エイリアン コヴェナントのレビュー・感想・評価
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プロメテウス未でしたが
スカートの中まで汗かいてしまい、最後立ち上がるときドキドキでした。すごい怖くて目も当てられないわけでもないのですが、要所要所で力を入れて観てたみたいです。
プロメテウスを観ないで行ったのですが、エイリアンというより、アンドロイドの哀しみ、人間の愚かさみたいなものを感じました。アンドロイドが発達すれば、人間は負けますわねw
しかし、リドリースコットの映画はエイリアンといい、サルの惑星といい、やや人間に気持ちが寄れないとこがあって、自分何なのかと思ってしまいますわ。
生誕
「プロメテウス」から続く、エイリアン生誕の物語。
「エイリアン」自体がブランドであり、一世を風靡した作品でもあるので、その成り立ちを見たところで「へえ、そうだったのか」と感心するような事にはならないのだが…マニアにはたまらないのかも。
というか、今更感が強い。
「プロメテウス」もどんな話だったか、忘却の彼方だし、今作で初めてエイリアン然とした個体になったような演出まであった。
あらゆる動物に寄生し、そのDNAを取り込んで変異する。
のだそうだ…だから、なんだよ!
今更そんなネタはどおでも良くないかと、コアなファンではない俺などはそう思う。
ただ、このAIが保有する無限の時間ってのにはゾッとする。
現代において、AIの開発は著しくいよいよ人の領域にまで実用化されそうな精度だ。
良識という概念のないAIがAIを開発しだしたら、とてつもなく文明は加速するのだろう。
何世代か後の未来を予見してるようにも捉えられ、背筋が寒くなる。
物語的には緩やかすぎる滑り出しに、眠気に襲われる。
探査艇を爆破させた女性の言い分が、いかにも現代のソレっぽく「ぷっw」と吹き出しそうになる。
が…こいつがパニックになり過ぎてて、退路を絶たれるという緊張感が増すシークエンスのはずなのに、萎えて傍観してしまった。
…そう思えば、本作の人物造形はどいつもこいつもシックリとこず、なんだか薄っぺらいなとも思えてしまう。
エイリアンがもたらす脅威についても、ビクッとさせられる演出が多く、表層だけに留まってしまっていたようにも思う。
空気中に漂う微粒子がエイリアンの原型だったとして、他のクルーが無傷なのも腑に落ちない。
ビジュアルの完成度は高いので、エイリアンブランドの到達点としては、観る価値ありってとこだろうか。
見なくて良い。でも、次作品があるならみるかしかない。
つまらん。何でこれで続編作った。この程度の ストーリーなら30分程度で終わるアンドロイドのウォルターとデイビィッドが揃った時点で結末が読める展開。しかもその通りになるので最後は見ててあほらしくなった。軽い映画だった。次作品があるような終わり方をしているのでその作品に繋げて製作しても良いような程度の作品。エイリアンらしさはエイリアンが映画に出演しているから あたりまえ。ここでいわゆるエイリアンが登場しないでどう進めるレベルのエイリアンの出演でした。悲しい。
漫画「漂流教室」≠「進撃の巨人」で、がっかり
すっごく楽しみにしてました。前回のプロメテウスの時も、見る前は「ワクワク!」でした。そしてプロメテウスを見たあと「がっかり…」したのですが、「まぁ、次に期待しよう!」と、あの時は思えました。しかし、今回味わった「がっかり感」は、前回より一層ヘビーです。そしてその「がっかり感」は、当初わくわくして「進撃の巨人」を読みすすめていたところ、次第に「あれ?」となり、やがて「なんだよ、そっちに行っちゃうの?…」みたいな感じになった時に味わった「がっかり感」と同質のものです(ただし、『進撃の巨人』の原作は別のベクトル・構造を持っており、素晴らしい作品だと思っていることを付言します)。
「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」というコピーに、それまで感じたことのない恐怖を覚えたのは小学生の頃でした。その「怖さ」とは、やれ幽霊(人間の霊)だとか「ジェイソンだ」とかいう類いのものではない、未知の『世界』・未知の『存在』に対する恐怖でした。
生命(いのち)を含めた「世界」を創ったのは、人知を越えた「何か」だと思います(そう思いたいですし、そのハズです)。またその「何か」とは、「人間の善悪」とはおそらく無縁のものでしょう。確かに「スペース・ジョッキー」は「クリエーター」ではなく「エンジニア」と称されており、ニュアンスの違いを感じさせはしますが、創造主としては「既視感」「現実感」がありすぎます。また「アンドロイドがピノキオよろしく背伸びする」という設定も、いかにも人間が考えそうな「お話」です。
