュー・感想・評価
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ヘイト・スラング・スプラッター
Amazon primeでの鑑賞
章仕立て、舞台のような台詞回し、後半には怒涛のスプラッタ描写。気づいた時には遅かった。
クエンティンタランティーノ監督作品らしいと言えばらしい。下調べをしてから観るべきでした。
3時間近い上映時間。
馬車が走っているだけで10分、馬車に乗るだけで20分、自己紹介で30分とほぼ長台詞でダラダラとした時間が過ぎて1時間経過。
山小屋に来てもそれぞれ自分語りが止まりません。
雪山でそんなに語り合うことある?
みんな自称○○○とマウントしてくるのですが、果たして本当のことなんて話してるんだか分かりません。
そんな中、狭い山小屋で血飛沫や銃声、怒号の飛び交う殺人劇が繰り広げられます。
後半の1時間は血が滴り落ちる地獄絵図です。
スプラッター描写もあるので、苦手な人にはおすすめできません。
物語の結末も尻切れトンボで、「で?」と言いたくなります。
とにかくスラングや下品な言葉、暴力のオンパレードです。好きな人は好きなんだろうが私は2回は観たくない作品でした。
少なくともカップルや友人にはオススメできません。
クエンティンタランティーノ監督が好きな方なら、満足できる作品だと感じました。
Twitterでレビュー漫画を描いています
@hana032488
タランティーノはアメリカの「蛭子能収」だ。
タイトルにもある通り、自分の現実では思い通りに行かない願望をそのまま漫画の原稿用紙に投影する「蛭子能収」の作風にこの監督はそっくりだ。
蛭子氏は故人のお葬式の最中にニヤニヤ笑う嫌な弔問客という「サイコパス」「発達障害」の負の強いイメージが芸能界では通例になっているが、彼の精神性とタランティーノのそれとが異常に類似しているように思えてならない。
まず、芸術作品を作る以前に作家自体の倫理性と一般常識が社会通念上ズレまくっている。
作品一般を見てきておしなべてこう感じざるを得ないのだが、この監督は本来の自身の性格がこうなのか、同じような変質者の男子ファンからの受けを狙っているのか「女心というものを全く解していない」!
「パルプ・フィクション」中でマドンナの「ライク・ア・バージン」の歌詞の意味をそっくりそのまま現実の「女性心理」として監督自身が受け止めていたというが、後日談で当のマドンナから正しい歌詞の意味の解釈と女性の表面には表出されない裏の心理を懇切丁寧に指摘されたというからお笑いである。
アン・ルイスのかつての歌で「女はそれを我慢できない」というのがあったが、あの歌詞を現実の女性もそう考えているのだと勘違いしているバカな男の代表格だったのかもしれない。
監督自身も。
少年のころから恋愛小説も女性が読むような書物も全く読まずに、くだらない成人漫画やB級ホラーやアクションものの映画ばかり見てきたのか、頭の中が、女性とは「男に都合の良いようなHな女性」ばかり思い描いてきたのだろうか?
全く、おめでたい「男のコ」である。
また、それにもまして、更に最悪で辟易させられる事実が、タランティーノの描く作品には、女性が残忍な殺され方やリンチシーンで溢れている所である。
「キル・ビル」の最後のジュリー・ドレフュスの両腕を切り落とすシーンしかり、「ワンス・アポン・ア・タイム……」の最後のヒッピー女性への火炎放射の報復しかり、今回の当作品の女性へのリンチシーンしかり、タランティーノは「女性」という生き物に対し並々ならぬ「偏見」や「復讐心」のような負の感情を持ち続けているような心性をその一連の作品から感じ取れてしまう。
現実の私生活で「女性」から何か屈辱的な裏切りでも受けたのか?
派手に袖にされたのか、裏切りに近いフラレ方でもされたのか?
