エイリアン コヴェナントのレビュー・感想・評価
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リドリー・スコット翁のやりたい放題!
『エイリアン』一作目の監督は確かにリドリー・スコットだが、最初にアイデアを考えて脚本化したのはダン・オバノンだし、強烈なクリーチャーデザインはギーガーがもともと描いていたものだし、ギーガーとスコットと引き合わせたのはオバノンだし。ほかにもウォルター・ヒルら大勢の人材が関わっていて、スコットが「シリーズの生みの親」かどうかには議論の余地がある。
しかしスコットは敢えて『プロメテウス』『コヴェナント』と続けて「エイリアン」伝説のはじまりを描こうとしている。ぶっちゃけ後付けの前日談は蛇足になりがちだが、スコット翁の「オレにとって「エイリアン」はこうなんだよ!」と宣言するかのごときやりたい放題はある意味で痛快。神話をモチーフにしまくっているせいで「エイリアン」の神秘性が逆に薄れた感はあるが、『プロメテウス』よりもアクション/スリラー感が増して娯楽に寄っている分、今回の方が単純に楽しめた。
「スター・ウォーズ」連作のように、第1作に円環する
SF映画の巨匠として、リドリー・スコットがルーカスに張り合ったのかどうかは不明だが、「スター・ウォーズ」シリーズのように、「エイリアン」シリーズの前日譚として「プロメテウス」と本作を作り、第1作の冒頭につながるストーリーを作った。もっとも、最初から全体の構想があったSWに比べると、こちらの前日譚は後付け感が少々。うまいことつじつま合わせたな、と感心はするけれど。「プロメテウス」を未見なら、事前の観賞が必須。でないとファスベンダーの二役とか意味が分からないと思う。
コヴェナントは、作中では宇宙船の名前だが、「契約、誓約」といった意味がある。辞書には神とイスラエル人との契約の例が出ている。本作では創造主と新たな種の契約を示唆しているのだろうか。明示的ではないが、観る人によっていろいろ解釈できると思う。
前日譚の謎は解明されないまま、“当日”にはまだまだ戻ってこないのだ…
最新作『エイリアン ロムルス』鑑賞前にBlu-rayで復習(2024.9.23)。
リドリー・スコットが製作・監督を続投したプレ・リプリー編の第二弾。
映画はアンドロイド=デヴィッド(マイケル・ファスベンダー)誕生のシーンから始まる。
前作から続けて観たから分かったことだが、つまりこの後デヴィッドがショウ博士らとともにプロメテウス号で探査の旅に出るということだ。
そして、デヴィッドに自分が父だと告げる男こそ若き日のウェイランド社長なのだ。だから、この男は本筋には出てこない(前作で死んでいるから)。
この男を演じているのがガイ・ピアースで、前作のウェイランドの老人フルメイクの下が同じガイ・ピアースだと知っていれば容易に想像できたのだろう。
これが日本映画で演者が甲本雅裕とか津田寛治とか光石研あたりだったら誰でも分かったことだ。
本筋が始まると、移民船コヴェナント号にもアンドロイド=ウォルターが乗っていて、同型だからファスベンダーが演じているため余計に分かりづらいのだ。
前作で馬蹄型宇宙船に乗って飛び立ったショウ博士は、筋肉マン(エンジニア)たちの母星を目指したので、本作の舞台がその母星になることは予告済みだったのだ。
あのときデヴィッドは筋肉マンの生き残りに頭部と体を引き裂かれていたが、ショウ博士によって宇宙船に乗せられていた。
その後、考古学者であるショウ博士がアンドロイドを元通りに修理したのだ…実に多才である。
そして、謎の地球型惑星で2体のアンドロイドがご対面。
これがまた分かり難いのだけれど、制作側の作戦だということが最後に判明する。
地球人の起源が筋肉マンだったとして、彼らの母星を滅ぼしたのは地球人が作ったアンドロイドだということか…。
デヴィッドとショウ博士が乗った宇宙船がこの母星に到着したとき、筋肉マンたちは生存していた。ならば、遠く離れた惑星で同族たちがエイリアンによって滅んだことを知っていたはずだが、救助には向かわなかったようだ。
デヴィッドが彼らにエイリアンの〝菌〟をばら撒いた理由は、創造主でありながら地球人をエイリアンで滅ぼそうとしていた筋肉マンたちへの報復か?
でも、ショウ博士を実験台にして殺しているし…よく解らない。
説明しようとすればするほど矛盾が生まれてくるのだから、妙な筋立てはやめて欲しかった。
戦う女性主人公を引き継いているのは、惑星間移住の責任者であるダニエルズ(キャサリン・ウォーターストン)である。
コヴェナント号に戻る作業船の船外で追ってきたエイリアンと決死の白兵戦を繰り広げるのだが、あのエイリアンはショウ博士と筋肉マンとのハイブリッドで生まれたH・R・ギーガー型の新種に見えた。この新種はこの星にはいないはずでは…?