前作のタイトルは「プロメテウス」、今回は「コヴェナント」ということで、ヨーロッパ世界で共有されている「神話的世界観」のもと、物語のフレームワークは組み立てられているようです。そして、引用される詩歌や音楽を通じて「人間中心主義(=ヒューマニズム)」の限界が謳われているようにも感じます。しかし、リドリー・スコットが「そこに深遠なテーマが隠されているのだ!」と言うつもりなら「スコット御大、本気でそう思ってます?」と問いたいです。
「人間中心主義(=ヒューマニズム)の限界を訴える!」と言いながら、「未知の存在」を「既知のもの」に置き換え、「世界」を「人間にとって認識・把握可能なもの」に置き換えてしまっている時点で、その態度は既に「不遜」であり、「人間中心主義(=ヒューマニズム)」そのものだと思うのです。話が少し逸れますが、同じくリドリー・スコットが監督した作品に「悪の法則」があります。劇の終盤では「臆病者は現実から目をそむけるが故に残酷だ」というパラドキシカルなテーマが示されますが、今作品では、同質のパラドックス(「反人間中心主義」を唱える「人間中心主義者」)をスコット監督の姿勢に感じてしまいました。
一方で、世界が説明可能であることを徹底的に拒否しつつ、理不尽で恐ろしい世界に人間を直接対峙させるなかで「人間存在」を描ききった漫画家がいます。楳図かずおです。楳図が漫画『漂流教室』で描いた「世界」は剥き出しの恐怖で埋め尽くされていて、その限界状況のもと大人たちは自壊していきますが、子供たちは仲間と共にその世界に立ち向かっていきます。その姿は健気で逞しく、そして美しいです。
人間が体現し得る価値は、世界(=絶対者)としおらしく向き合うところにしか見出だせないし、一神教のなかで紡がれた「我と汝」の物語の本質は、本来そこにこそあるハズです。(ちなみに私は、ギーガーと楳図にシミラリティーを感じており、あのエイリアンをデザインしたギーガーなら、世界を認識可能な対象とするアプローチを断固拒否したのではないか…と勝手に推察しています)。
というわけで、「人間中心の物語」となってしまったエイリアン・シリーズですが、デイヴィッドのショウ博士に対する愛は「あまりに人間的」で、本当にグロテスクです。その意味からすれば、テーマはすり替えられたうえ、作品の方向性はより「キッツい!」方向で深められている…とも言えるかもしれません。でも「なるほど、文学的だねぇ~」とは、私は思えません(二役を演じたファスベンダーの演技は素晴らしかったですが…)。
散々監督の悪口を書きましたが、人間のテクノロジーが人間を世界の中心に立たせてしまうような時代が、このあと本当に訪れるとしたら、それはとんでもなくグロテスクな「新しい世界」です。スコットが「そんなことにはならないで欲しい…」と願っている「臆病者」がいるのを見越して、今作品を作ったとするのなら「御大、参りました」となるわけですが…。
というわけで、次回作(アウェイクン?)も観るでしょうし、ブレード・ランナーも観ることになるんだと思います。
これがエイリアン!
体液が強硫酸性だったり、人間の顔面に付着して
卵を産み付けたり背中を突き破って生まれてきたり、
パートⅠで見た恐怖の記憶が鮮やかに蘇り冷や汗を
かいた!
いつもは余計な演出と感じる4DXの動きも
違和感を感じることなく最後まで作品に没入できた!
さすがリドリー・スコット!
ストーリー的に嫌な気分のまま終わったんで
-0.5点です(笑)
設定が甘い❗
評価は低かったけど前作プロメテウスは好きだった。そのプロメテウス三部作の二作目ということで楽しみと期待していたけどムリが多くてがっかり(>_<)⤵
そもそも船外服無しでいきなり自然呼吸で星に降り立つなんてリアリティーなし❗空気組成が地球ににているとは言えウィルスやガスなどで危険だし案の定そうなった❗
プロメテウスでだってちゃんと船外服で活動していたし、なんでこんな設定なのか❔母船が大気圏に入って行くのもムリありすぎ🆖
エイリアンも妙に人間っぽかったし、グロさで恐怖をあおろうとするアザとさがダサかった(^o^;)
まあ三作目も観るだろうけど期待できないね(T-T)
微妙。。
名作の前日談ってことで期待が高かっただけに、なんかモヤモヤ。猿の惑星創世記が名作前日談として秀逸だったから、期待しすぎただけか…。
アンドロイドがなんであの行動をとるのかよく分からんし。人類への叛逆って感じのアンドロイドの自我の芽生え?なんらか大いなる意志ってやつに動かされた人類滅亡?創造主(博士)がそのように作った?