とにかく、タランティーノの劇中にはこれでもかと女性に対するひどい「虐待」にも近い扱われ方が目に余るのだ。
女性という生き物は男性と違い少し小ズルく、物事を率直に正直に言わず、暗号のようなキーワードやボディランゲージ等で自分の心理や生理的な感情を表出する現実をこの監督自身が全く解していないのだろう。
女性の言葉をそれこそ「バカ正直」に受け取ってしまうのだろう。
この男は。
それこそ、世に氾濫するバカ男の典型みたいな人がタランティーノ監督の本来の性格なのかもしれない。
日本の蛭子能収氏もタランティーノ監督と同じような感覚で女性を捉えている。
氏自身、無類の「H好き」で、結婚した理由は無料でHをしたい放題というくらいの色好みである。
氏にとっての女性もやはり「穴」目的なのだろう。
全く、お粗末な「女性観」である。
サザンのかつての歌で「♪~女なんて揉んで吸って、いい気持ち~!女なんてそんなもの~♪」というのがあったが、このくらい二方の女性観は女性にとって不当に冷たく、残酷で、容赦ない。
女性の心が理解出来ないからせめて映画という虚構の中で妄想でも良いから女性を凌辱して、自分の言う事を聞かせたいというお粗末な「男」の心理状態そのものなのだ。
このタランティーノという「オタク」は。
現実に映画でも撮っていなかったなら、おそらくこの男は幼女誘拐殺人とかレイプとかとんでもないSM的な変態行為を女性に対して行っているのだろう。
現に、「足フェチ」であるし………・
また、事実、「女性蔑視」であるのか?という問いを「ワンス・アポン・ア・タイム……」完成時に女性インタビュアーから受けた時も、この男は頑なに返答自体を拒んだ過去がある。
また更に悪い事に、蛭子氏もタランティーノ氏同様に自分の作品中で不条理な殺され方をキャラクターに課す。
なぜ、この人を殺すのか?
蛭子氏の漫画では「必然性」というワードが全く符号しない。
まるで、殺される人が蛭子氏にとって個人的に気に入らないというか、現実生活で何かトラブルにでも巻き込まれたというか、第三者には全くわからない経過や理屈で「不自然に」惨殺されるケースが多々ある。
だから、読者としては、蛭子氏の言わんとするメッセージが全く理解出来ないし、共感も出来ない。
「俺様がこう思うのだから、読者も俺の感覚に従え!」と、まるで、価値観を押し付けてくるようなそんなマイナスな感情にいつも蛭子氏の漫画を読むたびに感じる。
これは、タランティーノの提唱するオマージュという価値観を観客や視聴者に押し付ける事実にも見事に類似している。
品性下劣なキャラクターと一貫するストーリー性のなさ、リアリズムの欠如、殺す必要もない者を殺す非情な世界観、どれを取っても「蛭子氏」の漫画の作風に共通している。
おまけに、異例の出たがりで、漫画を描く以上に、メディアやTVに出演したがる、異常な「目立とう精神」まで2人の行動は共通している。
ただ、劇中で楽しく演じている居られるお二方は、自己満足を満たしておられて、結構だが、演劇の訓練も受けていない、また、お世辞にも良い「イケメン」でもないお二方の「ふざけた演技」を見せられる観客のこちら側としては、正直申し上げて「辟易」させられるし、呆れるし、白けっぱなしである。
「不細工なマスク」はあまり見ていて気持ちの良いものでない。
2人の共通した性格は「品性下劣」であり、異常なほどの「目立とう精神」である。
また、徹底的な「独りよがり」な作風である。
「品性下劣」な作家が作る作品が世の映画ファンから好き嫌いを生じさせるは必然の結果である。
故エンニオ・モリコーネがタランティーノの作品を過少評価し、毛嫌いしていたのもわかる。
タランティーノ!
作品のテーマとか意味なんてクソくらえ。ドンバチ上等。血みどろOK。皮肉の効いた台詞回しとカッコいい音楽。B級映画と言われようが、おもしろければ全てよし。これがタランティーノだと思っている。だからタランティーノ映画は好き嫌いがはっきり分かれる。こんなことを書いておきながら、私はどちらかといえば、苦手なほう。サミュエル・L・ジャクソンを観たい一心でしたが、その点は大いに満足しました。
ミステリ目当てなら2回観ろ。タランティーノ好きなら何度も観ろ!