コヴェナント号で移民地に向かったアンドロイドの目的は何か…それを明かす続編は現時点では作られず、この物語が第一作『エイリアン』に繋がる様子はない。
むしろやめて欲しいと思っていたら、シリーズの新作が公開される。
だがやっぱり、リドリー・スコット総帥はこの謎解きを他人には任せたくないのだろう、新作は『エイリアン』直後のスピン・オフだった。
もうシリーズは終わったと思ってBlu-ray6枚組コレクションBOXを買ったのに…💧
■以下、初鑑賞時のレヴュー(2017.10.17記)……………
「エイリアン」の面白さは、エイリアンの襲い方の恐ろしさと、生き残る方法のアイディアにある。
ただ、それだけだ。
それだけの単純なスタイルを開発したのは、リドリー・スコットの功績のひとつ。
一旦手を離れて、数々のクリエイターたちによって様々にアレンジされた「エイリアン」を前作「プロメテウス」で取り戻したリドリー・スコットは、単純だからこそ怖くて面白かったスタイルに、なぜ変な理由付けをしてしまったのだろう。
最初からこんな“前日譚”があったとは、思えない。
後付けにちがいない。
自分が創造者だという自己顕示だろうか?
そう考えれば、「プロメテウス」から「コヴェナント」までの物語は、正にリドリー・スコット自身の“エイリアン”支配者としてのものかもしれない。
しかし、物語を単純なものにしないために考えられたシークェンスには、前作にもあった安易さが見えてしまって、逆効果になっている。
たとえば、アンドロイドの危険な企みに気づいて追及しているのに、まんまと繭を覗き込んで襲われる船長のバカさ加減、とか。
映画技術の進歩もあって、前作も今作も、エイリアンとのバトルシーンはレベルアップしていて、実に面白かった。
それだけに、要らない講釈が残念だ。
ゾンビ映画のように、エイリアン映画はひとつのジャンルと言って良い。
シチュエーションの工夫とアクションのアイディアだけで勝負して良かったのではないだろうか。
近作『ライフ』のように。
辻褄合せは理解出来たが…
最近、劇場でロムルスを鑑賞したのですが、色んな過去作へのオマージュが散りばめられていたので、確認の意味も含め、プロメテウスと併せて連続再鑑賞してみました。
劇場公開当時も、レンタルDVDで鑑賞していましたが、細部は記憶から飛んでいたので、今回ようやく後付の辻褄合せは理解出来ました。
ただ、プロメテウスしかりコヴェナントしかり、2001年宇宙の旅の様に、人間とはどこから来てどこへ進むのかという哲学的なテーマを扱うにしては、プロットが短絡的かつ雑な印象ですし、かといって、1作目の様にSFホラーに全振りした訳でもないので、個人的には、どっちつかずの印象を受けました。
元々、1作目を作った時には、ここまでの前設定を意識していたと思えないので、完全に後付けの辻褄合せだと思うので、それなりに上手くつなげたなとは思いますが、だから何?という興醒めした印象を受けてしまいました。
ゼノモーフ(?)も、フェイスハガーからチェストバスターを経て成長するという定石を自己否定して、胞子タイプはバッタみたいに成体で誕生し、その後は急激に巨大化するという設定に変える等、バリエーションは増えたなと思いましたが、特撮ヒーローの変身みたいで、ちょっと失笑してしまいました。
また、1作目のプリクエルという設定ですが、本作で宇宙空間へ放出されたゼノモーフと、1作目でフェイスハガーから成長したゼノモーフは別個体のはずなので、つながるというよりは、過去にアンドロイドがしでかした悪事だと感じました。
また、アメリカ人は直情的(実際は全然そんな事はないと思いますが)かつファンキー(ジャンキー?)な発想で行動するので、嗜めてやりたいフラストレーションを感じつつ、誰にも感情移入出来ないままで観終わってしまいました。
リドリースコット監督なら、アンドロイドの描写ひとつとっても、ブレードランナーの様に、同じ意思や感情を持ちつつも、人造物と有機体でというだけでの格差や宿命など、もっと深掘り出来たはずですが、悪事の根拠はチラッとセリフで喋らせただけて流してしまっているので、動機が殆ど腹落ちせず、内容的には取って付けた様な浅い印象を受けてしまいました。
また、本作のゼノモーフは動きが素早いので、従来のようなパペットではなく、CGだと思いますが、チョロっと登場するモブキャラ程度の存在になってしまっていたのは残念でした。
ロムルス鑑賞後のプリクエル再鑑賞でしたが、ああ、こう繋がっていたのかとは理解出来たものの、それ以上の印象は感じませんでした。
言いたいことは分かる気もするが・・
第1作から時代も変わり、テーマとしてはいいと思うもののエイリアンの世界観で語って欲しくはなかったかなと言うのが正直な感想です。
デイビッドのキャラクターは魅力的なのですが、第1作より映像に質感が無くてキレイ過ぎ(当然ですが)。エイリアンもデジタル処理になって、恐怖感が薄れてる。
後は登場人物たちが揃いも揃って間抜け過ぎ。全然感情移入出来ないしヒロインもビジュアル含めて魅力を全く感じることができなかったのも残念でした。
何度観ても面白い、素晴らしい仕上り!!
