「母」リップヴァンウィンクルの花嫁 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
母
所謂「良い」母親が一人も出てこない。
七海の母…子どもを捨て出奔。
鉄也の母…異常な過干渉。
真白の母…子に捨てられたのか、子を捨てたのか。
なりたい母親像がない。なりたい大人のモデルがいない。その世界で子どもはどうなるか。
七海は典型的な「成熟拒否」の少女だ。(社会人だが見た目も中身も少女だ。)
どんな大人になりたいのか何がしたいのか自分でもサッパリ分かっていない。
母に愛されなかったのではないか、必要とされなかったのではないか。その怖れに無意識に捕われている。世から必要とされてない代わりに七海も誰かを強烈に必要としていない、無くすのが怖いから誰の事も愛せない。
そんな七海は、安室の紹介する仕事にホイホイ乗る。必要とされることが嬉しい、役目を与えてくれることが嬉しい。だからついていってしまう。
真白と出会うことで、理屈とは関係なしに強烈に必要とされていることを知る。何者でもない自分を無条件で受け入れてくれることを知る。
そして七海も無条件で真白を欲する。今まで誰かを強烈に愛せなかった七海が、殻を破って一歩踏み出す。初めて真剣に一人の人間と向き合う。「愛されたい」「庇護されたい」とばかり願ってきた受け身の少女が、初めて主体となって誰かを愛する。「少女」からの脱出。
最後、七海は、真白の「母」と対峙する。真白の代わりに。そして自分の母と対峙する代わりに。
「母」から庇護してもらいだけの「少女」ではもうない。「母」を赦し受け入れ、自分も赦される。母親からの独立。ささやかな成長。
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心理学では、「成熟拒否」と母娘問題はセットで語られる事が多い。「成熟拒否」の少女の成長物語として、ものすごく理にかなった、筋の通った映画だなあと思った。安室は変種のカウンセラーだなあと。
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「理にかなった」映画だから良いと思ったわけではなく。
ビジュアル的にもストーリー的にも大島弓子さんの少女漫画のような世界だなあと(そういえば大島さんの漫画も「成熟拒否」と母親のモチーフが結構多いなあ)。大島さんの世界は、あのフワフワした線の絵だからこそ許されるのであって、その雰囲気を実写映画で成立させるのはなかなか難しい。それを成立させているのがやっぱり凄いなあと。若い頃は流行ものに対する反感でどうしても岩井俊二監督が好きになれなかったが、ここにきてそういうわだかまりも溶け素直に鑑賞できた。