最初のシーンもあまり意味をなしてないような…。
後日談であるはずのエイリアン本編にアンドロイドが絡んで来ないから違和感があるのか?
何に不満か分からないけど、何だかなぁ…だった。
面白くないかと言われれば、単独の作品と見ればそれなり何だよなぁって。。
創造と破壊こそ神の業
※いつも以上に長文です、ご了承ください。
僕は『エイリアン』シリーズの大ファンで、賛否
両論だった前作『プロメテウス』も大好きである。
シリーズの産みの親であるR・スコット監督が
エイリアン誕生の物語を3部作構想で考えているらしい
というのは『プロメテウス』の頃からの噂だったので、
今回の『~コヴェナント』は自分からすると
「いよいよ来たぜヒャッホイイイ!!」という感じ。
おまけに予告編では遂に僕らのよく知るゼノモーフ
が登場して更に「ヒャッホイイイ!!」だった訳である。
(シリーズファンでない方には単に“エイリアン”と
呼んだ方が分かり易いかもだが、レビューでの
便宜上、この呼び名で書かせていただく)
...
はいはい、考察と賞賛にスペースを割きたいんで
最初に不満をチェストバスターしてしまいますね。
一番の不満点は恐怖演出。
序盤のネオモーフ出現と襲撃はメチャクチャおぞましいが、
デヴィッド登場以降は、恐怖のテンションを高める為の
タメや演出の緻密さが不足していたと感じる。特に、
遂に誕生したゼノモーフの恐怖描写が物足りない。
終盤での登場なのでテンポを上げざるを得なかった
のかもだが、アイツがネオモーフ以上に凶悪・強力な
生命体であるという見せ場がもっと欲しかったし、
もっともっとネチっこく恐ろしく描いて欲しかった。
テーマの方に時間を割き過ぎていて、『エイリアン』
というSFスリラーとしてはちょい物足りないかな。
あと、ショウ博士達の宇宙船の発見・探索シーンも
アッサリし過ぎてて不満。異星人の船を発見したにしては
クルー達の驚嘆と戦慄がイマイチ伝わらないし、
観客にとっても『プロメテウス』以降のショウ達が
どうなったか?という謎がようやく紐解かれ始める
大事なシーンなのだから、『いよいよ登場!』
みたいな感じが欲しかったし、探索もじわじわ
おどろおどろしくやって欲しかった。
もうひとつ。
“創造主”の創った病原体の性質は矛盾してる気が。
あの星の“創造主”や他の生物の殆どは病原体で死に絶え、
変異した一部の個体や感染を免れた個体でデヴィッドは
交配や遺伝子実験を進めたのだろうと当て推量はできるけど、
『プロメテウス』や序盤での変異率を見る限り、
数え切れないほどのネオモーフがあの時点で
生まれててもおかしくない気がする……。
自分の中ではそこでちょっと引っ掛かってしまった。
...
貶すのおしまい。褒めるのはじめ。
まず、あの生白い怪物ネオモーフが初登場する
シークエンス。ここは、超が付くほど恐ろしい。
背中からずるりと落ちた血の嚢(のう)から
胎児のようなネオモーフが生まれ出るシーンには
顔が引きつったし、血で足を滑らせるわ銃暴発させるわ
クルーのパニック状態もリアルに伝わってくる。
そして成長したネオモーフの異様なフォルム……
異常に痩せた腕と胸、のっぺらぼうのような顔……
ゼノモーフを彷彿とさせる体型ではあるが、まるで
人の肉を捏ねて造った木偶(でく)のようなおぞましさ。
あと今回は、遂に本家本元ゼノモーフ様ご襲来ということで、
1作目他を彷彿とさせるシーンが多いのも嬉しい。
1作目や『プロメテウス』の音楽の使い方もニクいね。
あと水飲み鳥君てシリーズ皆勤賞なんじゃないか。
...
しかしながら本作の最大の見所・最大の恐怖は、狂気だ。
言うまでもない。デヴィッドが抱いた創造への狂気だ。
前作では、知りたい・造りたいという科学的探求
の為ならばどのような犠牲も赦されるという、
そんなテクノロジーの傲慢な姿勢に対する警鐘
というテーマが描かれていたと思う。そして、
本作のテーマはそれを更にエスカレートさせたものと考える。
ウェイランド社長はアンドロイド・デヴィッドを創造し、
彼を息子とまで呼んだが、当のデヴィッド本人は
己の立場に疑問を抱いていた。
知識も肉体も人間を凌駕し、歳も取らず不死である自分が、
なぜ弱く醜く老いさらばえ死に絶える人間に仕えるのか?