“エイリアン・サーガ”の始まりの物語「プロメテウス(2012)」の正統続編であり「エイリアン(1979)」より前の話
「プロメテウス」も大好きだけど、ややモヤモヤが残ったのに対し、本作は素晴らしい完成度
一般に知られている“エイリアン”の形態“ゼノモーフ”誕生の物語であると共に、その前の形態“ネオモーフ”やその幼体、さらにフェイスハガーなど、いろんな形態のエイリアンが出てくるのが飽きさせず、興味深い
そしてそのエイリアン達の餌食になるコヴェナント号のクルー達の死に様が凄く、その描写のグロい映像がシリーズ屈指のえげつなさで圧倒されます
本作の主役となるシリーズ恒例の“エイリアンと闘う強い女性”はキャサリン・ウォーターストンさん演じるダニエルズ、舞台出身の女優さんだけあって素晴らしい演技、しかもこういうSFアクション巨編にも完璧にマッチする所があっ晴れ
本作はとにかくストーリー展開が面白い
特に後半のアクションは最高にエキサイティング、コヴェナント号に向かう着陸艇上でのダニエルズとゼノモーフとの一騎打ちからコヴェナント号内で暴れまくるゼノモーフとのラストバトルまでの展開はテンポがよくて大興奮、メチャクチャ面白かったです
そしてマイケル・ファスベンダーさんの演じるアンドロイド、前作から続くデヴィッドと本作初出のウォルターの2役も見どころ
マイケルさんの無機質で不気味な演技、そしてアンドロイドが人間を超えていこうとする危うさを見事に演じきっており素晴らしかったです
何故か本作は世間の評価が低いので、本作と「エイリアン(1979)」を繋ぐ幻の続編が制作凍結となっており残念、是非続きを観たいものです
シガニー・ウィバーなしのエイリアンも新鮮だ。前日譚という位置付けな...
シガニー・ウィバーなしのエイリアンも新鮮だ。前日譚という位置付けなんですね。
なかなか不気味で楽しめたが、相変わらず人間関係がよくわからない。アンドロイドは同じ顔なんですね(笑)
エイリアン連続鑑賞もだんだん飽きてきた(笑笑)
CREATION
なるほど、すべて創造についての物語だったのですね。
人間の、アンドロイドの、エイリアンの、そして神に位置するエンジニアもまた同じく生物でありその創造の円環はどこまでも続いていくのでしょう。
神は自らの姿に似せて人間を作った、と聖書に限らず様々な神話に似たような表現があります。エイリアンシリーズの中でも宿主の姿に近づいたり、それこそリプリーを母と感じるシーンがあったりしました。新シリーズの崇高すぎるようなテーマは最初、後付け感が凄いなぁと思っていたのですが、よく考えたら1の時から繰り返されてきたテーマなのかな…と思い至りました。
でもエイリアンが、原罪、知恵の実、蛇、カインとアベル、わかりやすく聖書を連想させる映画になるとは思ってもいませんでした!
プロメテウスであんなおじいちゃんをどうしてガイピアースが、と不思議だったけど、コヴェナントのためだったんですね笑
デイヴィッドの名付け(名乗り?)からもう、この映画で語られることを宣言してるわけで、重要なプロローグなわけです。でもアンドロイドが既に想像主にちょこっと反発してるじゃないですかーウェイランドが思いとどまってたらこんな事には…しかし知恵の実の誘惑には抗えないのか。
重いテーマとは別に、バリエーションに富んだエイリアンの造形、お約束の乗組員の迂闊さ故のスリル、待ってましたのフェイスハガー、どきどきしながら楽しみました。絶対そいつの腹にいるから入れちゃダメだって!!てスクリーンで観られるうちに叫びたかった。
創造に固執するアンドロイドは次作でどうなっていくんでしょう??