この映画、日本人にはかなり不当な評価を得ている気がする。自分はこないだ2年ぶり8回目の鑑賞をした。やっぱり面白かった。ちな吹き替え。
この作品はあのタランティーノ監督の作品である。つまり、映画好きのための映画だ。一回見て100%の情報なんて吸収しきれないくらいに詰め込まれていて、だからこそ何度も楽しめる。
ここでぶっちゃけると、今作の肝は演者の掛け合いであって、ミステリ要素なんて二の次三の次。いや、そもそもミステリなんてない。悪党がババアのニガーを殺した。それだけだ。
そして二度目以降の鑑賞でより分かる、ジョン・ルースの溢れ出る聖人感や、ウォーレン少佐の警戒している様子。オズワルドの挙動不審さとクリスのアホっぷり。ドメルグの美しさ・・・etc
はああ、何度観ても面白い・・・。
ストーリーは面白いけど 乱暴な描写がちと苦手で…
劇場公開時、面白そうだなぁ~と思ってたけど観に行けなかった作品。ふと思い出してレンタルで鑑賞。
密室などは好きな設定なので「長い」という事は承知の上で挑みました。
が、始まってすぐに難関が! 乱暴な描写や話し方が苦手なので登場人物に好感が持てずに、1時間はけっこう辛かったです。あのドメルグ役の女優さん、とても頑張ってるなぁと思いました。それに男たちが…誰が誰だかわからなくて…(笑) 8人じゃなくない!?O.B.って人はエイトに入ってないのかな!?とか混乱しました…。
でも最初の「事件」がおきてからは面白くなってきて、2時間過ぎてからの終盤は楽しめました。章仕立てにする構成も良かったです。
やはりサミュエル・L・ジャクソンとカート・ラッセルの役柄はかなり苦手だけど、その乱暴さがタランティーノなんでしょうね…(^^;
あんまり盛り上がらなかった
・登場人物、皆あやしくて悪い人間っぽかったので、誰が殺されそうになっても、まぁしょうがないんじゃないかって思えてきて気持ちがあんまり入らなかった。
・後半の解説章で理不尽に殺される店主たちが可哀そうだった。
・常にだれも信用できない、嘘をついているんじゃないかっていう状況が続いて、終わっても結果、誰が本当の事を言っていたのかが物凄く曖昧に感じた。結局、保安官だったのかとか。
ほぼ全員悪人
某ヤクザ映画を完全にパクってますが、この映画を一言で表すなら大体こんな感じです。
(一人だけそんな悪人ではないのでほぼと言ってます)
このサミュエル・L・ジャクソンが痺れるッ!!
「何故こんな嘘を付いたかお前に解るか?おかげで馬車に乗れただろ。」
特にこの台詞が好きです。
一個汚いシーンあるけど(笑)
個人的に西部劇はあまり観ない方なのですが、これはその中でも数少ない例外です。
西部劇ではありますが、基本的に雪山のロッジでの話なので密室劇にとも言えます。
かなり寒い気候の地域で撮影されたそうなので、外や中での寒さが充分に伝わってきます。
特に壊れたドアでの場面は本当に寒そうで修羅場みたいでした(笑)
そして、キャスト陣も本当に素晴らしいです!
サミュエル・L・ジャクソンをはじめとしたタランティーノ映画の常連俳優は本当に味があります。
でも特に素晴らしかったのはサミュエルとカート・ラッセルです!
存在感もあるし、映画で一番凄みのある二人でした。
そして、もうひとつ素晴らしいのは小屋の中のセットです。
建物の形自体もお洒落ですが、バーにはいくつもの酒やカップが置かれていて、それ以外にもピアノやテーブル、鹿の飾りもの等全てが美しいので宝探しするような子供心をくすぐられます。
このセットをデザインしたのは、我らが種田陽平!
「スワロウテイル」や三谷幸喜映画、「キル・ビル」等でも凄いものを魅せてくれていますが、彼はどこに行っても力を発揮してくれます!
さて、長ったらしいけど面白い会話シーンの後に来る血みどろの殺戮シーンがタランティーノ映画の醍醐味ですが、この映画はその中でも血みどろさは上位に組み込むかと思います。
特に後半の人が死ぬシーンは結構血がドバドバ出ます。
なので、前半が比較的静かだったので結構度肝を抜かれました。
この会話シーン自体は結構19世紀の南北戦争に関する事も多いです。
自分自身南北戦争をそこまで知らないのもあってか、個人的にそこまではまらないシーンもありました。
また、この映画は汚い表現が多いのですが、今回は引いてしまう所もありました。
特にサミュエルの中盤の告白は結構引きました。
しかし、それを踏まえても他が素晴らしいのでそんなに退屈することなく世界観を堪能出来ます。
余談ですが、あのギターの弾き語りシーンは結構笑えました。
タランティーノ印の血みどろマカロニ・ウェスタン。吹雪の山小屋で繰り広げられるならず者たちの疑心暗鬼の遣り取りが面白すぎる