たまたま自分を造ったとはいえ彼等は猿も同然ではないか?
創造を禁じるのも、彼等が自分を恐れているが故ではないか?
デヴィッドの驕りは「自分は人間より上位の存在である」
というだけに留まらなかった。彼は人間以上を望み、
人間を創造した“創造主(エンジニア)”以上をも望んだ。
「我が名はオジマンディアス 王の中の王
我が業を見よ神々よ そして絶望せよ」
オジマンディアス=ラムセス2世は古代エジプトで
絶大な権力を誇り、自らを神と崇めたファラオ。
また、デヴィッドの名の由来であるダヴィデは
古代イスラエルの偉大な王であり、新約聖書に
おいてキリストはダヴィデの子孫とされている。
デヴィッドは、自分は神と同格に成り得る存在と
信じていたのだ。まさに神をも畏れぬ傲慢。
彼が“創造主”を滅ぼしたのは、生命を創造できる
唯一の存在となる為か、人間を創造した彼等の命さえ
自由に弄べる至高の力を行使できる喜びからか、
あるいは、愛するショウの為に、神の力を
象徴するような荘厳な庭を与えたかったのか。
デヴィッドはショウと共に生命を創造することを
望んでいたはずだ。だが言うまでもなくショウは
彼の行為を責めただろう。恐怖し拒絶しただろう。
それにそもそも、アンドロイドのデヴィッドと
不妊症のショウに子どもがつくれるはずがない。
だが、“創造主”の遺した種があればそれも可能だ。
デヴィッドが後々どのように交配を進めたかは不明瞭だが、
ショウを母胎にして交配の“原株”を造ったのは間違いない。
(ショウの遺体を使用したモニュメントは、
彼にとって破壊と創造を象徴する美だ。
破壊と創造は対義語ではない。
破壊と創造こそ神の業である。)
デヴィッドにとってあのゼノモーフは、
ショウと共に創造した愛しい我が子であり、
生存と繁殖という生物の本能に究極的に長けた、
純粋で、強く、美しい、完璧な生命体なのである。
神を騙るデヴィッドに祝福され、「生めよ増やせよ
地に満ちよ」を果たし得る生命なのである。
...
コヴェナント号のクルーは殆どが夫婦や恋人たちだ。
ダニエルズとウォルターとの間で交わされた温かな
感情の交流も心に残る。だが、それら人間的な感情を、
デヴィッドの創造への狂気が覆い尽くす。
SFスリラーとしては不満点もあるが、ここで示唆された、
神を凌駕せんとする科学の狂気という点はすこぶる面白い。
『プロメテウス』よりはやや下げるが、大満足の4.0判定。
<2017.09.15鑑賞>
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余談1:
もしご存知無ければだが、
公式サイトにて Alien Covenant Prologue が2篇
公開されている。コヴェナント号クルーの人間関係や、
『プロメテウス』後のデヴィッドとショウ博士の
様子が語られている。後者は特に必見。
余談2:
今回ついに僕らのよく知るゼノモーフが誕生したが、
1作目の展開とはまだ微妙にリンクしていない。
(1作目はLV426という未知の惑星から発せられた
信号を辿ったクルーが“創造主”の船とエイリアン
の卵を発見するという展開)
前述通り監督は、ゼノモーフ誕生を『プロメテウス』
『エイリアン:コヴェナント』そしてもう1作で
描くという三部作構成を考えているらしい。
次回作で1作目までのリンクが語られるのか、それとも
監督の創作意欲がストーリーの整合性を上回って
パラレルワールドみたいになってしまうのか(笑)。
監督ももう80歳だが、頑張って仕上げて欲しいわあ。
エイリアン・ミーツ・ブレードランナー
宇宙船コヴェナント、それは人類移住計画の宇宙船。
2000人の移住者を乗せて、移住先の惑星を目指していた。
しかし、大型セイルでの充電中に予期せぬ衝撃波を受け、重大な危機が訪れる。
船長を事故により喪った船は、近くの惑星から未知の電波を受信する。
それは20世紀に流行したジョン・デンバーの曲『カントリー・ロード』。
発信源を調査すると、そこは地球に似ていた。
新たな船長の判断で、その惑星に進路を取る・・・
というところから始まる物語で、出だしからして、なんとかならないものか・・・と残念な展開。
