リップヴァンウィンクルの花嫁 : 映画評論・批評
2016年3月22日更新
2016年3月26日より新宿バルト9ほかにてロードショー
終わらないまどろみはない。いつか、世界が変わり自分も変わる瞬間が訪れる
「リップ・ヴァン・ウィンクル」とは、19世紀に発表されたアメリカの小説であり、その主人公の名前。森の奥に誘われて酒盛りを始めた主人公が眠り込み、目が覚めたら20年たって世界はすっかり変わっていたという物語。この映画では20年は経たないが、しかし最後に主人公がガラッと変わる。それまで眠り込みまどろみの中にいた主人公が、最後になって目覚める物語と言ったらいいか。3時間の長丁場。そのほとんどがまどろみの中である。
だから冒頭からほとんどは、決定的なことは何も起こらない。不思議なことやとんでもないことやあり得ないことは起こるが、それが主人公を変え、わたしたちのまなざしをくぎ付けにするようなことはない。職場や家庭で自らを強く主張するわけでもなく、小さな声で静かに自分を説明するばかりの主人公は、罠にかかったように次々にひどい目に遭う。どうしてそんなことに逆らえないのか、罠だと気付かないのかと思いもするが、それこそまどろみのなせる業。だから世界の案内人として登場する綾野剛扮する男にも、どうしてそんなことをするのか全く説明がないし、世界が変わった後は、ただ去っていくだけだ。
この映画の3時間が告げるのは、終わらないまどろみはない、ということだ。いつかその日が来る。決定的な時。世界が変わり自分も変わるその瞬間が訪れる。しかしそれは簡単にはやってこない。忍耐がいる。もう我慢できないと思ってからがまさに忍耐の始まりである。ゆったりと構えること。きっと変わる。60年代半ば「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」とサム・クックが歌った時代の変化は、もしかするとまだ訪れていないのかもしれない。しかし焦るなとこの映画の3時間が告げる。わたしたちの今、このどこか視界を遮られた閉塞感の中でこの映画を観ることは、その変化に向けてわたしたちの時間軸を大きく広げてくれることになるはずだ。
(樋口泰人)