プロメテウスの
続編で、エイリアンに続くストーリー。
ブロメテウスよりは格段に楽しめたが、いい加減ハッピーエンドにしてくれ…
シリーズ全体に言えるが、ラストに必ずエイリアンが残る。
今回なら宇宙船=マザーが発見出来ると思うのだが…
この物語は本当に必要なのか?
単体の作品としてのクオリティは、前作『プロメテウス』同様によく出来ていると言ってよい。しかし、これはプリクエル(しかもオリジンと言える一作目の監督の手による)なので、これ単体では成立しようがなく、これ単体として自立できるだけの価値は薄い。実際、単体の作品としてはとても面白く観ることができるが、それでは不十分。あくまで、プリクエルとして有意義であるのか?というところが評価の決定的なポイントになる。『プロメテウス』のレビューにも書いたように、プリクエルの存在意義は、それがあると元の作品の味わいが深くなることが決定的に大切なところなので、今作がきちんとその役割を果たしているのかを問わなければならない。『エイリアン』という作品は、その生き物としてのエイリアンの得体の知れなさにこそ脅威を感じ、恐れを感じるからこそ成立する作品だ。だとしたら、これの成り立ちを解説してしまうことで、間違いなく「得体の知れなさ」は削がれてしまうことになり、生き物としてのエイリアンの印象を矮小化してしまうことになる。端的に言えばかえってつまらないものにしてしまっていないか?と。「こんな背景がありました」という説明があったからといって、『エイリアン』がより面白くなるとは私には到底思えなかった…というのが、私の正直な感想である。
リドリー・スコットは自らの作品を起点にして作られる続編やスピンオフに大いに不満だったのかも知れず(実際、スピンオフには酷いものがある)、こんな形で自分が作った作品世界を取り戻そうとしたのかも知れないが…だとしてもこれは残念ながら実に壮大で大金のかかった蛇足だと私は思う。
エイリアンの劣化コピー
プロメテウスは未視聴。何となく雰囲気で汲み取りつつ視聴。2,000人も抱えた移民船のクルーがなんでこんな無計画で警戒心の薄いやつばっかりなんだ...と思い出すとどうにもならない映画。たまたま近くに都合の良い星を見つけて進路変更し、下調べもなく着陸し、ヘルメットもなく探索に出た挙句寄生されて死んでいく...いやいや未知の惑星でしょ?さすがにもうちょっと警戒するだろ...。エイリアンは安定の虐殺ムーブ。最後は案の定アンドロイドの裏切りでバッドエンド...コヴェナントからエイリアンにどうつながるんだ?と思いましたがもう1作構想があるみたい。そりゃつながらんわ。どうにも初代エイリアンの焼き直し感が強く目新しい展開も感じられなかった。
ひとつの世界観の確立
初代エイリアンからシリーズが続くが、物語の焦点がアンドロイドのダビデだ。
創造という言葉が度々登場するが、ダビデにとって創造することが夢となる。
なんだかんだで脱出に成功したものの、アンドロイドのウォルターは………。
脱出成功と同時に絶望感を与える。
プロメテウスから始まった新エイリアンは、このコヴェナントとシリーズの完結となるであろう次回作にも期待したい。
背中から産まれる!
今まで大体お腹から産まれてくるのが、エイリアンでしたが、今回なんと背中から産まれてきます!!
作中で一番好きなシーンです笑笑
お腹からより背中からのほうが、めっちゃ痛そうです笑笑
あと、いつも思うのですが、みんな迂闊すぎる。
プロメテウスの時もだけど、未知の惑星なのに簡単にヘルメット取りすぎ。
みんな怖いもの知らずか!!
今作は、プロメテウスのその後が描かれてるので、前作を観てた方がより楽しめると思います。
エリザベスがどうなったのかとか、デイヴィッドが何をしたかとか。
マッドなサイエンティスト、デヴィッドが、今回もそのマッドブリを遺憾なく発揮してます。
今後もエイリアンシリーズが作られるとのことなので、めっちゃ楽しみです!
このアンドロイドだけは、、、(呆れ)
移住可能な惑星を探してたら
エイリアンに出くわした話。
このシリーズは気持ち悪さを楽しみですが、
プロメテウスからヌメヌメ感が増してて
顔がひきつりながら観てました。
顔がおかしくなったかも。笑
今作もアンドロイドのあいつがやらかしまくります。
プロメテウス観た人はかなり衝撃を受けるはず。
ストーリーはいつもと同じ流れで
目新しさはなかったです!
えっ?2100年でしょ?
たぶん現実なら、そんな得体の知れない星を探索する場合、AIロボットかアンドロイドに丹念に丹念に探索して、慎重に慎重を重ねてから生身で探索するでしょ?
映画のほうが遅れてる感じがしました。
まあ、しゃあなしだとしても乗組員が全員バカ。
だから、評判良くなかったんやな。
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