「飛んで火にいる夏の虫」「殺人鬼が待ち受けるサマーキャンプへやって来い」といわんばかりの安直さ。
前作『プロメテウス』のラストで、エイリアンの卵(らしきもの)を携えたアンドロイド・デヴィッド(マイケル・ファスベンダー)がエリザベス・ショウ(ノオミ・ラパス)が恐怖の惑星を逃げ出しているので、コヴェナント号がデヴィッドと遭遇しない事にはハナシが始まらないにしても、だ。
さらに、コヴェナント号にもアンドロイド・ウォルター(マイケル・ファスベンダー二役)が搭乗しているので、はははんと先の展開も読めてしまう。
そんな杜撰な展開なので、愉しみはエイリアンの暴虐ぶり・・・といいたいところだが、そうではない。
たしかに、エイリアンの暴れっぷりは凄まじいが、それ以上に、映画の主題が元祖『エイリアン』からずれていったところが興味深い。
前作『プロメテウス』で描かれた「人類の起源は何処か」をさらに進めて「生命とは何か」という主題が展開される。
神話の「プロメテウス」は人類に火を与えた神とされるが、人類を創造したものとの説もある。
また、劇中、ウォルターと出逢ったデヴィッドが諳(そら)んじる生命に関する詩は、シェリーのもの(デヴィッドはバイロンの詩だというが、ウォルターが過ちを正す)。
さすれば、シェリーの妻メアリーが書いた小説『フランケンシュタイン』を思い起こすのは必定。
このアンドロイドふたりが詩について交わすシーンの奥底にあるものは「生命ついての疑問」。
おぉ、リドリー・スコット監督もうひとつの傑作『ブレードランナー』と同じものではありますまいか。
こんなところで、出逢ってしまった『エイリアン』と『ブレードランナー』。
なので、もう安直な展開も読める展開も全部許す。
許さざるを得ない。
主役は、誰!
エイリアンシリーズは、好きなので観ています。
一作目を意識したかのような構成で、なかなか良かったとは思うんですが、??のところも・・・
まず、主人公であるはずのダニエルズ、微塵も活躍してないぞ!
話が、デヴィッドとウォルターを中心に進んでいるので主人公殆んど空気です。
最後だけリプリー化してエイリアンと戦います。
後、乗組員がどうにも私情優先して行動している感じがしてなんとも。
「ネオモーフ」ですか?卵から出た種子?みたいなものを人間が吸って(見せ方が陳腐(笑))そのまま人間の身体破って誕生します。もうそれで完成していると思うんですけど。
チェストバスター産み出す卵はどうやって作られたのか?(プロメテウスであったかな?)いきなり登場して船長に寄生して従来のエイリアンが誕生します。
最後のデヴィッドとウォルターの入れ替わりが、分かり易過ぎてもう少し濁して欲しかった(笑)
「え、入れ替わってたの!」的なものが欲しかったですね。
ただでさえ同型のアンドロイドでそのような演出見破られやすいのですから。
後ですねー、ラストの宇宙船の中、生き残った乗組員同士がシャワー室でエッチしておりますが(笑)何人も死んだ大惨事の直後にそういうことするかね?
序盤の演出じゃないですか?最初の犠牲者みたいな。
星を脱出して大分過っているならまだしもすぐみたいな感じですし。
エンジニア→人間→アンドロイド→エイリアンと神話と重ねた因果関係も悪くないんですが、未知の宇宙生物のままでも良かったかな?
監督、後2作考えているようですが、もう少しひねったストーリーじゃないと飽きられますね。「プロメテウス」から5年たってからの「コヴェナント」ですから後10年かかるのかな?
新船長は大間抜けだが、伏線の回収は見事!
エイリアンシリーズの新作である。
第1作目の『エイリアン』は、筆者が小学生の時に週末の○○洋画劇場でよく放映されていたが、あまりの怖さに観られなかった。
今では第1作はもちろんのこと『エイリアンVSプレデター』シリーズも含めてエイリアンシリーズは『エイリアン4』以外はすべて観ている。
前作に当たる『プロメテウス』も映画館で観ているが、まさかエイリアンシリーズの1つとは思わず、殆どの観客と同様壮大に騙された。
地球人を産み出した高等人種(エンジニア)と地球人との出会いと対立が描かれていくと思いきや途中からあらぬ方向に物語が進んで行く。
待てよ、監督は誰だっけ?リドリー・スコット?ん、ん、エイリアンと同じ監督だぁ〜。そう来たか〜!