クエンティン・タランティーノ監督節全開作。
<南北戦争時代>
8人のならず者が、「ミニーの紳士服飾店」という名前の山小屋の中で繰り広げる騙し合い、心理合戦を続ける中で惨劇は次々に起こり、一人づつ消されていく。
8人の山小屋の中でのポジションの取り合い(心理的・物理的)が非常に巧妙で面白い。
推理小説のような謎解きの楽しさにブラックな笑いと過剰な血しぶきをまぶしたタランティーノ印満載ムービー。
<2016年3月1日 劇場にて鑑賞>
北軍黒人と南軍白人は共闘できるか。
北軍で戦った黒人と、南軍で戦った父親を持つ白人。
序盤は罵り合う二人も、
状況が変化していく中で、結果的に共闘する形に。
異色のバディものとしてこの映画は描いていると思いました。黒人と白人、というだけではなく、互いに憎しみ合う、北軍と南軍という水と油のような存在を、くっつける舞台設定というのができてたと思います。
舞台となるお店はまさに、アメリカそのものと解釈もできるかもしれません。まあこれは言い過ぎだとしても、北と南の憎しみの果てに、お互いに手を取り合って戦えるかどうか。
最悪の敵が現れた時に、真に共闘できる人々として、アメリカ人を描いたのだと思える。
とはいえ、純粋にミステリー、バイオレンスとしての面白さは十二分にあって、考えなくても楽しい。
文学小説+ミステリー+バイオレンス
アメリカ南北戦争終結後、白人賞金稼ぎ、元北部軍黒人賞金稼ぎ、賞金首の女性、新任保安官、元南部軍白人将軍、店番、絞首刑執行人、カウボーイの8人が織りなす物語。(まだいるけどね)
3時間弱の長時間大作。長いのにも理由あり。
上記の8人が上手い具合に紹介され、一同が店に集まる。
集まり方は、まるで文学小説を観ているかの様だった。
丁寧に物語を紡いでいる。逆に今迄のタランティーノらしさは前半に無い。途中アガサ・クリスティの様なミステリー解決も有り。
しかし、後半は怒涛の血みどろラッシュw
タランティーノらしさ満載。
終わってみたらバイオレンス映画として終わっていた。
この監督はホント賢いと思う。
自分のスタイル在りながら進化を続けている様に感じる。
タランティーノ進化論をこれからも見届けたいと思います。
Quentin Tarantino
一見さんお断りの超極上のウエスタン映画。
毎回、クエンティン・タランティーノの映画を見ていると頭が爆発しそうになる。そして見終わった後には、自分の文学的、芸術的能力の低さに落胆してしまう。
ここまで世界中で愛され、日本にも多くのファンがいるタランティーノですが、その作品の奥に隠された層の厚さというのは、ただ血が飛び散り、豪快なアクションシーンがあるだけではない。
まず、この映画は2時間48分で何を言いたいのか。それは毎回タイトルが示すように、”ヘイトフル・エイト”、8人の嫌われ者です。しかし、ただ8人の色々な種類の悪人が撃ち合いをするのではなく、吹雪のんかの小さなロッジで誰が正義で誰が悪なのかを醜く描いた作品です。まじで前半から第4章にかけてのキャラクターの関係性が目まぐるしく、かつ滑稽に変化する様子が面白くてしょうがない。映画の超基本でありながら、一番大切なキャラクターのつながりが中心に描かれているから最高。誰と誰が協力し、誰と誰が敵対するのか、どちらが有利なのか、有利・不利を判断する基準はなんなのかこれが全てです。
私が一番好きなキャラクターは保安官のクリス。コロコロと立場を変えながらも堂々と意見を述べ、最終的には自分の想像を超えたことをしてしまうキャラクター。他のキャラクターがしっかりと根を張っているので、このキャラの地に足についていない感じがどうしようもなく滑稽。次に主人公のウォーレン。慎重かつ大胆、さらには残虐的なタランティーノ映画のダークヒーロー的存在。小癪な手を使いながらも、自分の意見は曲げない、ずっしりとしたキャラクター。
このようにキャラクターを説明できるほど、芯を持ってキャラクターが作られていくから面白い。
ブロッキング
タランティーノ監督としての天才的なところは彼のブロッキングにあると思います。なんといっても一番は、ブロッキングでキャラクターの関係性を描くことができるということ。ステージの上下前後左右を広く使ったブロッキングはまさに映画。アングルの違いで表現するキャラクターのパワーバランス。印象的なサイドショットで描くキャラクターの物理的距離感。前後の奥行きを使ったキャラクターの心理的距離感。そして、ドリーやクレーンを使って、それらを流動的に我々に見せてくるから意識的には処理スビードが間に合わない。