ご存知のようにエイリアンの前日潭だった。
本作はこの『プロメテウス』と第1作『エイリアン』の間をつなぐ話になるらしい。
『プロメテウス』の最後を観て、スコットはまた飯の種を確保したなとは思っていたので続編ができたことには全く驚かなかった。むしろ本作まで5年空いたので続編制作に時間がかかったなという印象である。
筆者は本作を観る前から、エイリアンが人間たちを殺し、そのうち何人かが生き残ってエイリアンを撃退はするけれど全滅するわけではなく、次作へ続く余韻を残す作品になるのが大前提になるだろうと予想した。
映画『スターシップ・トゥルーパーズ』の原作はロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』というガンダムの起源とも言えるヒューゴー賞を授賞したSF小説の金字塔だが、『エイリアン2』のみ逃げ惑うのではなく重装備で真っ向からエイリアンと戦う『宇宙の戦士』的な傾向が入るものの、シリーズ全体としては大体上記の要素を踏襲している。
以上を踏まえた上で本作を鑑賞したが、想像以上に面白かったというのが筆者の偽らざる感想である。
本作の主役が勇敢で賢い女性という設定は、シリーズ1〜4のシガニー・ウィーバーが演じたリプリー、前作『プロメテウス』でノオミ・ラパスが演じたエリザベス・ショウに共通する。
また主役に線の細い綺麗目な女優ではなく見た目のごっついたくましい女優を抜擢するところも共通している。
このシリーズには、大体においてエイリアンの巣にのこのこと近付いてエイリアンを産み出す母体となる間抜けが必要になるが本作にもやっぱり登場する。
正式な船長であるブランソン(ジェームズ・フランコのチョイ役)が事故で急死したために後を継ぐことになったビリー・クラダップ役のオラムがその間抜けに当たる。
2000人の冷凍睡眠中の民間人と他の船員の命を預かる責任がありながら、人間の居住可能な未知の惑星が見つかったらホイホイと出かけていく無謀さ。
しかもその際、探査船を出すのだが、必要最低限の人数3人を船内に残して11人で向かってしまうあさはかさ。普通は逆に必要最低限の人員で調査に向かわせるし、未来の進んだ技術があるなら無人の探査船も用意できそうである。
部下を無惨に殺害したエイリアンをなんとか殺すことに成功したのにそれを感情的になじるアンドロイドに言われるまま彼の後ろについて行き結局はエイリアンの母体となる不用心さ。
本作の最大の弱点はこの新しい船長の相当な馬鹿さ加減にある。
こんな奴はまず大事な宇宙船の船員に選ばれない、よしんば選ばれたとしても船長に何かあったら繰り上げで船長になるような地位につけないだろう。
ただ物語の展開上このとんだ大間抜けがいないと話が転がって行かない。
本作の最大のツッコミどころが幾分薄まったのは、クラダップがすべてに不安そうでお馬鹿な人物を好演してくれたおかげで、ある程度の説得力を持ったからだと思う。
その他の要素も含めて本作は映画全体として第1作の『エイリアン』に近い印象を受けた。
しかし本作はなんと言っても伏線の回収が見事だった。
冒頭でワーグナーの作曲によるオペラ『ラインの黄金』第4幕の「ヴァルハラ城への神々の入場」が流れる。
しかも伴奏なしのピアノだけで流れるので、初め聞いただけでは余程の人でない限りタイトルが明かされるまで同曲とは気付けない。
筆者はワーグナーのファンでこのオペラのCDも数種類所有しているし、DVDでではあるが、実際のオペラ映像も観ている。
ワーグナーは歌が中心だった歌劇を音楽中心の楽劇に変えた音楽界のパイオニアで、ベートーヴェンも彼という作曲家が存在していなければ今ほど有名にはなっていない、それほど信奉した。
またオペラ作曲者は普通は作曲するだけで台本は書かないが、彼は自作のオペラにおいて殆どの台本を自分で書いている。
また指揮者としても一流で独自の指揮理論を確立し現代の二大潮流の1つとなっている。
(ただしワーグナーは金と女にだらしないウソつきで、ニーチェから「人間ではなく病だ」と言われるほど人間性はクズである。)
本作のまさにラストでこの曲が重層的な本来のオーケストラで流れる。
この演出は素晴らしい。
実はこの『ラインの黄金』は『ニーベルングの指輪』という一連の作品の第1作目の序夜に当たり、その後、第1夜『ワルキューレ』第2夜『ジークフリート』第3夜『神々の黄昏』と続いていく。