そして、今作品でそれを最大化してのが、ロケーション。1つの小さなロッジを動き回るキャラクターとカメラは圧巻。それを実現させたのが、かの有名な種田陽平さん。
ライティング
ロバート・リチャードソンの代名詞とも言える、ハイライトのグロー。今作でも健在。しかし、今作で少し違ったのはその印象的なグローは、一部のシーンでしか使われないということ。それゆえ、タランティーノのチョイスしたクロースアップのフレーミングに、ロバートリチャードソンのライティングが組み合わさって、圧倒的なパワーを持つ映像の完成。
セットの雰囲気ともあいまって、テーブルやバーにキャストされるスポットライトは感情がある。マジですごい。
フィクション的なライティングが光るってことは、それは自然なライティングできてるからこそ。意外とフィルライトのバリエーションがえげつなかったりする。
65mmフィルムにアナモルフィックレンズを使ったウルトラパナビジョン。2.7:1の超ワイドで70mmブリントにするって、もう本当にバカじゃないかな?何%の人がその理想の条件で観れるのか。そこまでこだわるのが作品にも出ている。芸術作品として、今後将来残していく作品として、を考えている。
だから、タランティーノの描くテーマはとてもダークな陰の部分だし、滑稽にも見えるバイオレンスシーンも痛々しく感じるし、チョイスする音楽は歴史を重ねる。まさに文学的。芸術性と文学性と、ユーモアを持ち合わせた鬼才。天才。
戦場と化した店
監督の熱烈なファンという訳ではないけれど、結構良作だと思いました。
「憎むべき8人」
...ん?9人いる?
あれ、憎たらしいのは7人だけになったか?
と思っていたら、しっかり8人いる。
そして「8人」が「小屋の中の誰か」を憎んでいる。
最後は多少和解した2人だけがかろうじて息をしていて、憎悪と血飛沫とグロで散々な1日も、「リンカーンの手紙」に記された希望を読み上げて終わる所に救いがあります。
「ニガー」の思想と知れば誰も相手にしない。でも「リンカーンの言葉」なら、興味をそそるし、読んでみたいと思う。感動する人すらいる。しかしそんな手紙を持ち歩いてあの時代を生き抜いてきたMajor Warrenを、全く同情的に描いていません。
紅一点のDaisyも、文字通り鎖に繋がれ、その命運は男性陣の手中にありますが、その理由は性別ではなく、性悪だから。
善人、悪人、将軍、保安官-to-be…
同情する暇もなく、誰であっても「公平に」災難に遭い、無傷な人は一人もいない…。
暴力そのものは差別することなく公平に相手を傷付ける。
銃社会は国を滅ぼしてしまったりしてね。
小屋内でも吐く息が白くて、ほんと寒そうでした。
“..... that dispassion is the very essence of
justice. For justice delivered without dispassion, is always in danger of not being justice.”
映画館で観たかった
“首吊り人”とも呼ばれるルース(ラッセル)は賞金首を生け捕りにするポリシー。
途中、またもや白人を拾う。目的地レッドロックの新任保安官のクリス・マニックス(ウォルトン・ゴギンズ)だ。彼はルースのこともマーキス(ジャクソン)のことも知っていたが、特に南軍時代に白人捕虜までを焼いてしまった事実を語りだす。マニックスもまた父親が略奪団をやっていた・・・
吹雪のせいでミニーの服飾店で足止めを食らう。そこにはボブ(デミアン・ビチル)、絞首刑執行人オズワルド・モブレー(ティム・ロス)、カウボーイのジョー・ゲージ(マイケル・マドセン)、元南軍のサンディ・スミザーズ将軍(ブルース・ダーン)がいた。南北戦争をもとに様々な人間関係、確執を持ってる者がいるため、小屋に境界線を引こうと提案もなされたが、マーキスが将軍の息子を残酷な仕打ちの末殺したと侮辱を与えたため、将軍が銃を放つ瞬間マーキスが返り討ちにする。
そんな銃撃の中、何者かがコーヒーのポットに毒を入れていたのをデイジーだけが目撃。彼女は黙って、誰がコーヒーを飲むかを注視していた。コーヒーを飲んで死んだのはジョン・ルースと御者のOB。マーキスはクリスとともに残りの人間ボブ、ジョー。オズワルドに尋問する。そんな矢先、マーキスは地下にいる何者かに股間を撃たれてしまう・・・
地下に潜んでいた男はデイジーの弟ジョディ。彼ら4人はデイジー救出のために朝早くからミニーの店を占拠していたのだった・・・
マーキスもクリスも多分出血多量・・・最後には全員死んでしまうってのが何とも強烈。
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