そして北欧神話に題材を取るヴォータン(オーディン)を中心とした神々は最後は滅ぶ。
デヴィッドの未来を暗示しているようにも取れる。
また同じく冒頭でアンドロイドにデヴィッドと命名されたのがミケランジェロの『ダヴィデ像』を由来とすることが明かされるが、ダヴィデは巨人のゴリアテと戦った英雄である。
前作『プロメテウス』で巨人族のエンジニアと戦うことがさりげなく示されているのも秀逸だ。
もう1点、本作の終盤で恐ろしい心を持ってしまったアンドロイドのデヴィッドが人間には絶対に逆らわないウォルターに成りすましているのは誰の目にも明らかなので、後はいつ何を理由にそれを主役のダニエルズが気付くかが焦点となる。
ダニエルズが冷凍睡眠に入る直前にウォルターが知っているはずのロッジを共に建てる約束を持ち出すが、もちろんデヴィッドは知らない。
ここでダニエルズはやっと気付くのだが、もっとその前に確認しておけるだろ!という指摘は別にしても、苦悶の表情を浮かべたまま睡眠に入るダニエルズの恐怖はいかばかりか、見事な演出である。
この手の映画を観ていてなぜ日本でこういった作品が制作できないかハタと気付いたことがある。
まず日本人なら窮地に陥った際に自分を助けるために仲間が犠牲になることを受け入れないのではないかと思った。
当然探査船も壊れてエイリアンという未知の危険生物とデヴィッドという得体の知れないアンドロイドの存在に気付いた段階で2000人の民間人の安全を犠牲に自分たちが母船に帰ることをあきらめるのではないだろうか。
また『ターミネーター』しかり、クリストファー・ノーランの『インターステラー』もそうだが、ハリウッドはもちろん欧米のSF作品はディストピア作品が多い。
地球に人間が住めなくなった、機械が人間の命令を聞かずに暴走する、人間より恐ろしい異星人に侵略される、などなど。
地球を壊しているのは自分たちであり、過去には黒人を奴隷として酷使し、1000万いたインディアンの人口の95%を滅ぼした、など潜在的に贖罪意識でも抱え込んでいていつか誰かに復讐されるとでも思っているのだろうか?
リドリー・スコットの制作総指揮のもと名作『ブレードランナー』の続編が近々日本でも公開される予定である。
『エイリアン』に続いてまたまたお決まりの続編である。どうやらスコットのひらめきの泉は枯渇しているらしい。
あっ、そういえばこの作品もレプリカントの方が人間より優秀なんだっけ?
気味悪い→人間の失敗→スケール感激減
見終わって、気味悪さとデヴィッドの邪悪さが数日支配的だったが、その後意味することを考えられるようになった。遺伝子操作の究極と人工知能の失敗、体と心を人間が作ろうとしてやり方を間違うとこうなるというのを見せつけられた気がする。強靭で繁殖力も強い生命体と倫理ゼロの知能、最悪の組合せか、なるほどね……と思ったけど、宇宙が一気に狭くなった。一作目で宇宙には想像を絶する生物がいて、人間が披食者になった時の知恵と勇気が試されたけど、その想像を絶する生物の誕生に人間が関与していたとは宇宙は狭い。
最初の寄生体が胞子状なのがいただけない。意思があるかのごとく空中で集まって動くのは全くダメ。ここは三流映画。その後、何のひねりもなくいきなりエイリアンが誕生するのも三流。フェイスハガーはなんで生まれたの?省略し過ぎ。
巨人の異星人は一体何? 人間のDNAの元だったでいいの? 彼らは何がしたかったのか曖昧なままで歯がゆい。
ブレードランナーは期待して良いのだろうか。
創造主の傲慢
今年はSF映画ファンにとっては最高の年ではなかろうか。
『スター・ウォーズ』があって『ブレードランナー』があって『エイリアン』がある。
『エイリアン』のエピソード0に当たる2012年の『プロメテウス』の続編。監督は勿論リドリー・スコット。
『プロメテウス』は日本の配給会社の史上最悪の詐欺宣伝のせいで、作品自体に否は無いのに、大酷評を浴びてしまったが、今回はちゃんとタイトルに“エイリアン”を冠し、『エイリアン』との関連性を位置付け。
いよいよ明かされるエイリアン誕生の秘密…。
『エイリアン』はSF映画史の金字塔で、リドリーはその創造主の一人。
だから何だか言ってはいけない空気が漂ってるが、敢えて言わせて貰う。
今回は、凡作だった、と。
別にスゲークソつまんねーってほどじゃないんだけど…、何て言うか、ダラダラダラダラダラダラ、それでいてマンネリ。
まず、最初の30分が退屈で退屈で。前日睡眠きちんと取ってなければ、間違いなく睡魔に襲われるだろう。それくらいスローテンポ。
やっと舞台の星に着いて(正確には寄って)、プロメテウス号を発見して、話が軌道に乗った。
やっとやっと“奴”が現れて、ちょっとは面白くなった。
第1作目を彷彿させるようなホラー演出、グロテスク描写。ジェリー・ゴールドスミスの音楽も流用。
シリーズお馴染みのシーンや台詞もあり、ファンにはニヤリ。
専ら原点回帰と評判のようだが…、展開も演出も見せ方も登場人物の配置も何もかも、第1作目まんま。これじゃあ原点回帰と言うより、ただの焼き直し。
“戦うヒロイン”キャサリン・ウォーターストンだが、最後にようやく体を張ったぐらいで、ほとんど何もしてない。『ファンタスティック・ビースト~』の時はエレガントで魅力的だったのに、今回は全く魅力を感じられなかったのも残念。
主役は“2体”のマイケル・ファスベンダー。ま、オチはすぐ察しが付いたけど。
『エイリアン』シリーズは勿論好きだが、誰かに説明出来るほど詳しい訳じゃない。
それでも年代など辻褄合わないのは知ってるが(と言うより、有名)、その辻褄合わない云々以前の問題。
結局話はほとんど先に進んでおらず、同じ事の繰り返し。さながら劇中の、目的の星の前に今回の舞台の星に寄り道したコヴェナント号そのもの。
リドリー御大は、後2本続編を作って、『エイリアン』第1作に繋がると言ってるが、こんなんで後2本もあるなんてキッツイ…。
さて、エイリアン誕生の秘密は確かに明かされる。
でも、何かもっとこう、未知的なものと思いきや、結局…。
今回のテーマはズバリ、創造主の傲慢。
『プロメテウス』でファスベンダーが扮したアンドロイド、デヴィッドの事であり、エイリアン誕生にも関係。
何だかそれが、無理苦理話を広げ、強引に繋げようとしてるリドリー御大にダブって見え、皮肉に思えて仕方ない。
警戒心無さすぎの冒険家だな。
映画としてみれば、それなりに面白いが、
それには、間抜けな宇宙飛行士の行動を乗り越える
度量の大きさが必要だな。
なんで、未知の惑星にまあ、測定値が地球に似てたからって、宇宙服もはだけて?顔だしてたり、タバコ吸ったりするの?
副官も、調査反対だつたんだから、もっと慎重に
しろ!ってアドバイスすればよかったじゃん。
あと、まず、通信は確保しろ。
ひとりにするなよ。
でっかい仏像は、誰が作ったの?
巨人星人だったの?
こういうのって、ハイテクなのを、ワザとカモフラージュで、岩の感じとか、サビてる雰囲気だしてたりするって解釈してるけど、それでいいの?
ターミネーターとかもそうだけど。
エイリアンを現代作るとこうなる
CGが上手くて本当にエイリアンがキモかったですね
あとシガニーウィーバーに勝てるヒロインはいない
そしてマイケルファスベンダー素晴らしい。一人勝ち感半端ない。
ラストいつ裏切り起こるかな〜ってみてたんですよ。そりゃ入れ替わってるだろうしね。そしたらまんまと裏切られたんですけど、このシーンがもう鳥肌で。すんごい嫌でした。すんごい。悪夢。それだけマイケルファスベンダーがうまいってことなんですけどね。次、どうなんのかなあ。
あとガイピアース少しだけだけど見れて良かったっす。あの最初のシーン、エクスマキナみたいだね。
乗組員の頭の悪さがひどい
プロメテウスの乗組員は頭が良かったですよね。彼らは『もしかしたら◯◯かも』というような想像力を持っていました。そりゃ映画がはじまってから最初に餌食になるのは間抜けキャラなのはお決まりでしょうが、今回は主人公まで間抜けでした。alienシリーズいちの知能が低い乗組員たちでした。頭がキレるからこその恐怖ミステリアスな部分がほとんどなし。最後の主人公のスリープマシンに横たわるところは、デイビッドなのかどうか判別するために、アンドロイドとの問答があっても良かったのではないでしょうか?
母船を危険に晒してまでパートナーを助けようと執着するのに現実味もなにもなくてゲンナリ。防疫面で有り得ないオンパレード。パニックになりまくる専門家と専門家。誰か1人でも冷静な人間がいたら良かったのに(アンドロイドは除く)
映像もプロメテウスほど美しくなくて残念でした。黒焦げの人間の死体がショボく見えた原因かもしれません。
あ、
プロメテウスの続きであると宣伝しないといけない映画ですね。プロメテウスを観ていない人にはすすめられません
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